表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
15/148

第15話 吸血貴族


 公浩は日下部祐一郎に通力を乗せた拳を打ち込んだ。

 ただし、本気で殺すつもりでは打ち込んだわけではない。どこかの勢力に属しているかなど、聞くことはそれなりにある。

 公浩(・・)の立場で言うなら、橘花院士緒と関係があるのかどうか、あるならその目的は、復讐とは? それら聞く事が山ほど。

 もっとも、日下部は橘花院士緒や“真ノ悪”とはなんの関係も無いので、少なくとも味方でないことは明らかだった。


 “真ノ悪”以外で最初に九良名に喧嘩を売ったのはどこの誰なのか、士緒としては気になるところだ。

 ゆえに手加減して意識を奪う程度にとどめた。

 だからと言うわけではないが、公浩の一撃が日下部に届かなかったのはある意味、必然だったのだろう。


「………!」


「やべぇやべぇ。この街は本当にあぶねぇ所だ。ちょっとつまみ食いしただけなのに、街に来て早々にこれとはな。ボスに怒られちまう」


 公浩の拳は日下部の腹部、その僅か手前で阻まれている。

 血のように真っ赤な盾。おそらく本物の血を使ったもの。

 血の盾は液体へと戻り、公浩の拳ほどの大きさの球体になると、次の瞬間には牙をむいた。


「予定変更だ! てめぇらまとめて蜂の巣になりやがれ!!」


 血の球体は一瞬で形を変え、注射針ほどの細く鋭い針の群れとなって公浩と鶫に襲いかかった。

 公浩は当然回避を選ぶ。

 未知数の敵だ。どの程度の強さかによって、対応を変えなければならない。

 攻撃の威力を見極めるためにも、鶫の顕術で動けなくなっている日下部の死角になる位置までいったん距離をとる。

 鶫もすぐに『不動金縛り』を解いて回避行動に移るだろうと考えたのだが、その予想は良い意味で裏切られた。


「はんっ! 随分と脆いな。枯れ枝かと思ったぜ?」


 『不動金縛り』を維持したまま片手で顔へと伸びた針を遮っていた。

 見ると鶫の全身に突き立った血の針は全てがパキンと音をたてて先端が欠けている。


「おいおい、冗談だろ……これ、10センチの鋼鉄も貫通できるってのに。一級の退魔師程度ならかわせないし防げない代物なんだけどな」


 鶫が使っているのは四宮家の秘伝……『色装の赤』だ。

 顕を複数同時に発動することは基本的には上一級以上の高等技術とされている。『色装』と『不動金縛り』、それを二つとも高いレベルで発動できる鶫は紛うことなき天才と称して良いだろう。


「あたしはこれでも特一級の実力があるんだ。てめぇのぬるい攻撃じゃあたしには届かないって分かったろ」


「へー、なら……もう一度試してみるか?」


「お前には試してみる以外の選択肢は無いだろ? 指一本動かせない状況じゃあな」


「言うじゃねえかよ、お嬢ちゃんっ!」


 先ほどより速度を増した針の群れが鶫へと殺到する。

 当然、威力も上がっていた。


「真っ向から受け止めてやる義理は無え!」


 鶫は針の群れを回避しながら旋回し、ある程度を躱したところで向きを変える。

 そして勢いのままに高々と跳躍した。


「あたし式! 『舞い降りし爆蹴(ライダーキック)』!!」


 ゴオッという音と熱を発し、飛び蹴りの体勢で日下部に向けて急降下していく。

 身動きが叶わない日下部は血を剣山のように展開するが、その(ことごと)くは鶫に触れる寸前で衝撃と熱波によって砕け散った。

 ただ巫山戯ただけの技ではないらしいと納得するには十分だ。日下部は苦い顔で歯軋りすると、怒気を露に奥の手を行使した。


「あんま気は乗らねえが、なっ!」


 日下部は針の一本を触手のように操り、自分の手のひらを貫いた。


 風穴の空いた掌から赤々とした血液が噴き出す。

 最初の一滴が地面に落ちる瞬間には、鶫による爆撃さながらの蹴りが炸裂していることだろう。

 しかし、その血は滴り落ちること無く、それまで操っていた血と混じるように浸透していった。


 轟ッッッ――――!!


 鶫の蹴撃を、残り数十センチの所で血液の盾が阻む。

 盾と激突し、破壊の衝撃は爆風となって周囲に散り散りに吹き荒れた。


「種明かしをしてやるよ」


 気取った種明かしとやらなど必要ない。血液の密度、質が明らかに変化している。

 優越感に満ちた不愉快な笑みを浮かべている相手は、もはや別物と考えた方が良いだろう。


「――――っ!」


 直前まで余裕を持って回避できていたが、今は息遣いに乱れが生じる程の強化率だ。流石に苦しくなり、日下部から距離を取る。

 距離があるほど血の密度が低くなり威力が減少するのは少し観察して分かった。日下部は中距離圏内なら相当に厄介だが、逆に最適な間合いを外れれば途端に効果を落とす。無理をしなくとも、距離を取るだけでそれなりの安全を確保できるのだ。

 間合いを越えるのが困難な点では、厄介な事には変わらないが。


「今まではさっき食った女の血を使ってたんだが、光栄に思え。俺の貴重な血を使ってやる」


「そんなに勿体なければ、無理して使わなくてもいいんだぜ?」


「いや、ムカつく話だが俺もヤバかったんでね。一応、命の方が惜しいんだよ。だがやっぱり……他人の血は駄目だな。いまいち魔力(・・)が通らねえし。だから俺の血を少しだけ混ぜてやれば、ほらこの通りだ」


「ずいぶんペラペラと喋るじゃねえか。魔力って言ったか……それだけでお前が国外で言うところの“悪魔(デーモン)”だと分かっちまったぜ? 情報は大切にしな」


「はんっ、それがどうした? 俺が貧血になってでも血を使う以上、お前らを生かして返すつもりは無い。面倒だが、増援が来る前に殺す」


 日下部の周りを今か今かとうねっていた真っ赤な針山が一斉に硬質さを帯び、先端を鶫へと向けられる。

 凶悪な鋭さの針山が自分を標的と定めたのだ。本来なら、そこで空気が緊迫するはずなのだが……どういうわけか、鶫からは機嫌の良い笑みが零れた。


「あん? 何がおかしい」


 鶫とは逆に、馬鹿にされたと思い険を纏わせた声音を発する日下部。だが、既に自分の血という切り札を切っているせいで、それ以上の威圧を重ねる事が出来ない。

 何か別の隠し玉があるなら、日下部自身も強気でプレッシャーを掛けられただろうが……この時点で、鶫を恫喝するには日下部の迫力不足が露見していた。


「ああ、おかしいに決まってる。お前、さっきからあたしのことしか見てねえだろ。まあ、絶賛金縛り中だからしょうがねえんだが」


「……それはまさか、俺の後ろにいるガキの事を言ってるのか? 気をつけるよう警告してくれてるのかぁ? ぷっ……さっきの攻撃を見るに、たとえ威力が10倍になったとしても、あのガキじゃ俺に触れる事も出来ねえよ」



「言っておきますと、10倍で済ますつもりはありません」



 その瞬間、日下部の背中に膨大な通力の気配が圧力となって怒濤のように押し寄せた。


「なっ――――!?」


 日下部が経験してきた中でも最高レベルに濃く練り上げられた力の塊……それがナイフとなって日下部の背中に突き付けられているのだ。冷や汗が滝のように流れるのも当然と言えよう。

 実際に、漏れ出た通力が公浩の右腕を中心に台風へと変わる。その暴風域に捉えられ、捕らえられた当人は身動きが出来ないだけに、なおさら恐怖心を煽っていた。


「種明かし……と言うほど大袈裟なものではないのですが、お聞かせしましょう。僕は別段、高度な顕術を用いてるわけではありません。なんと僕にできるのは通力の集中的、かつ効率的な運用。それだけです」


 黒沼公浩という男の能力的特徴を要約すると、それだけなのだ。高い効率での通力の運用で純粋な破壊力を生み出すだけ。

 言葉にすると簡単だが、小を大に変えるというのは言うほど簡単ではない。通常なら熟練者が当たり前に手に入れる技術を、今の若さで修得していた。謂わば早熟の業である。


 士緒は書類の上で把握した公浩の能力を、真似して演じている形だ。

 本物の黒沼公浩にしてみたら悲しい事実だが、士緒のそれは本物を上回るほど完成されている。本物を越えるレベルにならないよう気には掛けていても、残念ながらそこまでの手加減が出来るだけの器用さは持ち合わせていなかったが。


「戦闘で気が逸れている間に通力を溜めるのは、そんなに難しくありませんでした。ただ、今の貴方みたいに動くのが億劫になるので、できれば僕に注目してほしくなかったわけです。いつ気付かれるかと冷や冷やしましたよ」


「このガキがあああ!!」


 鶫に向いていた針の群れが向きを変え、公浩へと迫る。

 だがそれは、あまりにも遅すぎた。


「あなたの捕獲は諦めます。四宮さんっ、流れ弾を任せても?」


「おう! 思っきしやっちまえ!!」


 公浩は拳を繰り出そうという体勢をとり、右腕を中心に巻き起こっていた通力の嵐が集約された瞬間、周囲から音が消えた。


「今度こそ……カノジョさんによろしく」


 ビュオンッッッ――――!!!


 突き出された右腕から、通力の奔流が光の道となって日下部に伸びる。

 それに触れた針の群れは全てが蒸発していく。そしてその先にいた日下部も、声をあげることも出来ずに光に呑み込まれ、消え失せた。


 しかし目標を消滅させたものの、光の奔流は衰えることなく、このままでは街を破壊しかねない力の塊として残っている。その先で待ち構えていたのは『重装剛気』で『色装の赤』を重ねがけした状態の鶫だった。


「どおおおっ――――りゃっ!!」


 ガキィインッッ!!


 渾身のアッパーカットが公浩によって放たれた通力にぶち当てられた。

 鶫は体勢を崩し、ふらつきながらも光の軌道を上向かせ、そのまま上空へと打ち上げた。


「――――っっ!! なんだこの馬鹿げた威力は!?」


 鶫が拳をさすりつつ、公浩に抗議の視線を送る。

 そんな物言いたげに見られても、公浩には苦笑いを返しすことしか出来ない。


「そんな目で見ないでよ。ほら、敵は調伏したし、街は無事。おまけに花火まで上がった」


 日下部がいた場所にはもはや影も形もない。高い建物に掠りそうだったものの、街に被害は無し。打ち上がった光線は露と消えたため花火とは呼べなかったが。

 何にしても手応えはあった。調伏したことは間違いないだろう。


「とりあえず工藤君に連絡をしようか」


「んじゃ、そのへんは任せます。それにしても手ぇ痛いなー……あれオーバーキルだよなー……もうちょっと手加減できたはずだよなー」


「今度ご飯をご馳走しますよ。学食で良ければ」


「役員は学食タダじゃん!?」


 暫くして、“(やしろ)”からの増援が到着した。

 学生退魔師というものは実にブラックな仕事だ。公浩と鶫は軽い報告を済ませ、工藤たちと合流後、再び命を懸けた巡回へと戻らされるのだから。その点、正式な退魔師なら歩合が適用されるし人手も多い。まだ学生よりはマシかも知れない。

 学園生にはノルマの概念など無く、朝まではみっちりコースが確定している。


 退魔師の夜は長い。

 そんな中、四宮鶫は再びこの現場へ戻れた事を歓び、退魔師の仕事のやり甲斐を思い出した。

 ついでに、隣を歩いている先輩と朝まで居られる事も、それなりに嬉しく感じていた。



           ★



 その少年の容姿は幼い子供と言って差し支えない。実年齢がどうかは別にして。

 彼は公浩たちの戦いをビルの屋上に取り付けられた双眼鏡で終始覗いていた。


「うわー、日下部のやつ殺られちゃったよ。相手は九良名の学園生? 日下部のやつ、舐めすぎでしょ」


 少年が話しかけた先には屋上で風に吹かれる中、場違いな純白のテーブルで紅茶を嗜んでいる男がいた。シルクハットに紳士然とした服装、お洒落に髭を蓄えている外見は、さながら時間を越えてきた存在だ。


「軽薄な所はありますが、彼はここぞと言う場で油断するような男ではありませんよ。ただ相手が上手(うわて)だっただけでしょう」


「まあ確かに……けっこう強そうだったけどさ」


 紳士服の男は立てかけてあった杖を手に立ち上がると、コンコンと屋上の地面を叩いた。

 すると椅子とテーブル、その上にあったティーセットまでが一瞬で姿を変え、宝石の形で杖の頭にはまった。


「しかし困った男ですね彼は。今日は偵察だけと言われていたのに……ですがまぁ、彼の血液はストックがあります。その大半を使用すれば彼は復活が叶いますので、大きな問題でもないですが」


「そんなのどうでもいいよ。それより、このあと怒られんのって、もしかして僕ら? もしあの馬鹿が何か喋ってたらどうするの」


(あるじ)は寛大です。我々が責めを負うことは無いでしょう。それに、仮に我々の動きが退魔師たちに知られたところで、何がどうなる訳でもありませんしね」


「ふーん……ま、怒られないならいいや。さっさと帰ろうよ」


 少年が扉の方へと歩いて行き、紳士もそれに続いて歩き出す。

 ふと、その二人の視界に、いつからそこに居たのかベンチに腰掛け、花が咲いたような笑顔で二人を眺めている少女が入りこんだ。


「「!?」」


 少年と紳士は驚きで目を見開いて少女に振り向く。

 顔を見合わせた二人はお互いの顔に驚愕が浮かんでいるのを確認し、自分だけが見ている幻ではないと確信した。


「おお、やっと気付いてくれたっすね。流石、若の術式は格が違うっす」


 少年と紳士は数秒の間、凍りついてしまった。

 今の今まで、姿はおろか気配の一つも無かったはず。

 通力の顕には姿を消したり気配の遮断を行えるものもある。しかし、集合場所として定めたここに関しては、そんな顕術にも対応できるだけの用意がしてあったのだ。

 だと言うのに、女は当然とばかりに現れた。自分に気付かなかった二人を嘲笑いながら。


「どなた……ですかな? いつから其処にいらしたのでしょう?」


 どうにか平静を取り繕い、紳士が女に訊ねる。

 退魔師の可能性は低い。もしそうなら自分たちは今ごろ、最低でも一人は調伏されているか捕縛されていただろう。

 これほどの術式を操り、単独で行動できる実力者が背後を取ったのだから尚更だ。ただボーっと眺めていた筈がない。

 何より雰囲気が……自分たち二人を前にしても平然と構えられるその様子が、人間のそれと言われると違和感があった。


「自分は使いパシりっす。“千影(せんえい)”、と言えば伝わるっすかね」


「“千影”! すっげぇ、マジで本物!? あんたウチらの間でもかなりの有名人だぜ?」


「……なるほど。確かに“千影”がこの街に来ている事は聞き及んでおります。貴女が動いていると言うことは、山本(さんもと)様もこの街に並々ならぬ興味をお持ちなのでしょう。ただ、そこで問題になるのが……貴女が我々の敵になるのかどうか。出来れば、敵でも味方でもないのが望ましいですな」


 梢はベンチから立ち上がり、ん~~~っと伸びをする。

 それだけ長い時間座っていたのだと、婉曲なアピールのつもりで。


「そちら次第っすねー。まず、そちらの雇い主の名前。次に、おたくら凸凹コンビ。こっちも名乗ったんっすから、そっちも名乗るのが礼儀っす。寛大(・・)なご主人様とやらに言い付けちゃうっすよ、紳士諸君?」


 会話を盗み聞かれたのは間違いないらしい。

 二人がこの場所に来てから、それほど重要な会話は無かった。自分たちの会話をどの程度まで聞かれていたかは不明だが、少なくとも情報を垂れ流しにはしていない事にほっとする。

 もしそうなっていたら、さすがの寛大(・・)な主も渋い顔で二人を罰していただろうが。


「……よろしい、お答えしよう。(わたし)はカーミラ様の忠実な(しもべ)にして“吸血貴族(ノーブル・ド・ドラキュリオ)”の末席を汚す者。名前はウィットーリオと申します」


「僕は空丸(そらまる)。今はカーミラのおばちゃんとこに世話になってるんだ」


 そこまで期待はしていなかったが、思いの外あっさりと名前が出てきた。

 そしてその名前は、少なからず梢の関心も引いた。


「“吸血貴族”とはまた……結構な大物じゃないっすか。さっき消し炭になったお兄さんもお仲間っす?」


「うぇ……正直あんなのと一緒にされたくはないけど、残念ながらそうなんだよねー」


 梢は何らかの術式を使い、この場所で気付かれず二人を見ていた。

 そして同時に、何らかの手段で日下部の戦闘の内容も知り得る事ができた。まさか空丸の隣で双眼鏡を覗いていたわけでもあるまい。

 得体の知れない何かがある……ウィットーリオと名乗った男の、杖を握る手に自然と力がこもる。


「わざわざこんな所まで、ご苦労様っす。確か“吸血貴族”が最終的に目指すところは、悪魔国家の建国……だったっすか? この街は危険な割におたくらの目的に沿う物なんて無いと思うっすけど。それとも、退魔師協会の力を削げば後は勝手し放題……なんて頭の悪い結論にいたったわけでもないっすよね?」


「我らが主の深いお考えは分かりませぬが、目的の一つに橘花院士緒という男が関係しているのは確かです」


「……うちの若頭に、あのロリBBAが何の用っすかね?」


 梢の険を含む物言いに、ウィットーリオは居心地悪そうな咳払いを一つ吐き、空丸は愉快そうに笑って答える。


「僕たちが言われたのは下見と、できれば捜索だよ」


「三年前から存在だけが一人歩きして姿を一切見せなかった強襲者……“IR(イル)”。それがやっと、姿と名前を表に出した。四宮家の壊滅という最高の花火と共に。見つけ次第、丁重にお連れするよう仰せつかりました。また、礼を失する事の無いようにと厳命もされております」


「ついでに、“真ノ悪”と出くわしても目を合わせるなとか、アメは貰うなとか……とにかくご機嫌を取れってさ。僕のこと子供だと思ってるんだぜ? あのオバチャン」


「……どうせ若の血が飲んでみたいとか、そんなところっすか? 残念ながらそれは叶わないっすよ。若にはやることがあるっすから。おたくのBBAにはトマトジュースかケチャップでも与えとくっす」


「はぁ……とてもではないですが、我が主にお伝えできる言葉ではありませんね。まぁしかし、IRが山本様の手の者という確認が取れただけで、今回は良しとしましょう」


「てなわけで、“千影”のオネエサン。あんたらを敵に回すと、カーミラのオバチャンにぶっ殺されるんだ。手ぶらで帰るから、見逃してよ」


 梢はため息を吐き、やれやれと肩をすくめる。

 自分だって子供の遣いじゃないのだ。タダで帰しては、とても仕事をしたとは言えない。

 手ぶらと言うのも困る。せめて……戒めの一つでも持参してもらわねば。


「「―――――ッッ!!!」」


 その瞬間、それまでの柔らかい雰囲気が一転……ゾッとする程の殺気がウィットーリオと空丸を丸呑みにした。


 天使のような笑顔が、より二人の恐怖心を煽る。

 ウィットーリオと空丸は一瞬にして、喉元に死神の鎌を当てられている錯覚に囚われ、冷や汗が全身から噴き出した。


「何もせず、故郷(くに)で大人しくしてろ……とまでは言わないっす。ただ、若には関わらないことっすね。もし、若の邪魔をしようものなら“吸血貴族(ノーブル・ド・ドラキュリオ)”だろうと、消えて無くなる……“真ノ悪”がその気になれば、そのくらい簡単な事は知ってるっすよね?」


 それははったりでも何でもない、純然たる事実。

 それが分かっているウィットーリオからは反論が出ない。蛇に睨まれた蛙の如く動けないでいる空丸も同様だ。


「どうか、殺気をお収めください。そちらの目的次第ですが、若頭さんのお邪魔にはならないよう努めますので」


 ウィットーリオは震えそうになる声を必死に抑える。ともすれば情けない事実に、当の本人が誰よりも驚愕していた。


「ふーん………そちらが邪魔をしないのなら結構っすよ。けど、余計な事をすればすぐに分かるっすよ? おたくらには、しっかり爪を突き立て(・・・・・・)させてもらったっす」


 それはつまり“吸血貴族(ノーブル・ド・ドラキュリオ)”が、この瞬間から“真ノ悪”に目を付けられた事を意味していた。


 梢という名の暴虐は脅しの言葉だけを残し、軽やかな動きでフェンスの上に飛び乗った。

 梢が向けていた殺気が薄らぎ、ウィットーリオと空丸は重圧から解放されて安堵の息を吐く。


「そちらの言うように敵でも味方でもない立ち位置……いいっすね、それ。その関係が続くなら、もっと良いんっすけどね」


 最後に不敵な笑みを残して、“千影”は闇に向けて背中から倒れ込む。ただ屋上から飛び降りたのではなく、その気配までをも完全に消し去っていた。


「………ウィットーリオ。“千影”がここまでヤバいなんて、聞いてないんだけど? 危うくこの若さで死ぬところだよ」


「私も、ある程度は知っていたつもりでしたが………“吸血貴族”の幹部としての自信が無くなってしまいます」


「強さ的にはカーミラのオバチャンと同じくらい?」


「……計りかねます。なにはともあれ、我々も撤退しましょう。早々にこの街を離れるのが賢明です」


 空丸は未だに纏わりついている不安や寒気を振り切りたい一心で、普段なら一つ二つはありそうな軽い反論も無しに、ウィットーリオの言葉に大きく首肯する。

 二人は来たとき以上に周囲を警戒しながらビルを降り、待機させていた車に乗り込んで足早に街を去った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ