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鍵のありか  作者: 伊川なつ
王宮編
20/27

二人の姿 2

 あのあと、マナの頭痛はすぐに収まり、何事もなく日を跨いだ。半日もベッドに横になっていただけだったので、マナはいつもより早い時間に目を覚まし、窓の外の闇が、薄群青に明るくなるを見ていた。

 都の朝は、農家のヴァイツ家よりずっと遅く、白み始める空気もどこか気怠げだ。目を覚ますために、外の井戸から出る痛いほど冷たい水で顔を洗っていた生活が懐かしい。


 しばしの間、マナはベッドに腰掛け足をふらふらと動かしていたが、「よしっ」と頰を叩き、奥のクローゼットに手をかけた。夜に冷えた床に怯みつつ、寝着としてもらったワンピースを乱雑に首から引っこ抜く。丘から着てきたシャツとスカート、それから麻の下履きを履いた。

本当はスカートではなくズボンがいいのだが、この部屋にそんな軽装は準備されていなかった。


 髪をブラシでさっと整え終え、ストールに押し込むと、窓を勢いよく開けた。朝の乾いた風が鼻をつんと刺激する。

 窓の下を覗くと裏庭へ続く小道が続いている。端の北の小部屋に案内されたことを初めて感謝した。部屋より高い外壁と山へ続く藪があるだけで、見張りの兵は見当たらない。高さとして二階分ほどだろうか。

 ここから降りるのは二度目だ。どうってことはない。今度は先日のように、騒ぎにならないようにしなければいけない。

こくりと喉を鳴らす。「約束を破ったバーレンがいけないんだから」と呟いて、えいっと窓枠に足をかけた。


(ちょっとバーレンの顔を見に行くだけ。部屋から出るななんて言われてないし……)

心のうちで言い訳を重ねる。久しぶりの彼との邂逅を思い描いて、どきどきと胸を高鳴らせた。




 バーレンはすんと鼻を鳴らした。

 清潔に手が加えられたそこは、埃や黴の臭いはなく、純粋に古い紙の匂いだけが感じられる。この何処か懐かしさを感じる空気は、バーレン一等のお気に入りだった。

バーレンの祖母、エレンの家の香りに少し似ている。彼女の小屋には少ないながらも黄ばんだ古書が並べてあったのだ。

 扉の前に立つ司書にサインを渡す。白のシャツに王宮での身分を示すタイをつけたバーレンは、あっさりと書庫へと足を進める許可を得た。


 何か目的の本があるわけではない。

ただ、なれない王宮勤めは田舎者のバーレンには肩がこる。少し一人になりたいと休憩時間に仕事場を抜け出した。


 ひょっこりと王宮に現れ、軍師見習いとして入隊手続きをしたバーレンだが、身分としては、当然、正式な騎士や軍師ではない。一介の士官学生だ。軍内部とは全く関係ない雑用をさばきながら、時間を塗って講義と訓練をうける。

講義や訓練、雑用業務が苦なわけではない。新たな知識を詰めるのは快感だったし、駒運びの勝率は士官学生の中でもトップだ。周りの学生も、特別親切というほどではないが、気のいい奴らばかりで、現状に不満はない。


 ただ一点、ポツンとインクを垂らしたような違和感が胸の内に滞っている。

バーレンはその違和感を慰めたいと思うたび、ここ王宮図書館に足を運んでいた。


 図書館の閲覧スペースにはひとり、ふたりと人影が見えたが、書庫に人気はない。朝の早い時分に奥を利用する者はいないのだろう。天井まで伸びる本の壁に囲まれて、バーレンはほっといきをついた。

脇に置かれた脚立の半ばに腰掛け、とりあえず手を伸ばした先にある書物を引き出す。読むこともなくただページをめくり目を滑らせる。それだけで心が凪いだ。


 ぺらぺらとめくったページが半分を過ぎたころ、コンコンと窓がなった。鳥か羽虫か、それとも雨でも降り始めたのだろうか。

顔を上げて見ると、窓の向こうでマナが見たことのないほど輝かしい笑みをたたえて、手を振っていた。


ぎょっとして落ちるように脚立を降り、窓に駆け寄る。錆びた窓枠を力強くで開けると、バーレンの荒い手つきを予測したマナが器用に窓枠を避けて、するりと身を室内に滑らせた。


「マナ! 一体どこから出てくるんだ?」

声を荒げないよう努めて、バーレンは問い詰める。マナはそんな彼の気迫に臆することなくご機嫌だ。

「雨どいをつたってきたのよ」

一瞬、呆けてしまったバーレンだが慌てて言い募る。

「なんて危ないことを。怪我はしてない? ああ、こんなに手を冷やして。真っ赤じゃないか。それに雨どいだなんて、誰かに見られてないだろうね? 建物に傷をつけたら怒られるだろう」

「大丈夫よ。見つからないようにしたし、どこも怪我もしてないわ。王宮の建物って丈夫なのね雨どいを伝って飛んでもびくともしなかったの!」

「そもそもここは王立の図書館だよ。マナが住んでいた建物とは別練だろう。どうやってここまで……」

「そういえばいくつか渡り廊下の屋根を渡ったわ」


あっけらかんとするマナに、ついにバーレンは脱力した。こんなに無茶をするような子だったかと首をかしげるが、その顔つきにはどこか見覚えがある。ふと、半年以上前、木登りを教えた時にそういえばこんなきらきらした目をしていたと思い当たって、なおさらバーレンは叱れなくなった。


 バーレンはとっさに掴んでいたマナの手を、ぎゅっと握り直す。赤くなった細い指に少しでも熱を与えられるようにと向かい合っていると、ふいに笑みが漏れた。


 ほんの少し会わなかっただけで、こんなにも懐かしい。ヴァイツの丘、バーレンの小屋の屋根裏部屋で毛布を分け合った頃を思い出す。

 マナにもバーレンの笑いが移ったようで、少しの間、二人は本に囲まれてくすくすと肩を揺らした。

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