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鍵のありか  作者: 伊川なつ
王宮編
26/27

世界のこと2

 マナは震える足を叱咤して立ち上がり、壁に背をつけ旅芸人と距離をとった。手近に武器になるものはないかと見るが、あるのは足元の割れたカップだけ。せめて花瓶の一つでもあればと歯噛みする。

 悠々とマントのシワを払って伸ばす旅芸人。扉は彼女の向こう側で、マナが飛び込むには無理がある。完全に開かれた窓が夜風を誘い、バサバサとカーテンが揺れる音だけがうるさい。


お互いの顔が見えるかどうかという暗闇の中、マナは旅芸人と対峙し、その場を動けない。


「あなた、お城にこんな風に飛び込んでくるなんて、捕まりますよ」

マナが睨みつけながらそう言うが、「いいえ、その心配はありません」と焦りは全くみられない。

「誰も私がここにいることなど気づきませんよ」

「あ、あんなに大きな音を立てておいて、そんなはずありません! それに私が叫べば人が来ます!」

涼しい顔を崩さない旅芸人に、思わずマナは声を荒げる。すると旅芸人は、まるで幼子をたしなめるように、立てた人差し指を口元に当てた。


そして内緒話をするように、

「魔法を使えば、この部屋が静かに眠りについているようにできるのですよ」と声をひそめる。

その声色は、とっておきの秘密を告げる子どものよう。


 一瞬虚をつかれたマナだが、「は?」と険のある声をだし、さらに彼女から身を引いた。窓枠が腰にあたり、黒髪が揺れる。


「ああ、窓から逃げたりなんてしないでくださいね。そこはあなたではなく、私の出口です」


 思考を読まれた気がして、さらにマナはぐるぐると臓腑に熱が回る心地だった。

 こんな夜中に寝室に飛び込んでくる不審者に、警戒するのは当然だ。しかし、それとは別に、どうしてだか、彼女の動物を追い込むような目つきが、マナの癇に障る。 


「あなたに私の何がわかるの」

「マナ・ヴァイツの全てを--と言いたいところですが、残念ながら。でも、私の知っていることはありますよ」


旅芸人は懐から一枚の用紙を出し、マナに向かって投げてよこした。床を滑らせるように投げられたそれを、マナは彼女から視線を外さないまま拾い上げる。

 旅芸人が小さなため息をついて、部屋の中央にある椅子を引き、腰掛けた。その様子にようやく視線を外したマナは、暗闇の中、用紙に目をこらす。


 数日前、王宮敷地内の図書館で見つけた、古い地図。素手で触るだけで崩れてしまいそうなほど、黄色く痛んでいるそれは、マナの元の世界のもの。中央にユーラシア大陸、アフリカ大陸の一部分、そして極東日本列島。

 認めた瞬間、はっと息を詰めて、旅芸人を凝視した。


「どうして、これを、私に」

「私はあなたの元の世界を知っています。それは信じていただけますよね」

ニッコリと唇で孤を描いた旅芸人は、座ったまま右手をマナに差し出した。まるで手を取れとでもいう姿。二人の開いた空間が白々しい。


「いくつかヒントをあげましょう。その世界を、惑星を、私たちは地球(テミス)と呼んでいます」

旅芸人は、右手を差し出したまま、立ち上がった。そうして言葉を続ける。

「それから、マナ・ヴァイツ。あなたは魔法を知る必要がある」

一歩、一歩、音もなくマナに足を進める。マナは身を守るように胸の前でぎゅうと手を組んだ。握り込んだ地図が乾いた音を立てる。マナの体は暗闇でもわかるほど大きく震えていた。


「最後に一つ、あなたには、自信を持って味方だと思える人間が王宮(ここ)にはいますか?」


 旅芸人は「それくらいですかね」とマナの真横をするりと抜けて、窓から身を乗り出した。桟に足をかけ、カーテンを掴み、踊るようにくるりと身を空中へ。



「選びなさい。私に付いてきて元の世界へ戻る道か、このまま王家に与するか」



 旅芸人のマントの向こう、胸のあたりで小さく青白い光が灯った。そしてそのままふらりと飛ぶ。

「アリカ、よくよく考えなさい。期限は、そうね、七日。七日後の夜にお迎えにあがります」

旅芸人は空に危なげなく立ちながら、マントを引いて、マナにこうべを垂れた。そうしてマナが瞬きをした次の瞬間には、弾丸のように、空の奥、暗闇の向こうへ消えていった。わずかに光の残滓を残して。




 青白い光の粒が溶けるように消えていく。その中でマナはずるずると腰を床につけた。また体の震えは止まらない。立ち上がるには相当の時間が必要だった。

 マナは目を剥いて暗闇の一点を見つめる。震える指が地図を破らぬように必死だった。マナの体を震わせるのは、圧倒的な怒りであった。恐怖など、この紙を、元の世界を認めた瞬間に消えていた。

 ぎりりと唇を噛む。


「--らない」

呻くように、強く吐き捨てる。


「元の世界になんて絶対に戻るものか。絶対に、絶対に……」

マナは一晩、獣のように荒ぶる息を沈めることに努めた。


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