飾り立て
いつもはストールで隠している黒髪を結い上げて、白い石のついた小さな髪飾りを差す。露わになった首には薄紫のリボン。金属のアクセサリーで固めるのは歳を重ねた貴婦人の特権で、若いうちは布製の装飾が好ましいとされる。
肌には花の香りのする油を塗って、白粉を薄くはたく。「マナさまの肌は地が白いからあまり変わりませんわね」とリーズは難しい顔をして、マナの頰を何度も白粉用の筆でなぞった。
ドレスは今まで着たAラインのすっきりしたものではなく、レースを重ねた横に広がる豪奢なもの。リボンよりさらに色薄い、白にも見紛う紫の裾は、ミントの花びらのようだった。
仕上げは唇に桃色。マナの赤い唇を、柔らかく彩る。
みるみるうちに飾られていく自身を鏡台で見つめ、マナは口を開けっ放しであった。
リーズは「みっともない顔よ。しゃんとなさって」とマナの顎を押さえ、力技で閉じる。がちんとマナの歯がなった
「ねえ、リーズさま。やっぱり私、こんな格好、きっと場違いだわ」
「まあ、まだ言うの?」
何度目かのマナの弱腰の訴え。いい加減面倒になったのか、リーズはあけすけにため息をついた。
「髪も綺麗に編んで、ドレスも上等。私が殿方だったらきっとエスコートさせてくれと頼んでいたわ。リボンも宝石もあなたのために誂えたようよ。それとも何? 私の見立てが不満なの?」
言葉を重ねるごとに不機嫌になってゆくリーズに、マナは「違うわ」と慌てて首を振った。
「ドレスもアクセサリーもとっても綺麗よ。リーズさまのセンスの問題じゃないの。……ようは、中身の問題なのよ。私はこんなドレスなんて今まで着たことないし、その、夜会なんて言葉を聞くのも初めてなくらいなの。作法なんてかけらも知らないのよ」
「……中身が足りないと思うのでしたらこれから磨けばいいのです。一日二日で磨けるものではありませんから、今日は大人しく飾られておく。いいです? 人間、中身と外身の総合点です。外身を飾って黙っているだけなら、及第点を割ることはそうないはずよ。目を奪うような足運びや、化かし合いのような話術なんて、山育ちのあなたにはかけらも求めていないわ」
励ましているようで、その実、容赦ないリーズの言に、マナは二の句が継げない。
「そもそも私は仕事は、あなたの装飾品の手配なのよ。ようやくやって来たメインの仕事を取ろうとしないでちょうだい」
口を閉ざしたマナに、リーズはひらりと手をふった。
「では、私も支度をしてまいります。くれぐれもおとなしく座って待っていて。次に窓から逃げ出そうとしたら私もそれなりの考えがありますから」
耳の痛い念押しをされて、マナは鏡台の前に座ったまま、肩をすくめた。
役目を終えてマナの部屋を出たリーズは(また居る……)と半眼になった。
廊下の先、所在なさげに壁に背を預けるユアンに、リーズがずんずんと近づいていく。
「まあ、ユアンさま。御機嫌よう。失礼ですが、夜会の前に何をされて居るの。挨拶や指示がおありでしょうに」
膝を折り礼をしつつも、棘のある声色は隠さない。そんなリーズに、ユアンは「ただの通りがかりだ」と目をそらし、鼻を鳴らした。
(なんて可愛げのない!)とリーズも鼻を鳴らし返す。
ユアンはすでに黒の正装だ。あちこちに金や銀のカフスが飾られ、彼の育ちきってない体躯をガチガチに固めている。剣や槍を振り回すことを好む彼に、その服は随分と重そうだった。普段無造作に流している赤毛は撫で付けられ、珍しく額を出している。
「まさかユアンさま、彼女のエスコート役でもされるおつもりですか」
「は? まさか。それはないだろう」
リーズの嫌味に、ユアンは虚を突かれ目を丸くした。随分と素直な反応である。
リーズはその顔に、ささくれた気持ちが少しばかり凪いだ。
身分に合わない彼の粗暴さ、素直さ。幼い頃から彼を見知ったリーズに、それは憎らしくも愛おしくも映るのだ。
「エスコートの相手なんて自分で決められるわけがないし、そもそもいまの俺がパートナーなんて連れて行けるか。夜会は確実にひっくり返るし、大臣とカーディスが泡食って倒れるぞ」
「ーーひっくり返すつもりのお方が何をおっしゃるの」
リーズは、癖で手を自身の口元にやる。扇子を持っていないことに気づくが、そのまま指で口元を隠し、目をすがめた。存外低い声色は、彼女の愛らしい容姿に浮く。
ユアンの反駁がないので、リーズが詰めるように言葉を重ねた。
「あの髪、あの瞳。今まで言われた通りに側に付いていましたが、陛下は彼女をどうされるおつもりなのですか? 彼女の兄を留めて、城に縫い付けて。露骨に使用人の目に触れさせて。今や城内で彼女の噂が囁かれない日などありません。さらには夜会に出すなんて、完全にお披露目ではありませんか。彼女の王族入りが正式に決まったのですか?」
「へえ」とユアンが軽い感嘆を漏らした。
「随分あれと仲良くなったみたいじゃないか。結構なことだ」
ユアンの突然冷めた声に、鼻を挫かれる心地がして、リーズは小さく息を飲んだ。彼の声の冷たさでヒヤリと背筋を撫でられたようだ。彼女は思わず背筋を伸ばす。
ユアンはリーズの様子に露とも気にせず、そのまま冷めた声で続けた。
「リーズ、夜会でも彼女の側につくように。あいつはただ立っていればいい。万が一寄ってくる者がいれば、お前が捌け。
ーー陛下の御心か、俺の思惑か。それはお前にとって肝要なのか?」
ユアンは壁に預けていた背を正し、まっすぐにリーズに問うた。
一切の表情をなくした彼は、リーズにとって従兄弟といえど、年下といえど、馴染みであれどーー真に直系であった。
リーズは伸ばした背筋のまま、首と膝だけを曲げ、ゆっくりと額づく。
「いいえ」リーズははっきりと言い切る。
彼女もまた幼少の頃から今の今まで、真に傍系である。
「いいえ、ユアン第二王子。御心のままに。拝命いたします」
「引き止めて悪かった。リーズも準備があるだろう。すまなかった」
ユアンの謝罪に、リーズはゆっくりと面を上げた。
「まったくですわ。女性の身支度を邪魔するなんて、いくらユアンさまでも、私、呆れてしまいます」
「いや、そもそも声をかけて来たのはリーズだろう。誤解を招くような言い方をするなよ!」
からかいに頰を赤らめるユアンに、先ほどの冷たさはすっかり消え失せている。リーズの謹厚もまるでなかったかのように、からからと笑う顔は年相応だ。
直系の身分であれど、傍系の身分であれどーー二人は幼い頃から共に育った馴染みであった。