酒湖進出
夜が明ける前の午前5時、目印用の残った杭以外の荷物を貨物魔動車や、駱駝、魔動歩兵、兵隊のリュックサックなどにしまい、行軍の合図を待つ。
みなが沈黙しているせいなのか、何とも言えないような重苦しい空気が流れる。
「しゅったーつ」
椿の声が山彦のように周囲の口上に広がると、堰を切ったように足音高く先頭の部隊から行軍を開始した。
流石に参謀長は仕事が早く、エナホトを三木から聞いた次の日には偵察騎を飛ばし、その後移動の手配を整えて乃本と共に第1師団を率いて占領に向かっていた。
途中に小さな古城を利用した見張り用の拠点、湖のほとりにある中隊規模のプロイデンベルク軍が駐屯する拠点など、前もって空より調べ上げた場所に狙いを定める。
まずは空から爆撃や魔銃掃射をして魔動歩兵などを撃破しておいて、その後こちらの多数の陸軍で包囲殲滅させていく。
「司令、ことは上手く運んでいるようですな」
伊賀が後ろから声をかけて来た。
「そうですね、今のところは順調です。ただ……」
「ただ?」
伊賀はメガネのつるを持ち角度を調整する。
「エルウィンには知られたでしょうね」
伊賀は軽く笑い言葉を続ける。
「まあ当然ですよ、例え今知られていなくても、まだ大小5か所ほど残っておりますので、全部片づけるころには確実に知られているでしょう」
プロイデンベルクは歴史上スチューザンとは別の方向で諜報を重視してきた。当然翔陽よりも優れており、特に暗号や通信など情報伝達技術に長けていた。
歴史的に言うと、プロイデンベルクは翔陽やスチューザン、カール、スーズルカと同じように王を中心として下に貴族がいるような封建国家だった。
貴族はそれぞれ大小の領地を持ち、それを経営して農作物の収穫や職人の工芸により生計を立てていた。
その貴族たちは、王に自分の所有する領地の所有権を認めてもらい、その代わりいざ戦となったおりに兵を率いてはせ参じる。封建体制にある国は何処もそのような関係であった。
それも年代が下り、帆船の発達により世界が狭くなったことによりその関係性も崩れた。
どう狭くなったかと言うと、船は徒歩や動物に引かれた車より、より早くより多くの荷物を運び、商人たちは遠い異国の征服した領土から安い特産品を大量に輸入した。
それにより、安い価格に対抗するために今までの価格より安くすることを強いられて多くの貴族が没落していくことになった。
重農主義から重商主義への移り変わりである。
没落した貴族たちは、新興商人に娘を嫁がせ生きながらえる者、商人たちに混じり新たなビジネスを模索する者、湾岸利権を初めとした商売を法で縛り新たな利権を作り上がりで食つなぐ者など生き残るために色々動いた。
だが、大多数の貴族たちは多額の借金を抱え、王の元へと土地を献上し貴族の身分のまま給料をもらい王宮に留まる道を選んだ。
その流れを加速させたのが、絶対王政・中央集権的な考えである。
土地を献上した者たちにとって、王権が強まれば仕事は増え給金が上がる。
具体的には、軍隊が増えれば士官のなり手が必要になり、領土が大きくなれば新たな土地の行政官が必要になり、学校を立てれば教える者が必要になるのである。
ゆえに官僚になり果てた貴族にとって、領土を持っている貴族は取り潰す対象となり、時には言いがかりに近い罪を着せられ土地を取り上げられるなどという衝突が起こったりした。
ただそれも海洋国家のスチューザンと大陸国家のカールやプロイデンベルクとは温度差があり、パトロンなどを行い貴族が生き残りやすかった海洋国家は生き残った者が多かった分甘く、貴族が生き残りにくかった大陸国家は配慮する必要性が薄い分より過剰に出る事となった。
翔陽に関しては、鎖国をしており時は止まっていたが、重商主義の流れからは抗えなかったことを付け加えておく。
「エルウィンはこのまま動かないでしょうか」
誰にともなく椿はつぶやく。
恐らく、すぐには動かない。
「先ほど、楼湖に偵察に行った騎から報告が入っております」
椿の元へ暗号を平文に訳した紙が渡される。
「……」
偵察騎の索敵でも動きがみられなかった。
警戒をしつつ酒湖まで進出すると、そこは思ったよりも発展しており東秦風の建物が軒を連ねていた。
「伊賀作戦主任参謀はいますか?」
時を少しばかり置いて軽々と身をこなしやってきた。
「どうしました?」
椿は住宅街の方を振り返り喋り出した。
「陛下から東秦とは諍いを起こすなと厳命を受けている話は依然したと思います」
「はい、伺っております」
「住民と揉めるのも問題ですし、住民に諜報員が混じっている事が考えられます」
そこまで言うと聡い伊賀は言いたいことを理解し、早速移動の手配をした。
郊外に出ると、見飽きた相変わらずの黄色い大地と、雲がほぼ無い真っ青な空である。
ただ今までと違ったのは遠くに山が見えて、屋上に白い帽子を被っているような雪を湛えていた。
そこに拠点を作って、進出したことを参謀本部へ報告をうち数日が過ぎると、航空騎の爆音が遠くから響く。
「どうやら航空隊も進出してきたようですね」
地図を広げ、新しい拠点にマークを振っていると外で慌ただしく動く音が伝わってきた。
しばらくすると、衛兵の1人が急いで駆けつけてきた。
「報告をお持ちした者が2名おりますが、いかがいたしましょうか?」
椿は躊躇うことなく2名とも入れよと命を出して、入り口の方へ向き直った。
あわてて天空騎士1人が駆けこんできたかと思うと、もう1人の通信兵は遠慮してか遠くで待っている。
「まずは、そちらから聞きましょう」
椿の声と同時に天空騎士はどでかい声で報告を始めた。
「敵、プロイデンベルク軍煌敦に進出のため移動中!」
(まさか来たか)
「わかりました、ありがとう。で、そちらの報告は?」
「はっ、参謀本部より、プロイデンベルクに増援! バスティーリャ王国、黄師団と呼ばれる部隊が派遣され移動中との事」
「わかりました、ありがとう」
2人を下がらせ、疲れた頭を回し始める。
「援軍が来るまで持久戦で持ちこたえればいいはずなのに、なぜ押し出してくるのだろう?」
情報が少なく理由が分からない。
「おびき寄せる罠なのだろうか?」
正直椿はいいようにあしらわれていたために、エルウィンに対して思考を読めない恐怖心があった。
「とりあえず、地形だけは調べておかないと」
机に広げた地図を畳むと、ゆっくりとした足取りでテントの外に体を出した。
顔を切り裂くような冷たい風と茜色の日差しが椿の顔を襲ってきた。




