第三話
「そんな訳でこの森に来たの。とゆーことで、行こうか。」
さっさと立ち上がると少年は背中の麻袋から松明を取りだし目の前の焚き火から火を移した。
「は?いや、私達は先を急ぎますのでって何故私達がお供しなければ?」
当然の返答である。初対面の相手についていく義理も理由もない。とゆうより、危ない。それなのにさっさと焚き火を消して支度を始めた隣の男はなんなのだろう。
「ちょっ、ちょっとエーゼ?まさかついて行くつもりですか?」
慌てて止めようとするが、既に手遅れだった。紅い瞳を爛々とさせ、男は当然のように答える。
「ん?いや、なんか面白そうだし。」
「・・・仕方ありませんね。私だけここに残るのは少々危険なのでついて行きますよ。」
先を急ぐ、とは断る口実だっただけにエーゼが行くのなら仕方のない事だった。渋々支度を終わらせティムの後ろをついていく。松明の灯りだけとなった辺りには森の主達の気配は既に無く、代わりに闇だけが静かに己の恐怖を誇示していた───
エーゼとウィルにティムが加わった頃、その森から五日ばかりいった所にある街の《消える記憶亭》を訪ねた一人の女性がいた。年は二十歳前後だろうか。脛まである白い長袖のローブの胸の中央には太陽と十字架を模して重ねた象徴が施され、頭にはすっぽりとフードを被っている。スラリと伸びた脚にはピッタリとした黒いブーツを履き、長旅の為か土埃と泥が元の艶と色を消していた。彼女が姿を現すと直前までの喧騒は跡形もなく消え去り場違いな風貌に客達は冷ややかな視線を送る。僅かなざわめきと微かな静寂の中をカウンターに近付く女の足音だけがやたらとはっきり耳を打つ。
「・・・お水を下さい。」
店の主は黙ってグラスに水を注ぐと客として来たであろうこの女性の次の言葉を待った。女は水を一息で飲み干すと暫く辺りを気にし、呟く様に口を開いた。
「こちらで、傭兵を雇えるとうかがいやってまいりました。御紹介頂けますか?」
軽やかで透明感のある声に店主は、にっ、と笑うと再び水を注ぐ。それが合図だったかのように店内は元の喧騒を取り戻す。
「あんたみたいなお嬢さんにここにいる野郎共を預けるとあんたの身が危ねぇよ。暫くここの二階に泊まっていきな。そしたら良い奴紹介するからよ。」
女はフードを外すとキョトンとした顔で目の前の日焼けした気の良さそうな店主を見つめた。
隠れていた細く長い金髪がふわりと、姿を現す。
「私にどこか問題がありますか?」
「がっはっはっはっ。あんたが美人って事さ。」
軽快で豪快な笑い声に彼女は少々驚き、誉められた事に対し顔を赤らめうつ向きながら言葉を返す。
「私は、クレイン・ティーナ。太陽神ガヴィーに仕える神官です。」
暗闇の中、ベットにうつ伏せになり耳を澄ませる。先程の店内の喧騒を少々気にしていたのだが然程気にする程こちらの部屋までは聞こえてこないようだった。
仰向けになり何も見えない天井を見つめると自然と溜め息が出た。神聖国レイダムから旅だって既に一ヶ月を越えている。予定より僅かな遅れなのだが、事態の深刻さに焦っていたのかもしれない。想う気持ちが小さな手に拳を作らせ、己の未熟さに怒りにも似た感情が沸き起こる。
本当は、この街に寄る予定はなかった。しかし十日程前に先を急ぐあまり夜の森を抜けようとした際、大事な書簡を奪われてしまった為、仕方なくこの街の傭兵に依頼をしに来たのだ。神に仕える身で彼等の力を借りるのは抵抗あるが今の自分の立場を考えると残された選択肢は他になかった。
(ガヴィー様・・・私は間違ってませんか・・・?)
繰り返される自問自答。神は答えずただ試練を与えるのみ。わかってはいるが、
それでも、
とも思う。
レイダムで起きた事件に彼女は不安と重みに耐えなければならなかった。誰にも言えない孤独さが、更に拍車をかける。
(神は私の中に共におられる)
それだけが、無二の救いだった。溢れ出る涙を拭うとベットへと潜り込んだ。今は、眠ろう。疲れと焦りは結果を残さない。久々に味わうベットの心地良さに彼女の意識は次第に遠のき、夢の世界へと誘われて行った。
今はもう夜更け過ぎ。すでに下の騒ぎは治まり始め、深い夜だけがひっそりと更けて行く───
鬱蒼と覆い繁る樹々に守られるように、それは突如姿を現した。
外壁は長い年月によって樹々の侵食を受け、いたる所が風雨のおかけで風化している。それでも尚、建物本来の強度は残し、己自身の弱さで付いた傷は一切なく、只々この森の歴史をその身に刻み続けている。
照らされた灯りに外壁にこびりついた苔が青く光る。
「ここだよ。」
松明を高く掲げながらティムは後ろの二人を振り返った。
「よく、迷わす戻れたなぁ。」
「さっきの場所には真っ直ぐ行ったからね。それで迷ってたらこんな仕事出来ないよ。」
「あ〜それもそうだな・・・で、なんで近付かないの?」
「・・・それがね〜。実は近付いただけでさっきのが出てくるんだよね〜。」
「はぁ?」
困ったような返事に思わず間の抜けた相づちが出る。流れる暫しの沈黙。二人のやりとりを後ろで聞いていたウィルが溜め息まじりに先頭へと姿を現した。
「おそらく、何度もここへ侵入しようとする者がいる為に過敏になってるんでしょうね。しかも短期間で。少々待っててもらえますか。」
残された二人が苦笑いで肩をすくめるのを横目にウィルはさっさと遺跡に近付いて行った。
(さて。外壁を見る限り、研修時代に見た遺跡と同じタイプみたいなんですが、どうでしょうね・・・)
瞼を閉じ、己の中の魔力に神経を繋げる。辺りの空気が不思議な振動を持ち、奇妙な空間に捕らわれる。
『我、盟主に遣わされる者なり。盟主の命の元により汝の守護を和らげよ』
キーンと、耳鳴りがし深く息を吐くと頭を振っている二人を返り見る。
「もう平気です。近付いても出てくる事はないですよ。後は扉の封印を解けばゴーレムはでません。」
二人を手招きするとウィルはさっさと扉に近付きなにやら熱心に調べ始める。扉の右下辺りに屈みこみ深く頷くとティムに聞いてみた。
「依頼主の名前はなんですか?」
「ん?ダンガムだよ。アルムート・ダンガム。それがどうしたの?」
隣に来て覗き込む彼にウィルはにっこりと、笑いかける。
「名前とは、二つある場合必ず意味があります。例えば神に仕える神官や司祭にはその者が神の使徒の証の為に。私の様に魔導を習う者には星の使徒の証の為に。そしてどの試練も進まぬ者が二つ目の名を持つ場合、それは何かの鍵となります。」
何かを察しハッとするティムに再び笑顔を見せると先程と同じように言葉を紡ぎだす。
『流すは力。受けるは光。葉は土に。吐息は葉に。離れし鍵は一つに。我は望む。汝の姿を。盟約の王アルムートの名の許、示せその姿。』
閉じられた瞼の前を人差し指と中指を立てた右手が素早く印を切る。
『デ・ヴィード(解錠)』
扉は地鳴りの様な音を立てて開く。土と埃が舞い、長年閉じ込められていたカビ臭さが三人に襲いかかる。
「さっ。入りましょうか。」
心なしか浮き足立っているウィルが二人を誘う。刻は既に夜半過ぎ。辺りは樹々も静まり返り空に浮かぶ月だけが己の存在を主張している。樹々に覆われ闇と化した森の中、ぽっかり開いた更に深い闇に三人は成すがままにその身を潜らせる───
カビ臭い匂いが立ち込める中、三人は手際よく一階部分に当たる部屋の探索を済ませる─殆んどがティムの指示で動いたのだが。
特に目立つ箇所はなく、二階へと上がる階段を見つけるとさっさと上がっていく。
ウィルが一つの疑問を口にする。
「妙だと思いません?」
「何がだ?」
「確かに変だね〜」
「だから何が?」
「財宝ですよ。一階に何の手掛かりもなかったのが気になります。」
「いい読みするね〜。もしかして盗賊経験者?」
「そんなわけないでしょう。古代遺跡についての知識は魔術師には不可欠なんですよ。」
階段を昇りきるとそこは部屋になっていた。ウィルが点けた魔法の光に照らされたその部屋には何もなくカビ臭さだけが存在している。
「どう思います?」
「ちょっと待ってね。ここからは僕の仕事〜・・・違う!エーゼの仕事!」
途端、何かが爆発したように部屋の空気が一変した。気温が下がった様な寒気を感じ下腹部と頭部に重く鈍い痛みを感じる。聞き取れない笑い声があがりそれらはそこに現れた。
半透明の下半身がない女性。首だけの片目が無い中年男性。地面を這う腹がえぐれた少女。そして、大気の塵が中央に集まり始め、次第に形を造り始める。
最後に現れたのは動く人骨。湾曲した剣と小型の鉄製の様な盾を構え、それはカタカタと薄気味悪い笑い声を出している。
「うっわ〜気色悪。今度は亡者かよ・・・」
いつの間にか、エーゼは黒く光る怪しげな刀身を鞘から抜いている。亡者達はそれに気付くと一瞬、消え入る素振りを見せるが人骨の戦士の一喝で再び目の前にいる生きた魂を持つ三人に殺意の眼差しを向けた。
「ひゃっ!?何今の叫び!?」
「どうやらエーゼの持つ剣に恐怖を感じたようですね。」
震える声にそれに答える冷静な観察力。対照的なやり取りに思わずエーゼの口許に笑みが浮かぶ。
「あ〜なるほど〜って、なんで二人とも冷静なの!?」
「え?いえ、あの手の存在は我々魔術師も研究しますし。」
「オレも。前なら怖かったけどな。この剣で切れるなら別に怖くはないなぁ?」
「あんたらなんなんだよぉ〜!僕でもアレには抵抗あるのに!」
理解出来ない二人の思考に少年は思わず喰いかかる。
「来ます!エーセ、彼らは触れた相手の生気を吸い取ります!気を付けて!」
そんなもんだろ、との呟きをウィルは聞き逃さなかった。記憶をなくし、生活の基礎さえ知らなかった男の発言ではない。明らかな確信を持たなければ口に出せない言葉。
(やはり記憶はなくしてない?それではあの世間知らずは説明がつかない・・・訳分からない人ですねぇ・・・)
「援護しなくていいの?魔法でシュパパ〜みたいな〜」
「残念ですけど私は彼らに対抗する術を知りません。せいぜい武器に魔力を付与する程度です。まぁエーゼが持つ剣なら問題ないでしょう。」
そう、今は何も出来ない。だからこそ彼の能力を正確に把握する必要がある。あの瞳が自分が思うモノと同じ理由なら、彼はとんでもない危険な存在となる。
(私の危惧ならいいのですが、ね・・・)
対峙する相対する存在。緊張と腐臭は流れ四体の亡者の吐息が不規則に耳につく。
呼吸を整え五感の鋭さに磨きをかける。黒く淡い光を放つ魔剣を正面に構え瞬時に脳裏にイメージを焼き付けるとエーゼは部屋へ飛び込んだ。
四体の内、最初に動いたのは半透明の女性。大袈裟に口を開け奇妙な声と共に襲いかかる。一線、縦から振り下ろされた刃が更に下から再び過ぎ去る。何も出来ぬまま女性はこの世からその存在を塵の如く消される。既に首だけの男が迫っており、先程の攻撃で高く上げられた剣を肩に担ぐと今度は真横に薙払う。タイミングも位置も申し分ない。そのまま頭が来ていれば、だ。
(ちっ!止まりやがった!)
顔をしかめ、逃した機会を悔いるが、それを実感する間もなく足下には少女が這って来ている。勝ち誇った様に顔を歪める固めの頭が視界の隅に入る。
(ムカつくっ!)
勢いが付いた剣に体を任せ、円を描く様に回る。剣先はいつの間にか床スレスレを走り次の獲物を的確に捕らえる。悲痛な叫びと共に哀れな少女もまた、塵へと還る。
「ウィル、エーゼって凄く冷静に対処してるよね〜?なんなのあれ?」
「・・・分かりません。」
それ以上の答えを望めないと思ったティムは目の前で繰り広げられる戦いに目を向け黙り込んだ。
そして─
人骨の戦士から流れる不可解な旋律。エーゼは既に剣を構え首だけの男の動向を探っている。その背後にいる亡者の動きに気付かず。
(いけない!)
突然、ウィルが唇を忙しく動かす。