【 XXii 】 窮地。
「《眠りの都市》ソルフィネは――この地下だ」
少女は立てた親指で足元を指し示し、堂々とそう言い放った。
「へぇ……地下都市とはなかなか洒落てる」
「あれ、ヴァクス君はあまり驚かないんですね。わたしが初めてソルフィネの存在を知ったときはとてもびっくりしたものですけど」
「まぁ、いろいろとすごいのを見てきたからね」
帰宅途中の列車から《那由他路》への転送から始まって《銀世界》への召喚、巨大な《黒蠍》との邂逅、美麗極まりない金髪の吸血鬼・ロヴェードの襲撃、監獄の炎上、看守・グルーディスの死――。
はっきり言えば今までに起こったこれらの出来事は全て訳が分からないことだらけだ。そもそも異世界へと飛ばされてきた時点で発狂モノなのだけれど、人間というのは完全に超越した事象に関してはパニックにすら陥られないのだろう。
グレゴール・ザムザが朝目覚めて心配したのは出張に遅刻することなのであって、つまりは多分そういうことなのだ。
「苦労されてるんですね……。でもふしぎなものには驚いてもいいと思いますよ」
神妙な顔でうんうんと頷く銀髪の少女。
その両目にはおびただしい量の包帯が巻かれていて、頷くたびに後頭部の結び目から垂れた包帯がぴょこぴょこと揺れている。その裏側には小さな文字でびっしりと書き込まれた見た事もない言語。
……だめだ、耐えろ僕。全然気にならない、全然気にならない。
「そういうクライも『不思議』な部類に入ると思うが」
「――――!」
少女が言った。
言いやがったよこのひと。
というかあんたもひとのこと言えないだろう。
ちなみに今のエクスクラメーション・マークは僕の反応で、クライはというととくに気にした様子もなく『そうでした』と照れたように笑っていた。
「えーと、それでその地下にあるソルフィネにはどうやって入るのかな。僕はスコップ持ってないけど」
「…………」
至極当然な僕の疑問に少女は黙り込んだ。
ざわりと妙な胸騒ぎを覚えながらも微笑は絶やさない。重ねて問う。
「あの、フルーシャさん?」
「……ら……い」
精巧に作られた仮面のように端正な無表情を不機嫌そうに歪め、何かを呟いた。
珍しくぼそぼそとした話し方なので、風の音に掻き消されて近くにいても声がこちらまで届かない。
「よく聞こえないんだけど」
「だから、知らない」
今度はちゃんと聞こえた。
「次は意味が分からないんだけど」
「…………チッ」
「鳥の鳴き真似をしてごまかそうとしても無駄だよ」
「舌打ちだと思いますけど……それもかなり殺意のこもった」
クライが苦笑交じりに言った。あははっ、ポジティブにいこう。
しばらく沈黙した後に少女は諦めたように溜め息を吐き、再び紅葉を見上げた。
「……ソルフィネに入る方法は公になっていない。わざわざ東の果てまで来る人間も少なく情報不足である上に、ソルフィネの民は昔から外界との接触を極力避けている。十文字貿易もこの樹を中継所としてこれ以上は侵入を拒んだということだ」
それでついた二つ名が《眠りの都市》ね。
まったく、どれだけインドア……もとい、アンダーワールドなんだ。鎖国か。
「でもさっきここを『目的地』って言ってなかった? 入るあてがないところに向かってきたの、僕ら」
「無論、つてはあった――十文字騎士団だ。私は騎士団には少々顔が利くから、ここに駐留している部隊の人間にも数人知り合いがいる。彼らならソルフィネに入る方法について知っているだろうと思っていた。ここに来てからはそれも確信に変わったがな」
「確かにそれはあるかとは思いますが、ソルフィネの民の用心深さからすると騎士団のひとにも教えていない可能性も……」
クライが唇に人差し指をあてて首を傾げる。
そうか、クライはここの状況が分からないんだった。
「このあたりには駐屯所はおろか簡易テントすらない。それが普段の生活も警備の休憩も都市の内部でしている証拠、ってことかな」
「あぁ。ソルフィネも《精霊の紅葉樹》にたかる賊の扱いには気を揉んでいたようだ。紅葉樹の警護を申し出た《政府》には少なからず不信感を抱いていたようだが、騎士団に対してのもてなしは相応だったろうと考えられる」
「……そうですね、そう思います」
この世界において、十文字騎士団は絶大なる信頼を得ているらしい。
クライが納得した面持ちで頷いているのを見て、少女も話を再開する。
「おそらくソルフィネ側から緘口令が敷かれていて一般人に教えることはないだろうが、彼らに事情を話せば休憩くらいはさせてくれただろうことは間違いない」
「ふむ。そこで頼みの綱である騎士団は行方不明、と」
既に夕陽は地平線に沈み、紅葉樹は輝きを失って夜の闇へと吸い込まれそうになっている。気温もぐっと下がり、身体的にも精神的にも疲労が溜まっていた。
大丈夫、だいたいの事情は飲み込めた。
「……で、どうしようか」
つまり僕達は窮地に立たされているというわけだ。