渡辺未来登場『希望』
人生経験豊富なシングルマザー、渡辺未来の登場です。
ミリタリー好きになったきっかけと彼女の日常(回想)、サバゲの転換期を描いています。
第5章【渡辺未来】『希望』
<橋の上の観客>
渡辺未来は、通勤のたびに一駅手前で電車を降りる。
52歳。ワイン商社の営業部長。入社20年目。
そして21歳になる娘を育て上げた、シングルマザーでもある。
改札を抜けると、駅前の喧騒から離れるようにして河川敷へ向かう。土手に降りると、風の匂いが変わる。アスファルトと排気ガスの混じった空気から、草と水の気配へ。未来にとってこの切り替わりこそが、一日のスイッチだった。
歩く速度は決まっている。速すぎず、遅すぎず。
営業部長としての顔を脱ぎ捨て、母親としての役割も一度脇に置き、ただ「渡辺未来」に戻るための時間。
橋の上に差しかかると、彼女は必ず足を止める。
欄干に手を置き、河川敷を見下ろす。
20年前――入社したばかりの頃、この場所では密かにサバイバルゲームが行われていた。
迷彩服に身を包んだ人影が、草むらに伏せ、堤防の陰を使い、合図もなく散開する。乾いた音が空気を切り裂き、誰かが小さく叫ぶ。未来は橋の上から、その光景を飽きもせず眺めていた。
最初はただの物珍しさだった。
だが、見ているうちに気づいてしまったのだ。――自分が、ミリタリーという世界に惹かれていることに。
休日には専門ショップに足を運んだ。
ショーケースの中で鈍く光る金属と樹脂。迷った末に選んだのは、ステアーAUGのエアガンだった。独特のフォルム。合理性を突き詰めた設計。未来はそれを「美しい」と思った。
装備も少しずつ揃えた。
ベスト、ゴーグル、グローブ。誰に見せるでもなく、家で身につけ、鏡の前で確かめる。銃を構える角度を研究する時間は、不思議と仕事の疲れを忘れさせてくれた。
当時は、ほぼ毎週のように河川敷でゲームが行われていた。
だが時代は変わった。安全性、近隣への配慮、有料施設の充実。気がつけば河川敷でのサバイバルゲームは禁止され、あの光景を見ることはなくなった。
今、橋の下に広がるのは、ただの静かな草地だ。
人影も、銃声もない。
それでも未来は、橋の上から河川敷を覗き込む。
かつてそこにあった時間を、音を、熱を、確かめるように。
「……変わらないわね、私だけは」
小さく呟き、再び歩き出す。
営業部長としての1日が、もうすぐ始まる。
あの頃・・・(回想)
「…今日もやってるのね」
彼女はスーツ姿のまま、橋の欄干に肘をついて下を見下ろす。そこでは、迷彩服に身を包んだ男女が、草むらを駆け抜け、弾を撃ち合っていた。
未来の視線は自然と、ひときわ目立つ男に引き寄せられる。
市川隼人——しなやかな動きで仲間を導き、まるで獣のようにフィールドを支配している男。
「やっぱり…かっこいいわよね…」
無意識に口元が緩む。周りを気にしてハッと背筋を伸ばし、再び足を進める。
未来自身はワイン商社の営業担当だが、最近は数字に伸び悩み、上司からの圧力もきつい。
「渡辺、もっと結果を出しなさいよ! 若い子に負けてどうするの!」
朝礼での怒声が、未来の胸を刺す。
深い溜息をつき、未来は橋を渡りきるとコンビニでアイスコーヒーを買う。
「…私も、撃たれたいわね…」
自嘲気味に笑いながら、缶コーヒーを片手に歩く背中は、強さと脆さが同居していた。
その頃、フィールドでは隼人がマスクを外し、仲間に指示を出していた。
「おい、またあのスーツの女性来てるな…」
橋の上の小さな影に、隼人の視線が止まる。
未来はまだ知らない。
橋の上の静かな観客としての日常が、今まさに変わろうとしていることを。
<営業の戦場>
未来は吉祥寺駅近くのワイン商社「サントヴィーノ」に勤めている。
エントランスに入ると、香水の匂いとハイヒールの音が交差する。
「渡辺さん、先週の案件どうなりました?」
若手の女性社員が鋭い目で尋ねる。
「まだ返事待ちなの」
笑顔を保つが、心の中では焦りが渦巻く。
未来はPCに向かい、必死に提案資料を作成する。
営業という名の戦場では、笑顔すら鎧の一部だ。
午後、未来は高級レストランでの試飲会プレゼンに臨んだ。
「こちらの白ワインは、少し冷やして提供すると素晴らしい食中酒になります」
周囲の目は冷静で、評価の言葉よりも数字だけが重く響く。
(…私、本当にこの戦いを選びたかったのかな…)
会の後、未来は多摩川の橋に向かう。
夕日に照らされた河川敷に、今日は誰もいない。
「……会いたい、なんて…おかしいわよね」
言葉は風に流れ、夜の帳に溶けていった。
だが、心の奥には小さな火種が確かに灯っていた。
<撃ち込まれた一言>
休日の朝、未来はコーヒーを片手に多摩川沿いを歩いていた。
白いシャツにデニム、スニーカーというラフな装い。
橋の上からフィールドを見下ろすと、やはりそこに隼人の姿があった。
(今日もいる…)
無意識に笑顔がこぼれる未来。
「おはようございます!」
突然、真下から声が響く。
覗き込むと、隼人がヘルメットを外して未来を見上げていた。
「毎週見てくれてますよね? 橋の上の観客さん!」
「えっ……」
声にならない声。
「よかったら降りてきませんか? 今日は見学OKなんですよ!」
「いや、でも…私は…」
「怖いですか? でも、スーツ着てる人だって戦ってるでしょう? 僕たちと同じです」
その言葉が胸に深く突き刺さる。
気づけば未来は階段を降りていた。
川の音が近づくにつれ、呼吸が浅くなる。
「初めまして、市川隼人です」
「わ、渡辺…未来です…」
隼人は大きな手を差し出し、未来の手を包む。
「ようこそ、未来さん。今日からあなたも仲間ですよ」
未来は土の匂いに包まれ、胸の奥にあった鎧が一枚ずつ剥がれていくのを感じていた。
<初めての銃声>
未来は迷彩服に着替えていた。
「似合ってますよ!」と笑う隼人の言葉が、心を揺さぶる。
(何をやってるの、私…でも…)
隼人が背後から肩に手を添える。
「ここをこう持って、頬に当ててください。…そう、いい感じです」
隼人の息遣いが耳元にかかり、未来の心臓が高鳴る。
「撃ちますよ?」
「は、はい…!」
——パンッ!
未来の初めての銃声が響く。
外したが、その瞬間に何かが弾けた。
「私、撃ったのね…!」
笑顔を見せる未来を、隼人が優しく見つめる。
「その笑顔、営業スマイルじゃない。本当の笑顔だ」
未来は言葉を失い、視線を逸らした。
「今度は一緒に走りましょう。動く楽しさを知ってほしい」
「私、本当に走れるかしら?」
「もし転んだら、僕が抱き上げますよ」
思わず吹き出す未来。
仲間たちも笑顔で見守る。
未来は空を見上げ、深呼吸する。
(私は今、確かに生きてる——)
<川面に映る未来>
未来は隼人とともにフィールドを駆け抜けていた。
呼吸は苦しいが、足は確かに大地を捉えている。
「未来さん、右から来ます!」
未来は即座に反応し、銃を構える。
——パンッ!
初めて命中した相手が「ヒットー!」と叫ぶ。
「すごい! 初めて倒せたの!」
未来は笑い、隼人は横で笑顔を見せる。
だが、ゲームが終わると、未来は静かに川面を見つめた。
「楽しかったでしょう?」
隼人が隣に腰を下ろす。
「……ええ、本当に楽しかったわ。でも…」
未来は自分の反射する顔を見つめた。
「でも、これ以上は……できないわ」
「え?」
「私はまだ小さな娘の育児もあるし、そんな余裕はないわ。…今日が特別なのよ。」
隼人はしばらく未来を見つめ、小さく笑った。
「……そうですか。でも、今日来てくれて本当に嬉しかったです」
「これからも私は橋の上からあなたたちを応援するわ。それが、私の戦い方だから」
隼人はそっと頷き、未来を見送った。
未来は歩き出す。
背中は凛とし、誇らしげだった。
(私は私の場所で戦う。それでいいのよ)
<元の自分>
翌週の月曜日、未来はスーツ姿で出社した。
背筋は真っ直ぐ、目は前を見据えている。
「渡辺さん、今週もお願いしますね!」
「もちろんよ。私、負けないから」
会議室へ向かう未来の胸には、川沿いで知った「自由な気持ち」が生きていた。
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<希望の照準>
夜明け前の空は、いつも戦場の色に似ている、と渡辺未来は思う。
群青と灰色の境目。まだ勝敗が決まっていない時間帯。
肩書きだけを並べれば、それなりに整った人生に見えるだろう。だが未来自身は、自分を「生き延びてきただけの兵士」だと感じていた。
クローゼットの奥には、丁寧に保管されたミリタリーグッズがある。グロックの分解図、世界各国の迷彩服、戦史の専門書。
誰にも見せない、小さな秘密基地だ。
戦争が好きなわけではない。
極限状況でなお判断を誤らない人間の精神、その「覚悟」に惹かれてきた。
未来は今日も、鏡の前でネクタイを締める。
営業部長としての顔を作るために。
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午前中の会議は、予想通り荒れた。
為替、輸送コスト、若手社員の離職。
誰かが言った。
「正直、先が見えませんよね」
未来は一瞬、言葉を選ぶ。
そして、淡々と答えた。
「見えないからこそ、進路を決める意味があるのよ」
それは部下のための言葉であり、同時に自分自身への号令でもあった。
彼女は知っている。
戦場では、希望は感情ではない。
行動を選び続ける意志そのものだ。
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夜、帰宅すると娘の靴が玄関にあった。
社会人2年目。最近は忙しく、顔を合わせる時間も減っている。
「おかえり」
娘はキッチンから顔を出し、少し照れたように笑った。
「今日、内定もらった」
一瞬、未来は言葉を失った。
胸の奥で、何かが静かにほどける。
「……よく頑張ったわね」
それだけ言うのが精一杯だった。
娘は知らない。
離婚を決めた夜、未来がどれほど将来を恐れていたか。
何度も「この選択は正しかったのか」と、自分を裁いてきたことを。
だが今、目の前に立つ娘は、自分の足で人生を選び始めている。
それだけで、十分だった。
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クローゼットの奥、黒いケースを引き寄せる。
長い間、存在を忘れたふりをしていたそれを、未来はそっと開いた。
ステアAUG。
樹脂のボディは驚くほど滑らかで、手に吸い付く感触がまだ残っている。
エアガンだ。
本物ではない。
だが、未来にとっては「自分が自分でいられた時間」の象徴だった。
肩に当て、構える。
視線が自然と前に伸び、背筋がすっと伸びる。
――この感じ。
鏡に映る自分の瞳が、わずかに輝いたのを未来は見逃さなかった。
営業部長でも、母親でもない。
ただの「渡辺未来」という一人の人間の目だった。
「……サバイバルゲームでも、やってみる?」
思わず口に出して、ふっと笑う。
52歳。
職場では「落ち着いた管理職」。
世間的には「もう新しいことは始めない年齢」。
でも、本当にそうだろうか。
娘が独り立ちしてくれたら、
私の希望は、何になるんだろう。
その問いは、銃口よりもまっすぐに未来の胸を突いた。
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育児で費やした21年。
時間、体力、選ばなかった無数の可能性。
後悔は……ない、と言えば嘘になる。
あの頃、夜中に一人で泣いた日もある。
仕事と育児の両立が限界を超え、「全部投げ出したい」と思ったことも、一度や二度ではない。
それでも、未来は逃げなかった。
戦場で撤退が許されない局面があるように、
母親にも「ここだけは譲れない地点」があった。
娘の寝顔を見て、
「この子が自分の人生を選べるようになるまでは、前に進む」
そう決めただけだ。
気づけば21年が過ぎていた。
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ステアAUGをケースに戻しながら、未来は思う。
希望は、
「誰かのために生きること」だけじゃない。
これからは、
自分のために選んでいい戦場があってもいい。
週末のサバイバルゲーム。
ミリタリーイベント。
あるいは、まったく別の何か。
娘が巣立ったその先に、
空白ではなく「余白」があるのなら――
そこに何を描くかは、まだ決めなくていい。
希望とは、完成形ではない。
再び照準を合わせる余地があること。
未来はケースを閉じ、深く息を吸った。
まだ終わっていない。
まだ、始められる。
渡辺未来は、初めて「自分の未来」を想像し、静かに微笑んだ。
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翌週の月曜。
渡辺未来は、久しぶりに胸の奥がざわつくのを感じながら出社した。
営業部長としての一日は、数字と調整と謝罪の連続だ。
だがその日は、輸入元とのオンラインミーティングが一本入っていた。
相手はオーストリアの小規模ワイナリー。
品質は抜群だが、マーケティングが弱く、日本市場では埋もれている。
画面に映ったのは、白髪混じりのオーナー。
背景には、山と森。
未来の視線が、ふと止まる。
「……その背景、訓練場の近くですか?」
オーナーは驚いた顔をした。
「ええ。昔は軍の演習地でした」
未来の脳内で、点が線になる。
オーストリア。
軍。
ステア。
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「実は、御社のワイン。
“強さ”の物語を持っています」
会議の後半、未来は普段しない語り方をした。
「極限の環境でも折れない土壌。
長期熟成に耐える構造。
それはまるで、兵士の装備設計と同じです」
部下たちは一瞬、言葉を失った。
だが、未来は構わず続ける。
「日本には、機能美を理解する層がいます。
サバイバルゲーム、アウトドア、ミリタリー愛好家。
彼らは“物語のある道具”を信じる」
ワインは嗜好品だ。
だが同時に、信頼の積み重ねでもある。
「“勝ち残るための一本”として、売りませんか」
沈黙のあと、画面の向こうでオーナーが笑った。
「……あなたは、面白い人だ」
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企画は、社内で賛否を呼んだ。
「ワインとミリタリー?
イメージが尖りすぎでは」
未来は静かに頷く。
「ええ。
でも“尖らせないと届かない層”がいるんです」
二十年、営業をしてきた。
失敗も、撤退も、成功も知っている。
そして今ならわかる。
自分の人生そのものが、説得力になる瞬間があることを。
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週末。
未来は、初めてサバイバルゲームのフィールドに立っていた。
ステアAUGを肩に、迷彩服を着た自分を、少し笑ってしまう。
「初心者ですか?」
声をかけてきたのは、三十代の男性だった。
「いえ。
ブランクが長いだけ」
銃声の合間、
未来は思う。
仕事で培った交渉力。
育児で身につけた忍耐。
ミリタリー趣味で鍛えた観察眼。
全部、まだ使える。
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数か月後。
「フィールド帰りに飲む一本」として企画されたワインは、限定ロットながら完売した。
ラベルには、控えめにこう記されている。
―― For those who keep choosing tomorrow.
未来はオフィスの窓から夜景を見下ろす。
希望は、若さではない。
可能性は、消費期限切れにならない。
渡辺未来は今、
自分の人生を“再設計”している。
夜、自宅に戻った未来は静かなリビングに入る。
そのとき、スマホのLINEが小さく鳴った。
《マスター(喫茶店Ayuzoroy)》
「明日、お店に来て!」
未来は一瞬だけ画面を見つめ、小さく息を吸った。
(また、新しい戦いが始まるのかもしれない……)
そう思いながら、未来はスマホをそっと胸に抱えた。
そして、部屋の明かりが静かに灯る中、新しい夜が静かに幕を開けた——。
Ragdollの殿を担うことになる安定感ある存在となる未来。
シングルマザーとして育児に追われた時から解放され、新たな人生を戦い始める未来。
未来がどんな見せ場を作っていくのか、未来の希望に期待です。




