第15話 慈悲深きパルフェリア
〈始まりの契約編〉その15:慈悲深き〈紫黒の蜘蛛〉
「ようこそ、私の城へ」
満開の桜の大木から、風によって、深い森の中の城に連れて来られたリルネは、開いていたテラスの窓から、広間のような広い部屋に下ろされた。
明るい水色の壁に植物を象った金の装飾が施されている。白い天井は、広間の中心で高いドーム型になっていて、8つの花びらを模した天窓から、光が差し込んでいる。
絨毯は、赤と青の美しい木々が絡み合ったデザインが広がっていた。
広間の奥が、一段高くなり、まるで高貴な身分の謁見しの間のようだ。そこには、赤地に金の縁取りの絨毯が敷かれ、紫地に金糸の繊細な花の装飾がされたの優雅なデザインの椅子があった。そして、椅子には、1人の女性が座っていた。
淡い紫の長い髪を高く結い上げ、髪は真っ直ぐに腰下まで流れている。女性的な、慈愛に満ちた美貌に、金色の瞳。透き通るような白い肌。身体を包みこむ黒いドレスは長く、首元から足元まで隠していた。
「私は〈紫黒の蜘蛛〉。この紫玉の神玉に封じられし、2柱の1人です」
女性は、リルネを見て微笑んだ。
そして、自らの名を告げる。その言葉に、リルネは、おもわず息を呑んだ。
パルフェリアーー“慈悲深き紫黒の蜘蛛“。
〈契約の祭壇〉で聞いた、8柱の神々の1人だ。
「この姿は、あなたのような〈適合者〉と話す為の仮の姿。
私の本体は、大きな紫黒の蜘蛛。
私の本体は、その姿を初めて見るものを、とても怖がらせてしまうのです」
少し困ったように、パルフェリアは、微笑んだ。
「ここは、私の“領域”。そして、あなたは、私の〈適合者〉。
さぁ、どうぞ、お座りになって。
そして、私にあなたの“話”を聞かせて下さいな」
「私の話?」
リルネは、女王のように優美な女性ーーパルフェリアを見た。
「ええ」と、パルフェリアは鷹揚に頷いた。
気付けば、リルネのすぐ前に青に金糸の装飾された、美しい椅子があった。
リルネは、その椅子に恐る恐る座った。
パルフェリアは、リルネを真っ直ぐに見る。
その慈愛に満ちた眼差しが、何故か、リルネは、居たたまれなくなった。リルネの脳裏に、過去の日の母の姿が浮かぶ。
城を出たあの日から、一度も会っていない。
手紙すら出さなかった事に、リルネは気づき、泣きそうになった。
「あなたの“全て“を、私に話しなさい。あなたの過去から今に至るまでの全てを。
善いことも、過ちも、嬉しさも、悲しみも、全てを、偽らず隠さずに、あなたの口から話すのです。
そして、あなたの想い、意志、大切なもの、その魂の全てを、私に見せなさい。
それが、あなたの試練。
大丈夫。時間は、まだ、たくさんあります」
高く優しい声が、凛と、広間に響いた。
それは、まるで、今までの自分の過ちを告白するような、懺悔するような気分にさせられる。
リルネは、ぎゅっと両手を胸の前で、握りしめた。怖かった。何が怖いのが、分からない。だが、自分がこのまま、消えてなくなってしまうような、せんな心許ない、恐怖があった。
リルネは、うなだれるように、床を見た。絡まり合う赤と青の木々が円を描く、絨毯の模様に視線がいく。
ふと、自分の座る椅子の前足の元に、小さな花びらが落ちていることに、リルネは気づく。
おそらく、リルネの白いワンピースのスカートについていたのだろう。あの桜の大木の花びらだ。
(フェン………)
桜の大木の下で、再会した夕日色の髪の少年。
リルネを微睡みの眠りから起こした、リルネの大切な“異母弟“。
昔の可愛く幼い姿じゃない。成長し、ちょっと大人びた少年の姿に、リルネは、少しときめいたのを覚えている。
(フェンを、あの子を帰さないと…………)
肉体があるフェンは、まだ、間に合う。
まだ、現世に帰せる。
(そうだ。私は、あの子を帰すって決めた。身体が無くなった私は、もう帰れない。未来がない。
けど、あの子には、まだ、未来があるわ)
リルネは、顔を上げた。
慈悲深き女神は、微笑みを浮かべながら、リルネを見つめていた。
まるで、母が子を見守るように、黙って、リルネ自身が話し出すのを待っているようだ。
リルネは、1人、自嘲する。
(何もかも中途半端で上手くいかず、迷ってばかり……。理想ばかり高くて、現実をきちんと見極めることも出来なかった。
残ってるのは、後悔と未練ばかりね)
リルネは、目を閉じる。
瞼に浮かぶのは、幼い日の友達との約束。
そして、自分の我が儘で、何も告げずに放り出してきてしまった“家族“の顔。
母や姉、兄や年子の弟の顔を、リルネは、もうはっきりと覚えていない。それが、悲しかった。
あのときは、ただただ、“理想”を夢見て飛び出したが、多分、母は、自分の家出に、心配し泣いただろう。必死で探してくれたかもしれない。
遅くなっても、手紙1つぐらい出しておけば良かったのに、それすらもしなかった。
家族のことなんて、考えもしなかった。
(今なら、はっきりと分かるのに、駄目ね。本当に、私は、何を見ていたのかしら?)
リルネは、本当に泣きたくなった。
だが、ぐっと堪える。自分に、今更、泣く資格なんてないのだ。
(でも、だからこそ、最後に、あの子を…………せめて、私の大切な弟を助ける。現実に戻すって決めたのよ。
何もかも中途半端なままなのは、もう嫌。
最後くらい、1つ、叶えてみせる。現実にしてみせるわ!
その為なら、私は………………!)
リルネは、目を開き、手の甲でぐっと、滲んだ涙を拭いた。
そして、静かに自分を待つ女神を見た。
パルフェリアは、リルネを見つめて、ただ頷く。それだけなのに、リルネは、自分が肯定されているかのように感じた。
全てを受け止めて、善くも悪くもただ受け入れる、その深い慈愛。
リルネは、もう、怖さを感じなかった。
「私は、……………」
だから、語り始める。
リルネーシェであった自分も、その幸せに満ち溢れた日々も、リーチェとの運命の出会いや“約束“の夜も。
現実を見ずに、ただ、理想だけを追い求めた、孤独で殺伐とした、決意の日々も。
果ての辺境の町での、寂しく過酷な、辛い日々。
幼い子供との出会いの日。共に過ごした、充実した日常や“異母弟“と知ったときの戸惑いと嬉しさ。
変わっていく町での生活。心に出来たゆとり。
自分の心の変化、様々な想い。
自分を支えた想いや理想。現実を見た迷い。
見てみぬ振りをした過ち。
それでも、前に進もうとしたこと。
大切な“弟“が、いつしか、心の支えに、希望になっていたこと。
リルネは、自分の全てをさらけ出す。
たった1つ、最後の目的を果たす為に、リルネは、自分の言葉で、自分の全てを話した。
それは、長い長い時間だった。
どれくらいの時間が過ぎたのか、リルネ自身も分からない。
天井の天窓や広間のテラスから差し込む光は、ずっと淡い金色のまま変わらず、時間の経過が分からないのだ。
リルネは、時にゆっくりと考えながら、時に感情的に早口に、夢中で語った。
パルフェリアは、言葉を返すこともなく、ただ、静かにリルネを見つめ、その言葉に耳を傾けていた。
やがて、リルネは、語ることを止めた。
この柱の中の世界で目覚め、桜の大木の下で、フェンに再会したこと。成長したフェンを見た想い。
そして、リルネが目覚めてから考え、思い返し、悟った沢山の“見てこなかった現実”のことや、未練や後悔。
今語ったことで生まれた想い。
決して、後悔や未練ばかりではなかった。楽しいことも、嬉しいこともあった。自分では避けていたはずだったのに、多くの人と関わり、たくさんの縁があったことに気付いたこと。
そして、今のリルネ自身の決意と想い。
語り尽くし、言葉が出なくなった。
リルネは、大きく息を吐いた。
充実感が身体を満たし、何もかもが出尽くした、ただ、満足感があった。
何一つ、隠すものはなかった。
「あなたの全て、確かに、受け取りました」
全てを語り終え、なんとも云えない充実感に身を浸すリルネに、パルフェリアは、静かに言った。
「あなたのその強い意志、想いは、いつか、あなたの“対”を支え導くでしょう。
あなたは、もう、見守ることを知っていますね?
これから、あなたは、何度も、自分を歯がゆく思うかもしれない。手を差し伸べられないことに、1人、嘆くかもしれない。
けれど、あなたがやるべきことを、あなたはすでに知っている。
あなたは、“彼”の中でかがやく光。
共に歩み、成長し、見守ることになるでしょう」
リルネは、パルフェリアの言葉が自分の中に染み込むように思えた。
何故だか、涙が一粒、リルネの目から零れた。
言葉にならない、強い決意が、リルネの胸を満たしていく。
パルフェリアは、静かに立ち上がった。
そして、すっと手を上げると、広間の扉が開く。
「お行きなさい。
あなたの“対”が待ってます。彼に、あなたが伝えたいこと、伝えるべきことがあるはずです」
リルネは、椅子から立ち上がった。
戸惑うように開いた扉を見てから、パルフェリアを見る。パルフェリアは、口を開いた。
「ここから先は、最後の試練です。
あなたのその決意、想いが真実ならば、あなたは自身のやるべきことをしなさい。
私に、あなたの語った全てが真実だと、行動で示すのです。
さぁ、お行きなさい。
彼と語る時間は、そうありませんよ?」
パルフェリアの言葉に、リルネは頷いた。
そして、慈悲深き〈紫黒の蜘蛛〉に、深く一礼をする。
女神は、リルネを見て、静かに頷き、微笑んだ。
リルネは、踵を返すと、広間を足早に出ていく。それを見送ったパルフェリアは、光が差し込む天井を見上げた。
「あぁ……………、ようやくこの時が来たのですね。長い、本当に長い時間でした。
あの子が、共に歩む者を決めた。
これからは、私もただ、見守ることしか出来ないのですね……………。
後は、彼女たちが、この最後の試練を無事に乗り越えれば、ようやく止まっていた時間が、動き出す」
パルフェリアは、リルネが出て行った広間の開け放たれた扉を見る。
「天界に在る我らが長よ。どうか、戦い行く彼らに、神の御加護があらんことを………」
* * * * *
緑に染まる森の中にある城。その白い城壁に沿って、カイゼとフェンは歩いていた。
フェンの頭の上には、菫色の一角兎が、丸くなっている。
「姉貴!」
「あら、カイゼ。意外に早かったわね」
城の裏口らしき小さな扉の前に、女性が立っていた。栗色のショートの髪に、水色の目、小麦色の肌の、ややキツめの顔立ちだが、そこそこに美人だ。
明るい青の長衣に白のパンツ姿で、隙の無い、スラリとした立ち姿だ。
「その可愛い子が、今回の〈菫色の一角兎〉の〈適合者〉?まだ、子供じゃない?!」
「あ~、姉貴……」
怪訝そうにフェンを見た女性に、カイゼが、フェンの頭の上の一角兎を示す。
女性は、一角兎を見ると、固まった。
「あはは………!カイゼ、あたし、なんか幻見てるわ…………」
「残念だが、エンナ、現実だ」
乾いた声を上げた女性ーーエンナに、カイゼが、真面目な顔で告げる。
エンナは、カイゼに詰め寄った。
「………マジ?」
「マジだよ。一角兎、あっさり、フェンに懐きやがった」
「え、本当にマジなの?!ちょっ…………、こんな子供がって、あり?」
「つか、一角兎も“子供”だろ?ガキにはガキが、ちょうど良かったんだよ!」
「えぇ~~~…………。
それじゃ、今まで、皆、条件外だったわけだ?
はぁ、参ったわね。こりゃ…………」
カイゼと顔を見合わせたエンナは、その言葉に脱力する。カイゼは、慰めるように、エンナの肩を叩いた。
2人のやりとりに、フェンの頭の上の一角兎は、「キュ?」と、不思議そうな顔をする。フェンは、2人を見た。
「姉弟?」
「おう!一応、正真正銘、血の繋がった姉弟だ」
「っても、小さい頃に生き別れてね。あたしは、傭兵になってさ、こいつは、魔術師。再会したのは、戦場さ。まぁ、そっからは、ずっと一緒だけどね!」
エンナは、苦笑して言った。カイゼが、照れたようにそっぽを向き、頬を掻く。
エンナは、城壁に張り付く裏口のような、目立たない木製のドアまで行くと、その扉を開いた。
「まぁ、今まで〈菫色の一角兎〉の認定者がいなかったのが、唯一のネックだったんだよ。〈紫黒の蜘蛛〉の方は、だいたいが“最終試練”で駄目になるけど、今回は、期待が持てそうだね!」
「あぁ、これで役目が終わるかな?
皆、ようやく、逝ける……………」
姉弟は、互いに嬉しそうに頷きあった。
フェンは、ここでカイゼとは別れるのだと気づく。すでに、肉体の無いカイゼやエンナは、現世に帰れない。これが最後なのだ。
「さぁ、行きなさい。
あなたの“対”になる子が、あなたを待っているわ」
エンナが、フェンに微笑んで言った。
「カイゼ……」と、フェンは、ここまで一緒に来た青年を見る。そして、お礼と別れを言おうと口を開くが、カイゼに、口を塞がれ止められる。
「何も言うな。フェン、いいか?
お前は、現世に帰れ。絶対に、だ。こっちには、戻ってくるなよ?
オレたちや今までここに来た、多くの〈適合者〉を想うなら、お前は、“お前のチャンス“を逃すな。
これから、お前が歩む道には、たくさんの人の想いが宿っている。
挫けてもいい、逃げても構わない。だが、前に進むことだけは、諦めるな。オレたちの“想い”を無駄にすることだけはするな。分かったな?」
フェンの顔を覗き込み、その目をしっかり合わせて、カイゼは言った。
フェンは、カイゼに口を塞がれたまま、頷く。
カイゼは、フェンからゆっくりと手を離した。
「別れは言わない。
フェン、お前は、お前の“役目”を果たしてこい!」
カイゼに押し出されるように、フェンは、城の扉へと歩く。
扉の側に来たフェンに、エンナが「頑張れ!」と声を掛けた。
フェンは、扉に手を掛けて、振り返った。
少し離れた場所に、カイゼが立っていた。そこにエンナが歩み寄り、2人は並んでフェンを見た。
「フェン、また、会おう!」
「今度は、現世でね?まぁ、“あたしたち”じゃ、なくなってるだろうけど」
晴れ晴れとした顔で、フェンに手を振る姉弟。
フェンも小さく手を振り返すと、扉の中に足を踏み入れた。
フェンの頭の上の一角兎が、「キュウ……」と、悲しそうに鳴いた。フェンは、手を伸ばして、一角兎を宥めるように優しく撫でた。
なんだかんだといって、カイゼと一角兎は、仲が良かったのだ。別れは寂しいのだろう。
「さぁ、行こう。リルネが待ってる……」
「キュッ!」
フェンは、〈菫色の一角兎〉と共に、城の中の細い通路を歩き始めた。