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鍵のありか  作者: 伊川なつ
街歩き篇
12/27

黒の意味、もう一つ

 王家の黒。


 ユアンの口からこぼれたその言葉。マナは呆としてユアンの瞳を見つめていたが、次の瞬間、慌てて首を左右に振った。

「ち、違いますっ」


王家はマナにとって耳に馴染まない現実味のない響きだ。そのためユアンの黒の瞳に畏れを抱くことはないにしても、自分からは近付き難い。自身の色を王家のものだと言われても、思うのは困惑だ。


 目の前のユアンから身を引こうとするものの、彼女の一房は未だ彼の指にかかっており動けない。


「マナ、落ち着いて」

「だってバーレン、誤解だわ。確かに私の髪と目は黒いけど、そもそも世界が、生まれが違うもの!」

咄嗟に飛び出したマナの弁解に、ユアンは目を細める。

「どういうことだ」

「え?」

「マナはこの国の、ミスリーの生まれではないのか」

ユアンは少年のものとは思えないほど重く厳しい声色で問いた。


「バーレンの手紙には記憶のない宝石を拾ったとあった。お前が自分の出自を知らない、というのは嘘なのか」

その勢いにマナは身を固くする。




 国ではなく、世界が違う。

話している言葉、人の名前。洋服のつくりも主食となる穀物もマナの出身からはあり得ず。

以前バーレンに見せてもらった世界地図は、見たことのない形に見たことのない地名。


本当のことを言って信じてもらえるとは思えない。ヴァイツ家の住人が特別にお人好しだということをマナは十分に理解していた。


 マナは無意識にそっと、バーレンのそばへ身を寄せる。ユアンの指にかかっていた黒髪はするりと逃げた。

その様子に、ユアンは更に口を開こうとする。

しかしその声は緩やかに遮られた。

「落ち着いてくれ、ユアン」

バーレンがそう言うと、ユアンはきっと彼を睨む。しかしバーレンはそんな友人の目線もどこ吹く風だ。

「本当は分かってるだろ。この国でこんな黒髪黒目が生まれてたら、俺が拾うより前に、王家に拾われてる。そんなにカリカリするなよ」

「ではどこの国の者だ。記憶があるのならすぐに言ってもらう。その色だけでこの国にとっては混乱の種だ。もし他国のものだとしたら……」

「だとしたら?」

ユアンはふと口を噤む。


 バーレンとマナは次の言葉を待つが、それが出てくることはなかった。

はぁ、と小さくため息。ユアンはすっと二人から離れた。ドアノブに手をかけ、

「茶の用意をする」

首を傾げる二人を残して部屋をあとにした。


「おお……王族サマから直々にお茶を淹れていただけるなんてね。さぁすがユアン。変人王子」

ひゅう、と小さく口笛を鳴らすバーレン。そんなどこか楽しげに緩んでいる彼の頬にマナは手を延ばしーーぎゅっとつねった。


「いたた、なに、マナ」

「怒ってるのよ。何よ貴族どころか王族じゃない! バーレンって嘘つきだったのね。今日一日で嫌というほど感じたわ!」


 二人きりになったとたん、ヴァイツの丘にいるように、マナはバーレンに触れた。

その特異さはマナ本人は気づいておらず、

(ああ、この子は本当にこの国を、世界を知らないのか)

とバーレンは改めて感じた。


 王家、なんて響きもマナの前ではなんの感慨も湧かないようだ。

バーレンは平民でありながら、ユアンを友人として扱っている。その自身の特異さは自覚しているつもりだ。

しかしマナの特異さはそれとはまた異なる。恐らくマナはユアンに「ひざまずけ」と言われても首を傾げ、動くことはないのだろう。そう思ってバーレンは小さく苦笑した。




 ことん、と磨かれた艶のあるカップが置かれる。

バーレンはユアンが一口飲んだことを確認してから、自身の前に置かれたカップに口をつけた。マナもそれにならう。

ふわりと若い草の香りのする甘い茶だ。ヴァイツの家で飲む茶よりもずっと香りが強いが、不自然なものではなく、すっと鼻に馴染む暖かいものだった。


ちらりとユアンの視線を感じたマナは「美味しいです」と軽く微笑んだが、何の返答もなくすぐに目をそらされた。

(……なによ、本当、感じの悪い男の子!)

つい苦い表情をしていまい、それを隠そうとマナは再びカップを持ち上げた。


「さて、話を戻そう。まず、マナ、その黒は本物か」

ユアンの問いにマナは頷く。

「まぁ、そうだろうな。髪は染められてもそこまで濃い色は出ない。瞳の色は変えられない」


 マナの世界では真っ黒に染髪することも、レンズで瞳の色を変えることも可能だ。が、ここでそのようなややこしいことを言ってまた変に問い詰められてはかなわない。マナは頷くだけにとどめた。


「次の質問。……魔法は使えるか?」

「……はい?」

答えを返さず、あからさまに怪訝な声をあげてしまったマナに、ユアンは眉をひそめた。


「……先ほどからこの女はずいぶん無礼だな」

「無礼なんてお前は慣れてるだろ」

「ああ。お前のおかげでな」

「それは光栄です。オウジサマ」

おどけて笑うバーレン。


「この女は、」

「マナです」

「……マナは本当に記憶がないのか? 」

「まぁ、この世界の記憶はないな」

からりとそう答えるバーレンにマナは慌てて彼の袖を引いた。


「大丈夫、マナ。こいつなら問題ないよ。信用できる奴だってさんざん言っただろ?」

「う、嘘」

「おい、それはバーレンを信用してないのか、それとも俺を馬鹿にしているのか」

厳しい声色に、マナは首をすくめ黙った。内心ちらりと舌を出してはいたが。


「マナ、あとでいくらでも文句は聞くよ。殴ったっていい。マナはそんなことするような子じゃないけど。……だからこいつを信用して。マナのことを話させて」

ずるい、とマナはバーレンの言葉に唇をとがらせた。そんな真剣な言葉で、けれど柔らかな笑みを浮かべて。まるでお転婆を叱られた後のミリアを撫でるときのような顔をされては、マナは拒否することはできない。


「いいわ。どうせ、エーデンタークに私を連れていくと言ったときからそのつもりだったんでしょう?」

覚悟を決めて、マナはユアンに向き合った。




 バーレンは、一年以上前にマナを山路で保護したことからこれまでのマナとの生活を話した。

 なぜか言葉は通じ、読み書きが出来たこと。エーデンターク、ミスリー王国といったここに住むものなら誰もが知る地名、国名を知らなかったこと。バーレンが聞いたことのない道具や知識ーー。

バーレンはマナがこの国のものではないのではなく、この世界の者ではないということを簡単にまとめた。

 ユアンは驚くでもなく、静かに耳を傾けている。


「そうか……。マナ、異世界から来た、ということだな」

確認をとるユアンにマナは小さく頷く。


 ふっ、ユアンは朗らか笑みを浮かべた。

苦い顔ばかり見ていたマナは、その年相応な笑顔に慄く。吊り目がちな瞳が細められるだけで、ずいぶん雰囲気が変わった。

「他国の者ではない。本物の黒か……。ところでどうやってこの世界に来たんだ?」

「ええと……」

第一印象が悪かっただけに、笑顔と心なしか弾んでいる声を向けられると、居心地が悪い。

マナはずいぶん昔のことに思える、向こうの世界のことを思い起こす。


「よく分からないんです。……確か、本を読んでて、それで眠くなって……ぼうっとしてたら、いつのまにか、山の中にいて、バーレンが来てくれたんです」

「本?」

バーレンは初耳だったのか、普段より高い声をあげた。

「……魔道書か? やっぱりマナは魔法を使えるのか? それとも巻き込まれたのか……」

「ただの小説ですよ!?」

二人の予想外な反応に驚いたマナは大きな声をあげた。


「普通の、なんてことないフィクション小説です!若い人向けの。さっきから魔法なんて、一体なんの話ですか? そんな非現実的な……」

マナが苦笑いのように唇を歪めていると、バーレンとユアンはともにきょとりと目を見開いた。その様子に、マナは語尾を弱める。


「マナの世界には魔法がないのか?」

バーレンらしかぬ質問。

まるでミリアのようなことを、あの真面目な働き者である、勉強好きのバーレンが言うなんて! マナは唖然とした。


「バーレンは今まで黒の意味を教えてなかったのか」

ユアンはいつのまにやら柔らかい笑顔は消し、生意気な年頃にしては少し行きすぎた渋面を取り戻していた。


「黒の意味って……王家の血を引くって意味でしょう? 私はここの生まれじゃないから違いますけど……」


 ヴァイツの家で、飽きるほど絵本を開いたミリアに言われた。

ーーお姫様は黒の髪と目なの。もちろん王子様もよ。とっても綺麗な黒なの。マナはお姫様?

違うと初めて否定した次の日、マナは一日頬を膨らませたミリアに口を聞いてもらえなかった。

そのあとにバーレンとリタから聞いたのだ。黒が王家を象徴しているのはおとぎ話ではないと。


「それももちろんある」

ひた、とユアンはマナの瞳をみつめた。

 ユアンは向かい合うと必ずマナの瞳を凝視する。マナもまた真っ直ぐにその黒を見かえした。

静かな夜の湖を思わせるその瞳は、長く見つめていたら溺れてしまいそうだ。


「我が国、ミスリーは黒の王家の統べる国。古来より魔法によって統治してきたのが我ら王族。黒の髪と瞳はーー魔法使いの証だ」

若く瑞々しい少年、ユアン王子の唇。それに似つかわしくないほどの重々しい声色。


 ミリアの絵本のお姫様、王子様がたびたび魔法のようなきらきらした力を使っていたことや、悪役の魔法使いがいっさい登場しなかったことも思い出す。


 マナはどう反応すればいいのか分からず、目線を反らすこともできず。ただ困ったように眉を下げていた。彼の黒い瞳は綺麗だと今更ながらに思いつつ。

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