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鍵のありか  作者: 伊川なつ
王宮編
18/27

発覚

 ふうっと細いため息をつき、袖にあしらわれた小花の刺繍をなぞる。


 バーレンによる突然の転職発言に口を開けているうちに、いつの間にか王宮の北の小部屋に押し込まれ、気づいたら夜が明けた数は片手で足りない。そしてなんとバーレンにはあの日以来、まったく会えていなかった。


 事情を説明して欲しい、話をしたい、と乞うても、一日置きに部屋に届く彼からの便箋は多くを語ってくれなかった。試しに一度、勇気を持って城の廊下に立つ使用人に彼との面会を頼んでみたが、素っ気ない対応をされて終わりだった。


 分かっていることは、バーレンはもうしばらく都へ留まるということ、自分も同じく王宮に寝泊まりを続けるということ。そしてそれに関しては、ヴァイツ家の夫婦の承諾は得てあるということの3点だ。


「私ってもしかしたら少し考えが足りないのかしら……。何もわからないまま毎日ぼうっとして……」


 王宮暮らしの初日こそはどきどきと胸を高鳴らしながら部屋や廊下、使用人を眺めた。

 丘での素朴な暮らしに不満はないが、絨毯や壁に施された模様は目に楽しかったし、準備された部屋はおそらく位の高くないものに用意される客間だったが、それでもバーレンの小屋よりよほど広く寝具は上質だ。

 そして、朝、必ず部屋に運ばれる濡れた果実の欠片と、寝る前のお茶と砂糖菓子はこの世界に来て一番の美味だった。


 だが楽しんだのは最初だけで、3日を過ぎると、家の家畜が気になるし、バーレンに会えない理不尽にマナは足を踏み鳴らしそうになる。

 何故、自分とバーレンがここにいるのかが分からない。

それが最も不安で、バーレンが会いに来て、一言「これこれこういう事情で王宮に留まらなければいけないから側にいて欲しい」とさえ言えば、マナは何も考えずに頷くのに。


 一度だけ、どうしてか、王子さまであるはずのユアンがマナの元に顔を見せ、一つの小言だけで去ったことがある。その際、王宮の北の隅は騒然とし、彼の態度に尚更マナは足を鳴らすばかりだった。





 この数日を恨めしく思いながらも、ようやくマナは袖をいじるのをやめ、眼前の王宮大聖堂へ歩を進めた。マナの動きに、門番がようやくか、と門を開く。


 軽く頭を下げつつ中に入ると、中は広大なホールになっていた。

大聖堂というからには神事を執り行う場である。

そのためか、外装の豪奢さに反して中は随分色気のないものだった。絨毯もなく磨かれた石の床は硬い。進むとかつかつと音がなり、空っぽの屋内に響いた。ホールの奥には螺旋階段が続いている。明かりは灯されておらず、小さな窓からの薄い光が線のようにいくつも伸びて照らしている。


(便箋には、ここに来て欲しいと……バーレンに会えるはずなのに)


人の気配がない。

そう思っていたから「お待ちしておりました」と声をかけられた時は「ひぃっ」と随分な悲鳴を上げてしまった。

声の方を見ると、マナと同じく黒の装いをした女性が一人、こちらを向いていた。


 彼女の装いは色こそは同じだが、ふんわりと何重にも重ねられたプリーツが華やかで、大輪の黒薔薇のようなドレスだ。

ベールも黒のレース。それは腰までの長さがあり、完全に顔が隠されている。

黒一色だが修道服にはまるで見えない華やかさ。マナは同じ色のドレスなだけに、異様なほど自分の服がみすぼらしく感じられた。


 顔が見れないため、どんな人物かは分からない。ただかけられた声の質から女性であることと自分より随分年上なことは分かった。リタと同じくらいの歳か、もっと上だろうと、マナはあたりをつける。

それからおそらく身分は高い。声をかけられるまで全く気づかなかったが、女性だけではく4人の兵がその脇についている。


「驚かせてしまってごめんなさいね。あなたが、マナ・ヴァイツね」

「は、はい。私、ここに呼ばれて……」

頭を垂れ、応える。

見知らぬ女性、しかもやんごとない身分かもしれないものだ。とっさに礼は守ったが、驚きで声がか細くなってしまった。


「知っています。バーレン・ヴァイツのことでしょう」

「そうです。あの、彼はここにいますか?」

「面をあげなさい」

女性はそれだけ述べると、兵を率いて奥の扉を開けた。兵の一人に言われるまま、マナもその後に続く。


 長い廊下の先の一室に、マナは通された。長い廊下に対して部屋はひどく狭い。

ぽつんと中心に、布がかけられた台座が据えられている以外には物がなく、生活感皆無の場だ。床と壁の白が眩しい。

台座の周りには貴族だろうか、正装した人が七人、ぐるりと円を描くように立っている。それだけで部屋は満員だ。


 一つ頭が低いと思ったらユアンが無表情で背筋を伸ばしていた。見知った顔をようやく見つけて、マナははっとそちらを見やる。街中ではないためか、グラスはかけていない。あらわになった黒曜の瞳は、しかし伏せられており、二人の視線が交わることはない。

他の六人はずっと黒の女性とマナの二人を注視しているというのに。


「始めましょうか」

黒の女性がはっきりと告げる。ぴりりと周囲に緊張がはしった。

黒の女性の脇に控えていた兵士たちが膝をつき、礼をして順に部屋から出て行く。

何が始まるのかと、マナは無意味に首を左右に揺らして周囲を見るが、誰一人マナに気遣うものはない。


「陛下、私めに近づくお許しを」

ユアンがやおら一歩前に進んだ。

(へいか……?)

マナは見たことのない畏まったユアンの様子にぽかんと口を開けた。

(ユアンは王子さまなのよね。あんなに偉そうだったのに、慇懃無礼。子どものくせに。変な感じ……)

思案するマナを放って、話はすすむ。


「ユアンは幼いのでは。適任ではありません」

うち一人、白の衣をまとった年若い男が渋面を見せる。しかし黒の女性は少しの間をおいて、首を横にふった。

「成人の、祝いとしましょう。ユアン、触れることを許します」

「ありがたき幸せ。深い御心、感謝いたします」


 ユアンがさらに台座に近づく。数歩、歩いただけなのに、見とれるほどの所作だった。

ユアンは台座に被せられた布をばさりと一気に引く。手早く大きなその布を畳み小脇に抱え、一例ののち、また下がって円の列へ戻った。彼は礼をするようにうつむき、やはりその表情は、マナから伺えない。

「ああ……」

感嘆のため息がさざめく。

ユアンをじっと見ていたマナは、我に返り、周囲と同じように台座に注目した。


 台座には小さな石がぽつんと置かれていた。周囲の仰々しさに王冠でも飾っていたのかと思っていたマナは、呆気にとられて瞬きをする。

その石がたとえば宝石のように煌めいていたり、原石のように隠れた色味が感じられていたらまだ納得がいった。

しかしその石は小さく、不格好で筋がある。何よりも墨をぶちまけたかのように黒く、光沢もない。石というより、小さな炭のかけらだ。

いっそ今までの儀式めいた人々とユアンの様子に、笑いが漏れそうだ。


 そんなマナとは対照的に、黒の女性は重々しくマナを呼んだ。一瞬怯んだが、女性はマナが台座に近づくよう告げ、じっと待っている。周囲も期待の目で囲んでいる。


 マナはわけの分からぬまま、ゆっくりと台座に近づいた。


(やっぱり、ただの黒い石ころだわ。綺麗でもなんでもない。こんな台座に飾られるなんて、実はとても高価なのかしら……)


間近で見ても、とてもマナにその価値は計れない。黒の女性はマナのそんな様子に気づいたのだろう。

「それは魔導石です」と告げる。

「まどうせき?」

「そう……もっと近づいてみよ。じっと見て……そう」


(まどうせき……まどう、あ、魔導。魔法のこと?)

ふと、森の小屋ーーユアンの別荘を思い出す。(「……魔法は使えるか?」)なんて問われとき、マナはびっくりしてしまったのだ。


 ざわりと周囲の者が揺れた。ぼそぼそと低い声でしきりに左右の者に耳打ちをしている。


(「……そうね、じゃあ願うわ―――」)


 いつか聞いた言葉が、ふと脳に飛び込んできた。どこで聞いた、誰の声だっただろうか。不思議に思っていると、マナの視界が急にぼやけた。


 じわりと目の前が青白くなり、驚きに肩を震わせる。


「まさか! 本当に!?」

ごう、一人が吠えた。ユアンに非を唱えた年若い男の声だ。

それに続くように皆が吠える。

「そんな、これは」「本物か!」「では、血は……黒は」

この場にいる全員が、ただただ動揺していた。


 ひっとマナは喉を鳴らした。視界はもはや全て滲んでいる。周りの大きな動揺も彼女の心を波立たせる。ぶるぶると身が震える。

それなのに全く魔導石から目を離すことができない。


(ーー怖い! 何が起きてるの……!)


心の中で叫ぶと、急に視界が晴れた。しかしまた徐々に白む。

先ほどよりもマシになった隙にと、周囲を見渡す。ーーふわりと、光が、飛んだ。

ぱちぱちと瞬きをする。また、光が飛びーー否、落ちた。音もなくほろほろと。


(これ、私の、眼から溢れてる……!)


 そう自覚すると、今度は随分昔のことがフラッシュバックした。


 広い山道。荒い砂利と岩だらけで膝に血が滲む。一人で見知らぬ場所に、蹲る。ふと眼の前に金髪の青年がじりじりと近づく。青年が口を開くと、聞いたことのない言葉ーー。

 これはいつの記憶だったか。


 ぱちぱちと止まることなく瞬きを繰り返す。そうしなければ光の涙に溺れてしまいそうだった。


ーーユアンの別荘、街歩きの旅芸人、それからもっと昔、この世界に来た時の記憶ーー。


 無秩序に思い出せれる記憶の渦に、頭が痛む。ぎりぎりと締め付けられるようで、我慢ならず、マナはとっさに髪を覆い隠していたショールをばさりと殴り捨てる。

髪をまとめていたピンも弾かれて、彼女の黒髪がばさりと大きく波打った。


 同時に青白い光が部屋全体に飛ぶ。

瞳だけでなく、髪からも泉のように淡い光が溢れた。

たまらずマナは膝を折る。


(怖い。なに、これ。なんで、頭痛い! 助けて。こわいよぉ……!)

「だれか……」

マナはようやく助けを求める声を落としたが、掠れていて自分の耳にも届かない。


(「落ち着け。念じろ。――『バーレンのもとに戻る』と」)

一音一音区切るような、強い声。これもフラッシュバックだ。この声はーー。


「たすけて」

また、声を落とす。必死にくずおれながらも顔を上げる。

ぱちりと、ようやくユアンとマナの目があった。この場にいる、唯一二人だけの黒の瞳。

(ユアン、やっと、こっち見た……)


(「念じろ。――『バーレンのもとに戻る』と」)

また、彼の力強い声が思い出された。


「たすけて、助けて!! バーレン!!」


マナは全霊で、叫び、願った。

ずっともう何日も呼びたかった名を。応えて欲しかった名を。


 ガンッと背後の扉が殴られ、きしむ。

黒の女が、そして周囲の七人がはっと扉に目を向けた。兵士の荒い声に混じって、愛おしい声が聞こえる。


「マナ!!!!」


壊すように扉を蹴り開け、抑えようとする兵士と門番を振り切って、その場にへたり込むマナの腕を掴み寄せる。

ぐいと荒く抱き込まれ、一瞬、息が詰まった。「マナ、マナ」と名を呼ばれる。


「何があったんだ! マナ!」

焦って揺れる瞳が、バーレンの碧眼が、目の前にあるのを確認して、ほぅとマナは笑う。


ほろほろと瞳と髪から溢れる光が弱まり、消えた。

 そしてマナは、そのままかくりと気を失った。

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