第16話 最後の試練
細い通路の螺旋階段を、フェンは、ひたすら登っていた。
「長いよ………、これ」
「キュ、キュキュキュッ!」
息の上がるフェンに、頭の上の一角兎が、励ますように鳴いた。
「君は、僕の頭の上にいるから、楽でいいよね?」
「キュウ、キュキュキュッ!」
「………まぁ、そうだけど。下ろしたら、余計に時間掛かるから、そのままでいいよ」
フェンは、階段に腰を掛けて、溜め息を吐いた。
「しかし、“君”じゃ呼びにくいよね?
“リーネトール”じゃ長すぎるし、“リーネ“だと、リルネに似てて間違えそう」
「キュ、キュキュキュイ、キュッ!」
「え?新しい名前が欲しいの?
“リーネトール”って、名前じゃないんだ?」
「キュキュイ、キュウ、キュキュッ!」
「あー、うん。じゃあ、考えるよ。今すぐには無理だけど、いいかな?」
「キュッ!」
「そう。ありがとう。
僕は、フェンでいいからね?」
フェンは、頭の上の一角兎を撫でると、立ち上がった。そして、再び、歩き始める。
暫くすると、階段の終点が見える。
フェンは、ようやくと、階段の先の扉を開けて、中に入った。
「フェン!」
「リルネ!」
そこは、壁や天井全てが、石に覆われた殺風景な部屋だった。
フェンが入ってきた小さなドアの他に、何もない。部屋の広さは教室ほどだろうか。
その部屋の真ん中に、リルネは立っていた。
フェンは、リルネに駆け寄るが、そのまま、リルネに抱き締められてしまう。
「フェン、無事だったのね。良かった………」
「リ、リルネ、ちょっ、苦しい!」
ギュッと抱き締められて、フェンは、窒息しそうだった。おもわず、声を上げるが、ふと、気づく。
「リルネ、身体が………」
「ちょっとコツを掴めば、実体化出来るの。でも、肉体があるわけじゃないわ」
リルネは、少し悲しそうに言った。
言われてみれば、カイゼには、普通に触れたことを、フェンは思い出す。
カイゼたちも、すでに肉体はない筈なのだが、普通に触れたので、あまり実感が無かった。
「フェン、この子は?」
リルネは、フェンの頭の上にいる菫色の一角兎を見た。一角兎も、不思議そうにリルネを見る。
「えーと、〈菫色の一角兎〉だよ。森の中で会ったんだ。一緒に来てくれるって………」
「臆病な破壊者〈菫色の一角兎〉。紫玉の2柱の神々の1柱ね………。そっか、お友達になったのね?」
「う、うん。そうなのかな?」
フェンは、首を傾げた。
友達とは、ちょっと違う気がする。もっと大切で親しくて、身近な存在な気がするのだが、フェンには、どんな言葉を言えばよいか、分からなかった。
リルネは、一角兎をじっと見ると、手を伸ばして、優しく撫でた。
「フェンを宜しくね。一緒にいてあげて…」
「キュッ!」
リルネの呟きに、一角兎は小さく鳴いた。
リルネは、フェンから身体を離して、目の前の少年を見た。
「リルネ?」
「フェン、私の話を聞いてくれる?」
やや緊張したようにそう言うリルネに、フェンは、「うん」と、ただ頷いた。
その真剣な顔立ちが、先ほどのカイゼと重なる。
「私は、[プルヴェート王国]の王女、リルネーシェ・フラウ・プルヴェートでした。
母は、側妃だったけど、兄弟とも仲が良くて、他の異母兄弟とも仲が良かったわ。戦争も知らない、平和な王都での日々は、とても幸せだった」
フェンは、リルネの思いも寄らない素姓に、息を呑んだ。
「私は、リーチェという少女と友達になったの。彼女は、王女じゃなく“私自身”を見てくれた唯一の友達。とても大切な人。
でも、彼女は、敵国である[西帝国]の第1皇女だったの。知ったときは、辛かったわ。
けど、私と彼女は、そのとき“約束”したわ。『戦争を終わらせて、国を平和にしよう』って。
そうすれば、また、会えるって、私は信じたの」
どこか自嘲気味に、リルネは語る。
「その“約束”に、理想を見たの。
馬鹿よね。……そのために、私は家族を捨てたわ。理想を現実にしようって、必死だった。多くの大切なものを見逃して捨てて、それでも諦めきれなくて、前に進もうと必死だった……」
「リルネ………」
崩れるように座り込んだリルネ。フェンは、リルネの前に屈んで、彼女を覗き込んだ。
「でも、絶望だけじゃなかった。フェン、私はあなたに会えた」
リルネは、フェンを見て微笑んだ。
「覚えていてね、フェン。
あなたは、私の“弟”よ。大切な私の“家族”。あなたがいたから、私は、頑張れたんだと思う。
それだけは、後悔と未練ばかりの私の人生で、一番の幸運だわ」
「うん。………僕は、リルネが好きだよ。大切な“お姉ちゃん“だ」
その強い意志が、強い信念が、憧れだった。
フェンは、リルネに抱きついた。フェンの頭から一角兎が転がり落ちる。
リルネも、フェンを優しく抱きしめる。
一角兎は、「キュッ!」と抗議の声を上げるが、抱きしめ合う2人を見て、やれやれと首を振った。
リルネは、フェンの茜色の髪を撫でながら、口を開いた。
「フェン、周りにいる人たちを大切にしてね。あなたがこれから出会う人、その縁を大切にして。
私のように独り善がりにならないで。
どんなに辛くても、困難でも、前に進む道は必ずあるわ。いろんな人の声に耳を傾けて、自分で考えて進むの。大丈夫。私はいつだって、あなたの側にいる。見えなくても、あなたがあなたの役目を終える日まで、一緒にいるわ。
あなたは、1人じゃない」
「うん………」
まるで、別れのような言葉に、フェンは、不安になって、顔を上げた。
だが、リルネは、ふふっと、晴れ晴れとした笑みを浮かべて笑う。それが、カイゼ達と酷く重なった。
「なんか、言いたいことを言ったら、スッキリしたわ!あ、そうだ。フェン、お願いがあるの!」
「な、なに?」
フェンは、少し動揺した。
だが、リルネは気づかなかったように、言葉を続ける。
「いつか、リーチェに会って欲しいの。
できれば、あと、私の家族にも……。
母様に、兄様、姉様、あと弟ね。年子だから、私とほぼ同じ年なのよ。だから、弟って感じじゃないわ。
まぁ、王族だし、直に会うのは無理かもしれないわね。けど、機会があれば、私の話をして欲しいの。私は、幸せだったって言ってほしい。
『勝手に家を出て、手紙も出さずにごめんなさい』って、謝っていたってね。
あと、リーチェには、『約束を守れなくて、ごめん』かな?
いつか、でいいわ。
ひょっとしたら、薄情な娘なんて、忘れているかもしれないもの」
「そんなことない!僕は、リルネのこと、“お姉ちゃん“のこと、絶対に忘れないよ!
だから、リルネの家族も、きっと忘れてないよ。
大丈夫。約束する。
いつか、絶対に、リルネの言葉を届けるよ。リルネの家族にも、リーチェさんにも!」
フェンは、声を上げた。
まるで、最後の別れのようだと、フェンは何度も思う。正直、怖かった。
だから、その不安を打ち消すように、リルネが喜ぶように言った。
リルネは、少し驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「そっか、ありがとう。
でも、それに固執しないで。フェン、あなたには“役目”があるの。多くの願いが宿った“役目”。
それを果たす為に、あなたには、辛い道を歩かせてしまうわ。
神々と“契約”すれば、フェイゼローゼンを倒すまで、多分、あなたは……………」
突然、ガクンと身体が落ちるような衝撃が2人を襲う。
「な、なに?!」
「……………もう、“時間”なのね」
慌てて周囲を見まわすフェン。
リルネは、深く溜め息を吐いて呟いた。
再び、ガタンと何かが落ちる音が響き、突如、2人が座っていた床が無くなる。2人は、ぽっかりと空いた、真っ暗な穴の中に放り出された。
「フェン!!」
ぐいっと、フェンは、腕を引っ張られた。ハッと見上げれば、リルネがフェンの腕を、片手で掴んでいた。
「リルネ?!」
よく見れば、リルネのもう片方の手が、空中で何かを握っている。時折、キラリと白く輝くそれは、細い糸だ。
天井から垂れ下がっているその細い糸をリルネが掴んで、リルネとフェンの落下を阻止していた。
「フェン、私の腰に掴まれる?片手だと保たないわ!」
「待って!今、登ってみる」
フェンは、リルネの腕を伝って、リルネの身体を登った。そして、手を伸ばして、リルネが掴む糸を掴もうとする。
「届かない…………っ!」
「フェン、私を踏み台にあなただけでも、あそこに上がれない?」
「あそこって……」
リルネの視線は、少し上にある、床だった場所に向けられる。
床が無くなったのは、部屋の中央の一部だけで、周りの床はまだ、残っているらしい。
フェンは、床までの高さを見た。そして、両側の壁の幅を見る。
「この幅で、この高さなら、ギリギリいけるかもしれない。あとは、糸の強度だけど……」
フェンは、糸を見た。
細い糸だ。だが、リルネとフェンの2人を支えても、切れていない。
リルネは、実体化しているが、ほぼ体の重さが無いので、実質、フェンの重さだけだ。
「………やるしかない」
フェンは、決意した。
「リルネ、糸を振り子に、あそこまで飛ぼう。リルネは糸を揺らして、合図したら、手を離して。
僕が、床の端を掴むよ」
「……………分かったわ」
フェンは、振り落とされないように、リルネの身体にしがみつく。リルネは、身体を大きく揺らして、2人は振り子のように、穴の中で弧を描いた。
振り幅がだんだんと大きくなり、2人の身体が上に放り投げられるタイミングで、フェンが合図を送った。リルネは、糸から手を離し、そのまま2人は勢い良く上がり、壁の上に、フェンの手が届きそうになる。
「あと、少し………!」
あと僅かが届かない。リルネの身体を片腕で抱きしめたまま、フェンは、必死に手を伸ばした。
途中から、ぐっと上がる速度が落ちた。
指が、角に掠るものの、引っかからずに、フェンとリルネの身体はずり落ちる。
フェンは、おもわず、目を閉じた。
「キューーーーーーツ!!!」
ガクンと、落下が止まる。
ハッと見上げると、一角兎の長い耳が、フェンの伸ばした手を掴んでいた。
一角兎が、必死に引っ張っている姿が目に入り、フェンは、ホッとした。
そういえば、途中から姿がなかったなと、フェンは思い至る。
フェンは、「ありがとう」と、一角兎に礼を言った。上から、「キュッ!」と返事が返ってくる。
「リルネ、先に上がって」
フェンは、抱き止めていたリルネを見た。
だが、リルネは、静かに首を横に振る。
「リルネ?」
「フェン、お別れだわ」
リルネは、フェンを見て言った。
「何を言ってるの?上がらないと………」
「いいえ。ここから、上がれるのは、1人だけなの。今、分かったわ。
フェン、これは“試練”なの。最後に残るのは、“肉体”を持つ〈契約者〉だけ。
それはあなたで、私ではない」
静かにそう言うリルネに、フェンは愕然とした。
リルネは、微笑んで、自分の身体を見下ろした。
「私には、肉体がないでしょう?その気になれば、浮くことができるの。
でも、今ここでは、身体が酷く重いわ。さっきから、だんだん重くなってる。もう、浮くことも出来ない。これ以上、身体の重さが増したら、フェン、あなたを巻き込んでしまうかもしれない」
リルネの身体を抱きかかえているフェンには、何も感じない。
フェンは、咄嗟に、声を上げようとした。
リルネが、自分を助ける為に嘘を言っていると思ったのだ。
「じゃあ、僕も…………っ!!」
「その先を言っては駄目!
………あなたが、ここで死んだら、全てが無駄になるわ。私だけじゃない!分かるでしょ?」
「……………っ!」
リルネが、フェンの言葉を遮った。そして、叱りつけるように、声を上げる。
リルネに言われて、フェンの脳裏に、カイゼ達の姿が浮かんだ。最後にカイゼが言った言葉が、フェンの中に蘇る。
フェンは、言葉に詰まった。
頭では、その通りだと分かっている。理解しているのに、感情は、まるで駄々っ子のように叫んでいる。リルネと別れたくない。一緒にいたい。
そうやって、我が儘を言いたくて仕方がない。
「フェン、我が儘を言わないで。
私を不安にさせないで頂戴。…………男の子でしょ?」
リルネは、まるで駄々っ子を叱りつける母親のように言った。フェンは、入り混じった感情が、胸から込み上げてくるのを感じた。知らず、しゃっくりが口から零れ、涙で視界が滲む。
「フェン、泣かないで。
大丈夫。あなたは、1人じゃないわ」
リルネは、手を伸ばして、フェンの涙を拭いた。
「さぁ、私の力の全てを使って、風を起こすわ。それで、あなたを上に上げるの。
行きなさい、フェン。あなたの“道”は、あなただけのものじゃない。諦めないで、進んで…………!」
「リルネッ!!」
リルネは、リルネの身体を抱き止めているフェンの腕を外した。フェンは、抵抗できなかった。
フェンの腕が解かれたリルネの身体は、そのままゆっくりと下に落ちる。
フェンは、リルネの名前を呼んだ。
リルネは、フェンに微笑むと、手を前に押し出した。リルネの手から、風の渦が生まれて、次第に大きくなる。
「リルネーーーッッ!!」
風の渦が、フェンを包み込み、その身体を上へと押し上げる。その奥に、フェンは、闇に落ちていくリルネの姿を見て、叫んだ。
一気に突風がフェンを巻き込み、飛ばした。
フェンはそのまま上に飛ばされ、床の上に投げ出されて、転がった。
元の、石の部屋だ。
「キューーウ………」
倒れたまま動かないフェンを、一角兎が心配して、傍に寄ってくる。
フェンは、しばらくそのままで、泣いた。
頭では分かっているのだ。
だが、心が、感情がついていかない。酷く辛かった。
一角兎が、慰めるように、フェンの頬を舐めた。
フェンは、ひとしきり泣くと、やがて、ゆっくりと起き上がった。床に座り込む形で、涙を拭う。
一角兎は、フェンの膝の上に飛び乗った。
フェンは、一角兎をギュッと抱きしめる
しばらく、フェンは、一角兎を抱き締めたまま、何度も溢れてくる涙を無言で拭った。
「ようやく、このときが来ました……」
不意に、優しい女性の声が響く。
次の瞬間、フェンと一角兎は、美しい広間にいた。水色の壁に植物を象った金の装飾、白い天井は、ドーム型になり、中央には8枚の花びらを模した天窓が、光を降り注いでいる。
床は、赤と青の木々が絡まり合う絨毯が敷かれ、奥まった一段高い部分は、赤地に金の縁取りの絨毯。その上に、紫地に金糸で花が装飾された美しく豪奢な椅子が置かれていた。
「よくつらい試練に耐え、乗り越えましたね」と、淡い紫の髪の女性が現れる。
「〈契約者〉よ。私は、〈紫黒の蜘蛛〉。この紫玉に封印されし神の1人です」
「パルフェリア………」
フェンは、茫然と呟いた
パルフェリアは、女王のように優雅に、紫の椅子に座り、フェンと一角兎を優しく見つめた。
「さぁ、古き盟約によって、〈契約者〉は定められた!今こそ、〈契約〉をしましょう!」
パルフェリアの声が、広間に響いた。