予感
マナのいた世界、暮らしていた国は王制ではなかった。
例えば物語の中、例えば遠く行ったこともない西の国ーーそんな縁遠い位置に王や姫はいた。つまりマナに王制のどれそれに関する知識は皆無に等しい。
ただそれにしても、王族の人間が目の前にいることに違和感を覚えるほどには常識があるつもりだ。
マナは今までユアン王子、そして陛下と呼ばれる女性と口をきいている。そしていま向かいに腰掛けているリーズまで……。
マナの常識が、今いるこの世界の常識とは別だと言われればそれまでで、口を閉ざすしかなくなるが。
「どうしてリーズさまが、私なんかのお世話をするんですか? その、リーズさまは、お、王族ってことですよね?」
マナは正直に疑問をぶつける。慣れない言葉に舌が絡まった。
現在、マナは身支度を終え、首元の詰まったワンピースを着ている。以前、大聖堂に着ていったドレスに似た形の、裾の長いものだ。
ただ以前の修道女かくやというドレスとは違い、空色と裾のフリルが明るく華やかだ。
これでもリーズのエプロンドレスのよりは地味なのだから、彼女の服は本当に作業着としての機能を持っているのか大変疑問だ。
髪はこの部屋で隠す必要はないリーズに言われ、そのまま下ろされている。
リーズは細い指を自身の唇に当てた。
指はすぐに唇をはなれ、ベルを鳴らす。するとワゴンを引いた侍女が一礼し入室してきた。ワゴンの上に茶器が用意されている。軽食は銀色の器に入れられたパンとフルーツだ。小さなポットには甘いクリームが詰まっている。
「それは私が傍系だからですわ」
リーズが茶葉を蒸らす侍女の手つきを眺めながら応えた。ワゴンに手を伸ばし小さな砂時計をひっくり返す。
「傍系?」
「そう。現女王陛下の御子、ユリウスさまとユアンさまが直系。私は陛下の血も持っていないし、なによりこの髪と瞳の色は黒には程遠いでしょう」
「でも、身分が高いことには変わりないのでしょう? あの、お姫様は普通、私みたいな平民のお世話なんてしないんじゃ……」
「お姫様ね」
リーズはふんと鼻を鳴らした。
まろやかな頰と小さい鼻にそぐわないその所作に、マナは目を丸くした。
「お姫様かどうかは置いておいて。傍系はね、直系に仕えるもなの」
さらさらと砂が落ちるのを待って、侍女はカップにお茶を注ぐ。香りづけされたそれは、湯気を揺らしながら強い花の香りで辺りを包む。
「多くは神殿の魔道士や神官、騎士、官職。他にも宮廷楽師、直系御子の教育係や侍女長候補ーー。王宮や王都で働き、直系王族に仕えるの。例え血の近しい兄弟であろうとも、傍系はあくまでも直系の直属の部下となる。それがミスリー王家のしきたりよ」
もちろん他の王宮貴族とは明確に身分が分けられているけれど、とリーズは言い終え、じっと侍女を見やった。
侍女はリーズの視線に頷き、一つのカップに注いだ茶を立ったまま一口含んだ。そして残りの茶をボウルに捨てる。さらにそのカップを茶巾で拭き取り、ようやくマナとリーズの茶の準備が整う。
リーズは確認の後視線を外すと、マナににっこりと微笑んだ。
「私がマナさまのお世話役として付いてるのも、ただそれだけよ。仕事を与えられたのはこれが初めてだから、身分のない客人の相手から。けれど、ユアンさまの客人ならば傍系が尽くす理由は十二分よ。お分かりになって?」
リーズがテーブルに肘をついて、頰を両手で支える。あまり行儀がいいと言えないその仕草が、不思議と彼女には似合っていた。
(ーー本当に?)
なぜだか、ポツンとインクを垂らしたような違和感が、マナの胸をかすめた。