第12話 試練の森
ぼちぼち再開します。
「森って、木だけじゃないんだ……」
フェンは、倒木の上に座り、溜め息を吐いた。
空は、変わらずに淡い金色に満たされている。周りは鬱蒼とした木々が立ち並び、やや暗い。地面を覆う草花。低木の茂みが点在し、土の見えない地面は、あちこち隆起し、非常に歩きづらい。
地面を這うような木々の根も、歩きづらい原因の1つだ。
僅かに歩いただけで、フェンは、疲労困憊した。
オマケに、森に入ってから、視界が悪い。
目指す建物ーー城の姿も見えず、フェンは、方向を見失っていた。
「森って、厄介だな」
これなら、見晴らしの良い荒野の方が、どれだけマシだろう。
フェンは、思った。
「おいおいおい、なんでこんなところに、子供がいるんだ?」
呆れたような声が、森に響く。
フェンが声の方を見れば、少し離れた場所に、1人の青年が立っていた。
20才過ぎくらいの青年だ。肩辺りまで伸びた金茶の髪に、水色の目。線は細いが、それなりに鍛えられたがっしりとした体格をしている。
額に赤のバンダナを巻き、白いシャツに青いズボン、半袖の赤く、やや丈の長めのジャケットを着ている。靴は、ブーツだ。
肩に、荷物らしい袋を掛けて、呆れたように、フェンを見ていた。
「誰?」
「誰って、お前こそ誰だよ?」
青年は、ぼりぼりと頭を掻いた。
「僕は、森の中の白い建物に行く途中なんだけど、お兄さん、場所分かる?」
フェンは、青年から返された質問に答えずに、逆に訊いた。
名前は、魔術師にとって大切なものだ。
だから、たとえ愛称だったとしても、簡単に名乗らないのが、鉄則である。
「………オレの質問は無視か。
っていうか、“白い建物”って、城のことか?方向が全然違うじゃねーか。しかも、なんで“道”じゃない場所を歩いてるんだよ?!」
(あ、あれって、お城なんだ)
話には聞いていたが、あれが“城”らしい。フェンは、“砦”に似てるなぁと、見当違いの感想を抱いた。そして、森に“道”があったことにも、初めて気がついた。
「……………。ひょっとして、お前、森って初めてか?」
「……………」
フェンは、視線を逸らした。
あらかさまにバレバレである。青年は、「あ~………」となにやら呻いて、深く溜め息を吐いた。
「まぁ、そういう奴もいるわな。明らかに、お前、森に慣れてないし……」
「お兄さんは、慣れてるね」
「そりゃ、ま、一応、地元だからな。何年も住んでりゃ、嫌でも慣れる」
青年は、肩を竦めて言った。
「じゃあ、お城の場所も分かる?」
「当たり前だろ?
姉貴が、城で働いてるからな。森の道には、詳しいぜ?今日も、今からむかえに行くところだ」
フェンの言葉に、青年は、意気揚々と答えた。
2人の間に、沈黙が落ちる。
「あ~、ちょっと待て!」
フェンが、どう切り出すべきかと悩んでると、青年が、声を上げた。
そして、「あ~」「う~」と、唸りながら、頭を抱える。
フェンが、なにかを言おうとしかけると、「待て」というように、フェンに掌が向けられた。
「わかった!お前が言いたいことは、分かった!あれだろ?城まで行きたいんだろ?!」
「えーと、うん、まぁ、そうだね」
フェンは、頷いた。
青年は、フフンと得意げに胸を張る。
「だろーと思ったぜ!この森は、迷いやすいんだ。道も、森のあちこちに迷路のようになっててな、別名〈試練の森〉って言われている。
お前みたいなチビガキが、1人で行くには無理な場所だ」
「そうなんだ?」
(森って、迷うんだ。“迷宮”みたいに、危険な場所なんだ、きっと!)
フェンは、森について、誤解した知識を得たことに気づかなかった。
ある意味では正しいのかもしれないが、フェンの中で、森=魔境というイメージに固まる。
ちなみに、荒野の一部にも“迷宮”は存在するので、フェンは、〈候補生〉の“野外訓練”で行ったことがあるから、知っている。
「仕方がないから、連れて行ってやるよ。ただし、お前の名前を教えてくれたら、だけどな!」
「え?名前?……僕は、フェンだよ」
「そうか!ちなみに、オレは、カイゼだ!……………って、ええっ?!」
あっさりと教えたフェンに、青年ーーカイゼは、声を上げる。
どうやら、フェンが、名前をおしえるのを嫌がると思ってたらしい。
「名前…………、フェン?」
「うん」
「…………。そうか…………」
カイゼが、呆然と聞き直してきたので、フェンは、素直に頷いた。
カイゼは、「調子が狂う」と、額に手を当ててたが、気を取り直すように、息を吐いた。
「よし!フェン!……まぁ、約束だからな!一緒に連れて行ってやろう!」
「やった!ありがとう、カイゼ!」
フェンは、座っていた倒木から立ち上がった。
カイゼの側まで、草を掻き分けて行くと、急に開ける。カイゼが、立っていた場所は、確かに地面が露出し、整地された“道”だった。
(道って、本当にあったんだ)
もっと注意深く森の外を歩いて回ったら、見つけていたのかもしれない。
リルネを助けることに頭が一杯だったフェンは、内心、反省した。
もっと冷静に考えて動いていたなら、こんなに疲れたり、余分な時間を捕らわれずに済んだかもしれない。
(僕も、まだまだ未熟だな)
もっと冷静に注意深く考えて行動しないといけないと、フェンは、気を引き締めた。
カイゼと一緒に森を歩く。
空の色は変わらない。時間の経過も分からない。
フェンは、一度、自分の時計を出して見たが、止まったまま、まったく動いていなかった。
森の道行きは、困難を極めた。
何故か、高い崖を這い上がったり、橋の無い川を泳いで渡ったり、巨大な熊に遭遇して、カイゼが追いかけられたり、何故か、立て続けに仕掛けてあった落とし穴にカイゼが嵌まって落ちたり。
洞窟らしい真っ暗な中を入って行き、2人して無数の蝙蝠に襲われたり。
巨大な花の植物に襲われ、カイゼが触手に巻き付かれ食べられそうになったり。
上半身が緑の肌の美女で、下半身が樹木というお姉さんたちに遭遇し、フェンが、美味しい木の実や甘い蜜の飲み物を貰ったりする傍ら、カイゼが、彼女たちが焚き付けたらしい大きな猪に追いかけられたり。
何故か、急な坂道を下るときに、大岩が転がってきて、カイゼだけ巻き込まれ、転がって行ったりした。
その頃になると、フェンも、カイゼがわざとそういう道を選んでいるのだと、気づいていた。
その割には、酷い目にあっているのは、カイゼだけで、フェンは巧いこと避けたり、逃げたりしているのだが。
普通に考えるなら、カイゼの姉が、城で働いていると言っていたのだ。迷いやすく危険な森でも、女性も通えるくらい安全な、城への道があるはずだ。
カイゼに、どんな思惑があるかは知らないが、わざわざ危険な道を選んでいるのは、確かだ。
(それに、さっきから、何かが付いてきてるみたいなんだよね)
フェンは、カイゼの後ろを歩きながら、ちらっと近くの草むらを見た。
途中から気づいたのだが、小さいなにかがさっきから、草むらなどに隠れて付いてきてるのだ。
カサカサと、草むらが小さく揺れて、動物らしい小さな影が時折動く。
それを気にしながらも、いい加減、カイゼに問いただすべきかなと、フェンは、カイゼの背中を見ながら思う。
(いい加減、カイゼが可哀想だし……)
満身創痍というか、ボロボロになったカイゼを見て、フェンは、哀れみの視線を向ける。
ここは、魔術が使えないから、治癒魔術で治療することもできないのだ。
「ここだ」
カイゼが、足を止めた。
森が途切れ、広大な湖が姿を現した。うっすらと霞がかり、きらきらと夕日色に輝く湖面。
カイゼの前の岸から、古い吊り橋が奥に向かって、長く延びていた。遠くに向こう岸の森が、影のように見える。その中に、城の姿が、優美なシルエットと化して佇んでいた。
(丘から見えた“キラキラ”は、これだったんだ……)
丘を下るときに、フェンは、キラキラした湖面の反射を、城の奥に見ている。
つまり、フェンたちは、森を大きく回り込み、城の裏側ーー湖まで出たことになる。
「この吊り橋を渡りきれば、城に着く。見てのとおり、相当、古くてボロい。湖に落ちないように、気をつけろよ?」
吊り橋の前で、カイゼは、フェンに向かって言った。
「落ちたら、どうなるの?」
フェンの疑問に、カイゼは黙って湖を指差した。
見れば、湖面に鳥が一羽。
次の瞬間、湖から巨大な魚が、口を大きく開きながら飛び上がってきて、湖面にいた鳥を丸呑みし、バッシャァァァアンッッッ!!!と、盛大に水飛沫を上げて、水面に消えた。
「………………」
フェンは、一連の光景を目にして固まった。
美しい湖なのに、あんなグロい巨大魚が棲んでるのは、予想外だ。
しかも、なかなかに凶暴らしい。
「吊り橋には、あの魚を近づけない魔法が掛かっているらしいが、見ての通り、あのボロさだ。油断してると、足を踏み外して、ドボン!だ」
カイゼが、淡々と説明する。
フェンは、吊り橋を見た。確かに吊り橋は、かなりボロボロだ。吊っている縄も、何本かはすでに切れているし、底板も半ば朽ち落ちている。
こんな状態の吊り橋を、渡ろうとする方が、おかしいくらいだ。
おそらく、普段は使用してないに違いない。
「カイゼ」と、フェンは、青年を見た。
「なんで、わざわざ遠回りして、こんな危険な場所ばかり回るの?
城に行くのに、もっと簡単な道があるのに……」
ずっと感じていた疑問を、フェンは、口にした。
フェンの言葉が予想外だったのか、カイゼは、顔色を変える。
「気づいていたのかっ?!」
「いや、普通気づくよ!!」
愕然と、真面目な顔で、声上げたカイゼに、フェンは、おもわず叫んだ。
どうやら、フェンが気づいていないと、本気で思っていたらしい。
「くっ!………せっかく罠に嵌めたり、森の魔物に襲わせようとしたりしたのに!!」
「…………うん。全部、カイゼが嵌まってたり、襲われたりしてたよね…………」
カイゼの告白に、フェンは呆れて、半眼で、カイゼを見た。
若干、哀れみの視線だが、なんだか、あまりにも空振りなカイゼの真剣さに、(ああ、こういうお馬鹿な人、いるよね?)と、生温い視線になる。
「魔術の使えない魔術師なんて、只の無力な人間だ。オレの方が強い!死ねぇぇぇっっ!!!」
「突然、変わり身早いよっ?!」
突然、どこからか取り出した短剣を片手に、カイゼがフェンに向かってきた。
振り上げた短剣を、フェン目掛けて振り下ろす。
フェンは、冷静に、カイゼの攻撃を頭を下げて避けると、カイゼの後ろに回り込み、カイゼの背中に、蹴りを入れる。カイゼは、フェンの蹴りの勢いのまま、「ぶっ?!」と、顔から地面にのめり込んだ。
フェンは、無様に倒れたカイゼを見て、溜め息を吐く。
魔術師である前に、フェンは、“軍人”だ。専門の兵士に比べれば、かなり劣るが、それなりの戦闘訓練や身体鍛錬を積んでいる。
それに、プラウティスは、戦場の町だ。
一般の町民でも、そこそこ戦闘に慣れている環境だ。そんな、戦争の町の人間からすれば、カイゼの動きは、明らかに大振りで、遅かった。
「ぐぬぬ…………な、なじぇ………」
「なんでって、まぁ、一応、軍属だし…」
正式にはまだ、軍人でも、魔術師でもないが、フェンは、そう言って肩を竦める。
地面に倒れているカイゼが、キッとフェンを睨みつけてた。そして、起き上がり様に、何かを投げつける。
フェンは、それを避けようとして、足元の草を踏んでしまい、後ろに尻餅をついてしまった。
「うわっ!」
「隙ありぃぃっ!!」
勢い良く立ち上がって、カイゼが、短剣を片手に、再びフェンに迫る。
フェンは、慌てて起き上がろとするが、カイゼが投げつけたらしい実が、フェンの足元で弾けた。弾けた実から舞った粉を吸ってしまい、フェンは咳き込む。
そんなフェンを見下ろして、勝利を確信し、短剣を振りかざすカイゼ。
「キューーーーーーーッッッ!!!」
森の茂みから何かが、鳴き声とともに飛び出してきた。
それは、勢い良く横からカイゼを、垂れた長い耳で殴り飛ばす。カイゼは、見事に宙に舞った。
「キュ、キュキュッ!」
チャッ!と、草の上に軽やかに降り立ったのは、綺麗な菫色の毛並みの〈一角兎〉だった。
垂れた長い耳の先と手足の先だけが白い。丸い体型につぶらな金色の瞳。銀色のスッと伸びた一角が、額から伸びている。
「可愛い……!」
フェンは、その可愛らしい小動物を見て、目を輝かせた。初めて見る動物だ。
「キュ、キュウ……!」と、一角兎は、フェンを見て鳴き声を上げる。
そして、ポーンと跳ぶと、フェンの懐に入ってきた。温かく柔らかな毛並みに、知らず、フェンは目を細めた。そっと抱きしめると、モフモフした毛触りになんとなく心が和む。
「さっきから付いてきてたのは、君だったんだね。助けてくれて、ありがとう!」
「キューー、キュキュ!」
ぎゅっと、一角兎を抱きしめて、フェンがお礼を言うと、気にするなというように、一角兎の長い耳が器用にフェンの背中を叩いた。
フェンは、しばらく一角兎を抱きしめていたが、名残惜しそうに一角兎を地面に降ろすと、立ち上がった。
「僕は、あの城に行かなきゃいけないんだ。この吊り橋は渡れないから、道を戻らないと!」
「キュウ……、キュッ!」
フェンが言うと、一角兎は声を上げて、身軽にフェンの身体に跳び上がり、フェンの頭の上に収まった。
普通の兎よりも大きな一角兎だが、見た目よりも、それほど重くなかった。
「ひょっとして、一緒に行ってくれるの?」
「キュッ!」
フェンの言葉に、一角兎は鳴き声を上げる。
「ありがとう。じゃあ、一緒に行こうか」
「キュウ♪」
すっかり一角兎を気に入ったフェンは、頭の上の一角兎を撫でた。
嬉しそうに鳴く一角兎。
フェンは、一角兎を頭に乗せたまま、森の中へ歩き出した。