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第九話 お別れしないと。


「折角なんだから、どこかに行こう」


 休日の土曜の朝にやってきた櫂人は、珈琲のおかわりをマグカップに継いでいた美名子にそう話しかけた。

 土曜日は掃除の日。

 そう決めている美名子は、いつもなら珈琲を飲み終わった後に普段できない部分の掃除を始める。

 ちなみに普段しているのは最低限で、埃をはたいて手早く拭き、掃除機をかける程度だ。

 隅々までいきわたらない日々の掃除を土曜日の朝にやってしまって、あとはゆっくりと過ごすというスタイルをこのところずっととっている。

 たしか櫂人も土曜日は掃除をすると言っていたはずなのにと首をかしげると、「折角だから、だよ」と苦笑する。

 イレギュラーな土曜日は、たしかに「折角」に値する。

 美名子はたまにはこんな日もあってもいいかと、笑った。


 問題なのは、服装だった。

 仕事に行く気だった美名子の服装は固い。

 カジュアルな櫂人との落差が激しすぎて横に並ぶのも恥ずかしい。

 もう少しカジュアルダウンした服に着替えたいと思いながらも、狭い部屋に男性がいる中で着替えられるほど、それが気の置けない友人である櫂人であっても無理なものは無理なわけで。

 さてどうしようと考えていたら、櫂人と目が合った。


「何? どうかした?」

「ええと、槻木さんがどこに行こうと考えてるのか、と」

「ん~、俺よりも美名子さんはどこにいきたい?」


 急に話を振られても困る。

 櫂人の横に立ってもおかしくない服装にしないとなんて考えていた美名子に、これからどこに行こうかだなんて考えている余裕はなかった。

 だいたいどこかに行こうと言い出したのは櫂人だから、櫂人がどこかに美名子を連れて行ってくれるのだろうと考えたし、だからこそ櫂人の服装に合わせて着替えないと場違いにもなると思っていたのだ。


「本当にない? どこでもいいよ」


 答えられない美名子に、櫂人はもう一度問いかけてくる。


「急にいわれても……じゃあ、槻木さんはどうですか? どこか行きたいところはありますか?」

「うーん。俺よりも美名子さんが行きたいところに一緒に行ければなって思ったんだけど」


 本当にない?とまた聞かれた。

 質問に質問で返す時は都合が悪いときだと美名子は知っている。

 ということは、櫂人は本当に行きたい場所などなくて、単に思い付きでどこかにいこうとしているのだろう。


 いやべつに、わざわざどこかに行く必要なんて感じないけど。

 ああ、でもできればこの前雑誌で見かけた雑貨カフェに行ってみたいと思ってたけれど、少し遠いのが難点だったなあ。


 美名子は櫂人の和柄の服をみて、この前雑誌の特集であった雑貨カフェのなかに和雑貨をメインとした茶坊があったことを思い出した。

 美名子がちょっと考え込んだのに気が付いたのか、櫂人は少しテーブルから身を乗り出してきた。 


「どこかいいとこあった?」

「ええっと、ちょっと遠いんですが和雑貨のカフェに寄ってみたいなって。今から行くとオープン時間くらいになると思うんですが、それでもいいですか? それとも水族館とかそういった娯楽施設のほうがよかったですか?」

「和雑貨のカフェって面白そうだね。じゃあそこに行ってみようか。何か気に入るものがあるかもしれないし」


 櫂人の行きたいところは結局聞けず、美名子の言った和雑貨カフェに行くことになった。

 時間のかかる場所にいくのなら、余計に服を着替えたい。

 美名子は恥ずかしさを押し殺して櫂人に服を着替えたいから少しの間外に出てもらえないかと言うと、櫂人は櫂人で話を聞き終わると顔を真っ赤にして立ち上がり、そのまま外へと出ていった。

 ドアに手をかけたときに、着替える必要なんてまったくないほどかわいいのになんて呟く声が聞こえてきたが、ファッションに優れた櫂人がいうには御世辞が過ぎると美名子は引きつる。

 外は寒い。

 あまり待たせないようにと選んだ服装は、きっと櫂人の横に並ぶには相応しくはないのだろうけれど、先ほどまでに比べると堅苦しくもなく、美名子はほっとして櫂人を迎え入れるためにドアを開けた。

 飛び込んできたのは、櫂人のちょっと困った顔だった。


「どうしよう……」


 困った顔のまま美名子に近づいてきた櫂人は、そのまま美名子を抱き寄せて「かわいすぎる」とつぶやいた。


 え? これのどこが??


 美名子はありえない言葉に驚きながらも、抱き着いている櫂人をどうやってひっぺがえすか考える。

 でも、美名子はあることに気が付いた。

 同じような言葉で同じように抱き着かれたことがあったのに、不思議なことにその時にあった不愉快さと気恥ずかしさは全くない。……相変わらず恋愛感情もないけれど。


 ドキドキしないのは、良くないんだろうな。


 櫂人の心臓の音が聴こえるの至近距離で、櫂人の早すぎる鼓動と切ない吐息を感じながらも冷静な自分がいることに美名子は驚いた。

 どんなに櫂人が心砕いて二人の距離に温かさを加えてくれているのかを美名子は知っていたが、それでも自分の感情に嘘はつけない。


 こんなことはやめないと。


 楽しかった数か月、気の置けない友人ができたと喜んだ数か月。

 そう思っていたのは美名子だけだったかもしれない。 

 櫂人は初めて会った時のまま、美名子を自分のものだと思っていたのだったら。


 お別れ、しないと。


 一筋涙がこぼれていった。



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