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鍵のありか  作者: 伊川なつ
王宮編
25/27

夜鳴き鳥

 初めてはリーズの瞳に似た薄紫、二度目は春の若木を思わせる瑞々しいライトグリーン、そして今日は目を引くほど強い赤のドレス。

 連日の夜会への参加に、マナはちっとも慣れることがなく、夜が更ける頃には這々の体でベッドに身を沈めた。


 城の隅一廓を会場に咲く華やかな人々の装い。夜を忘れてきらめく蝋燭やランプの明かりに、鼻にきついほど飾られた生花。テーブルに並べられた軽食ーー果物に、クリームの乗った焼き菓子、野菜を詰め込んだパイなど、この世界にしては大変上等なものだろうそれら。確かに少女の心を弾ませるものだった。

 しかしマナにとっては、喜びを上回って、恐ろしく肩の凝るものであった。


 軽食にも酒にも、一度も口をつけられず、マナの喉は緊張に乾いていくばかり。

 楽団は穏やかな曲を絶え間なく流すが、ダンスの風習はないのか、皆、行儀よく立食を楽しみながら、挨拶と歓談を続けていく。

 城に歓談相手などいるはずのないマナは、リーズに先に言われた通り、ただただ三度、壁の花になっただけだった。


 リーズも同じくマナの隣で、ただ夜会の終わりをじっと待つのみ。

 王族であるはずの彼女だが、誰に挨拶をすることもなく、ただ美しい姿で人形のようにマナと並ぶ。初めの夜会でだけ遠目に姿を見たユアンは、誰彼に話しかけられているようだったが、彼女にはそんな様子がない。

 二度目の夜会で、流石におかしいのではとマナが探りを入れると、リーズは「私はこれがお役目なのよ」と一言だけ告げて、後は聞くなと鋭い眼光を向けられた。




 赤のドレスからようやっと夜着へと変えてもらい、マナは虫のようにベッドシーツに包まった。頭痛で重くなった頭をおさえる。

 すっかり過ごし慣れた北の小部屋で、「あああ……」と情けない呻きをあげていると、エプロンドレスに着替えたリーズが一人でやってきた。ワゴンにはすでにカップに注がれた茶と、一口大の軽食。


「マナさま、先に少し胃に入れませんと、いくら疲れていてもそのままじゃ眠れませんわよ」

そういって差し出されたカップを、マナはベッドに腰掛けたままで受け取った。怠惰なその様子をリーズが咎めることはない。目に見えて顔を青くしたマナに、テーブルについて背筋を伸ばせとは、流石の彼女も言えなかった。

 対するリーズはベッドから離れたテーブルに腰掛け、優雅にカップを傾ける。


 しばしカップで指を温めていたマナは、ゆっくりとリーズを見据え、口を開いた。

「ねえ、リーズさま。どうして私を夜会へ連れて行くの」

カップの中の揺れる湯気を見つめていたリーズは、ややあって

「何度も聞くのね。何回聞かれても答えは同じよ。どうしてかって、私にも分からないわ」

と答えた。


「リーズさま」

「私が嘘をついていると思う?」

「……そうは言っていないわ。でも、おかしいとリーズさまは思わないの?」

マナはカップをベッドサイドに置いて、身にまとったシーツを剥いだ。


「ユアンさまがいたのは初めの一度だけだったけど。王子さまが参加するような城の夜会、国の偉い人ばかりなのでしょう? みんな、平民の私が話しかけていい相手でもないのでしょう。そこに行って、ただ呆と突っ立て。

ねえ、みんな、私の姿を一瞬だけ目に止めて、けれどまるで何も見なかったかのように、避けていく。どうして?」言葉を連ねるうち、マナの声が上ずる。

マナはベッドから降りて、リーズに詰め寄った。


「私のこれが黒いから?」


問いかけより確認の色の強い一言。マナは自身の髪を掴んでみせるが、リーズはマナへ目を向けることなく、カップを傾け続けている。

 まつ毛を可愛らしく伏せて茶を楽しむリーズの姿は、昼下がりの日差しの中にでもいるようだ。まるでマナの困惑を受け取ってはくれない。それでもマナは言い募る。


「私、ヴァイツの家族の人に、髪を見せるなと、人の訪ねてくる日は山の中でもストールを巻いて過ごしていたの。瞳を見られてはいけないと、一度も山の下に降りたことがなかった。

けれど、王都では堂々と歩くことを許されて、城に泊めてもらって何不自由なく、お姫様のようなドレスを着ているの。バーレンもユアンも私を連れてきたくせに、何一つ何も教えてくれない! リーズ、あなただってそうよ! 

ねえ、私はいつまでここにいて、何のためにここにいるの。どうしてバーレンは突然宮仕えをなんて始めて、私を山へ戻す手配をしてくれないの?! 歩いて帰れる距離でも道でもないのは、バーレンが一番よく知っているはずなのに、彼は私とろくに会ってもくれないのよ!」


「それを私に聞いているの?」

リーズの硬い一声に、マナは頰を打たれた心地だった。自分が何を聞いているか思い出し、震える唇を両手で抑える。ずる、と足を滑らせるように後ずさった。ベッドの足が、踵に冷たくあたる。

「ご、ごめんなさい」震える唇のまま、マナはそう言って息を吐いた。肩を落とし項垂れる。


 マナの言葉は途中から、バーレンへの不満であった。リーズの返答ももっともである。マナは重ねて「ごめんなさい」と謝った。リーズの返答はもうない。





「……じゃあ、一体誰に聞けばいいの」


 リーズが出て行き、灯りの落とされた部屋で、一人、マナは呟いた。ベッドの真ん中に膝を抱えて、シーツを引っ張った。涙を落とすたびに芯から体が冷めていく。

 テーブルには「必ず食べるように」とリーズに念押された軽食が、手付かずで皿に乗っている。夜気に冷たくなって、きっともう美味しくないだろう。


 ヴァイツの丘から発って二十日が過ぎた。

 一日と家畜を放ってはおけないと悩むバーレンとともにマルクス夫妻に相談した。三日と家を開けるわけに行かないとすぐに山に戻るつもりだった。


 この二十日間、バーレンに会いたいという請いは通らず。いつ帰れるのかと文で問うても、いつだってバーレンの返答は「未だ」だった。城の来客用の小部屋に飽きたと外へ抜け出せば叱られる。バーレンの友ユアンはおいそれと近づける身分ではない。

 世話付きだと訪ねてくれるリーズは、まるで初めてできた気安い友人だったけれど、今日できっと怒らせてしまった。


 都に来て初めて流す涙は、止まる気配がない。マナは拭うことも諦めて、しばらくはだらだらと頰を伝うままにした。すんと鼻を鳴らし、ベッドから降りる。

 何度か飛び降りたことのある窓をぐいと開けた。途端、冷たい夜風が舞い込んで、マナの長い黒髪を派手に揺らす。はあ、とため息をついて、そのまま桟に腰掛けた。


「また飛び降りたら騒ぎになるかな。夜の暗いうちにこっそり降りて、そして都の外に出るの。ああ、でも夜に城壁を越えるなんて、きっと門番に止められちゃう。もし城壁を出られたとして、ヴァイツの丘はどう進めばいいのかな。太陽が出れば北の方角も分かるかしら。誰かに聞けば道がわかるかな」


 夢物語のように脱走を図る。しかし独り言を続けるうちに、馬鹿らしくなってしまって、マナはそっと目を閉じた。夜風に涙は散って、引きつる頰が冷やされる。腰まで伸びる黒髪を指先でくるくる弄び、夜明けを待つ。



ーーふと、閉じた瞼の向こうで、青白い光がちかりと揺れた気がした。


はっと目を開け、窓の外に身を乗り出す。王都の夜はすっかり眠っていて、家の灯りは一つもないはずだ。

 城壁の上、暗い暗い帳のおりた空の向こうを睨むように見つめていると、ややあって、一点、黒い影が見えた。


 こんな夜更けに鳥だろうかと思ったが、点は少しずつ大きく、ーー否、近づいている!


 「えっ、嘘!」


とっさにマナは、窓の下に身を縮め頭を抱えた。凄まじい勢いで窓から、文字通り飛び込んで来たそれは、部屋の反対側にーーバン!!!! と派手な衝突音を鳴らして着地した。びりびりと部屋が揺れ、壁の額縁が傾ぐ。ベッドサイドに置いていたカップが落ちて割れた。


 突然の大きな音とともにやって来た闖入者に、ばくばくとうるさい心臓を手で押さえ、マナはそっと顔をあげた。恐怖に固まりそうになる喉を無理やり動かして、固唾を吞む。


「ああ、ごめんなさい。こんなに派手に入る予定ではなかったんです」


腰をさすりながら、するりと起き上がった彼女。


 体を巻きつけるように覆う黒のマント。顔の際に描かれた特徴的な墨。キラキラ輝く大きな瞳に、瞳と揃いのはしばみ色の短髪。

 瞳を細め、泰然と微笑む彼女を、マナは知っている。


突然やって来た旅芸人は囁くように、マナに告げた。

「お邪魔しますね。アリカ……いえ、マナ・ヴァイツとお呼びしましょう。

 あなた、私に攫われてみませんか?」


ーー歌うように、美しい声で。


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