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鍵のありか  作者: 伊川なつ
街歩き篇
16/27

街歩きの終わり2

 旅芸人は黒いマントですっぽりと体を覆っていた。楽を奏でていた時の、何層ものヴェールや細かい装飾のカフスがもあしらわれた男装姿は、今はすっかり隠されている。

体のラインを見せないその黒は、先ほどと同等かそれ以上に彼女の性を覆っていた。

観客がいない今、先ほどよりもしっかりその姿をとらえられる。

顔の際に描かれた墨の文様のせいか、ずいぶん切れ長にみえる瞳が特徴的だ。髪と同じはしばみ色のそれはきらきらと輝いており、彼女の若さを示している。


――濡れた瞳。


 その一言にマナは震えた。

どうしてかユアンの顔が脳裏をよぎる。やはりグラスもなしに街を歩くのは愚行なのかと背に冷や汗が流れた。


 ぴりりと空気が冷えたように感じていたが、カーディスがいやに明るく口を開いた。


「先ほどの歌と同じくずいぶん情熱的な口説きですが、連れの男の前でそう堂々とするのは感心しませんねぇ。刺されますよ?」

マナがそっと顔色を見上げると、彼は緩く唇を綻ばせていた。声と表情で、さきほどの剣呑な瞳の光を完全に隠している。


その様子にマナは感心の息をはいた。彼女には到底できない芸当で、事実、マナの両の拳はぎゅうと力が入りっぱなしであった。俯き、自身の瞳を旅芸人から隠す。


 カーディスに手を引かれた今、三人が立っている場は大通りを一本外れている。視界は裏路地のうすら汚れた凹凸の激しい石畳と、ずいぶんちっぽけに見える自分の足のみ。

そのぶん耳をすませ、カーディスと旅芸人の動向を伺う。街の喧騒はずいぶん遠く切り離されていた。


旅芸人の女はそっと指を自身の唇に乗せた。芸事の最中ではないからか、ずいぶん女性的な仕草だ。切れ長の瞳がすっと細くなり、笑っているようにも睨んでいるようにもみえる。


「歳がずいぶん離れているから恋人には見えませんでした。てっきり親類かと」

「どちらにせよ、口説くには不謹慎だ」

カーディスの言はもっともである。


彼女もそう感じたようで、くつりと喉で笑い、「失礼しました」と頭をさげた。


「探している人にあまりにそっくりだったので、声をかけたんです。そう怖い顔しないでくださいな」

「探してる人?」マナはつい声を上げてしまった。

旅芸人の彼女がカーディスから視線を外す。

「ええ、心当たりが?」ぐわりと目を見開き、彼女はマナを見つめた。俯き隠れた顔を、どうにか見んとする。


その姿こそマナの視界には入っていないが、詰問する声は先ほどと段違いに速ったもので、マナは迂闊すぎる自分の唇を押さえた。

僅かに震える柔らかなそれを、隠すように「いえ……」と言葉を続ける。


「先ほどの、歌のことかと。あ、で、でも私は人違い、です」

張り付くような喉を必死に鳴らして、言い切った。


「私、アリカじゃありませんもの」


きっぱりとしたマナの拒絶に、旅芸人はふうむと唸る。

納得したとは到底思えない彼女の表情に、カーディスは目をすがめた。


 旅芸人の「濡れた瞳」がただの口説き文句かどうかははっきりさせなければ、この場は離れがたい。そもそも人探しをしているとの言に、カーディスは疑問を持っている。

マナは知らぬようだが、旅芸人が歌っていた「アリカを求める曲」はそれこそ何世紀も前から伝わる古典だ。彼女の作詞作曲ならまだしも、本当にアリカを探しているとは思えない。


「誰を探しているのですか? 彼女はついさっき都に来たばかりですから人違いかと。私でお手伝いできることがあれば言ってみてください」

カーディスが随分と丁寧な声色で手を差し伸べる。旅芸人とは距離があるので触れることはない。しかし彼女が手を伸ばすのならば、もっと詳しい事情を吐かせる算段を考していた。

カーディスの薄っぺらい優しさに、旅芸人はにいと唇を弧にする。


「お手伝い……そうね、

じゃあ願うわ――――」


言葉の最後はカーディスの耳には届かなかった。旅芸人は唇を囁くように動かしている。


 カーディスの傍らで俯いていたマナがぱっと顔を上げた。

今までの怯えが嘘のように、マナは旅芸人と、見つめ合う。


「お嬢様……?」

カーディスが伺うが、マナは彼に反応しない。じいと石のように固まっている。

何かがおかしいと、カーディスはマナの肩に触れようとしたがそれは叶わなかった。彼の体が、まるで眠っているように言うことを聞かない。


 一瞬たりとも閉じられることのないマナの黒の瞳に、カーディスの脳内には警鐘が鳴り響く。


「――アリカ」

旅芸人がその名を呟いたとき、マナの指がぴくりと震えた。それ以上の動きは、三者誰にも見られない。


 突如、甲高い少年の声がその場を割った。

マナの肩が背後から手荒に鷲掴まれる。反動でマナの体は大きく揺れ、たたら踏んだ。


「ひゃあ! な、何」

ぱちりとマナの瞳の焦点が定まる。


その瞳は背後の少年の片手で遮られた。

マナとそう背丈の違わない彼は、背後からマナの視界を片手で遮るそのままの姿勢で、彼女の耳に囁いた。

触れるほどの距離をつめた少年の声は、昨日知ったばかりの覚えのある声だ。


「何も考えるな、とにかく集中」

「え、何?」

知った声に警戒は解くが、頭が回らない。ユアンの言葉の意味がつかめず、マナは泡を食う。


「落ち着け。念じろ。――『バーレンのもとに戻る』と」


ユアンは一音一音区切るように、マナの耳に囁いた。

彼の人の名前一つで、マナの混乱の波が引いた。


『バーレンのもとに戻る』? 

そんなこと、とマナは小さく笑った。

そんなこと念じずとも。もう、あの山道で出会ってから、ずうっと。


ずうっとマナは願っている。


 マナの瞳に淡い光が灯った。


光の雫をユアンは零さぬようにと掌で覆いつづける。彼の指の隙間から溢れるそれに、ユアンと旅芸人は驚愕し、目を見開いた。

カーディスだけが光に気付くことなく、ユアンの不可解な言動を見つめている。




「……また、会いましょう。私のアリカ」

 ややあって、マナの光に目を細めていた旅芸人が、一礼し、くるりと背をむけた。

さっとマントをたなびかせ角を曲がる。


すっかりその気配がなくなった時には、ユアンの指から溢れる光の雫は止んでいた。

そっとユアンの手が、下げられる。


彼はマナの正面に回り込んでその顔を覗き込んだ。突然、顔をつめられて、マナはぎょっと顔を引く。驚いた自身の顔が、ユアンのグラスの緑に映っていた。


「な、なんですか。なんでユアンお、ユアン様がここに」

街中であるのに、うっかり王子と呼びそうになり、しどろもそろにマナは唇を動かす。


その表情は先日と同じ、情けない女のそれで、ユアンはほっと息をついた。

「マナ、お前、やはり……」

不自然に言葉を切ったユアン。

そのさき、どう言葉を続けるかと熟考する彼に、マナは眉をひそめ「何ですか」とか細く問うた。ユアンはそれには答えず、深いため息をつく。


「あとで話そう。――カーディス。戻るぞ」

ユアンがぴっと大通りの方を指差す。


「御意。私もじっくり時間をとってユアン様にお話があります」

カーディスが恭しく左手を自身の胸に手を当てたのを見て、ユアンは、げぇっととんでもないうめき声をあげた。

「説教か」

「お心あたりがあるようですね。では、参りましょうか」

「……さっさと行くぞ」

ぐいとユアンに背を押され、マナははっとした。


「え、あの、結局さっきの人は? それにどこに行かれるのです?」

「王宮だ」

「……え? どうして?」




 街の中心から外れた、山へとつづく遊歩道。その道から少し外れた人気のない林のなか、一等高い木の幹に、旅芸人の女は寄りかかった。長いため息を吐く。

そこに、小柄な老人か滑るように近づいた。ローブで覆い隠した彼の体躯は、すっかり腰が曲がっており、つるりと磨かれた木の杖が彼を支えている。しかしその皺だらけの皮膚のなかに鍛えられた筋肉が隠れていること、杖が彼の体を支えるためのものではないことを、彼女だけは知っていた。


「お帰りなさいませ、シェリー」

「ただいま、導師さま」

旅芸人はへにゃりと崩れるようにわらった。彼女の目には涙の粒が溢れんばかりに浮かんでいる。


皺によって細くなった老人の瞳。その僅かにもれる眼光に、旅芸人は頷いた。


「連れて、これなかったの。邪魔がはいって。ごめんなさい、折角……」

すんと鼻をならす彼女に、老人は「良い」と言い切った。


「十分じゃ。アリカ様がこちらにいることが分かっただけでも」

噛み締めるようにそう頷く老人に、シェリーは同意して、ぐいと瞳の涙を指で払った。


「やっと、みつけた。アリカ、私のアリカ。絶対に、助けてみせるから」


待ってて、と空を睨むように見つめるシェリー。


老人は、草の生い茂る地面にザンッと杖を突きたて、片膝をついた。シェリーに頭を垂れ「この命に替えましても」と呻く。

シェリーは頷いた。

「私も、この命に替えても」

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