第五話
『消える記憶亭』──
彼女がここへ来て四日目の夜を迎えようとしていた。焦りと苛立ちが心中に渦巻く。抑えきれない気持ちから店主に何度か詰め寄ってみたがのらりくらりとかわされていた。ランプの僅かな灯りの中、落ち着かせる様に聖書を読みふけっていると不意に、扉が叩かれる。聖書を閉じ、溜め息混じりに足を扉へ向けた。何げなしにドアノブを引くと一人の少年がひょっこり顔を出す。
「ダメだよ〜。誰か確認もしないで扉開けちゃ。」
エーゼ一行が『消える記憶亭』に着いた頃にはすでに出来上がった酔っ払いのお陰で仲間同士の会話すら少々困難な状態だった。ティムの引率でカウンターに付く。すぐに店主がやってきてティムに耳打ちすると彼は、適当に食事でもしてて、と言い残しその場を離れていった。
なに食う?と聞かれお任せで、と答え辺りを見回す。様々な人がいるが誰も彼も一癖も二癖もありそうな連中ばかりである。こちらにはさして興味を示さず各自勝手気ままに一時の快楽を楽しんでいる。ふと、店の隅の一角に一際下品な笑い声を上げている一団に目が止まる。運ばれてきたエール酒を飲みながら何気なく見つめていた。
「兄さん止めときな。あの一団は見境ないぜぇ。この町の人間でも、奴らには関わらないようにしてる・・・・」
数種類の骨付き焼き肉の盛り合わせを運んで来た店主がぼそりと忠告する。
「ああ、すまない。面倒は起こさないから安心してくれ。」
「面倒事は構わねぇさ。ただティムが珍しく連れてきた客に何かあったら、な。うちに来る連中の中で心底信用できる稀な奴なんだ。」
店主はにっと笑うとグラスの酒を一気に飲み干し、隣で泥酔している男を片付けに向かった。
「なかなか、いい店じゃないか?」
「そうですか?私は少々落ち着かないですがね。」
ウィルにグラスを向け軽く打ち鳴らす。二人とも好んで酒をあおるタイプではないが場所柄か今はそれを楽しんでいた。
「ほ〜う!あの新顔は挨拶もなしに酒を飲んでるようだな!」
店内が静まり返る。その声は、あの一角から投げつけられたものだった。投げつけた本人は口元は笑っているが鋭い眼差しでこちらを威嚇しているようだ。慌てて店主がなだめに入ろうとするがエーゼがそれを止めさせる。
「文句なら、こっちに来て言ったらどうだ。そんな場所で埃みたいに固まってないで。」
「なんだと!?」
「人の言葉はわからないか。ゴミだから埃みたいに隅で固まってるんだろって言ってんだよ。」
「おいおいおいおい・・・・調子に乗るなよクソ野郎!!!」
テーブルは勢いよく跳ばされ周りの客達は悲鳴を上げ壁際まで逃げ出す。頭に血が上った一団は得物を手に襲いかかってきた。
「これ預かっててくれ。」
エーゼはそう言い残しウィルに剣を託す。
「気合い入れろよ!テメェら!!」
エーゼの恫喝が店内に響く。
「なるほどね〜。あの森の中でね〜。まあその身が無事で良かったよ。むしろよく無事に逃げ出せたね。」
一階でエーゼが乱闘騒ぎを始めた頃、二階ではティムがティーナから今までの経緯を聞き出していた。
「ガヴィー教には、悪意ある存在から一時的に姿を隠せる聖水があるんです。」
「へぇ!便利だね。で、依頼はその書簡の奪還でいいんだよね?なんなら目的地まで護衛も出来そうなんだけど。実はあと二人、仲間がいてね。彼らってば結構腕立つのになんだかふらふら旅してんだよね〜。二人とも真面目っぽいし多分ついでに連れて行ってくれると思うよ〜。」
それを聞いて、ティーナは僅かだが安心していた。正直、こんな子供にあの盗賊達から書簡を奪い返す事が出来るなど思えない。最初に彼を見た時は落胆と憤りしかなかったのだから。それでも、親身に話を聞いてくれる彼を少なからず信じてみる気にはなっていた。
「それは助かります。でももうあまり時間も無いんです。出来れば今すぐにでも向かいたいのですが・・・」
はらりと、垂れた髪を耳にかけならが彼女はぽつりと呟く。
(かなり精神的にまいってるねぇ。あの二人の事だから今すぐにでも行ってくれるだろうけど、さて?どうしようかな?)
暫しの沈黙の後、ティムが口を開きかけたまさにその時、下の階からの異様な騒ぎに気付いた。と、勢いよくドアが開かれる。
「ティム!ちょっと来てくれ!」
最初は、彼が人間相手にどの程度の力を発揮出来るのかを見るだけのつもりでいた。いざとなればあの一団の動きを封じる事は容易いから。周りと彼に多少の被害は出るだろうが、酒のせいかそれでも構わないと本気で思っていた。ところが彼の実力は自分の予想を尽く覆していた。相手は十人程。しかもご丁寧に各々武器持参である。そんな一団に素手で立ち向かった彼に怒りさえ感じたが、終わってみればなんのことはない。彼は素手の方が遙かに動ける。一人また一人と片付けられていく一団が少々哀れに思えた。
「ま、こんなもんだろ。」
どこから持ち出したか分からないロープで最後の一人を縛り上げると、彼の頭をポンポン叩く。
「おっし。吊すか。」
凄く、楽しそうに引っ張っていく彼をウィルが慌てて止めた。
「その辺で許して上げたらどうですか?なんだか彼らが不憫ですよ。」
怒号が行き交っていた店内は一転し歓声が沸き上がる。男達は酒を薦め女達は熱い眼差しを向ける。
「あっとゆーまに英雄になったね〜。」
「まったくです。私達が子供の頃に夢見ていた英雄はあんな感じでしたね・・・ティム?いつの間に戻ったのです?」
「あのリーダーが縛られてる辺りに来ました。マスターがね、仲間が襲われてるってゆーから心配して来てみればこれだもん。」
肩をすくめ困った顔をしてはいるが少なくともその表情に本心から心配していた様子は微塵も感じられなかった。なるほど、と思う。このまだあどけなさを残した彼は人の真価を見抜く目は確かなようだ。自分より付き合いの短い彼がエーゼの実力を知っていた事に僅かばかりの嫉妬を覚える。
(逆に言うと、彼が今までどれだけ苦労してきたかが分かりますね)
「あの・・・」
二階からの問いかけ。
「あ、忘れてた。彼女は依頼人ね。困ってるみたいなんで助けてあげてね。」
「いきなりですか!?」
騒ぎも一段落して店の客達も酔いつぶれたり帰路についたりで取り敢えずはこの店は一日の唯一静かな時間を迎えていた。
「どーせ暇なんでしょ?可憐な女性を助けてあげてよ。」
「わかってます。ただいきなりだったので少しばかり抵抗してみただけですよ。」
「ま、所詮野盗だろ?たいして問題ないさ。」
「そうこなくちゃ。」
「あの・・・」
「もう大丈夫だよ〜。明日には出発するからしっかん寝てていいよ〜。」
「いえ、そうではなく・・・」
「ん?金額?それとも彼らの腕前?腕前なら今見てもらった感じだけど、金額は〜」
「仲介料なら宿代込みで金貨一枚でいいぞ。ついでにおめえらの食事代はいらねぇ。奴らを退治してもらったしな。」
「おっ。気前いいね〜。憂さ晴らしになったから別に払ってもいいんだけどな。」
「ここは好意に甘えましょう。これからの路銀の心配もありますし。」
「そーだね。急ぎみたいだから馬を借りなきゃいけないし。」
「取り敢えずは犯人探しか。面白そうだな。」
「あの!」
勢いよく声を張り上げてみたものの一斉に注目され思わず声をこもらせる。
「あの・・・犯人、そこにいます。」
静まりかえった店内で一人の男を五人の男女が囲んでいる。なんとも妙な風景である。先に口を開いたのはティムだった。
「つまりこの一味に襲われたのね。」
「はい。」
簀巻きにされた男の胸元をまさぐると細長い木箱を取り出す。奇妙な紋章が描かれたそれは不思議な気配を放っていた。ウィルの瞳には木箱を纏う聖なる光が見えているのだろう。溜め息のような感心の声をあげる。
「間違いなさそうですね。」
「この男は取り敢えず警備隊にでも突き出すとして、これはどうするんだ?」
ティムからエーゼへ渡った木箱はそのままティーナへ渡される。渡された木箱を我が子の様に抱きしめて涙を流す彼女に回りの男性達は少々困惑しながら返答を待った。
「護衛を、ライザエルまでの護衛をお願いします。この書簡を一刻も早く届けねばならないのです。」
涙を拭き、立ち上がろうとする彼女にエーゼが手を差し伸ばす。力強く引き上げるその腕にこれまでにない安心感を感じる。
「よろしくな。」
「しかしライザエルは・・・」
店主の言葉をティムが遮る。何かを察したようだが店主以外にその意図を理解する者はいない。
「ライザエルがどうかしたのか?」
「遠いから馬が必要だよって。さっき言ってたじゃない。」
「あ、ああそうだったな。馬はこっちで用意しとくから今夜はもうゆっくり休みな。」
ティムはその場に留まり、他の面々は二階にあがる。エーゼとウィルは相部屋でティーナの正面に部屋を用意された。部屋に入ったティーナは扉に寄りかかり深い溜め息を洩らす。
(やっと、前にすすめる・・・それにしても・・・)
右手を胸元で抱き抱えて彼を思い出す。とても、温かな手だった。力強く、全てを委ねられるような、そんな気にさえさせてくれた。そして気になる事がある。彼の手に掴まった時に聞こえた声。以前に一度だけ聞こえた声。
『彼だ』
確かに、そう聞こえた。意識の中に直接語りかけてくる声。声の主は分かっているしそれが原因で今回の任に着いたのだ。今の教団で『それ』が出来る者は限られていたから。
(また、なにかが始まるのですか・・・?)前回に比べると切迫感は感じられなかったがやはり不安は募る。再び右手を抱きしめる。今はこの安らぎに縋ろう。それしか出来ないのだから。
「それにしても綺麗な方でしたね。」
部屋に入るなりウィルは突然そう言った。
「いきなりだな。でも確かに綺麗だったよな。」
「男二人してなにやら微妙な和みを醸し出してるとこ悪いんだけど、大事な話があるんだよね。」
ちょっと焦る二人が少々面白かったが今はそれを楽しんでいる余裕はなかった。
「なんです?」
「ライザエルなんだけど、実は今大変な事になってるの。で、当面の間、彼女には内緒にしててほしいんだ。」
ティムは簡潔に情報として二人に伝えた。ライザエルがレイダムに侵略戦争をしかけた事。そしてライザー王がルーサー教皇を討ち取った事。
「ありえない!ライザー王とルーサー教皇は公私共に盟友のはず!それがなぜ!?」
「ウィル!静かに。彼女に聞こえる。ティムはどうみる?」
「さあね〜。ただこのタイミングでレイダムからライザエルへ使者が出てるのは気になるね〜。それも一ヶ月以上前から。彼女が遅れたせいで戦争になったとも考えられるけど、多分それは違うと思う。まあ彼女がキーマンなのは間違いないだろうけど。で、当面、当事者であろうティーナには内緒とゆーことで。どうもね、彼女は何かしら理由を知ってるみたいで精神的にかなりまいってるからね。」
美女には優しいね、と茶化すエーゼを余所にウィルは今渡された情報にかなり戸惑っているようだ。戦争を経験した者にあの惨劇は二度と味わいたくない出来事なのだろう。
「でもそんな状況でライザエルに入れるのか?俺達を頼るくらいだ。ティーナも表立っての訪問は避けたいはず。」
「そもそも神聖国に攻め込むなんて危ない国に入る事自体、問題あるけどね。取り敢えず行ってみないと状況がよく分からないから今はなんとも言えないよ。」
上着を脱ぎ、寝る準備を始めながらティムは話の内容ほど困った感じではないようだった。思惑があった。エーゼの技量さえあれば後はどうにでもなる、と。一人、さっさとベットへ潜り込むと残りの二人にも早めに寝るよう促す。少々戸惑いながらも二人はその提案に乗ることにした。それでも、ウィルは暫く寝付けずベットの中で幾度となく寝返りをうつ。胸を押しつけられるような不安と恐怖はここ数年忘れていた。
あの時と今は違う
そう言い聞かせる。今は自分にも力がある。何があっても彼だけは死なせまいと堅く願う。もう、過去と何も出来ずに終わる自分に縛られ苦痛を味わう日々だけには戻りたくない。
やっと眠りにつき三人に一時の安らぎが訪れる。