あの部屋の一角で会いましょう。
『そしてまた、足を進めるために』
ついこの間、人が死んだ。
それは俺の母であり、一般人であり、犠牲になった、可哀想な人だ。
葬式はやらなかった。母はこの家の専業主婦である。我が家以外に親しい人物がいなく、やる意味はなかった。きっと、本人もこんな浪費の仕方は望んでいないだろう。
その、事故の瞬間を思い出すと、っ、████████
……気分が悪くなる。詳細をことこまかに思い出す必要なんて、今はない。
ともかく俺は、落ち込んでいた。何をするにも嫌になって、大学を一週間休むことにした。
今日はその中日。折り返し地点であり、憂鬱の一歩手前。
今日は水を飲んで、天井を見つめ、液晶越しに動く画像を見ていた。
たった一人。無数に人がいる地球から、一人消えたくらいでこんなにも苦しくなっている自分が嫌で、ペットボトルを勢いよくそこへ投げ捨てた。
人と同じように、プラスチックなんてものは無限に溢れている。
でも、プラスチックには家族や知人という概念は存在しない。全てが他人であり、そこに存在していることしか彼……彼女?には分からない。
羨ましいと思った。家族なんて概念、無かったら良かった。
有を手にしたら、いつか無になる。
それが嫌だったから、俺は常に何も持たないことを選んだ。
口からため息を出そうとして、やめた。何かを吐くなんてことが、今はひたすら嫌だった。
嫌になった。
けれど不思議と、外へ足を運ぼうとした。
……きっと、嫌になったからこそ、俺は外に出ようとしたんだと思う。
だって、そうだろ?こんなところにいたら、気なんて紛れない。自身まであの悲惨な光景になろうとしてしまう。
白い部屋。雨により雰囲気が暗く感じるが、整えられた401号室だった。
違う。暗く感じるのは、カーテンが閉まってるからだ。
外を見ていないのにも関わらず、雨だと認識できたのは音のおかげだろう。やはり、耳というのは偉大な存在だ。
『では、それがなかったら?
最初から、存在していなかったら?
今日が雨だと知ることはなく、晴れだと思って過ごせていたのでは?』
父は疑うのが好きだった。頭が良かったが、それを活かそうとはしなかった。
もっともこれは、俺が考えたに過ぎない、幻聴だが。
ベットから起き上がって、出かける準備をした。
俺は、大学に行く時以外はいつも家にいた。
つまり、今日やることとは真逆なことだ。母が見たら驚くだろう。
今日は珍しいことの連続だ。髪を整えた。
首が熱くなるのが嫌で、小さく一つに結んだ。妹が見たら、スズメのしっぽだとはしゃいでくれただろう。きっと。
けれど、少し伸びた髭は剃らなかった。妹が、これを撫でるのが好きで……
……その少女が持っていたぬいぐるみは、今はベットの上でその役割を果たしている。
自身の身体の反対を押し切り、玄関の鍵を開けた。
『行ってらっしゃい』
……
外は雨が降っていた。知っていたはずなのに、目にすると不思議と新鮮感があった。
傘を差すのが嫌になったけど、身体が濡れるのはもっと嫌だった。
今日は雨で、暗い。そのせいか、人が見えない。
先程4階から見渡しても、見えるのは建物ばかりで、人らしき姿は見えなかった。
目的地がなかったため、情けなく彷徨う。とりあえず、建物に入ろうと思った。
雨のせいで、前が見えずらかった。視界はかろうじて地面が映るほど狭く、窮屈だった。
自身の記憶を頼りに角を曲がる。
あっているのかは分からない。けど、自身の記憶が間違ってなければ、嬉しかった。
嫌な気持ちが、少しだけ晴れるように祈った。
そこのに着くまでの道中、誰とも合わなかった。
まるでこの世界の時が、自分以外全員止まったかのように。
俺だけが切り取られて、俺だけが、違う次元を歩いて……
雨の音だけがずっと、耳を穿って。
着いた場所は、図書館。
……残念ながら、目的地ではなかった。けど、その場所は記憶しっかりと存在していた。
その嫌な気持ちは晴れなかったが、雨の勢いが増すこともなかった。
その図書館。今は昔、父が死ぬ前にはよく連れて行ってもらった。
……幼い頃の記憶だ。俺がまだ、小学生で。父が死ぬ、一か月前の。
『知識というのは、あればあるほど良い。
けど、間違った知識は得てはいけない。間違った知識は、無限だ。それを得てしまえば、奈落のように落ちていく。
だから、限りがあって有限な、意味がある、正しい知識だけを得るんだ』
……父はこんなことは言わない。これもまた、俺の考えた、存在しないもの。初めから、無であるもの。
「こんにちは」
ここの館長と思わしき女性がこちらに挨拶をした。カウンター越しでぼやけたなシルエットしか見えないが、声色は女性だった。
その言葉に俺は小さく会釈して、直ぐ近くの棚へ身を隠した。
『この耳がなければ、人をどう区別する?
外見、骨盤、骨格……むしろ、声があるからこそ騙されるのか?』
母が死んで、色々が終わってからまともに人と会っていなかった。
今日も人がいなかった。先のその瞬間まで俺は、孤独だった。
なんだか寒さと緊張、嬉しさで手が震え、それを抑えようと手を伸ばし、本を一冊手に取った。
「私、本ってあまり読まないんですよね」
人がいないせいか、その司書は俺に話しかけてくる。
近くの席に座って、少し経ったら暇なのかこちらへ足を運んできた。
乗り気ではなかった。直近で人が死んで、仲良く他人と話す気分にはなれなかった。そのような優しさは、俺にはなかった。母の血が薄いのだろう。
視線も、声もやらず本のページを1枚めくる。
けど、この雨でも落ちなかった泥のような塊を踏みつけるのには、ちょうど良かった。なんせ、こちらが沈黙を貫いても話を続けているのだから。
「この職業で?読まないの?意外ですよね、私もそう思います」
彼女もきっと、会話が続くのは諦めている。一人で勝手に喋って、勝手に完結させている。よいBGMだと思った。
太陽が眩しかったから、人を殺した?
……雨の日に読む本ではないな。少なくとも、その登場人物の心境を理解はできない、
「なぜ、人は死ぬんでしょうね」
「私も、わかんないです」
視線をやってないから分からなかった。彼女はきっと俺の後ろに立って、様々なポーズをしてるのだろう。
「命という、『有限なものがある限り、それは必ずいつか潰える』」
「『じゃあ、最初から存在しなかったら?』」
ページをめくった。
……
そんなもの、聞かれても知らない。
限りがあるなら、それを1日で使い切ってしまわぬように努力することしか、人間にはできない。
「でも、いいですよね、別に」
「『限りあるからこそ美しい』とか、そういんじゃなくて……」
「ほとんど全員、同じ。同じ人が、限りある寿命の中で、一緒にいる」
「その時間を使ってでも、人は人の側へといる」
「そういうのが、いいんですよ。きっと」
「―――
」
その言葉は、俺の考えを変えた。
そうして喋ろうとした声は、残念ながら開いたドアの音によりかき消された。
振り返った時、そこにはもう彼女はいなかった。
すぐドアの方へと向かい、また「こんにちは」と声をかけた。
……
彼女の思考は、俺のものとは真逆だ。
有を無にするの結末を変えるのではなく、有を無にするまでの過程を、変えようとしていた。
そうだ。世界には人がいる。いてしまう。人が誰一人いない世界なんてものは存在しない。
俺はこの限りある寿命で、あと何度出会いと別れを繰り返すのだろう。
もはや、そんなものはどうでもよかった。
ただひたすらに、人に会いたいと思った。死んでしまった親に、妹に……
彼女の言葉を聞いた、ただそれだけで。
ああ、そうか。俺のこの心は、思考は。
他人に会っていなかったから、ずっと独りで考えていたから、こんなことになってしまったのか。
本を閉じた。針は一周半しかすぎてないが、もう充分だった。
「また、来てくださいね」
彼女は既に、客の対応をしていた。貸し出す本を聞く声が聞こえたから。
それでもその言葉が聞こえな。幻聴だろうか。
俺は出るのを惜しんだが、開いてしまった自動ドアに後押しされ、足を出した。
……
そうして、晴れた日に行った図書館は、人で溢れかえっていた。
彼女はもういなかった。ほかの司書に尋ねても、「そんな人は存在しない」の一点張り。
俺は何を見たのだろう。
でも、人がいるのは嬉しかった。何故だろう。分からないが、その日はずっとそこに居た。
そうして、そんな日があったから、また角を曲がった。いつもは曲がらない、違う道。
今日は曇りだったから、傘は持っていない。
でも、あの晴れの日のような、人はいない。
まただ、またこうだ。
どうして、こうなんだ。俺だけが、俺の周りだけ、人がいなくて……
みんな、死んだように消えて。
世界にはこんなに人が溢れているのに。昨日たしかに、人を沢山見たのに……
あの雨の日だけ、こんな、暗い日は人がいないんだ……
……思えば。
図書館に父と行った日。あの時も、雨が降っていた。
『雨は、人を隠してしまうのか。
雨という存在を認識しなければ、人は現れるのでは?…………では、耳だけではなく、目も無くさないといけないな』
そうして、少し歩いた。その先には、墓があった。████と書かれた、たくさんの人の墓が。
不意に直面してしまった事実に俺は吐き気がした。
目がチカチカする。口を塞いだ。耳を被った。
けど、足は前へと進んだ。そこに、導かれるように。人はいないのだと、証明するように。
「こんち██」
雨が降った。視覚的に認知した。
土砂降りだ。身体には冷たい水が打ち付けられ、風が耳を襲った。
その耳に一瞬だけ届いた一節は、ほとんど聞こえなかった。
「█墓参█です█?」
姿が見えない。何も聞こえない。ただ、人がいるんだと思った。
俺は叫んだ。俺の叫び声も、聞こえなかった。
ただ、そこに存在してればよかった。あの人でも、誰でも、俺の、近くにいれば……
『これが、お前が求めていたものだ。目も耳も見えず、聞こえず。結局は、人に縋るんだ』
「近くにいないのは、あなたでは?」
は―――
……
なぜか、自宅で目が覚めた。
テーブルの上には手紙が置いてあった。
『墓の近くの住民が通報してくれた。「人が倒れている」』
空いたカーテンから見える空は、雲ひとつない快晴だった。
そんなことがあった。
そんなことが起きたから、俺はまた外へ出るだろう。雨でも晴れでも、竜巻が起こっていても。
『何を持たないことを選んだ』
『でも、人は何も持っていなかったら、人に縋ってしまう』
『それは、何かを持つことに、該当するのでは?』
けれど、続くのは雨ばかり。梅雨でもないのに、台風でもないのに。
目が覚める時には、必ず雨が降っていた。眠らなくても、雨が続いた。大学は休講になって、回線はエラーになった。
また、傘を差す。足を進める。
忘れられない、耳から離れない一文。
それは誰しもが言う言葉であり、人にはそれが必要である。
あの、「こんにちは」を耳で聞くために。
人に、他人に会うために。
あの部屋の一角で、出会いましょう。
短編です。これで終わり。
不意に書きたくなって、衝動で書きました。だから超短いです……
そして、人には人が必要だと思った。
なので感想あったらお願いします。私も人なんで。




