第13話 菫色の一角兎
〈始まりの契約編〉その13:菫色の一角兎
「キュ、キュキュ、キューーーイ♪」
緑深い森の中、歩くフェンの頭の上に陣取る菫色の一角兎が、歌うように鳴いていた。
「やっぱり視界が悪くて、城の場所が見えないなぁ。うーん、本当にこの道でいいのかな?」
フェンは、立ち止まって、森の中の白い道を睨みつけた。そして、頭の上の一角兎に、視線を向け、声を掛ける。
「どう思う?」
「キューーーイ!」
「あ、やっぱり、間違ってる?さっきの分かれ道まで戻ったほうがいいかな?」
「キュイキュウ……」
「え?分かんない?迷った?」
「キュキュイ!キュイキュイ!」
「え?……そういえば、さっきから雰囲気が変わったけど、〈幻惑の森〉?今までの森と違うの?」
「キュッ!キュイキュイ、キューーー!」
「森の中にある森?
うーん、視界が余計に悪そうだから、一旦、戻ろうか?」
「キュッ!」
会話が成り立っていた。
なんとなく、フェンには、一角兎の言いたいことが分かった。
はっきりとした言葉ではない。フェン自身、どう言えばいいのかわからないが、分かるのだから、仕方がない。
いつの間にか、周囲の森は薄暗くなり、霧が行く手を遮り出していた。見上げると、木々の枝葉に見え隠れする空は、変わらずに淡い金色だ。
途中から、森の雰囲気が暗く重いものに変わったのは、フェンも気づいていたが、特に危険は感じられなかった。
ただ、周囲に霧が出始め、フェンとしては、森の木々でただでさえ、目的の城が確認できないのに、歩く道までも視界が悪くなるのは、勘弁して欲しかった。
途中の分かれ道まで、戻ることにして、歩き始めたフェンだったが、異変はすぐに起きた。
「卑怯者!怖くなって、逃げるのか?」
「ユド?!」
責めるような声に振り返れば、大柄なクラスメイトが、フェンを睨み付けるように立っていた。
フェンは、目を白黒させる。
いつの間にこんな側に来たのか、気配すら分からなかった。
「お前は、卑怯者だ。自分を守る為に、周囲を偽って!」
立ち尽くすフェンの横に、別のクラスメイトが現れる。
気づけば、周りの木々すら見えない濃い霧の中に、フェンは立っていた。
「本当は、俺たちを嘲笑っていたんだろう?いつだって、お前は余裕だったもんな、
“こんなことも満足にできないのか”って、初級魔術に苦戦する俺たちを馬鹿にしてたんだろう?」
「上に上がれるだけの実力がある癖に!」
「僕たちがどれだけ必死なのか、知っているくせに!!」
「持つ才能を発揮しようとせず、自分だけのことしか考えてないじゃない!あんたの力なら、どれだけの味方を助けられたか!!」
「周りと一緒がいい?違うと迫害される?
当たり前だろ?そういう経験をしてるのが、自分だけだって、思ってるのかよ?」
「卑怯者!」
「化け物のクセに!!」
次々に、フェンの周りにクラスメイトたちが現れて、フェンに向かって、口々に責め立てる。
フェンは、無意識に、一歩、後退した。
まるで、心の中を覗かれ、暴かれているかのようだ。責め立てる彼らの視線が恐ろしい。
フェンは、息を呑んだ。
焦燥と恐怖が押し寄せて、身体が動かない。
「キューーーッ!!」
フェンの頭の上で、一角兎が鳴き声を上げた。
フェンは、ハッと我に返った。
周りを見回せば、濃い霧に囲まれているだけで、誰の姿もなかった。
フェンは、その場に崩れるように座り込んだ。
両手が震えているのが、治まらない。両手をぎゅっと握り締めて、フェンは、地面を見た。
「キュッ!キュキュ、キュイ!」
一角兎が、頭の上から降りてきて、フェンの腕の中に入ってくる。そして、慰めるように、つぶらな金の目で、フェンを見上げて鳴いた。
フェンは、一角兎をぎゅっと抱きしめた。
手触りの良いモフモフの毛並みに、混乱していた気持ちが落ち着いていくようだ。
フェンは、一角兎に顔をうずめて、目を閉じた。
「…………………。怖かったんだ」
ポツリと、フェンは、呟くように口を開く。
「学ぶのは楽しかった。魔術をたくさん覚えて、使えるようになれば、お爺ちゃんも、リルネも、彼らも褒めて喜んでくれた。
上に上がれば、知らない世界を見れるけど、お母さんやイオに会えなくなる、一緒に暮らせなくなるって分かっていたから、怖かった。
あの場所が無くなって、正直、悲しい反面、ホッとしたんだ」
「周りに合わせるのは、窮屈だった。けど、友達とチャンバラしたり、遊んだりするのは楽しかったよ。取っ組み合いの喧嘩もした。
……………馬鹿なこともたくさんやった。
あの頃は、魔術なんて、必要なかった。だから、魔術を封じたんだ。そんなもの使わなくても、やっていけたから………」
「〈候補生〉になって、魔術は確かに、すでに知ってることばかりだから、少し退屈だったけど、だからって、周りの人たちを馬鹿になんかしてない。だって、あの場所は、“あそこ”で学んだ以外のことがたくさんあって、皆、魔術以外にもたくさん、僕の知らないものを持ってた。羨ましかったんだ。
だから、毎日、すごく大変だったけど、楽しくて、大切だったんだ…………」
フェンは、目を開いた。
「僕は、僕が過ごした日々が、無駄だなんて思わない」
一角兎と目が合う。
「僕は怖がりだけど、僕が今の僕でいるのは、いままでがあったからだ。
中級魔術まで使えることを隠したのは、今はちょっと後悔してる。けど、もう、逃げたくないんだ。
諦めたくないんだ」
「僕は、臆病だけど、卑怯者にはなりたくない。
まだ、知らないことばかりで、リルネのように強い信念も、彼らのような強さも、イオやセルダのように現実に立ち向かって戦う力も覚悟もないけど、
それでも、守りたいと思う人がいる。失いたくない場所がある。
なら、前に進むしかないよね?」
「キューーー!キュキュイ、キュイキュイ!」
「え?大丈夫、1人じゃないって、………一緒に来てくれるの?」
想いを吐き出すように独白するフェンの膝の上で、一角兎は、フェンを励ますように鳴き声を上げ、ぴょんぴょんと跳んだ。
一角兎の意志を理解したフェンは、驚いて、目を見開く。
「キュッ!キュキュウ、キュイキュキュッ!」
「“同じ”って?…………そっか、君も一緒なんだ。
今からでも、遅くないよね?君が一緒なら、きっと、怖くないよ」
「キュッ!」
フェンは、微笑んで、再度、一角兎をぎゅっと抱きしめた。
フェンの腕の中で、一角兎は、嬉しそうに身体を揺らす。長く垂れた耳を、器用に、フェンの腕に巻き付かせた。
「キュー、キュイキュキュ!キュッ!」
暫く、一角兎に抱き付き、その毛並みに顔をうずめていたフェンは、一角兎の催促に、顔を上げ、袖で目を擦る。
その目に涙は無かったが、少し目元が赤かった。
「ごめん。もう、大丈夫だよ。
そうだね。お城に早く行かないと、リルネが心配だし…………」
「キュッ!」
フェンは、立ち上がった。
周囲の霧は少し晴れてきたようだ。木々の緑が、姿を見せている。
一角兎は、自分の定位置と、フェンの腕の中から跳んで、肩、頭の上に登った。そして、「キュッ!」と、片耳で、フェンの後方の道を示した。
「えーと、道、あっちでいいの?」
「キュッ!」
フェンは、一角兎が差した方向の道を歩き始めた。歩いていくうちに、どんどんと霧が晴れていく。
やがて、分かれ道に出ると、すっかり元の森の中だった。
「そうか、〈幻惑の森〉。
…………あの霧が、幻を映し出していたんだ」
フェンは、思い至る。
あのまま、あの幻影たちに囲まれて続けていたら、きっと、気が狂っていたかもしれない。
もし、一角兎が鳴いて助けてくれなければ、罪悪感や後悔に押し潰されていた。あの霧は、人の心の弱さや闇を映し出すのだろう。
まだ、クラスメイトだけだったが、ゼヤンやシーダ、イルセたち、親しい友人やイオやセルダ、母であるメーラなどの家族が出てきていたら、フェンは、確実に潰れていただろう。
「ありがとう」と、フェンは、頭の上に乗る一角兎に、改めて感謝を告げた。
気にするなと言うように「キュッ!」と、一角兎が鳴く。
「あー、マジか。一角兎が懐いてやがる。
しかも、〈幻惑の森〉をパスしただと?!」
「カイゼっ?!」
カイゼが、ボリボリと頭を掻きながら、立っていた。満身創痍なボロボロではなく、体に傷一つ無い状態で、だ。
フェンは、おもわず、身構える。
「キューーーーーーーーーーーーッッ!!」
「うわっっと!!あ、危ねぇっ!」
その前に、一角兎がポーンとフェンの頭から跳び、カイゼに向かって、長い耳で殴り飛ばそうとするが、カイゼは慌てて、それをかわした。
「あのなぁ、会う度に殴ってくるのをいい加減、止めろよ!このクソウサギ!!」
「キューーーッ!キュキュキュッ!!キュッ!」
ポカポカと殴る一角兎に、器用に避けるカイゼの攻防は、まるで悪友同士がじゃれてるような空気で、フェンは、身構えていたのを止め、ポカーンと2人?を見た。
しばらく2人ーー1人と一匹の攻防を見ていたが、フェンは、ふと、口を開く。
「なんで、カイゼがここにいるの?」
「あ?………なんでって………」
一角兎に頭をガシガシと噛みつかれ、引き離そうと抵抗していたカイゼが、フェンを見る。
そして、気まずそうに、片頬を指で掻いた。
「まぁ、アレだ。お前ら、どちらも方向音痴だろ?
城まで辿り着けずに、絶対に迷うのがオチだからな。追ってきたんだよ。
……それに、もう、試さなくてもいいしな」
「え~………………」
言い返そうとして、フェンは、1人のときも、一角兎がいたときも、確かに道に迷った事実に気づき、何も言えなかった。
「えーと、“試す”って?」
「オレと一緒のとき、いろいろ仕掛けやらなんやらあっだろ?アレだ。
まぁ、本当の試練の“前座”っていうのもあるが、要は、“こっち“の試練を受ける〈適合者〉の足止めだな」
「試練?…………足止め?」
フェンは、首を傾げる。
その様子に、カイゼは、「おいおい」と呆れた声を上げる。
「“ここ”は、〈契約の祭壇〉の7柱の1つの中だろ?!忘れたのか?」
「あ!そっか!」
フェンは、ぽんと手を叩いた。いろいろありすぎて、すっかり忘れていた。
その様子に、おもわず、ガックリとうなだれるカイゼ。その頭をしつこくガシガシとかじる一角兎。
フェンは、(あれ、痛くないのかな?)と内心、思った。
カイゼは、ため息をついて、顔を上げる。
「…………ったく、世話の焼ける。
この森は〈試練の森〉。邪神とその契約者フェイゼローゼンを倒す為に遣わされた8柱の神の1つ、“臆病な破壊者〈菫色の一角兎〉”の“領域”だ。
つまり、コイツだ!」
ガシッと頭にかじり付く一角兎を掴むと、ガイドは、頭から一角兎を引き離し、フェンに投げつける。フェンは、慌てて、一角兎を受け止めた。
「ここはな、神を封じる神玉の1つ〈紫玉〉の世界だ。〈紫玉〉は、他の神玉と違い、“特殊“だ。
“紫“ってのは、赤と青で作られる色だってのは知ってるか?
赤と青。………つまり、生と死、肉体と精神、活動と沈静、本能と理性、現実と理想。対なる象徴でもある。
紫は、それら2つで1つを表す色。他の色と異なり、一番天に近く、孤高で尊く、神秘性をもつ。
青が、理想や目標を示し導く色なら、赤は、現実を見極め歩みを進める。
その両方を抱く紫は、“理想を現実に成し得る”色であり、“最後の希望”を意味する色だ。
それ故に、この神玉は、2心1体を象徴し、対なる2柱の神が封じられているんだ」
カイゼの説明で、フェンは、〈契約の祭壇〉の壁のレリーフを思い出す。
7つの玉に、8つの生き物が描かれていた。各玉に1つずつ。だが、紫玉には、2つの生き物が描かれていたはずだ。レリーフ自体が古く、刻まれた絵は掠れて見えにくくなっていたから、どんな生き物かは、ほとんど分からなかった。
確か………と、フェンは、ガイドの話を思い出そうとした。あの謎の男の話に、8つの寄代である生き物の名前が出てきていたはずだ。
「………あ、えーと………」
「慈悲深き〈紫黒の蜘蛛〉と臆病な破壊者〈菫色の一角兎〉。この2柱は、“対なるもの“だ。
そして、この森は、〈菫色の一角兎〉の〈適合者〉の為の“試練会場”ってわけだ」
カイゼは、ぐるりと森を見回した。
「1柱の神に、1人の〈適合者〉。
だから、ここは、2人の適合者が必要になる。しかも、神々の性質に合わせる必要があるから、適当にってわけじゃない。
ま、話は長くなるからな。歩きながら話そう」
「え?うん………」
「あー、もう、騙さねぇよ!
ちゃんと、城まで連れて行ってやるから、安心しろ。ほら、行くぞ!」
迷っているフェンを見て、そう声を上げたカイゼは、さっさと歩き出す。
フェンは、戸惑うように立ち尽くした。だが、腕の中の一角兎が、励ますように「キュ!」と鳴く。
「…………うん。大丈夫」
フェンは、頷いた。そして、意を決するように顔を上げると、カイゼの後を追いかけたのだった。