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鍵のありか  作者: 伊川なつ
街歩き篇
9/27

短刀、二つ

 マナの左手が捻られる。それを見たバーレンはなりふり構わずマナの方へと飛び出した。

彼女の細い腰に手を回し、その向こうにいる男どもに体当たりする態で馬車から飛び降りる。

バーレンは馬車から距離をとり、素早く態勢を整えた。マナを自身の背後にやり、周りを見やる。

 道からそれた馬車は、森の入り口に差し掛る方向を向いていた。地面はそう荒くなく、開けた場だ。二人を囲む男たちのせいで、森の雑然とした自然のままの美しさも、帰巣を喜ぶ鳥の声も台無しである。


 男たちの数はバーレンの視界に入るだけで五人。御者の声すら聞こえず姿が見えないとなると、馬車に隠れた場所に他にも仲間がいるようだ。

囲む男たちは体格がいい者もいれば、細面の者もいる。ただ皆ギラギラとした瞳と攻撃的な薄ら笑いだけは同じで、穏当にことを済ませる気はさらさらないようだ。

馬車を襲うということは、盗賊か、人攫いか、その類だろう。どれであれ、乱暴に馬車を足止めするような人間に善人などいない。


男の一人がチッと舌打ちをした。

「都を逸れて行ったから密商人かと思ったら、ガキかよ」

明らかな落胆と苛立ちの声が男たちから次々と漏れる。

 しかし彼らはすぐに、ある一点に視線を集中させ黙った。目的が商人の金や品ではなく、偶然見つけた華奢な女に変わったようだ。


 一斉に二人の男がなだれ込むように距離を詰めてきた。二人とも獲物は持っていない。荒くれの力が武器なのだろう。バーレンは咄嗟に護身用に忍ばせていた短刀を抜く。もっと大振りのものを持ってくれば良かったと後悔するのは後のこと。


 バーレンは素早く体を伏せ、地面の砂を片手にひっ掴み、容赦なく男たちの顔面に投げつけた。目くらましに怯んだ一人の腹に、バーレンは容赦なく蹴りを叩き込んだ。反撃の拳がこめかみを掠ったが、すかさず相手の首めがけて手刀をおくる。

その男が呻き、蹲る様子を横目に見つつ、殴りかかってきたもう一人の男の拳を、体を滑らせるように伏せて避ける。そしてそのままの態勢で距離を詰め、男の足に短刀を突き刺した。先ほどの男の呻きとは比にならない苦痛の声が辺りに響く。すかさず短刀を抜きとり、片足から血を流してバランスを崩す男に蹴りを入れ、地に伏せさせる。

しかし、一人で相手をするにはそこまでが限界だった。


 残る三人の男はマナに手を延ばしていた。

マナの細腕での抵抗など、男たちには羽虫のようなものだ。

もがくマナを見て、バーレンの感情が振り切れた。焦りと怒りに目を見開き、がむしゃらにマナの元に飛び込む。


 二人がバーレンに向かって身構えた。向かってきた一人は何時の間にか大振りな刃をこちらに向けていた。刃を向けてくる男はがっしりとした肩と腕を持っている。分が悪すぎる。

バーレンは刃を容赦なく叩きつけられた。短刀で受け止める。力加減は向こうが圧倒的に上。止めることで精いっぱいで、受け止める腕が痺れる。


(もう一人は……! マナは……!)

バーレンはぶわりと首筋に汗が浮き出るのが分かった。


背後に回ったもう一人の男に頭を殴られ、羽交い締めにされる。なんとか必死で意識を繋ぎとめようと白くなりはじめる視界に目を凝らした。

「この男……! 殺してやろうか!!」

バーレンを羽交い締めにした男は血走った目を見開き、今にもバーレンの首を絞めようかという勢いであった。


「おい、ガキ。こっち見ろ。動くなよ」

意識を繋ぎ止めていたバーレンは声の方向へ視線を向ける。生理的な涙で歪んだバーレンの視界には、捕えられたマナが映る。その首にはぴたりと刃が添えられていた。

マナは微動だにしない。


「どうだ、その男は売れそうか? 顔はそこそこのようだが、男はあまり……」

マナの首に刃を向けている男の問いを、バーレンを羽交い締めにした男と、大振りな刃を持った男の声が咆哮を上げてかき消した。


「こんなガキ! 殺す以外にどうする!!」

「わざわざ綺麗なまま売るこたぁねぇ! 臓器引きずり出して売ればいいだろう!!」


皮肉なことに耳元で叫ばれたことで、バーレンの意識が定まってきた。

後ろから羽交い締め。目の前には屈強な男、獲物持ち。加えてマナは人質に取られ、首には刃物。

バーレンが少しでも暴れればマナの白い首に血が滲むだろう。それだけはダメだと、バーレンは歯ぎしりをした。


 刃を向けられたマナは、しかし取り乱すことも抵抗する様子もない。

どこかその様子に違和感を覚え、バーレンは眉を顰める。勝利を確信し、二人をそっちのけで仲間割れのようにぎゃあぎゃあと喚く男たちの声が、耳に痛い。


ふと、マナとバーレンの視線が交じり合った。

バーレンは慄く。

マナのまるでほっそりとした弱々しい体躯。下手すれば殺されるだろうこの状況。

そんなものは関係ない、とでもいうようにマナの瞳は静かにーー凪いでいた。

一瞬、彼女がバーレンに微笑んだように見えたのは幻覚だろうか。


その一瞬の後、マナは懐から短刀を取り出し、自分を捕えている男の腕に渾身の力で叩き込んだ。




 意外にも甲高い、衣を割くような悲鳴が響く。

すっかり油断していた男は、自身の腕に刺さったままの刃に悲鳴をあげ続ける。目からは涙を、口からは唾液を、腕からは血を散らして喚く姿は獣じみていた。


「マナ……!」

バーレンは叫ぶが、マナはそのまま苦しむ男のそばに棒立ちのままだ。


すぐさま屈強な男が大振りの刃を持ち直し、マナのもとに駆ける。腕から血を流していた男も激昂してマナに殴りかかろうとしていた。


「マナ!! 逃げろ!!」

バーレンはどうにか羽交い締めにしてくる男の手から逃れようと暴れるが、意味はない。

最悪の場面がバーレン頭によぎる。


 しかし、突如として飛び込んできた矢と、長い銀の髪によって、状況は一変した。


矢はマナを殴ろうとしていた男の肩に命中。だみ声をあげて男はもんどり打った。右手からも左肩からも血を出す姿はなかなかに恐ろしい。


 長い銀髪の人物はというと、スラリと美しい長剣を手に、もう一人の男に向かっていた。屈強な荒くれ男の重い刃を、見事に弾いて受け流している。

そして男の大振りな刃を叩き落とし、さらに両の腕を斬った。男は雄叫びをあげて捨て身の突進を計ったが、銀髪の彼は優雅なステップのような身のこなしで避ける。そして避けたついでに、とでもいうような軽い動きで、男の片足の腱を長剣でなぞった。


 ものの短時間で二人の荒くれは地面に伏した。

残るはバーレンを捕らえる男のみ。

銀髪の彼は残る一人に体を向け、厳しい視線をやった。


長い銀髪。青い瞳。焼けた肌と目元の深い皺。マントに隠れているががっしりとした体格は充分に鍛えられていることが窺える。


「現行犯というやつですね。エーデンタークまで、ご一緒していただきます」

声は存外若々しかったが、威圧感のある低いものだ。

「彼を離しなさい。これ以上に罪を重くしますか」


ガタガタと震え始めた荒くれ男は、突然体を激しく揺らして倒れた。

解放されたバーレンはばっと振り返る。


そこには赤毛の少年が、男を殴った拳を突き上げたままの状態で、にやりと微笑んでいた。


「久しぶりだな、バーレン」

「……ユアン」

バーレンはぽつりと少年の名を呟いた。それはバーレンにとって懐かしい響き。


 少しの間バーレンとユアンは見つめあう。しかしバーレンはすぐにはっとしてマナのもとに駆け寄った。

「マナ!」

そっと隣に立ち、頬に触れる。

マナはびくりと震えた。その弾みでぼろりと涙が彼女の頬を滑り落ちた。バーレンの指を濡らす。


「わ、私、人、を、刺して……っ」

「大丈夫、大丈夫だ、マナ。落ち着いて」

バーレンはあやすようにマナを抱きしめた。


細かく震えたマナは細く、頼りない。そんな彼女に、護身用とはいえ凶器を渡していたことを、バーレンは僅かに後悔した。

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