第二話
ここに古い詩がある。ある遺跡から発見され解読が行われた。その詩は羊皮紙に書かれ現代の文法とほぼ同じ体系が使われていた。当時の学者達はただの夢物語と決めつけ、解読が終わるとそれ以上の研究は無駄とした。その詩と世界をここで語ろう。
『それは剣が国を治め、魔術が人々に安堵と畏怖を与えていた時代
人々は精霊の存在を確に感じその恩恵に感謝の念を込める
神は身近に在り進むべき道を示し信仰と安らぎを
魔は恐怖を与え命と引き替えに人の想いを成す
強い意思を持って生まれた妖精に羨望の眼差しを
邪悪な意思に支配された妖魔に嫌悪の眼差しを
世界は相対する存在が共存し拒絶する不可思議な時代へと進んでいた
そんな世界に一人の男は迷い込む
その両手に魔導の剣を持ち
逞しい胸に仲間の想いを込め
人々が見つめ憧れるその背中に呪われた運命を背負い旅を続ける
彼の名はエーゼ
時の神に愛されし人の子
人々は彼の物語に胸を高鳴らせ
肩を震わせる
軽やかに戦うその姿に
鬼神の如く戦場を駆けるその姿に
人は言う
あれこそ英雄と
彼は語る
自分こそ抗う者と
彼は時の神に愛されし人の子
時の絆より解き放たれたその躰に神は何を託すか──』
深い闇が広がる森に、その灯りはあった。ゆらゆらと揺れるその炎の灯りが、森の闇さえもちらちらと動かす。二人の男がその焚き火を囲っている。
エーゼとウィルだ。
二人は十日ほど前に村を旅立ち、首都ヴァームを目指していた。
「じゃあ魔術は誰にでも使えるのか?」
「そうですね。知識とコツを掴めば、可能でしょうけど。それでもやはり生まれ持つ素質は必要かもしれません。走るのが速かったりするのと同じ事だと思います。現にいくら鍛練を積んでも使えない者もいますしね。」
銀髪の男はそう答えながら目の前の焚き火に薪を加える。揺らぐ炎の向こうには炎と同じくらい紅い瞳をした青年がその瞳をきらきらと輝かせていた。
(不思議な男だ・・・)
ふと、彼はそう思う。幾つもの修羅場をくぐり抜けて来たようなその風貌とは裏腹に驚くほど純粋で真っ直ぐな性格をしている。そして無知と言うよりどこか世間慣れしていないその言動が余計にこの青年を不思議な存在にしたてあげていた。
(そこが惹かれた理由かもしれませんね・・・)
「ん?なんか変なこといったかな?」
思わず、笑みを浮かべていたのだろう。エーゼがそう聞いてくる。
「いえ。たいしたことじゃないです。」
そう言うと一息ついて話を続けた。
「私たち魔術師が使う古代魔法は古代の先人達が作り出した技術なんです。この星に流れる力を言葉と印で具現化する。星に語りかけ己の中にある『力』を印を結ぶことにより星から流れてきた力の道標として使うんです。
魔術師が結んだ印は星の力の道標。術者の想いと星への願いが奇跡を起こす。
私はそう、師に教わってきました。」
脇に置いていた杖を握り締めながら、彼は最後にそう呟いた。
「なかなか洒落た事言うお師さんだな。」
「そうですね。今思うと妙に気の効いたセリフを言う人でしたね。」
クスクス笑い、ふと、視線は杖に落ちる。
「五年前に、一人の人物を追って行方知れずになりました。正義感か義務感かは分かりかねますが、おそらく二度と戻らない決意はあったのかもしれませ。」
そうか、とエーゼが呟いたその時、二人は険しい顔つきでお互いに確認しあう。森のざわつきに気付いたからだ。自分の勘が確かな事をお互い確認すると二人はとっさに立ち上がる。エーゼは剣の柄に手をかけ、ウィルは改めて杖を両手で握り締める。
耳を澄ませる。
聞こえてくるのは森を駆ける複数の足音。明らかにこちらに向かっている。方向を確認出来るとウィルが叫ぶ。
「左です!」
叫んだ相手はすでにその方向を向き闇から迫る気配に神経を向けていた。
剣を構えているエーゼの前に現れたのは一人の少年だった。息を切らし青ざめた顔色をしている。
「待って!後ろを見て!」
少年は二人を見るなりそう叫びエーゼの後ろに身を隠した。
「あれ!あれが追いかけてくるんだよっ!」少年が指差す先は自分が来た方向だった。重い足音を立てながら更に何かが近づいてくる。現れたのは、動いている、石像。
「・・・なに・・・これ」
驚き呆気に取られているエーゼをよそにウィルは汗と共にうめき声を漏らす。
「ストーン・・・ゴーレム・・・最悪です・・・」
三人の間に緊張と恐怖が駆け抜ける。
(くそ。胃がきりきりする)
止まらぬ冷たい汗に嫌悪感を覚えながら柄を握り締める。
先に動いたのは、巨像だった。
両の手を握り合わせ巨大な拳を作り上げると頭上高く振り上げる。上げられた両手は無造作だが凶悪な石槌と化し目の前の妨害者に力の限り降り下ろされた。
反射的に、エーゼは剣を頭上に構えそれを防ぐ。
「キンッ」
辺りに鈍い音が広がる。その瞬間、側面からの凄まじい衝撃で吹き飛んでいた。腹部から全身に伝わる激しい痛み。肋骨が鈍い音をたてて悲鳴をあげる。痛みと同時に彼の体は樹木に受け止められていた。
顔をあげ先程まで自分が居た空間を見上げるともう一体の石像が感情の無い瞳をこちらに向けている。
「あ、ごめん。三体いるから。」
いつの間にかウィルの背後に隠れている少年が悪気もなく告白する。
「先に言えよ・・・三体?」
身の危険を察知し慌ててその場から逃げ出す。
「ドスンッ」
見ると地鳴りと共に足が踏み下ろされていた。
三体目出現。
すぐさま起き上がり剣を正面に構えると深い呼吸と共に体の力を抜く。足の裏から手先まで熱くなり感覚が一気に研ぎ澄まされていく。巨像が動く。その刹那、一筋の白い線が巨像を通りすぎた。いつの間にかエーゼが大剣を降り下ろしている。ゴーレムの腕を切り落とした剣は地面に弾みその反動を使い体を反転させ後ろから迫ってきているもう一体を真横に薙払う。表情の無い顔は体から斬り放され地面に転がり落ちていた。
『我は望む。汝の力を。示すは力。欲するは力。我が魔力を贄に。我は理を解する者。陽は不可視。されど温もり。生まれまた消えゆる定め。光は集い鋭き刃となれ。』
不可解な旋律が、辺りに流れる。くぐもった言葉を静かに、そして緩やかに紡ぐ。
ウィルだ。
左手に杖を握り締め右手は空中に何かを描くように滑らかに踊り、淡い光が集いウィルの正面で拳ほどの大きさの玉となる。
『ダム・ヴァン(光の矢)』
杖先はゴーレムを指し解き放たれた光の玉は白線となり巨像の胸部を射ぬいた。胸を射ぬかれた巨像は砂で作られた人形の様にその場で崩れ落ちていった。
辺りは静寂に還り息を潜めていた森の主達が再び各々の縄張りへと帰っていく。
三人はその場で安堵と疲労でへたり込む。始めに口を開いたのは、この事態を連れてきた少年だった。
「助かった。まさかやっつけるなんて思わなかったよ〜。剣士のお兄さん強いね〜。それ魔剣でしょ?」
帰ってきた返事は沈黙。
エーゼは立ち上がると剣を鞘に納め、砂の山となった巨像の元へ足を運ぶ。一瞬、困った顔をした少年は再び笑顔を作ると今度はウィルに話し掛けた。
「おにーさんは魔術師だよね。凄いね〜あれを一撃なんて!」
震える体を止めようと杖を握り締めた両手に更に力を込める。そのせいか少々大袈裟な身振り手振りへの返答は意外とそっけないものだった。
「たまたま、核を貫いただけですよ。」
体内に溜まった不愉快な空気を吐き捨てるように呟く。
そう。たまたまだ。
偶然、核を貫いたに過ぎない。あれが決まらなかったらと思うとゾッとする。それにしてもエーゼの動きには驚かされた。剣の使い方を体に覚えさせようと毎日鍛練をしていたのは知っていたが実戦を見るのは初めてだ。間の詰め方や勘の鋭さ、流れるような立ち回り。それは歴戦の戦士を思わせた。
(あの傷を見る限りやはり名の知れた戦士なのかもしれない)
再び沸き起こる疑問。それは初めて逢った時から常に心の隅にいついていた。パチパチと音を立てて揺らぐ炎を見つめながら思いに更ける。
(彼の持つ魔剣。肉体。能力・・・それに似合わぬ性格・・・)
「どったの?」
突然、思考は妨げられ、見つめる先には紅い炎の代わりに緑色の瞳がこちらを覗き込んでいた。
「いえ。なんでもありませんよ。それより・・・」
頭を左右に振りながら穏やかに答える。
(今は、わかりませんね)
記憶が無いと、逃げられると問い詰める事も出来ない。実際、彼は日常使う道具やお金の使い方も分からずにいたのだから──
思考はすでに切り替わり、疑問の対象は少年へて移っていた。
「アレは守護を目的とされ造られたようです。」
先ほどとは打って変わって鋭い眼差しを向け冷たく詰問する。
「なにをしました?」
少年は一瞬たじろいだがすぐに笑顔を作ると乾いた笑い声をあげた。
「あ、あははは。やっぱりバレるよね〜。」
魔術師と判った時に既に覚悟はしていた。だから彼等の内側を視ていたのだ。"同業者"なら、さっさと逃げるつもりでいたし逃げ切る自信もあった。結果、自分の判断は"人の良い旅人"となった。これなら彼等を利用出来ると目論み逃げずに話し掛けたのだ。
(失敗したかな〜。なんかこの人鋭いし。でもあっちの剣士は役にたちそうだし。それにあの魔剣・・・どこかで・・・)
ちらっと剣士を見る。なにやらしゃがみ込んでいた。
「ふぅ。まあいいか。どっちにしろ僕一人ではどうしようもなかったし。そっちのおにーさんもこっちきて話を聞いてよ。」
なにやら吹っ切れた少年は相変わらず先ほどから不思議そうに砂をいじっている男に呼び掛ける。振り返った男の瞳は紅く輝いていた。
「くそっ!また負けた!てめぇらが隣でうるせぇからだよっ!」
「おいおい。自分のツキの無さを人のせいにするなよ。小汚ねぇカネでやるから負けるんじゃねえか?」
「ねーちゃんこっち来て一緒に呑もうや。」
「はぁ?酔っぱらいの相手はごめんだよ!」
「隣町を騒がせてた盗賊が捕まったらしいぞ。」
「ああ、その話なら聞いたぞ。お前からな。」
「ガッハッハッハッ!次は誰がやる!?オレ様に力比べで勝てば金貨100枚だぞ!」
「いいか?嫁入り前の娘がこんなとこで働くもんじゃないぞ?親が心配してるだろ?」
「親がいないからここで働いているのよ。それよりおかわりしてよ?」
「さて。お次はこちらのグラスとコインを使った手品を・・・」
「だからぁ〜この前の女は取引先の娘なんだってば〜」
「では!あの大戦を共に戦い抜いた盟友との再会を祝して!乾杯!」
「やっ。相変わらず繁盛してるね。」
「お?ティムじゃないか。この前のは片付いたのか?」
「あ〜あれ?全然ダメ。もう荒らされた後だったよ。」
「そうか。すまねぇなぁ。なるべく早めに情報渡してるんだがなぁ・・・」
よくある話だよ、少年はそう言うとカウンターの椅子に座る。
「実はな、もう一つあるんだが・・・聞くか?」
この種の生業は、聞いたらやらなくてはならない。それが掟であり、荒れくれ達が争いを避けられる唯一の理由なのだから。ちょっと間をあけ、ティムと呼ばれた少年は困った様な顔をしながら出されたミルクを一気に飲み干した。
「ん〜?危ないみたいだね〜。取り合えず行くよ。無理だったらいつものようににげるから。」
悪戯っぽい笑顔がまだ少年らしさを残している。
「まあな。お前さんならそれも出来るだろう。」
おかわりは、と聞くとこの賑やかな店の主はミルクを注ぎながら話を続けた。
「仕事内容は、この町から五日ばかり行った森の中に遺跡があるんだが、その中に宝があるそうなんだ。で、そいつの回収依頼だ。」
「簡単だよね?ひょっとしてなんか邪魔してる?」
「まあな。ゴーレムが守護しててな、何人かやられちまった。つまり中は手付かずだ。しかも遺跡が古代王朝時代の代物だから中に何がいるかまったく分からないときてる。報酬は宝を売却した金額の二割だそうだ。」
一つ、小さな溜め息をつくと少年は元気よく椅子から飛び降りた。
「聞いちゃったら、仕方ないね〜。ちょっと行ってみるよ。」