第七話
陽も暮れ始めた頃、二人の男女は噴水が目立つ公園で談笑していた。二人の間にあった微妙な距離感はいつの間にか無くなっている。服屋を始め雑貨屋なども一通り見終わった後は街並みを楽しんでいた。途中、奇抜な格好の旅芸人に出会い不思議な色の造花をもらったりもした。
「こんなに遊んだの初めてです。」
貰った花をくるくる回す指は夕日を受け赤みを帯びている。
「そろそろ帰らないとな。」
腰を上げ、手を差し伸ばす。掴まれた手はあたたかく柔らかかった。彼女の顔が赤く見えたのはけして夕日のせいだけではないだろう。
城を目指す道程はどこか優しげな時間に包まれていた。本気になりそうだ、と思ったが押し殺す。
暫く歩くと道端で、小さな少女が泣いていた。体に似つかわしくない大きな四角い板の様なものを持って。それは麻色の布で包まれている。
「どうしたの?」
しゃがみこみ、優しく尋ねる。
「道に迷ったの。」
少女は顔を上げることなく答えた。
「そう。一人なの?」
エーゼは何気に回りを見渡す。すると通行人の数名が不思議そうな顔をして通り過ぎるのに気付いた。
少女は答える。
「うん。」
「じゃあ、私達が道案内するよ。構わないですか?」
不意に振られ先程まで感じていた違和感は跡形もなく吹き飛ぶ。振り返った顔は切なさそうに見えた。
「構わないよ。時間はあるし。」
それから暫くが大変だった。何処に行くかも少女は分からないと答えたから。
「困ったな。」
「ええ・・・」
慣れてきたのか少女は泣き止み、二人の顔色を伺っている。
「よし。じゃあ背中に乗って。君が見た風景を辿って行こう。ティーナは荷物係ね。」
少女を背負い歩き出す。あっち、こっち、指示されながら。それにしても、このくらいの子供とはこれほど重かったろうか。
途中、何度か立ち止まり時間を取られたりもしたが無事に着いたようだ。
「ここだよ。」
「エーゼさん・・・ここって・・・」
ティーナの絶句。それは建物に理由があった。
『立ち入り禁止』
堅く施錠された鉄柵にそう書かれた看板が取り付けられている。その建物は屋敷と呼ぶに値する趣と威厳を持っていたのであろう。今ではちらほらと傷みを伴いすっかり廃墟となっている。当然、人が住んでいる気配は微塵も感じられない。
「嬢ちゃん。本当にここかい?」
先程背中から降ろした少女に聞いてみた。振り返り、怪訝に思う。
「あれ?」
いないのだ。そこに。
「ティーナ!」
いないことに既に気付いていた彼女は辺りを探していた。首を振り、見あたりませんと、呟く。
「中かな?」
どこか子供が入れる隙間があるのかもしれない。そう思い、柵を乗り越えてみる。
「エ、エーゼさん!?」
慌てて止めるも彼は既に柵の向こうからひらひらと手を振っている。
「不思議ちゃんを探してくるからちょっとまっててね。」
(これは、ちょっと気味悪いな)
陽も沈み、建物の中は暗さを増す。ウィルがいれば光源があるのになと思う。手探りで先に進むとようやく暗さに慣れてきたのかぼんやりと回りが見えてくる。外見より綺麗にされていた。むしろ当時のままかもしれない。それが一層、気味悪さに拍車をかける。無意識に手を腰に回すがその仕草に気付いた時、背筋に冷や汗が流れた。あの剣は、置いてきている。
「お嬢ちゃ〜ん・・・」
特に意味はないがなんとなしにこっそり呼んでみたが返事はない。
(まいったな・・・)
視界の隅で何かが横切る。気のせいかとも思うが放っておくわけにもいかない。近付き見開くと手摺りが見えた。
(階段・・・)
上を見上げるが何も見えない。躊躇いながらも上ってみると足下が頼りない軋みをあげる。上りきるとおそらくそこは子供部屋だった。ちょっと小さめの家具。その上に置かれた古ぼけた人形たち。壁に掛けられた小さな服。ちょうどあの娘くらいの子供が着るサイズだった。そして大人になるのを想定した大きめのベット。既にエーゼは気付いていた。この家の家族達はいないことに。それは確信にかわり切ない思いが胸を締め付ける。それと同時に込みあがる謎。
不意に、激しい頭痛が一瞬、彼を襲う。そして一気に拓ける視界。古ぼけていた家具や人形は生気を取り戻したかのように本来の姿に戻っている。穏やかに吹き込む風さえ現実の様に思える。突然の変化に戸惑っていると扉を開け一人の少女が勢いよく飛び込んできた。少女は彼の姿に気付かず何かに怯えるようにベットの下に逃げ込む。次いで一人の男が入ってきた。何かを言ってるが聞こえない。男は辺りを見渡しベットに視線を止める。真っ直ぐそこへ向かい下を覗き込む。エーゼは思わず止める為に駆け寄ろうとする。
突如、弾ける光。
思わず顔を背けるが辺りは元の古ぼけた暗闇に戻っていた。
「ご遺族の方ですか?」
一人柵の前で待っているティーナに老婆が話しかけてきた。直ぐには理解出来ない問いかけ。話を聞くうちに次第に胸が締め付けられる。
「もう八年になりますか。酷い事件でしたよ。」
ここに住んでいた家族は父親、母親、娘の三人家族。父親は歴史の研究家だった。美しい妻と近所でも人気者の元気な娘を持つ彼は幸せな日々を噛みしめていた。そんなある日だった。この一家に惨劇が訪れたのは。当時、行き場を無くした戦士達が野盗と成り下がって各地を横行していた。その毒牙に、この家族もかけられてしまった。
「当時は誰にでも降りかかる話だったけど流石にあんな幼い子までとなるとね・・・」
老婆は、屋敷を見上げながらそう呟く。その瞳にはあの頃の一家がいまだに見えているのかもしれない。
一頻りの沈黙が流れた後、彼女は軽く頭を下げその場を後にした。
ただただ静かに流れる一人の時間。おそらく、それほどたいした時間は過ぎてはいないのだろうが、胸を締め付ける悲しみが時の流れを止めていた。屋敷から出てくるエーゼを見つけた時は溢れる悲しみが思わずこぼれ落ちそうになった。
「どうした?」
「いえ、大丈夫です。」
気を引き締め、そう答える。
「それより・・・」
言い掛けて、遮られる。
「ああ。俺も『見てきた』から分かる。そっちもなんかあったみたいだな。」
気持ちを酌んでくれる優しさに救われた。言葉にすると悲しみに押しつぶされそうだった。
「犯人はわかった。捜すか?この街にいるみたいだしな。」
光が弾けた後、あの少女があの男の名前を教えてくれた。それは直接、心に語りかけてきた。
(あの男をどうするかは貴方達まかせる。私は私の想いに気付いて貰えただけで満足だから・・・)
消え入る声は最後にそう伝えた。
「見つけても・・・どうすればいいのか・・・」
「まあ、な。でも俺は捜したい。正義とか仇討ちとかじゃなく、な。なにか、胡散臭い事情がありそうなんだ。」
怪訝な顔をしているティーナを余所にいくつか不審な点が気になっていた。この家族が狙われた理由。そして幼い子まで殺めなければいけなかった理由。そしてなにより屋敷の中が荒らされた形跡がまったくなかった。
「・・・わかりました。私も、結果を見届けます。」
犯人に罪を償わせたい。しかし当時の状況を考えると決めかねてしまう。その決断を人に委ねてしまう自分が狡いかもしれない、と思う。
「さて。そうなるとティムの力が必要になるな。あいつらはもう戻っているのかな、と。」
「首尾は?」
「は。滞りなく。」
「あやつさえ居ればこの様な回り道、せずに済んだものを・・・」
薄暗い中、灰色の甲冑を纏った男が不満を洩らす。肘を着き、手の甲で顎を支えて座るその姿は威厳と威圧を放っている。冷たく向けられた瞳に、近衛の者は石の様に堅くなる。
「いっそのことお前達も材料にしようか。」
本気とも取れる言葉。
「卿、御戯れを・・・」
「冗談だ。聞き流せ。」
ゆるりと腰を上げ、窓辺に向かう。鋲が石床を叩く音が妙に虚しく響く。
「さて、今日は何人捕まえられるかな。」
目下に広がる黒い森。その中央には古い塔がそびえ立つ。風に乗って微かに感じる血の匂いと呻き声。
(忌々しい・・・)
男は顔をしかめ、嫌悪感を顕わにし、同時に自嘲する。『アレ』に縋るしかない立場が滑稽に思えたから。落ちぶれた貴族ほど無様なものはない、と思う。安いプライドと抜けない傲慢さ。しかしこの男はそれを理解した上であえて威厳を放つ。再び表舞台に立った時のために。
背を伸ばし、何かを振り払う様に振り返る。漆黒のマントがふわりと広がる。
「今日は俺も向かおう。早馬を用意させろ!」
「今から?」
「うん、そう。なんなら付いていく。」
「それは当然だけど、今から?」
「うん、そう。」
「すみません。ティムさん。宜しくお願いします。」
深く洩れる溜め息にウィルは苦笑いで見ているしかなかった。
ウィルとティムが城に着いた頃には既にエーゼとティーナは帰り着いていた。上機嫌のティムを見て予想を上回る結果が出たのは安易に想像出来た。
「国すら買える程のお金持ちになった気分」
とは、彼の言葉だ。そんな至上の気分に水を差したのがエーゼだった。
「でも、ほら。もう遅いし、こんな時間にいっても迷惑だろうし・・・」
駄々をこねる姿を見てウィルは、ああ、やっぱり子供だな、と感じる。そんな言い訳がエーゼに通じるわけないのに、と。
「行く。」
(こちらも負けない位、子供ですね〜)
微笑ましいと思うのはティムに悪いだろうか。しかし二人を見ていると仲の良い兄弟に見える。
「わかったわかった。盗賊ギルドだね。確か街外れにあった筈だからちょっと遠いよ。でも何で盗賊ギルドさ?」
「人探しは、得意分野だろ?」
「よく知ってるね〜?」
じゃあ自分で行けばいいのにと呟くとティムにはもっともな事を言われた。
「だって仲介人がいないと相手にされないだろ?」
そこは酒場と呼ぶにはあまりにも殺伐としていた。廃れるままにされた外観は僅かな衝撃でさえも耐えられそうになく、立ち寄ろうとする者の意思すら拒んでいる。建物の回りには目印になるような物は一切無く見る位置によっては荒野にすら見えた。ただ幸いと言って良いかは分からないが夜中に訪れたエーゼ達にはそこまで酷くには見えなかったかもしれないが。
「・・・なんかある?」
暗闇で見えないとは言っても雰囲気くらいは伝わる。例えようの無い微妙な不安がそう言わせた。
「これでもこの世界ではかなり由緒正しきギルドだよ。入ったら必要な情報以外口にしないで。」
由緒正しきと言う言葉が合ってるかは分からないが取り敢えずティムの言葉に従う事に決めた。業種の掟などはその世界に携わる者にしか分からないのだから。
酷い軋みがする扉を開くと大人が十人も入れば息苦しくなる広さの部屋がある。隅にカウンターらしいものがある程度であとは何もない。そこではむさ苦しい年輩の男が退屈そうに本を読んでいた。一行を一瞥すると再び視線を本に移しこちらを見る事無く面倒臭そうに呟く。
「ここは子供には用がないよ。」
「人を捜してるんだ。」
ちらりとエーゼを見る。意図を理解し一歩前にでる。
「捜している男の名前は『クロード』。おそらく今は四十後半くらいだ。それと『石弓の右腕』って通り名があるかも。」
「ぷっ。石弓の右腕だって?また随分懐かしい名前だな。」
男は吹き出し手を叩いて笑う。
「知っているのか?」
「なんで『石弓』なんて御大層なあだ名が付いてるか知ってるか?奴は些細な事でも右手を出すくせにトロいからいつも逆にやられちまんうだよ。」
男はエーゼに指を差し嫌らしい笑い顔を見せた。一頻り笑うと本を閉じ、満足したのか話を続ける。
「面白かったから特別に教えてやる。まあ料金は頂くがな。それにしてもなんだってあんな腰抜けを捜すんだ?」
一行をじっと見つめ返事を待つ。その眼光は鋭く、この男がここにいる理由を改めて認識させられる。
「まあいいさ。それが『正解』だ。さて、クロードだが、少々面倒な奴のとこで雇われてる。あんたらには荷が勝ちすぎるかもしれんが、聞くか?」
「ああ、頼む。ある少女と約束したんだん。」