お姫様の告白
「脱いでください」
マナは聞き間違いかと首を傾げた。その様子にぴくりとリーズの眉が痙攣する。
図書館から王宮の廊下にいたるまでの、誰に向けたとも知れないリーズの笑顔は、マナの部屋に入るなり抜け落ちた。やはり目が据わっていると思ったのは勘違いではなかったようだ。
「ぬ・い・で・く・だ・さ・い」
有無を言わさぬリーズの眼光に、マナは冷や汗をかく。これはバーレンの母、リタの雷よりも恐ろしい声色だ。ふわふわの髪が逆立って見えるのは果たして気のせいだろうか。
「あ、あの……ぬ、脱ぎます。脱ぎますから、その、部屋を出て……」
「はあ?」
マナは早急にシャツを脱ぎ捨てた。
スカートも思い切って脱ぐ。
「ストールも外してください。マナ様の髪色については既に存じてますわ」とのリーズの言に、マナは頭を覆うストールも外す。スリップドレス一枚になったマナは、心許なさに腕をさすった。
前にいた世界でも人前で着替えることはあったが、今のこの状況はそれとは違う。自分が薄布一枚でいるというのに眼前のリーズは変わらず華やかなエプロンドレス姿で、居心地が悪いことこの上ない。それに加えて視線を感じるのだ。不躾とも言えるほど、リーズの薄紫の瞳がマナに視線を滑らせている。
露わになった黒い髪を見ても反応は何一つしなかったが。
「あ、あの一体何を」
「何って、身支度ですわ」
部屋の脇に運ばれていたワゴンからタオルを一枚取り、「失礼します」と一声。マナの手を取り、タオルを彼女の腕に滑らせた。
冷たく濡れたタオルに肌が粟立つ。しかし最初の冷たさになれると、存外心地よかった。ただ拭うだけかと思いきや、リーズは関節や脇の下をぐいぐいと押していく。まるでマッサージだ。
脱げと言われた時は何事かと泡を食ったが、マナはとろりと眦を下げた。が、
「待ってください! 待ってください! 前は自分で拭きますから!!! 背中と腕だけで許してください〜〜!」
「暴れないでくださいまし! さっきからどうしたんですか?」
「こっちのセリフです!!」
「朝のご準備くらい普通にさせてくださいよ!」
「平民は!! 自分でするのが普通なんですよ!!!!」
結局は二人とも肩で息するほどの事態となり、根負けしたリーズはぽいとタオルを投げた。世話役にあるまじき行為だが、マナはほっと安堵した。
◇
体を清め、新しいスリップドレスに着替えた後は、鏡台前で髪の手入れとなった。四角の木枠にはめられた鏡は、ここに来てから毎朝マナがお世話になっているものだ。
いつもと違うのは、何も置いていなかった鏡台に大小さまざまな瓶を、リーズが並べていく。
(こうして背後に人がいると、なんだか美容室みたい……)
すでにぐったりとしたマナは完全に体の力を抜いて椅子に身を預けている。
リーズは髪に香油を刷り込みながら、今朝の雨どい事件の説教をする。
「野蛮だ」「危険だ」「そもそもスカートであんなことを」「兄とはいえ男に会いにいく時間ではない」という内容を延々3周ほど繰り返す。マナはうん、うん、とただひたすら頷くしかなかった。あまりにもおざなりな返答に、時々ぐいと髪が引っ張られる。
この段階で、リーズのマナへの態度は明らかに、客人への使用人のものではなくなっている。
マナはマナで、ぷりぷりと柔らかい頰を赤らめて憤然とするリーズに人見知りする暇もなかった。瞳や髪の色を気にする余裕もなくされるがままだ。
香油を塗り終わった髪をブラシですく。胸元を越える長い髪は、リーズの指が差し入れられるたび控えめに揺れた。
「本当に、黒なんですね」
唐突なリーズのつぶやきにハッとした。鏡ごしに彼女を見やる。その眼差しは髪をすくブラシに注がれていて、伏せられている。
「……リーズさまは、この色のこと」
なんと問うていいのか分からず、マナはそこで言葉を切った。だが、リーズはそのまま言葉を継いだ。
「正直疑ってましたわ。何かで染めているのかと。でもこの国でそれは大罪です」
「する理由がないわ」
間髪入れず否定する。リーズはくすくすと笑いだした。
「マナさまのことはだいたいは聞いておりますわ。記憶がなく、今まで北の小さな山で暮らしていたと」
「……」
「でも、ねぇ貴方、もしもこの黒が本物なら、私と血が繋がっているのかもしれない。なんだったらきょうだいの可能性だってあるのよ」
くすぐったそうに笑うリーズの言葉に、マナは堪らず後ろを振り返った。拍子にブラシが髪に引っかかり「いたっ」と呻く。
リーズがまた唇を尖らせて、マナを叱った。
「もうっ、行儀よくしていて! やっぱり前言撤回ね。こんな活きのいいきょうだい、面倒でいらないわ」
ぐいっと手荒に鏡の方へ頭をもどされる。
「でもね。さすがに記憶喪失でも、黒の髪や瞳が王家にしか生まれないのはご存知でしょう? 」
マナは大人しく鏡を見つめて、応えなかった。いつかも聞いた話だ。
心の内では(私は絶対に違う……)と反論するも、記憶喪失と思われているのなら下手は打てない。いつかの森の奥でユアンに詰め寄られたような轍を踏みたくはなかった。
リーズはまたくすくすと肩を揺らしている。ガラス玉のような澄んだ瞳は面白そうだと笑っている。けれど鏡の中で絡む視線は、確実に見定めようとするものだった。
「リーズさまは王族の?」
「ええ。陛下の……いいえ、ユアンさまの従姉妹と言った方が貴方には通じるかしら。あ、これ私がバラしたこと、他の方にはナイショね」
ぱちりとウインクを寄越すリーズに、マナは何も言えなかった。