【 XXiV 】 手記。
◆◇ 古びた血塗れの手記 ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
『血染め重鎌』などという物騒な二つ名を付けられてまで戦場を駆け回ってきた私だが、遂に来たるべき時を迎えつつあるようだ。
私は人を殺め続け、戦争に狂い、復讐のために生き抜いてきた。今更死を目前として特別な感情を抱くこともない。むしろこうやってまだ生きていることのほうが奇妙ですらある。
だがこの弱り切った鼓動が止まる前に私は責任を果たさねばならない。
私の知る限りの全て――闇の奥深くにのみに囁かれた滅びの示唆を。
フルーシャの家系は先祖代々、サトロの『護り主』としての役目を果たしてきた。
最も年長である者があの広い草原に独りで暮らし、毎日変わらぬ光景を見ながら死んでいく。そしてまた宿命は次の者へと受け継がれる。
それが一体いつからなのかは分からない。黙示録に書かれている『聖戦』とやらの前からなのかその時からなのか、そもそもそんなものが本当にあったのか……今ではもうどうでもいいことだ。ただ途方もなく長い年月そうやって生きていくのがこの名を背負いし者の慣わしだった。誰に強制されるでもなくその半透明の宿命に従い生きるフルーシャの一族は、まるでなにか呪縛されているかのようでもあった。
数十年に一度とも言われる寒さだった冬、私は十文字交易都市・シャルファンの麓にある小さな村で生を受けた。小麦の栽培が盛んで小さいながら豊かな村だったが、その年は寒さと関係するところもあるのだろう、村中で疫病が蔓延していた。尊い生命が失われていく中で生まれてきた生命、それは決してひとつぶんの命の重みではないと母はよく口にしていたものだ。
極東のサトロは一年を通じて気温の変化を受けることは少ないのが常だが、その冬は特別だったのかもしれない。サトロで『護り主』として暮らしていた祖父が亡くなったという報せが届いたのは、私が生まれて一月も経たぬ頃であったと聞いている。フルーシャの務めを果たすため、父はそれからすぐにサトロへと発った。その時に成長した私宛に手紙を書いたようなのだが、結局私は一度も目にしたことはない。
少し話は脱線する。
当時、約百年にわたって大きな権力を握っていた《教会》が《古刃連盟》によって完全に無力化された。もともとは連盟の戦力のほうが小さかったこともあり睨み合いが続いていたのだが、表向きは『列強団体間闘争への不介入』を掲げていた《政府》が裏から連盟側に支援し始めたことによって戦況は一変。連盟側の一方的な攻撃の末に紛争は終結した。
だが真の混乱は教会の消滅から始まった。連盟の弾圧は、教会の横暴に対するかねてからの市民の鬱憤も巻き込んで教会側の人間への殺戮・殲滅へと激化。暴徒化し荒れ狂う市民を止める術などあるはずもなく、教会が徹底的に潰されることをよしとする連盟・政府は混乱の収束に努めようとすることもなかった。
そして世界的な教会弾圧の風潮の一端として流行したのが『聖女狩り』である。
聖女狩りとは、端的に言えば『当初から連盟側に加担していた者達が時の権力者となり、教会側だった格上の人間を社会的に失墜させる』いわば下剋上だった。
『聖女』と見なされた女性は考え得る限り残虐な方法で処刑され、聖女を輩出した一家もその土地では生きてゆけなくなる。当初は教会の信者を見つけて処罰するための行為は、いつしか混沌の中で殺戮装置として機能していた。
そして私が八歳の時、故郷の村にもその魔の風潮が流れ込み――フルーシャが狙われることになる。
村の外には、護り主としてのフルーシャの家系を妬む者が少なからずいた。サトロという広大な土地の支配者のように思えたのかも知れない。実際はフルーシャがサトロに従属しているという事実は私たちと村人しか知らなかった。
だが突然現れた『フルーシャ聖女説』に、村は夜の闇に飲み込まれるようにどっぷりと浸かってしまった。長老ミックバル、小さなパン屋のクルメリア夫妻、彫りの深い顔立ちのメィティ親子、気難し屋のハッズ爺――生まれてからずっと一緒に暮らしてきた気の置けない村人たちは、気が狂ったように私たちを責め立てた。私の誕生年に起こった疫病や大寒波までフルーシャの『罪』として負わされた。
男である私は処罰からは免除されたが、目の前で母が磔にされて焼き殺される様を呆然として眺めるしかなかった。
私は独りで母の遺体の前にいたところを、村の外から尋ねてきていたひとりの男によって救助された。
男は
(以下、約二ページ半にわたって空白が続く)
その時、私は古刃連盟への復讐を誓ったのだ。
私から家族を奪い、故郷を奪い、人生を奪った連盟への復讐を。
(同様にして約二ページが空白)
この手記を拾った旅人が心ある者であらんことを。
そして恩人であり親友である と私の唯一の希望だったユウィルに、私の最期の言の葉が届くことを祈り、ここに死す。
暗融月の晩 リウォル・フルーシャ