黒の意味
先頭を行くユアンはたまに、マナの隣を歩くバーレンを振り返る。
「相変わらずだな」「鈍ったんじゃないか。今なら俺が勝つ」「体術の授業とあんなのを一緒にするな」といったようなマナの入る余地のない話をぽつぽつとしていた。
マナはそんな二人を見ながらもくもくと足を動かす。
鳥の声と木々のざわめき。それから葉の間からチラチラと漏れる夕暮れの日差し。
それらに包まれた森の奥にあったのは、大きな木造建築だった。凝ったつくりではないが、壁の木の滑らかさやドアの端に彫られた蔦の模様が控えめながら美しい。
門には体格の良い見張りの男がいたが、ユアンが一緒だったからであろう、マナもバーレンも止められるとこはなかった。
マナは、俯いて歩くことで瞳の色を隠す。
見張りの男がドアを開け、三人は中に入って行った。
◇
「何もないところだが遠慮せずくつろいでくれ」
ユアンはすっとソファを示した。バーレンが座ったあとに、マナも続く。
通された部屋は木の壁と床、小振りなテーブルとチェア、ソファ、静物が描かれた絵が2つ掛けられただけの簡素な部屋だった。
ひとの気配が自分たちの他に感じられない家は、ヴァイツの家に住み慣れたマナには冷たく映る。
ソファに座ったマナは俯き、自身の手をきゅっと握った。
正面に座るユアンの視線を受けることを今更ながら恐ろしく感じる。
初めてマナの黒い髪と瞳を見たバーレンは慄いた。リタとマルクスは身を強張らせた。唯一、ミリアは無邪気に黒髪に触れ頬を赤くしたが、それは彼女が幼いからだ。
ユアンは何を思っているのだろう。そんな不安にマナの頭を重くしていた。
「マナ? 大丈夫か?」
バーレンがマナの顔を覗き込む。
その間を割って入るように、ユアンがマナの頬に触れた。俯いていた顔が無理矢理上げられる。
「おい」バーレンがその手を弾く。
「いきなり女性の顔に触れるなんて失礼だろう」
バーレンの呆れを含む声に、ユアンはぱちぱちと目を瞬かせた。
「女性? バーレンは相変わらずだな。まだ子どもじゃないか」
馬鹿にするでもない自然な色のその声に、マナはかぁと頬を紅潮させた。
「失礼だわ!」
思わず声が飛び出す。隣のバーレンが突然のマナの声に驚いた。
「私、子どもじゃありません」
ひた、とユアンの瞳を睨む。先ほどまでの不安はすっかりマナの頭から消えていた。自分よりも背の低い、童顔の少年に子どもと言われたことは屈辱だった。
ユアンは何が面白いのか、喉を鳴らすように笑った。
「変な女だな。バーレン、お前の連れはずいぶん猫かぶりのようだぞ。さすが、ナイフを持つだけある」
ナイフ、という単語にマナはびくりと身を震わせた。
「ユアン」
バーレンが厳しい声でたしなめる。ユアンは「悪い悪い」と薄く笑った。
「女、髪を見せてくれないか」
再びユアンの視線がマナへ行く。マナは険しい顔のまま、ユアンの視線を受ける。
「……嫌か?」
いっこうに動かないマナに、ユアンはまた面白そうに微笑んだ。
「私、女じゃないわ」
「……どこからどうみても女だろう」
「そういう意味じゃありません!」
「分かった、分かった」
ユアンは手をひらりと振った。
「マナ、髪を見せてくれ」
ユアンの真剣な声色。
バーレンとちらりと視線を交わし、ようやくマナは頭を包むストールに手をかけた。
髪がはらはらと肩にこぼれる。まとめてた跡がついていないかと、マナはそっと手櫛で整えた。
望み通り髪を見せたものの、ユアンは何も言わない。マナが訝しげにユアンを見つめ返す。
ようやく口を動かした彼の言葉。
「バーレンの言った通りだな」
驚くことに、震えるような弱々しいものだった。
「王家の黒だ」
彼の黒い瞳は、決して濡れてはいなかったけれど。
王家、という耳慣れない言葉を聞き、マナはここでようやく彼の黒い瞳の意味を思い出すこととなった。