【 XVi 】 最期。
「聖霊具……だと?」
聖霊具――その言葉を聞いてユウィルは心臓の動悸が一層激しくなるのを感じた。
グルーディスが微かに頷く。先程までの荒いそれとは一転して、今は不気味なほどに穏やかな呼吸をしている。
「もう……俺に時間は……。全ては――」
その後も何かを語ろうとしたが、意味のある音にはならない。ただ力なく唇が動く。
やがてそれも吸血鬼を包む獄炎に溶けるように消え、グルーディスは静かに目を閉じた。
「グルーディス。私は、必ず」
傍らでユウィルが呟く。それが彼に届いたのかどうかは分からない。
黒髪の青年は少し離れたところで看守の最期の声なき言葉を反芻していた。
『 クライ 』。
確かにそう言っていた。だがそれにどういった意味があるのか、彼には知るよしもない。
「……行くぞ」
ユウィルが立ち上がった。そのコバルト・ブルーの瞳に揺らぎはない。
青年は燃えさかるハルバードに視線を移す。しかしそこにロヴェードの姿はもうなく、黒ずんだ灰が溜まっていた。
「人体が燃え尽きるには早すぎるね」
「ヴェンバイアは外部からの圧力によるものとは別に自己の意志でも粉塵化できる。一種の防衛手段だ」
ユウィルは淡々と言い放ち、ジャケットの襟を正しながら監守室の出口に向かった。
看守に黙祷を捧げていた青年が少し遅れてその後を追う。
「これからどこに?」
「この監獄は破棄し、連盟の東方支部へ向かう」
扉の残骸を飛び越えて先に廊下に出たユウィル。青年は立ち止まって彼女を見つめた。
「……どうした。ここが火の海になる前にやらなければならない事はまだある」
「僕はこの建物の構造が良く分からない。足手まといになるのは御免だしここで待機しておくから、その用事を済ませてきてよ。ちょっと気分も悪いからね」
ユウィルは僅かに振り返って肩越しに青年を一瞥した。
廊下は照明が切れて薄暗く、彼女の表情はよく読み取れない。
「気を遣っているのか。私に」
青年はおどけたように肩を竦めて苦笑した。
「何の話? むしろ僕が君に気遣って欲しいと頼んでいるんだけど」
「……そうか。なら私は先に行く」
ダークジャケットをなびかせて走り去るユウィルが視界から消える瞬間、青年には彼女の瞳が炎の光を熱く照り返したように見えた。
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
聖獣の力を制御し、駆使し、増幅させる古代文明の神器――《聖霊具》。
その姿はひとつに定まっているわけではない。聖戦黙示録だけ取って見ても、鎧や兜、剣といった形で表れる事もあれば、宝玉や鏡を象っている事もある。
ところが、それだけ多くの記述があるにも関わらず、ひとつも実物が残っていないのだ。聖獣の存在とともに聖霊具も伝説上のものと考えられているのも無理はなかった。
『……聖霊具……を、取り戻せ……』
牢獄の崩壊から二日。目的地のある西に向かって進んでいるユウィル達は、サトロ郊外の大木の木陰で休息をとっていた。
だがその間にもグルーディスが遺したその最期の言葉は片時もユウィルの頭を離れる事はなかった。
(はたして、聖霊具というものが本当に存在するのか?)
「――という訳で」
不意に聞こえた少女の声で、ふと現実に引き戻される。
ユウィルは隣で話し込んでいる二人の若者に目を向けた。
「英雄クラリオンを乗せたまま白銀の龍ヴァクスが空に溶けて、この空は銀色をしているのです」
ひとりは一生懸命に聖戦黙示録のあらすじを語る少女・クライ。あまりに生まれ持った力が強大すぎる為に《連盟》によって監獄の一室に幽閉され、禍々しい程大量の包帯で視界も奪われている。
グルーディスは今際の際に彼女の名前を言おうとしていた。
『もう……俺に時間は……。全ては――クライ』。
(文脈から推して、グルーディスはあらかじめクライに全ての事を話していた……という事か?)
そう考えて監獄から脱出する時になんとか連れ出せはしたものの、未だユウィルはグルーディスの死と聖霊具についての話を切り出せていなかった。
「なるほど……。ところでそのヴァクスというのは――」
そしてもうひとりが、神妙な顔をして熱心にその話に耳を傾ける黒髪の青年。
彼についての事件はあまりにも謎が多すぎるが、その内面もヴェールに包まれている。
まず感情を表に出す事はない。超越した能力を持つ吸血鬼であるロヴェードに殺されかけた時や、グルーディスの死を目の当たりにした時も殆ど感情の揺れはなかったように見えた。
のらりくらりと様々な事から身をかわし、微笑が張り付いた仮面をつけたまま傍観する――そういう種類の人間だとユウィルは認識していた。
(――のだが……)
「――それで聖戦黙示録では、ヴァクスには『永遠』という意味もあるんですよっ」
「そうなんだ。実は僕の名前も――」
(やけにクライが懐いているな……)
クライは目が見えない代わりに他の感覚が非常に機敏であり、それは五感に限らず他人がどんな人間かを見極める――いわば心眼も鋭いものを持っていた。
(全く以て掴めない男だ)
ユウィルは軽く溜め息を吐くと、木漏れ日の下で銃の手入れをし始めた。