【 Vii 】 記憶。
「これは……」
ユウィルは僅かに目を細めた。
彼女が草原だけが果てしなく広がる故郷に目にしたものは、血塗れで仰向けに横たわるひとりの青年。
年齢は十六、七くらいか。
小柄な体躯に小さめの顔。おそらく実年齢より若く見られるタイプの青年だろう。
今は華奢な身体を包んだ黒一色の服も、色白の肌も血で朱に染まっている。
青年の辺り一帯に大量の血液が海を作り、ところどころに肉片や臓物が飛び散った痕跡があった。その中心となる青年の胸は大型の突撃槍で貫かれでもしたようにひどく破損し、もはや見る影もない。
「……どういうことだ?」
職業柄、死体を見慣れているユウィルは、たいしてそれを見たときに衝撃は受けなかった。今まで見てきた死体には頭蓋が大槌で粉砕されたものや上半身が手榴弾の爆発で吹き飛んだものもあり、それらに比べればまだましな方だ。
それよりも、このサトロという地で人間の死体があるという事実に彼女は動揺した。
(並の人間なら立ち入る事すら出来ないはずだが……)
ユウィルは厳しい表情になる。
一番の問題は、ここがサトロの中でもほぼ中心部に近いという事だった。
サトロの特異な性質は、どこでも一定の圧力ではない。郊外近くならばその影響は微々たるものだが、中心部になると並の人間は立ち入る事が出来ないほどに強い。長らくサトロに住んでいるユウィルこそ耐えられるものの、普通ならば意識が混沌となり、得体の知れない力に押されて外へ向かって歩き始めている頃である。
(取り敢えずこれをどうにかせねばならないな。治安管理隊に応援を頼むか)
そう思い、ユウィルが上着の内から小型連絡用通信機を取り出す。
いや、取り出そうとして、目があった。
――口から一筋の血を垂らしながら、微笑んでいる死体と。
「……えと、そこのお嬢さん。水を貰えると嬉しいんだけど……」
少女は眉一つ動かさず、ホルスターから銃を抜いた。
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
長い黒髪がふわりと舞った。
そして次の瞬間には、先程まで僕が寝転んでいた場所に的確に銃弾が撃ち込まれる。血溜まりが爆ぜるように飛び散った。
少女が両手に構えているのは、連射機能に優れた短機関銃らしい。今の数秒で大量の薬莢が辺りに散乱していた。銃を引き抜く予備動作もまったく無駄が無く洗練されており、ジャケットの内にある銃帯が目に入って咄嗟に横に転がったのが一瞬でも遅ければ、今ごろは蜂の巣だろう。
僕は転がった勢いで滑るように立ち上がり、取り敢えず両手を挙げてこちらに敵意がない事を示した。すっと滴った口許の血をさりげなくぬぐう。
「……過激だね、死ぬところだった」
彼女がぴたりと引き金を引くのを止めた。無言のままゆっくりとこちらに向き直る。
そしてそこで初めて、その少女と正対した。
腰程まである艶やかな黒髪はストレートにおろしてある。肌は色素が薄く透き通り、深窓の令嬢といった雰囲気だ。武装された恰好とは不似合いな美しい容姿だが、目だけには熟練された冷徹な暗殺者のような印象を受けた。
片方の機関銃を肩に据え、もう一方の銃口を僕に向けながら少女は言った。
「……ふたつ訊きたい」
無感情な冷たいコバルト・ブルーの瞳に、にこやかな微笑みで頷く。
「ひとつ。頭痛や吐き気があったり意識が朦朧としたりしていないか」
……あれ。心配してくれているのだろうか。
一瞬そんな事を思ったが、まだ微かに火薬の煙をあげている銃口を見て消去する。
横になっている初対面の人間に短機関銃を連射するような少女だ。一般的な会話は通じそうにない。
「ありません」
端的に答えると、彼女は一気に不審そうな表情になった。眉根がぐっと寄せられている。
もう、何か別な生き物を見ているような目だ。
もしかしてこの世界では、意識が朦朧としていないと変人扱いされるのだろうか。
……嫌だな、それ。普通のひとが正常なのか異常なのか解らないし。
「ふたつ。それは貴様の血か」
顎で僕の胸元を示す。見ればべっとりと血液が付着し、左胸の辺りは制服に大穴が空いていた。
そしてその穴を見た刹那、突如昨夜の記憶がフラッシュバックした。
一時的な記憶喪失から復帰する瞬間のように、大量の記憶が脳裏で荒れ狂う。
「……が、はッ……」
――夜。草。星。風。蠍。鋼。黒。赤。月。死――
「貴……、ど……した」
少女が何か言っているが、耳鳴りのせいでよく聞き取れない。
頭が割れるように痛む。足元がふらつく。視界が点滅する。身体が燃えるように熱くなったかと思えば、凍えるような悪寒に襲われる。心臓は異常なリズムで激しく鼓動していた。
――心臓?
そうだ。あの暗鬱とした月明かりの下で、僕はあの巨大な蠍に胸を貫かれた。
自らがそれを望んでいたかのように奴に近づいて、それで――。
何故だ。どうして僕は、生きている?
そして思考がそこまで至ったとき、僕は意識を失った。




