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第四話 ばれたくないんです、わかってください。

―――――嫌だな。

 道行く人が爽やかな笑顔を美名子に向ける櫂人をちらちらと覗き見していく。そしてその目線の先にいる美名子を見て複雑な顔をしながら通り過ぎる。

 何が言いたいのか痛いほどわかる。

 櫂人は見た目が良い。

 それも「かなり」の部類に入る。

 綺麗な二重の大きな目は長い睫におおわれているし、それに誂えたような太い眉。少し鷲鼻気味だけれど真っ直ぐな鼻筋に、上唇は少し薄めだけれど厚い下唇。一つひとつは個性的だが、バランスがいいのだろう、とても魅力的な面立ちだ。

 そして何より自分を魅せることを知っている。

 身体のラインに綺麗に添ったトレンチコートは黒で、甘い顔立ちを引き締める。

 高い慎重にありがちの猫背には全く縁がなく、背筋が伸びやかだ。

 社会人の節度を守りつつも少し前髪を下ろして遊ばせた好感の持てる髪型は、その甘いマスクによく映える。

 対照的なのは目の前の美名子だ。

 最短時間を更新した支度では、できることは限られる。

 知り合いの美容師に化粧をするとケバいと言わしめた美名子の容貌では、普段の化粧は最低限。ちょっと薄めの眉だけは気合いを入れて化粧をする程度だ。

 髪型はそれに合わせたように無造作感丸出しのポニーテール。これもおしゃれにわざと無造作にしているのではなく、単に手ぐしで梳いて括り付けただけだった。

 服装だっていい加減だ。どうせ会社に行けば制服に着替えるのだからと夜に出かける予定さえなければそこまで服装に気を配らない。今日なんてそれがいつも以上に酷い状態で、ジーンズにTシャツだ。三センチのヒールとジルコニアのネックレスをしていなければ近くに買い物に出たおばちゃんと見分けはつかないだろう。いや、近頃のおばちゃんたちの女子力は半端ない。もしかしたら負けているかもと一瞬考えた自分を情けなく思った。

 特に目の前に朝から無駄に爽やかな櫂人がいるから余計に。

 それだというのに周りの反応をちっとも理解しようとしない櫂人は、美名子が挨拶を交わすやいなや隣を陣取って歩き始める―――――美名子の返事を確認もせず。


 かかわりたくない。


 櫂人は覚えていないのだろうか。

 いや、きっと覚えている。

 憶えていなければこうやって美名子の横に立ってはいないだろうから。


「美名子さん? 遅刻するよ」


 美名子は引きつった。

 確かに昨夜は意気投合して話し込んでいたのは間違いがない。

 けれど名前を呼んでもらうほど仲良くなった覚えはないし、終わりが終わりなだけに名前を呼ばれることにかなり不快な感情がせり上がってくる。

 眉をひそめた意味が分かったのだろう、櫂人は体をさらに寄せ、誰にも聞こえないように美名子の耳元で囁いた。

 

「だって俺、美名子さんを買ったから」

「売った覚えはありません」

「買った覚えはあるけれど。なんなら昨日の夜の再現をする?」


 なぜだか嬉しそうに話す櫂人に、もしかしたらマゾっ気があるのかと怪しんだとしても仕方がない。

 美名子は櫂人を振り払うように歩を速めた。



 そして何とかたどり着いた会社では、昨日の今日だというのに二次会に出席した同僚たちによって真しやかな話が蔓延していた。

 もちろん、櫂人が美名子を陥落した挙句にお持ちかえりしたという見事な作り話だ。

 始業時間に間に合って席に着いた美名子を待ち受けていたのは、その話の真相を本人から聞き出そうとしている同僚と、櫂人を狙っていた社員の恨めしそうな視線だった。


 面倒くさい。


 美名子は晴れない心にため息をついて、朝礼に耳を傾けた。



 それからは本当にひどいものだった。

 先週までは同じフロアにいつつもほとんど見かけたことのない櫂人だったというのに、机から視線をちょっと上げるとこちらを窺がう姿が見えるし、昼食時になるとさっと机までやってきて腕を掴んで引きずり出されてランチに付き合わされる始末。一息つけたのは櫂人が営業に出かけた昼すぎで、だが今度は櫂人とのやり取りを面白がっている同僚からの質問攻めにあい疲労困憊。残業などしてやるものかとさっさと着替えて会社を出ると、会社に戻ってきた櫂人とばったり会ってしまい逃げ出す機会を失った。


 早く家に帰りたい。

 とっておきのバスボムを入れてゆったりと湯船に浸かって癒されたい。

 

 会社から近いはずの家がひどく遠い。

 目の前の男はにこにこと、美名子がどう思おうと一緒に帰るつもりだろう。

 美名子はしつこい櫂人に自宅だけは知られたくないと必死になった。

 予定になかった買い物を月曜の夜だというのに入れ込んで、自分の買物がいかに時間がかかるかこんこんと櫂人に説明して一緒に買い物をできないこと、一緒に帰れないことを何度も何度もいっているというのに、櫂人はきょとんとして笑って言ったのだ。


「それがいったいどうしたの? 買い物に時間がかかるのは当たり前だし、もし俺が思っているよりももっと時間がかかったとしてもこれから美名子さんと買い物をする機会なんて沢山あるんだから今から慣れておかないとね。

 美名子さんは優しいから俺が退屈しないようにそういってくれているんだと思うけれど、美名子さんの傍にいるだけで俺は十二分に楽しいから、気にしなくていいんだよ。

 それに時間がかかる買い物なら帰りは夜遅くなるでしょう? 俺が美名子さんの番犬になってどんなに夜遅くでも美名子さんの身を護るから。 美名子さんは俺を番犬だと思えば買い物をゆっくりと気兼ねなくできるんじゃない?」


 何かが違う。それも激しくおかしな方向に流れてる。

 美名子は絶望感に襲われた。




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