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鍵のありか  作者: 伊川なつ
山暮らし篇
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二人の姿

 夜になると、この地方の気温はぐっと下がる。その日はまだ暖炉の火をおこすほどではないが、寝床に湯たんぽの熱が欲しくなるほどには寒かった。

 バーレンは屋根裏部屋で毛布を被り、小さいランプの明かりだけで本を読んでいた。

 急に扉が開く音がして、部屋に冷気が入ってきた。次にとんとんと梯子を登ってくる足音が耳にはいる。バーレンの予想通り、ひょっこりと顔を見せたのはマナだった。お互い目が合って一瞬、笑みを交わす。バーレンはすぐに本に目線を戻した。


「寒いね」

マナがそういって身を縮こませたので、バーレンは毛布を半分分け与えた。思ったよりマナの体が温かいことに驚く。見ると、マナの髪が少し湿っていた。湯を浴びた後のようだ。濡れた髪の黒は、普段よりも艶やかで、ついじっと見てしまう。


「よく拭かないと風邪ひくぞ」

「うん。…ドライヤーがあったらなぁ」

マナが自身の髪に触れながら呟いた。バーレンは耳慣れない言葉に首を傾げる。

「ドライヤー?」

「濡れた髪を乾かす道具だよ」

マナは苦笑して答えた。


 マナの話にはよく、こちらにはない道具の話がでてくる。それは、そんな便利なものがと驚く物もあれば、そんなものが必要かと首をかしげてしまう物もあり、様々だ。


 マナは夜になるとこうしてバーレンの家に来る。マナがこの家に来たばかりの頃は、リタがマナに対していい顔をしていなかったので、彼女は毎日のようにバーレンの家に逃げ込み、入り浸っていた。それが今も日課になっているのだ。マナを拾い保護したのがバーレンだったので、殊更に懐かれている。

 いつもはミリアも一緒だが、今日は来ていない。午後からの家の手伝いと羊の世話に疲れて寝てしまったのだろうか。


 成人した若い男性の家に若い未婚の女性が夜通うなど、普通に考えたら眉を顰められることだ。いくらバーレンが寝る前に、夫妻の家に戻るとしてもである。

 しかしリタもマルクスも、頭の固い祖母でさえ、そのことに関しては何も口を挟まなかった。それは恐らく、夫婦になることを望まれているのだろう。バーレンはそのことをよくよく察していた。

 しかし、バーレンにそのつもりはなかった。可愛らしいキスさえしたこともない。


 マナに魅力がないわけではない。しかしバーレンには、マナを一人の成熟した女性とは見られなかった。どちらかというと、文字通り家族として、ミリアと同じ妹として見てしまう。

 それは彼女の姿ゆえだ。マナは、出会った頃に聞いた話では14歳だと言っていた。しかしそれにしては細すぎたのである。背はそう低くないが華奢で肉付きが少ない。村の同世代の少女たちと比べるとその違いは明らかだった。

 初めて会った時は、彼女の歳を10越えたくらいかと見積っていたので、実際の歳を聞いた時はヴァイツ家全員が驚いた。なんでも彼女が住む国の人間は、彼女の世界の他国に比べても、皆、華奢で童顔なのだという。しかし、貧しい国なのかと聞けば、ここの世界よりもずっとたくさんの物が溢れていて、綺麗な水も質のいい砂糖や穀物もいくらでも手に入るという。いまいち納得し難い話だ。


「ミリアはもう寝たのか?」

「うん。昼間働き過ぎて疲れたのね。よく寝てた」

「ま、昼間、あれだけぴーぴー騒いではしゃいでたら体力も尽きるだろうな」

バーレンのその言葉に、マナはくすりと笑った。ミリアの元気さを思い浮かべたのだろう。


「久しぶりに、絵本読んでって言われたわ」

マナはそう言って、次は照れたような笑みを浮かべた。恐らく、昼に見つけた絵本のことだろう。マナを見てお姫様、お姫様とはしゃぐミリアと、苦笑いを浮かべるマナの姿がバーレンの目に浮かぶ。


「本当に真っ黒だもんなぁ」

バーレンはマナの髪を撫でた。

「私の国の人間は皆こうよ」

とマナは言う。そのこともにわかには信じ難かった。


 黒髪黒目といえばバーレン達の世界では、王子様お姫様。それは童話だけのことではない。

 この国で黒髪黒目といえば、王家の象徴なのだ。

 王族の者は皆黒髪か黒目のどちらかを有していると言われる。


 それがヴァイツ家がマナを住まわせ、家族とした理由だった。本来なら身元の分からない子どもは、街に届け、修道院に引き取られる。しかしこの姿のマナを、街の人間に見られたらどんな混乱が起こるか分からない。王家の人間ではなく、こちらの世界の人間でもないと主張するマナが、どんな扱いを受けるかも分からないのだ。


「マナ」

マナの頭を撫でながら、バーレンは名を呼んだ。

「うん?」

「辛くないか。ここの暮らし」

マナは不思議そうな表情を浮かべ、ふるふると首を左右に振った。

「辛いなんて…一度も思ったことはないよ。羊とか山羊の世話は慣れるまで大変だったけど、おばさんもおじさんもおばあちゃまもとても良くしてくれているし。とても感謝してるわ。ミリアも可愛いし。……バーレンだってそばにいてくれるじゃない」

そう応えたマナは本当にとても幸せそうに笑っていた。バーレンもそれを聞いてほっとする。


「いや、何度話を聞いても、マナのいた場所とここの暮らしはずいぶん様子が違うみたいだからな。大変だろうと心配したんだ」

「ありがとう。大丈夫よ。もう慣れたわ」


「……元の世界に戻りたくはないのか?」

 バーレンのその問は、以前にも聞いたことがある。マナはその時、悲しそうな顔をして俯くだけだった。それ以来、彼女を傷つけまいとわざと避けていた話題だったが、バーレンにとってはどうしたって気になることだ。


 バーレンはマナを家族だと思っている。もちろんバーレン以外のヴァイツ家の4人も。しかしマナはどうなのだろうか。元の家族のもとに帰りたいのではないだろうか。


しかしマナは、ふるふると首を左右に振った。

「ここが好きなの…」

そう呟いたマナに、バーレンは「そうか」と嬉しそうに相槌をうつ。

そして会話は終わりだと、また手元の本に目線を移した。


 虫の声と風の音だけが微かに聴こえるだけの静かな夜。

 明かりは小さなランプの光だけ。

 小さな家に、毛布を分け合って、それからは話すことなくなんとなくそばにいる。

 それは確かに仲の良い兄妹の姿だと、マナもバーレンも信じていた。


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