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【 Xi 】 書斎。

 ――書斎。

 それだけでその部屋を形容する事は到底出来ない。壁という壁に備えつけられた本棚には大量の専門書が詰め込まれ、それでも収まりきらない本が床中に積まれている。

 足の踏み場もない部屋の中央に、一人の少女が椅子に座って本を読んでいた。

 齢は十三、四ほど。小柄ながら、すっと伸びた背には彼女の実直さが表れている。

 真っ直ぐに下ろされた髪は『空』のような銀色。身に纏う白いワンピースが良く似合っていた。

 そう、彼女はごく普通の少女だった――両目に大量の包帯が巻かれている事を除けば。

 包帯は一見すると真っ白だが、その内側には能力拡散型の演算子が緻密に記されている。


 人間が生まれ持った能力が強大すぎる場合――勿論それは極めて稀な場合だが――一時的に能力の拡散・封印・除去処理のいずれかをしなければならない。有り余った能力に自我が耐えきれず、発狂したり廃人になったりする危険性が考えられるためだ。彼女はその強大すぎる能力を眼に受けた人物だった。

 

「クライ」


 突然名を呼ばれ、本を読んでいた・・・・・・・少女の肩が怯えたようにびくんと揺れた。

 不安げな表情を浮かべた顔を上げ、辺りを見渡す。

 しかし、何処に声の主が居るのかは分かっていないようだった。


「私だよ、クライ。ユウィルだ」


 少女の顔がぱっと明るくなった。先程までの様子とは一転し、蝶々を見つけた幼子のような晴れやかな顔だった。

 しおりを挟む事も忘れて本を閉じ、胸の前で手を重ね合わせる。


「フルーシャさん! 来て下さったんですか!?」


 書斎の扉にもたれ掛かっているダークコートの少女・ユウィルは、わずかに微笑みを浮かべた。

 彼女が笑顔を見せるのは今となってはクライの前だけだ。クライの視界が包帯によって暗闇に包まれていなければそれも違っていたのかも知れないが、クライはユウィルが微笑んでいる事を分かっていたし、ユウィルもそれを隠そうとはしていなかった。

  

「少し話がしたい。今、構わないか?」

「はい、もちろんです」


 クライは立ち上がって、おたおたと本を元の場所に戻そうとする。ユウィルは慌ててそれを制した。


「座ったままでいい。すぐに済ませるから」

「そう……ですか」


 クライは一瞬だけ残念そうな表情を見せる。

 しかしユウィルは手元の書類に目を落としていて気付いていないようだった。


「早速だが『聖戦黙示録』に黒い蠍の記述はあるか?」

「えっと……はい。第七六章に該当項目があります」

「それを頼む」


 すっと息を吸い込んだ後に発せられたクライの声色は、今までの少女のものとは打って変わってひどく無機的なものだった。静かに両手を膝の上の本に乗せたまま、『聖戦黙示録:第七六章』の暗唱を始めた。


 ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ 



 広原の地に赤き月影の舞い散る晩、黒き鋼を纏いて、其の化身現る。


 黄昏の逡巡に旅人戸惑いし時、終りを率き連れ、始りを眠らす。


 貫かれし心は再び蘇る事あらじ、されど赤き力は旅人を永遠なる輪廻に誘う。


 それより三度の晩の後、旅人の犠牲、月に召されん。


 暗融月の化、黒き蠍の戦慄は琥珀に謳う。



 ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ 



 ユウィルは静かに目を閉じてそれを聞いていた。


 ――『蠍の話さ。赤い月の夜のね』。


 黒い瞳の青年の言葉が頭の中で延々と繰り返される。

 (やはり、あの男もこの七六章を知っているのか?)

 ユウィルは口許を手で覆っていた。考え事をするときの彼女の癖だった。

 (いや、『聖戦黙示録』の五〇章以降の記述は一般向けには公開されていないはずだ。知り得るとしたらその道の専門家か、ある程度大きな組織の上層部の人間……)

 

「――シャ――ん?」


 (《政府》、《MAD機関》……身内・・の可能性も否定できない。グルーディスに連絡をいれて探らせてみる必要があるな。ならば……監獄から出したのは早計だったか? 軍隊出身で高階級まで登り詰めていたとしたら――)


「フルーシャさん!?」

「……あ……」

「フルーシャさん、居なくなっちゃったんですか……?」


 見れば、クライが悲しそうな面持ちで立ち上がっていた。

 厚く古びた本を大切そうに抱きしめ、危うい足取りでふらふらと歩き出している。

 形の整った顔に巻かれた包帯が少し緩みかけていた。


「クライ、私はここに居る。すまない、少し考え事をしていた」


 クライは安堵の笑みを浮かべた。すとん、と椅子に腰を降ろす。


「いえ、いいんです。わたしの方こそ……取り乱してしまって」


 ユウィルは本が積まれていない部分を渡ってクライの傍に近づき、そっと包帯を結び直した。

 

「何か不便な事はないか? 出来る限りの事をしよう」

「そんな……不便な事なんてありませんよ? 本も沢山ありますし、看守さんも面白いですし」

「……そうか」

 

 クライは少し俯き、本の表紙を愛おしそうに撫でた。

 それは何か言いにくい事を我慢しているようだったが、ユウィルの意識は再びあの青年に移りつつあり、彼女の様子の真意に気付く事が出来なかった。

 やがてクライが意を決したように顔を上げたと同時に、甲高い警報機が叫び始めた。

 その警報が『収監番号:一八九九七』の異常事態を報せるものである事をユウィルが知るのは、それから数分後の事になる。

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