亜麻色の侍女
肺までいっぱいに息を吸い込むとかすかに薬草の匂いがした。
「診察は終わりました。マナさま、お目覚めください」
自分の名を呼ぶ声に、ぱちりを目をさます。
見覚えのある天蓋が視界に入り、寝かされていることに気づく。さらりとかけられたシーツは洗いたてのようで、するすると肌に心地よい。固まったように重い肩と頭をあげる。倦怠感はあったが、絞められるような痛みはもう消えていた。
「どこか、体に不都合は?」
「大丈夫、です」
体を起こし、応える。
ベッドの脇に控える女性は、その甘い声の合う年若い、まだ少女いっても許される器量だった。自分より年上だろうかとアタリをつけるが、この世界の人々はだいたいマナよりがっしりとした体つきをしているため正確なところは分からない。
女性はレースのはいったエプロンドレスを着ているが、その下の広がったスカートは、よく見る使用人のものとは違い、何重にも重なって、ずいぶん華やかな色味をしている。添えられたレースや宝石が騒がしくない程度に主張していた。可愛らしいドレスを、まるで無理矢理に作業着に改造したような装いだ。
「あの……。ここ、私の借りてる部屋、ですよね? どうして……」
「大聖堂のことは覚えていて?」
マナは頷いた。
「どこまで覚えていますか? きちんと記憶があるか、確認したいの」
「ええと……」マナは額を押さえた。
「私、大聖堂に、バーレン、えっと兄に会いに……。それで、女の人に付いて部屋にいって、そこで」
「良かった。記憶は大丈夫みたいね」
エプロンドレスの少女がマナの声を遮り、安堵の息をはいた。
「あなた、大聖堂で倒れたんです。でも大丈夫。ずいぶん真っ青になっていたけれど、病気ではないようよ。医師のお墨付き」
「あなたが診てくれたんですか?」
マナの問いに少女は狐につままれたような顔をした。「まさか」ふるふると首を振って否定する。
「わたくしは見ての通り、お世話役ですわ」華やかなエプロンドレスを指でつまみ、見せつけるように広げる。プリーツの細かいそれは大きく広がり、満開の花を思わせた。
「はじめましてお目にかかります。本日よりマナさまのお世話役に与りました。リーズと言います。お世話役は初めてなので慣れないこともあると思いますが、ここ、王宮のことなら任せて。なんでも聞いてください」
綺麗な孤をふっくらと豊かな唇で描き、微笑んでいる。マナが何も言えないままでいてもその表情は一時も崩れることはない。
亜麻色の巻き髪は灯りをうけてつやつやと輝き、薄紫の瞳は邪気なく時折瞬きで隠される。お人形のような子だ、とマナは感心してしまった。
(お姫様に憧れるミリアに会わせてあげたいわ。きっとお姫様ってこういう子を言うのね)
◇
「では、貴方が目を覚ましたことを、医師と他の侍女に伝えてまいりますわ」
リーズはそう言って部屋をあとにする。
リーズはマナの部屋の扉をしめると、廊下に佇むユアンに目を眇めた。
「女性の部屋の目の前で棒立ちだなんて、とんだ王子様ね」
世話役の装いに似合わず辛辣な言葉に、ユアンは鼻を鳴らした。王子に対する口の聞き方ではない、と咎める者はこの場にいない。
「ずいぶん心配みたいだけど、医師がいうには問題ないそうですわ。大きいショックを受けたみたい。医師は貧血だっておっしゃってたわ」
「心配なんてしていない。様子見だ」
条件反射のように素早いユアンの否定。リーズは呆れた。
「様子見だっていうなら顔を見ていけばいいじゃない。なにをこそこそしていらっしゃるの」
「してない」
(……子どもかしら)
むっつりと口を尖らせていたユアンだが、リーズの厳しい目線に降参するのは早かった。
「俺が部屋にいったらまた身投げしかねんぞ」
予想外に物騒な単語にリーズは「はあ?」と素っ頓狂な声を出しかけた。慌てて口に手を添え、崩れた表情を隠す。
さっと廊下の周囲に目をやるが、離れたところに警備の者がいるだけで、通りかかる使用人の影はない。自分の失態はばれなかったようだと、リーズはほっとした。
「なんの話ですの?」
「あの女がこの城に来てから、一度だけ部屋に様子を見に行ったら、窓から飛び出そうとした」
「ユアン様、あなた、何をしましたの」
さっと顔色をかえたリーズにユアンは慌てて言葉を重ねる。
「何も。ただ『お前のお兄様にはまだ会えないようだ』と伝えただけだ。虫も殺さない顔しておいてとんでもない野生児だぞ。あの女」
リーズはユアンの言の不可解さに表情を固めた。
「あの女の世話なんて苦労するだろうが……まあ、リーズなら大丈夫だろう。友人の代わりに頼むと言っておく」
ユアンはさっとマントを翻し、踵をかえした。が、すぐ足をとめ、リーズに笑いかける。
「そういえば、俺は構わないが、メイド長にでも聞かれたら相当絞られるから気をつけろ。言葉遣い、俺にもマナにもぐちゃぐちゃだ」
ユアンが去ったあとも、リーズは少しの間廊下にとどまり、顔を赤らめていた。失態をああも無邪気に指摘されると、頬が火照る。片手を口に添え、表情を隠そうとするが、どうしてかいつものように上手くいかなかった。こういうとき、愛用の扇子が手元にないことが口惜しい。
「お世話役なんて、今日から初めてですもの。すぐに慣れますわ」
小さくこぼした言い訳は存外拗ねた声色だった。これではユアンを馬鹿にできない。リーズはユアンの最後の笑顔を思い返し、一層、頬を染めた。