【0-6】初めて言えた感謝の言葉
アーサーは教室で一人、机に伏せていた。いくつかの冊子を腕で守りながら、周囲からの視線に耐える。
今まではずっとそんな生活だった。学園では自分のような平民の立場は無く、ただ周囲からの侮蔑を受け入れるだけ。
だが、そんな日々は最近少しずつ変化が生まれていた。
転校生のアテーナ・ガラティア。
ガラティア王家の王族で、雲の上の存在の彼女と良く関わりがあった。
初めは一人きりでいた彼女が心配で声をかけたのだが、そこから徐々に距離が縮まって、今では会話もできる。
怖い人だなとも思っていたけれど、泣いていた彼女に話を聞くと、全然そんな事の無い人だって知れた。
彼女が来る前はいつも教室にはいなかったけれど、最近は彼女と話すのが楽しみで教室に足を運んでいた。
自分の近くで誰かが止まった音がした。
肩がツンツンと叩かれ、目だけを向けるとアテーナが立っている。
髪は普段ボサボサにしているのだが、後ろで一纏めにして綺麗に梳かされていた。
「おはよ、アーサー。その、言いたいことがあって」
「言いたいこと?」
アテーナは胸の前で指をモジモジと動かしながら、口を開けては閉じていた。
大きく深呼吸したかと思ったら、また深呼吸して肩で息をする。
「あり、あり、」
「お、落ち着いてください。ゆっくりで良いですよ」
慌てるアテーナの手を掴んだアーサーに、さらに焦って体を揺らすアテーナは、なんとかアーサーを見た。
一瞬目を瞑った後、ゆっくりと目を開く。
「この前はありがと。その、変な話聞かせたわね」
「あ、別にそんな。辛そうだったから」
「素直に受け取って!」
体中から熱が出るのを悟られないように、アテーナは必死に平静を装っていた。
好意や羞恥心でも緊張でもない。初めてのことをした高揚感と不安で胸がいっぱいだった。
アテーナは昔から感謝が苦手な子供だった。
見える人は皆敵で、物心ついた時には既に孤立していた。
唯一関わりがあった少女も、今ではもういない。
その少女にも当時では甘やかされていたアテーナは、感謝を知らずに育った。
正真正銘、人生初めてのありがとうだ。
言葉を発した時の胸が空いた感覚や、肩から重荷が取れたような浮遊感があった。
まして言われることすらほぼ無かったアテーナは、今この瞬間に人知れずに感動していた。
「そうだ、今日は魔道具の範囲に入るでしょ?私魔道具いくつか持ってきてて、余ってるからいる?」
「いいんですか、それは嬉しいです!僕自前では魔道具なんて高くて用意出来なかったから、今までの授業はついていけなくて」
アテーナはアーサーの前に袋を出して開いてみせる。
中からは袋よりも大きい魔道具がいくつも出てきた。
それらを綺麗に机に並べていく。どれもアーサーには見たことの無いもので、何が良いのか区別はつかなったが、それらが他とは比べ物にならない魔力を秘めているのだけは分かった。一つ一つに魔石が幾つも付いていて、どう見ても自分の様な者に手が届く物とは思えなかった。
「あ、あの。流石に受け取れません!こんなに高価な物」
「そう、そっか」
寂しげに俯いたアテーナを見ると、胸が締め付けらる思いがした。
アーサーは机に並べられた魔道具に目配せをすると、その中でも特に魔力を秘めていたブローチに指を指す。
「こ、これ!やっぱり欲しいです」
「ホントに!?」
アテーナが大げさに喜べば、アーサーも思わず微笑む。
ブローチを手に取ったアテーナは、魔道具の性能について語りだした。
「このブローチはね、『秘宝の魔道士』と呼ばれたあの魔道具作りの第一人者、レイエナー・フォン・ラビアルトの作品の一つでね。防御結界と反撃結界のついた優れものなの!サファイアで出来た蕾を象ったブローチは、攻撃に反応して花開くのよ」
まくし立てるかのように話すアテーナに、アーサーはしどろもどろに慌てながらも何とか聞いていたが、特に耳に入ったのは『秘宝の魔道士』という言葉だ。
聞き間違えじゃなければ、三代目魔神の一人なのだが本当に気軽にもらっていいものなのか。
熱弁するアテーナを見ると受け取らないわけにもいかずに、緊張はあれで両手で丁寧に受け取った。
自身の持つ物とは扱うのとは訳が違い、慎重に愛でるように丁寧に扱った。
「あ、ありがとう。アテーナ」
「なら授業にいきましょ」
落とさないよう、落とさないように、アーサーは慎重に魔道具を持って教室を出るのだった。
そんな彼を気に食わないとばかりに鋭い目線で見る者がいたのだが、それにも気が付かないほどに魔道具に意識を割いていた。
「あの平民なんのつもりであの様な魔道具を貰ったのかしら」
「分不相応だって分からないかな」
「出来損ない王女も王女だ。この学園で平民と関わるなんて」
アーサーは聞こえていないようだが、アテーナの耳には十分に届いていた。
忌々しそうに眉間に皺を寄せて、足で何度も地面を叩く。
アーサーを連れて教室からさっさと出ていくのだった。
■ ■ ■
教室につくと、アテーナは自分の魔道具を置いてきた事に気づき、急いで取りに戻った。
アーサーは教室に座ってブローチをまじまじと見つめている。
今は蕾の状態だが、自身の胸につけていれば攻撃を受けた際に花開くのだ。
そうやって魔道具を見ていれば、後ろの生徒達が何やら大声で話だした。
「平民ごときに使われる魔道具なんて製作者が可愛そうだよな」
「富の無駄遣いというものですわ」
「王族に目をかけられたからって、調子に乗って。出来損ない王女の眼鏡にかなったところで意味は無いのに」
アーサーが静かに拳を握りしめて、黙っていると何人かの男子生徒から背中を叩かれた。
振り向けば、三人の男子がニヤニヤと笑みを浮かべている。
ブローチを隠すように腰に手を引いて、アーサーは三人と向き合った。
「おい平民、その魔道具もらってやるから寄越せよ」
「アルカー様からのお願いだぞ、大人しくその魔道具を渡せ」
「貴様のような下賤な者からもらってやるというのだ」
じりじりと詰めてくる三人に、アーサーは魔道具を後ろに隠して、睨みつける。
いつもなら黙って渡すアーサーだったが、今回はそういう訳にはいかなかった。
「いや、です」
思いもよらぬ言葉を言われた三人は、眉を釣り上げる。
多くの生徒が見る中で、三人は笑い顔をやめ、無理やり教室の外にアーサーを連れ出した。
■ ■ ■
アテーナが教室に戻ると、アーサーが傷だらけになって席に座っていた。
腕から血が出ているし、顔に打撲痕がある。
「どうしたのそれ!」
「気にしないでくだ、さい。それより、ごめんなさい。貰った魔道具失くしちゃって」
そんな訳ないでしょうと口から出かけたが、視界の端に魔道具を持った男が映った。
アテーナの瞳が蠢き、その男を睨みつける。
男はそんなアテーナの視線に気づいたのか、ニタニタと笑いながら近づいた。
「よう、出来損ない王女。この魔道具はその平民が快く譲ってくれたんだよ」
「……」
「何だよ怖い顔して、はっはこんな魔道具、出来損ない王女にも平民にも勿体無いからな。使ってくれてありがとうございますだろう?」
男を睨むアテーナの視線は冷ややかさと憎悪を増していく。
視線だけで殺せるのではないかと思うくらいの視線で威嚇するのだが、男は意にも介さない。
アルカー・フォン・ハルスバル。ハルスバル公爵家の彼はその権力を盾に好き放題学園で行動している。
出来損ない王女と平民風情を害した程度では罰せられない彼は、調子に乗っていた。
アルカーが高笑いをしていると、突然彼の頭に足がめりこんだ。
「気色悪い」
その光景に誰もが動きを止めた。
冷たい言葉と共に蹴りをいれたのは、レアーナ・フォン・アラカルナ。
長い金髪を手で払い、見下ろす様は美しく、冷めきったように立っている。
「お、お前、俺様が誰か分かって!」
「貴族の役割も果たせない畜生の間違いでしょう?」
何のことも無いように言い放ち、興味のない暗い瞳だけを見せる。
アルカーはその目線が気に食わないのか、殴りかかるが、レアーナは横に動いて避ける。
空振りそのまま体勢を崩したアルカーは振り向きざまに拳を振るが、またも避けられる。
「少し前言ったと思うのだけれど。理解出来てなかった?私は王族が役割を果たさないのが嫌い。それは勿論貴族も同じよ」
「何が言いたいんだよ!」
「貴族の役割は民を守る事。それが出来ないなら存在価値は無いわ。貴方のように平民から物を奪うなどもってのほか」
淡々と告げるレアーナに、アルカーは歯を噛み締めギリッという音が鳴る。
今にも飛びかかりそうなアルカーから視線を反らし、アテーナとアーサーに冷ややかな視線を向けた。
「王女も、この学園で平民にあんな魔道具を渡せばこうなると予想できなかったかな」
暗にその程度の事も理解出来ていないと言われ、アテーナは口の中で言葉を噛み締めて押し黙る。
実際、確かにこうなる事は想定するべきだったのは間違いではないからだ。
レアーナはアーサーにもその冷ややかな視線を向け、アーサーを体を縮こませた。
「平民でありながらこの様な学園に入学したのは愚かね。ただ、王族から下賜された物を守り抜こうとする姿勢は評価するわ」
「あ、ありがとうございます」
レアーナはサイドアテーナに視線を向けた。
アテーナは顔を強張らせ、息を吐いて落ち着かせる。
「そこの畜生にやり返そうとしたところだけは評価するわ。それに、その少年を見ると案外まともな感性も持っているようだし」
「……え」
「意外だったかしら?ただ私は間違った事は言っていないよ。自身の友や臣下が傷つけられて黙っているのは王族として不適格。でも貴女はそこだけは出来ていたからね」
認めるところは認める。レアーナは責務などを重んじる女だが、そこに私情は挟んでいない。
そう言えば、今日は出来損ない王女とは言っていなかった。
二人にはもう言う事は終わったとレアーナはさっさと椅子に座って冊子を読み始める。
アテーナとアーサーも席に座るのだが、大声でアルカーの叫ぶ声が響いた。
「てめぇ、公爵家の俺に手をだしてタダで済むと思ってんのかよ!!」
「ええ、特段問題とは思わないけれど」
淡々と、鼻で笑ったような声で告げるレアーナに、ますますアルカーは顔を赤く染める。
怒りに顔が真っ赤に染まったアルカーが腕を横に動かせば、炎の矢が三本現れる。
炎の矢はレアーナの心臓と首を目掛けて放たれると、レアーナは眉一つ動かさずに氷の盾を作って防いだ。
「〈紅の魔女〉の名を知らないのかしら?私に魔法で勝てると思っているなら、大間違いよ」
レアーナが魔法を発動させ、炎の矢を生み出す。
三本の炎の矢は、アルカーが放った炎の矢と同じ魔法とは思えないほどの力を秘めて、熱が教室全体に伝わっていた。
放たれた炎の矢に、アルカーは悲鳴を零しながら同じ魔法で相殺しようとするが、かき消されてアルカーの服を貫いた。
「アラカルナ伯爵家は常に帝国と最前線で戦う国防の要。ハルスバル公爵家だろうとかかってきなさい、帝国同様に叩き潰してあげるから」
「っっ……!」
威厳ある魔女の姿に誰もが息を呑む。
常に帝国の脅威に晒されながらも領地を保ち続け、他家の救援さえもしているアラカルナ伯爵家は大きな力を持っている。
その気になれば西部一体をまとめ上げ、ガラティア王国からの独立さえ出来る一族の言葉は確かな重みと力を持っていた。
アルカーは何も言わずにさっさと去っていき、レアーナは鼻で笑って席に座る。
講師が入ってくると立っていた生徒たちは急いで座り、授業が始まるのだった。




