母のぬくもり
「通信兵、陛下がお見えです、各師団長以下即刻来るように連絡してください」
椿が各師団長に陛下親征の件を手短に伝えるよう指示した。
陛下親征のインパクトは強かったが、あまりに常識の範疇から逸脱していたので訝しむ者も現れた、しかし双眼鏡などで近衛師団の団旗を見つけ、その者たちも事実かもしれぬと大慌てで駆けつけてきた。
近衛師団は皇帝の親族が率いたり部隊が足りないとき特別に出撃した例は無くはないが、基本的には御所の衛士が前身であるので師団が動いていると親征の信ぴょう性が大いに高まる。
「追撃を行わなかったのは、このような理由だったのだな」
「事情が事情だ。やむをえないだろう」
「陛下を放って追撃という訳にはいくまい」
会戦に勝利した後追撃をかけて戦果を拡大するのは戦場の常であり、追撃を止められたことに不満を持つものもいたが、事情を知って納得した。
近衛師団が酒湖の軍に合流するごろにはみな本陣に到着し陛下が訪れるのを今か今かと待ちわびていた。やはり勝利を見てもらえたというのが多分に名誉的なものではあるのだが、気分を上ずらせる事となり先ほどまでの苦労をよそにみな軽口などを叩いている。
「みな、陛下がお越しになるぞ」
見張りに立っていた参謀の1人が急ぎ足で駆け込んでくると、思い思いに行動していた面々がきりっとした面持ちに変わり、また周囲も水を打ったような静けさに包まれた。
「みなに、集まってもらってすまない」
陛下の第一声が発せられると、頭を深々と下げていた諸将の頭がサッと上向く。
「こたびの勝利、みなの働きがあってこそであり、みなが力を合わせたものである。その勝利に朕が立ち会う事が出来た事、とても嬉しく思う」
「みながばらばらで動いていては出来ることも出来なくなってしまう。この地の防衛は我が国にとっても重要である。みな協力しことに当たって欲しい」
陛下のお言葉が終わられると諸将が再び頭を下げる。
その後、陛下が各師団の者たちと直接意見を交換を行われ、興奮した諸将が引き取るころには日はかなり傾いて、椿の目の奥に茜色の光を投げ込んでいた。
「椿、久しぶり」
「お母さま!?」
椿の母、梢である。戦場に居るはずがない人物に出会い頭が混乱する椿の頭をポンポンと叩き「お義父さんについて来たの。心配でしょ、お年を召してらっしゃるのに」と言う。
「なに、悩みでもあるの?」
「いいえ、問題ありません」
「椿はこういう時の嘘がホント下手なんだから」
誤魔化す椿に梢はうんうんと頷き、すぐ横に腰を掛けた。
「上手く言ってないんでしょ、人間関係」
「えっ?」
「わかるわよ。自分の娘の事くらい」
梢が急に驚く椿の瞳に自分の瞳を差し込み優しく微笑むと、その狼狽えた瞳に微笑んだ自分の姿が写った。
「椿、お母さんはこう思うの」
「えっ」
「何から話していけばいいかなぁ、あっそうだ、椿が学校に入る前くらい小さな頃の将来の夢って覚えてる?」
「えっ……何も……」
「そう、じゃあ言うね、ケーキ屋さん」
「……」
「椿ったら、カール王国料理屋さんで食べたケーキがよっぽど美味しかったらしく、私もこんなに美味しいケーキを作るコックさんになるって言ってたのよ」
「全然覚えてない」
呆気にとられ困り顔の椿に母はまるで独り言を話しているかのように会話を続ける。
「ケーキ屋さんへなる夢は叶えられなかったけれども、軍人さんへなる夢は叶ったといっていいのかな」
そう言って母は悪戯じみた笑みを浮かべ、視線を沈む太陽へ向けた。
「私はね、活動写真の女優さんになりたかったの」
外は雲一つなく、深い茜色が地平まで続いている。
「友達とみんなで行った活動写真を見た時にね、ああ、すごいな、私もああいう風に演技をしてみんなを感動させたいなって」
母はゆっくりと視線を椿に戻した。
「みーんな子供の時、学校を卒業した時、働き始めた時……その時々で色々な夢を持っているの」
「でもね、ほとんどの人は夢をかなえられない……才能の問題・環境の問題・金銭の問題など色々な問題からね、夢を諦めて妥協して生きていくの」
「私は……」
「椿、これだけは忘れないで。夢を叶えられなかった人たちの心の中には、ほんのほんの小さな炎がね、燃え尽きずにくすぶっているの」
「そう、私の中にもくすぶっているのよ」
そう言って視線を星空に向けた。
「みな時々立ち止まっては炎を見て、ため息をついてゆっくり歩き出すの」
「私は、今のままでは……炎なんて」
梢は動揺する椿に視線を戻す。
「椿はなーんでも自分でやろうとする、そこが椿のいい所でもあり悪い所でもある」
椿はまるで幼子のように母の瞳をすがるように覗き込んだ。
「いい、司令官さんは監督さん、監督さんは1人で何でもしなくていいの」
「監督さんは、優しく舞台を作るの、そうみんなが演じやすいように」
「演じやすい?」
「そう、小さなころになりたかった燻ぶった夢、飛行騎乗り、職業野球やスチューザンの職業蹴球、俳優や小説家もそうね、研究者、軍人、政治家あと有名店の看板娘……色々あるけれど、なれなかった自分、なりたかった自分――」
「なれなかった……自分、なりたかった……自分」
椿は釣られて復唱していた。
「そう、みな初めは舞台に上がっていいか躊躇する……周りをキョロキョロ見回して、周囲を伺いどうしようか考える」
梢は楽しそうに首を左右に振って語り掛ける。
「そのうち1人が舞台に上がって演じ始めるの、なれなかった自分でもどうにかなることができる自分、いつもの自分よりちょっぴりかっこいい自分」
「1人が演じ始めると一人また一人と演じ始め、しまいには皆が演じるようになる」
「皆が好き勝手演じるものだからひっちゃかめっちゃか、動きもヘタッピでギクシャク、でもそれでいいの」
「いい?」
「うん、主役じゃない、でも精一杯背伸びして演じる……鳥や木でもいい……セリフが無くったっていい、みんなで精いっぱい頑張る大切な居場所、みんなで頑張って守る安らげる居場所」
「でも、お母さま、私は、私はどうすれば」
梢は今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにした椿に対してうんうんと優しくうなずく。
「舞台作りを心掛けなさい、皆がそこにいると心地よい居場所――才能が有り余る子もちょっと至らない子も一緒に居られる――そんな舞台」
「うん」
「それとね、才能がある子は才能の至らない子から託された夢や思いを背負っていることを忘れないでね」
「お母さんとの約束」
それを眺める2人の男たち。
「真好、お前の一族は本当に人を見る目があるな。私の出番が無くなったぞ」
「陛下、私の出番も無くなりました」
皇帝は真好に疑惑の視線を向ける。
「ところで真好、……情報を漏らしてはおらんよな?」
「滅相もございません! そのようなことは……」
「うむ、ならばいいのだが」
2つの影は小さくなっていった。
椿は歩き出す。目的は第038師団の元である。
「司令、ようこそいらっしゃいました」
負傷しつつも作業をしている兵士が駆け寄って来た。
「いいのです。様子を見に来ただけですので気づかいは無用です。それより傷は大丈夫なのですか?」
「わ、私は大丈夫です! でも死んだ者も沢山いて……」
そう言葉を濁す兵士に椿は寂しく笑いかけた。
「私が至らないからこのような結果になってしまいました。せめてみなに手を合わせようと思います」
「司令……」
椿はそれ以上の会話を笑顔で制してそのまま激戦のあった前線まで歩いてゆく。
そこは、血の匂いが漂う惨状で、血を吸って所々赤くなった砂が、夕日によって黒っぽく写り、傍らにある遺体は、五体満足の者は少なくどこかしら欠損していた。
「……」
「この子は金の指輪をしている……」片足が無くなった遺体に手を合わせる。
「この子は銀に宝石をあしらったネックレスを付けている……」手が無くなった遺体に手を合わせる。
「この子はみょうがのブローチをしている……」首が無くなった遺体に手を合わせる。
「この子は百合の髪留めをしている……」魔動歩兵に踏まれたであろう潰れた遺体に手を合わせる。
兵の死は今まで数字で処理をしていた。
当然、みなに親兄弟が居ることも知っている。
戦術上で考えると双方の戦力と言う概念になり、人や兵器の能力でカテゴリーごとに振り分け、やはり数字で考えてしまう。
「私は、この若い子たちに、舞台を作れていたのでしょうか?」
椿の鼻孔に線香の香りが掠め、思わず振り返る。
「ほら、椿、お線香」
梢が炎の魔法で点けた線香を半分貰う。
「ずいぶんたくさん持ってきたのね」
「あとね、みんな何の宗教か分からないから玉串に数珠にクロス色々持ってきたの」
「あ、うん、そこまでは、いいんじゃないかな」
呆れる椿に梢は寂しそうな視線を投げた。
「椿はちょっとだけ変わったね」
「えっ、そうかしら?」
(昔だったら、お母さんにキツく当たってたでしょうに)
梢はそう思い目を細めた。
「この子たちは椿にどうなって欲しかったのかな」
「椿にどんな夢を託したかったのかな」
梢は少女たちの亡骸をいたたまれない視線で見た。彼女らを直視すると心が痛み、辛くなる。
「えっ? お母さま、何か言いました?」
「娘がいる母親ですもの、この子たちの気持ちもわかるし、この子たちの親の気持ちもわかるので、せめて魂だけでも故郷に帰れればってね、思ったの」
「そうだね」
線香の煙は、夕焼けの星々目指し上がっていった。




