道中
馬車が揺れる。車輪が石に引っかかった振動でマナの体が跳ねた。その衝撃で目を覚ます。
彼女の長い黒髪はリタの手によって見事にまとめられており、ストールですっぽりと隠されている。その頭をバーレンの肩に乗せていたことに気づき、マナは慌てて体を起こした。
「おはよう、マナ」
「あ、お、おはよう。ごめんなさい。重かったでしょう?」
マナが眉尻を下げて首を傾げる。バーレンは「かまわない」と言い、軽く彼女の頬を撫でた。マナがその動作にふんわりと微笑む。
「もうすぐで、エーデンタークに着くよ」
その言葉につられて、窓の外を見る。
出発はまだ夜が明けるかどうかという、暗闇と寒さに身を震わせる時間帯だった。そこから休憩を挟みつつも一日かけて南東へ。いつのまに太陽は登りきり、既に西へ傾き始めていた。
木々が少なくなって開けた視界。道も進むにつれて良くなってきているのか、感じる辛い振動も出発時より弱い。
(都に来てるんだ!)
じわりと寄せるその実感。どうしても鼓動が早まる。
空は迫る宵に薄く紫がかった優しい青。千切ったような雲がいくつか浮いている。日差しが柔らかく、昼は小春日和だったろう。
王都に入ることを祝福されたような気がして、マナはきゅっと唇を弧にして笑った。
「わくわくする?」
「うん。とても」
彼の目はマナのものに反して、ずいぶん落ち着いていた。
「バーレンは都に行ったことがあるの?」
「ああ、数える程だが」
「この間言ってた友達に会いに?」
予想外にバーレンはゆるりと首を横にふった。
「アイツは忙しいやつでね。なかなか会えない」
「そうなの。ねぇバーレン、そのお友達ってどんな人なの?」
「気になるのか?」
聞き返され、マナは「だって……」と口をもごもごと動かす。先ほどまでの蒸気した頬は急速に翳り、不安の色が滲んでいた。
「バーレンったら全然教えてくれないじゃない。こっちでヴァイツの人以外にに会うなんて初めてなのに……」
ぼそぼそと不満顔で呟くマナの様子を見て、バーレンは小さく笑った。マナを髪に触れようと手を伸ばす。けれどストールで纏めてあるそれを崩すわけにはいかないと気付き、中途半端に浮いた手を戻して彼女の手のひらを包むようにぽんぽんと二度叩いた。
こんな風に揺れる瞳をマナが見せてくれることに、バーレンは安心する。出会ったばかりの、威嚇しか知らぬ小動物のようだった頃には決して見ることのできなかった顔だ。
「じゃあ少し、昔話をしようか」
バーレンは数年前のラッシュ村へと想いを馳せた。
『彼』に出会ったのは二年前。
バーレンが15の時だ。
◇
バーレンがまだ教会に通ってた時のことだ。
ラッシュ村の北側には教会と図書館が並んでいる。どんなに小さな村にも必ず教会があり神父がいて、子どもたちはそこで簡単な読み書きを学ぶ。それがこの国の田舎の学校だ。
「バーレンも教会で勉強していたの?」
「ああ。そういえばマナのいた世界には大きな学校があるって言ってたな。子ども皆がいけるのは羨ましいよ。俺の家は結構大きな方だから、ミリアも教会にちゃんと行けるだろうけど、村の出稼ぎの家や店やってる家の子どもはたまにしか教会に行けないんだ。」
ラッシュ村よりもう少し大きな村になると、教会とは別に学校があり、教師が据えられるという。村や街で学校に行けるのは、やはり金持ちの子どもだけ。
しかし貴族の子どもはまた別だ。彼ら彼女らは一定の年齢になると寄宿舎に住むようになり、時間になると部屋に教師が訪れる。
その形態はマナには珍しく感じられるものだった。バーレンの話に、「すごいね」と元々大きな黒目をさらに開いて丸くする。とても15歳とは思えない素直な顔だ。
「でもな、慣習かなんかで貴族の子どもは一時期普通の学校に預けられることがあるんだって」
社会勉強のためなのだろうか。詳しい理由を庶民であるバーレンは知らない。
「そこでラッシュ村の教会にやってきたのが、今日、マナに会ってもらう俺の友だち」
え、とマナが口をぽかんと開けた。
「ま、待って待って! つまり、え、バーレンのお友達って貴族の人なの?」
「うーん。貴族ではないけど……まぁそんな感じ」
「そんなの聞いてないわ!」
露骨に焦り始めるマナにバーレンはくくっと笑みを漏らした。
学童時代の昔話をしたからだろうか、その笑い方はどこか子どもっぽく、ずる賢い少年を彷彿とさせた。
「そんなに心配することじゃない。言っただろう? 生意気なやつだって。普段のあいつはやんごとなきお方だなんて思えないようやつだよ」
そう取り繕ってもマナは納得いかない様子だ。どうやら秘密ごとをされていたことに少しつむじを曲げているらしい。
バーレンはさらに言葉を繋げた。
「本当に悪ガキだったからな。神父様にしょっちゅう叱られていたよ。一緒にとっくみあって図書館の窓割ったり……」
え、とマナが口を滑り込ませる。
「バーレンも?」
やばい、とでも言うように、バーレンは片手で自分の口を覆った。少しの間目を泳がせる。
しかしマナがじっとその碧眼を見ていると、観念したのか、マナと目を合わせにやりと唇を歪めた。さらにぱちんとウインク付きだ。
バーレンも悪ガキの一人だったのだ。その事実にマナは驚くとともに可笑しさがこみ上げてきた。「内緒な」とでも言うようににやにや笑いつつ黙ったままの彼に、マナも唇を歪め、そっくりの笑い方をしてやった。まさにその時ーー
突然の衝撃に二人の体は馬車の硬い椅子から数センチ浮いた。聴覚がガタンと激しい音を認識したのはその後。
石に引っかかっただけではない、強い衝撃にマナの体が崩れる。
バーレンは咄嗟に彼女の腕を引き寄せるが、二人もろとも狭い馬車の中でもんどりを打つ。
マナの頭はバーレンの腕で庇われたものの、彼は強かに頭を打ってしまい、ぐぅっと呻き声を口から漏らした。数秒の短い間、目をぎゅっと閉じて痛みに耐える。
痛みに慣れないまま、マナは無事かと目を開けた瞬間飛び込んできたのは、乱暴に開けられる馬車の扉と、耳障りな野太い男たちの喚き声だ。
マナの細腕が、太い筋張った男の手に掴まれる。さっと全身の血が足元に落ちて行く感覚に、バーレンはぶるりと体を震わせた。