第2話 (8)
***
降ってきた女は見事にヴィンセントへと落下するが、ヴィンセントは体制を崩すことなく、そよ女を受け止めた。まるで、その女に重力というものがないかのように、ふわり、と灰色の長い髪が宙に舞った。
「サリヴァン、重い降りろ」
「あら?か弱い女の子に重いなんて禁句よ」
禁句と言いながらも怒った様子は見せず、くすくすとサリヴァンと呼ばれた女は笑う。
ヴィンセントはサリヴァンを地面に優しく下ろす。過度に露出した服の上から紅いマントを羽織っており、その胸元に光る金の紋章に、スイレンは目が惹かれた。
すると、パチリとサリヴァンと目が合う。大きく開かれたライトグリーンの目としばらく見つめ合う。
「そう…あなたが、」
サリヴァンは目を細め、手をスイレンへと伸ばす。フードに手をかけようとしたその時、それはヴィンセントによって止められた。
「サリヴァン。早く事を終わらせて俺は帰りたい。さっさと行くぞ」
ヴィンセントはサリヴァンの腕を引き、城の方と歩き出す。サリヴァンはそうね、と言ってまた笑う。たくさんの聴衆の視線を集め、サリヴァンを加えたヴィンセント一行は急ぎ足で城へと向かった。
***
「やあ、ご苦労様。予定よりずっと早いじゃないか」
王室で国王アルバードに迎えられる。
王室にはヴィンセントと、そのすぐ後ろにスイレンが隠れるように立っていた。サリヴァンと別れ、バレッツには王室の扉の前で待機してもらっている。
「合成獣の様子はどうなっている?」
「ああ…最優先で国の研究技術を使ってはいるが、なかなか強力で複雑な術式が組み込まれている」
机の上に置かれた幾枚もの資料の中から、アルバードは1枚の紙切れを手に取る。
「ウェルシエルの技術でもダメなのか?」
ヴィンセントは、はて?と首を傾げる。大国ウェルシエルは軍事力技術力共に大陸の中では群を抜いているはずだった。加えてサリヴァンを筆頭に、ウェルシエルには強力な魔法使いが少なからずいる。
「まあ、複雑な術式だが時間をかけて解読さえしていけば、いずれは解けるはずだ。そのことに関しては安心してくれ」
さて、とアルバードは椅子から立ち上がり背中を伸ばす。
「新しい従者だそうだが…その子は?」
「薄々感づいているんだろう?王様」
ニヤリとヴィンセントが笑えば、アルバードはやれやれと首を振る。
新しい従者と言われスイレンはビクリと肩を震わせた。そしてヴィンセントはアッサリと頭に被せてあったフードを取ってしまう。
「おお…」
アルバードはその珍しい容姿と美しさに、思わず感嘆を漏らす。ヴィンセントはスイレンの背中を押し、前に出るように促す。ぎこちない足取りで前に出ると、パチリとアルバードと目が合った。
「見たことがない髪色と綺麗な目だな…そして、計り知れない"力"だ」
スイレンはアルバードが自分の"何か"を読み取っているように思えた。じっくり見られるのは嫌いだが、この人からはあまり怖い印象は受けなかった。ヴィンセントが信頼しているのが一つの要因でもあるが、アルバードという人間からは嫌なオーラが出ていなかった。
「こいつは"浄化の力"が使える。もちろん、嘘なんかじゃねえよ。今回の件で、こいつの浄化の力に救われたんだ」
「別に疑ってはいないさ。ただ、そうだね…"浄化の力"、か…」
アルバードは考え込むように目を伏せる。そして机の引き出しから分厚い古ぼけた1冊の本を取り出す。
そしてぺらぺらと数ページ捲り、ヴィンセントとスイレンの方にそのページを見せる。
左のページには絵が、そして右のページにはヴィンセントが見たこともない字がびっしりと綴られていた。
「なんだ、これ?」
「読めないだろう。これは、俺たちウェルシエル家に代々伝わる古の文字だ。俺たちにしか読めないし、俺たちにしか意味が分からない」
ヴィンセントは分からない文字から目を離し、絵の方に目を向ける。
古い、絵だ。
簡易的に描かれたその絵には、森と湖と、中心にはーー6本の大きい羽根を広げる龍が描かれていた。
すると、スイレンはその本の絵に手を添える。どこか悲しそうな、驚いたような顔に、ヴィンセントは息を詰まらせた。
「"其のもの、世界の為に在り
大きな翼は風を生み、
その美しき双眼、水と成り雨と成り大地潤す"」
アルバードは文字を指でなぞりながら言葉を紡ぐ。
「言い伝え程度でしか、"浄化の力"は知られていない。でもそれは確かにあったんだ…代々受け継がれているこの本に、綴られている。」
「この龍は何なんだ?」
ヴィンセントの問に、スイレンも本から目を離してアルバードに目を向ける。
「神獣…白龍だ」
アルバードは悲しげに、そう呟いた。
(神獣白龍だと?じゃあスイレンは一体何なんだ…?)
チラリとスイレンの方を見れば、スイレンも同じことを思っているのか不安気な顔付きになる。
「神獣自体が言い伝えの存在だが、ヴィンセント、お前がいる時点で言い伝えでは片付けられない」
スイレンはハッとヴィンセントの方に顔を向ける。
ヴィンセントが先代から受け継いだ呪いーーそれは初代ヴィンセントが神獣を殺し、その力を我が物にした罪。"ヴィンセント"がこの世に存在していることで、神獣の存在が幻ではないことがわかる。
「幸か不幸か、君の髪色やその青い瞳も俺が昔聞いた白龍の特徴と一致してる…何か知らないか?」
「……わ、かりません」
スイレンは再び本の絵に目を移す。
自分が、神獣の白龍?
そんな馬鹿な話、信じられるわけがない
(でも、俺は自分のことを何も知らない)
「こいつは力を半分奪われ、そのせいで記憶も一緒に失くした。知らないのも無理ねえよ」
「それもそうだな…今わかることは、少なからず君は神獣白龍と何かしらの関係があることぐらいだろう」
スイレンは本をアルバードへと渡し、再び引き出しへと戻す。
「まあ分からないことはこれから知っていこう。俺も全力でサポートするさ」
ニコリと爽やかな笑顔を浮かべるアルバード。そして机の上に置かれた時計に目をやり、慌てて長いローブを羽織る。
「ヴィンセント、時間だ。」
「ああ、わかった。スイレン、行くぞ」
スイレンは返事することができず、ただヴィンセントのあとを追いかけた。
胸にポッカリと空いた穴が、苦しかった。