三木帰還
酒湖、なぜそこなら参謀本部および翔陽政府の咎められないだろうと考えたかには理由がある。
その変わった地名には逸話がある。
霍治病が奴匈を討伐した際に皇帝から頂いたお酒を私だけの手柄ではなく皆の手柄であると言い、湖にそれを入れて皆で飲んだことからその名がついた。
なおこの話には原型になる元ネタがある。
東秦の武経七書の内三略の中にある一節がそれの原型である。
あるといっていいのか、はたまた後世の人が影響を受けてこの話を追加で挿入したかは分からない。
三略は細公望、姜尚が書いたとなっているが実際は後世の人が書いたものを仮託したというのが正確らしい。
用兵の要を説明する項にある、良将の話にはこうある。良将の元にお酒を送ったものがある、将はこの酒を川の上流より投じ、士卒と一緒に飲んだ。お酒を投じたくらいでは川の水の味は変わらないだろう。それでも士卒は彼のために死のうと思った。と言う話がある。
話は脱線したが、地名に北方の遊牧民の匂いが濃厚に漂っているのは確かである。
対して文威や大水などは、四国志演技の葛明が北伐をしている県名で名が見えており、辺境なだけで東秦帝国の領土に組み込まれているという意識が働く。ただし正史の四国志には酒湖は出て来るが、学者でもない限りそこまで読み込んでいる者はいなかった。
何はともあれ、心理的に作戦が通りやすいことが重要であり、通ったからには覆される前に既成事実を作ろうと早々に行動するものらしい。
その日以来、各師団は活気づき、出立のために準備を整え始めた。
参謀たちは、あらかじめ航空騎にて調べ上げた敵の小隊が駐屯している場所を、どう虱潰しに落としていこうかと相談している。残すと輜重隊を襲撃される恐れがあるので失敗は許されないとばかりに気合を入れていた。
そんな折に三木がふらりと帰ってきた。
移動の手配などでてんてこ舞いな兵たちを見ていると、流石の三木も何かあったのかと気になり、そのうちの1人を捕まえて何があったのか聞いてみることにした。
「なあ、すまんが僕ら今な、ちょうど偵察から戻ってきたところやねん。このわちゃわちゃ何があったん?」
兵士は忙しいのか振り返る事もなしにぶっきらぼうに答える。
「ああ、知らんのか。移動じゃ、酒湖まで進出じゃと」
「そうか、ありがとう、頑張ってな」
「……言われなくても頑張ってるんじゃ」
兵は苛立ちながら小さく呟く。
「はぁ」
三木は帽子の上から頭を掻き、大きくため息をついた。
「隊長は、えらい方ですね」
少年兵が凄い人を見る目で三木を見るので、三木は照れくさくなり視線を反らした。
「何がや」
「さっきの人、同期に話すような口ぶりでしたのに怒らないなんて。私の隊でそんなことになったらビンタが飛んできますよ」
「ああ、言うても聞かんしな。言葉軽いから舐められやすいんちゃうか?」
そう言って自虐的に笑った。
「さて、報告すませんとなぁ」
「酒湖に進出って言ってましたね」
長髪の兵士が寂しそうに呟いた。
「ああ、場所を見ると残念ながら酒湖はエナ・ホトより敵の駐屯地に近いみたいだからな」
ガタイのいい兵が言葉を拾う。
「よくある無駄足ってやつや」
三木も笑いながらこれに続く。
忙しそうに動き回る兵たちの合間を縫って本営にたどり着くと、早速衛兵に声をかける。
「三木中尉や、偵察任務を終えて帰って来たんで取次の方よろしくお願いします」
言葉が終わるか終わらないか、恐らくは最後まで聞いてないであろう。スッと衛兵がテントの中に入っていく。
「何か顔知られたもんなんかなあ」
しばらくして中から「どうぞ」と声がしたのと入れ替えで衛兵が戻ってきた。
「3人はそこで待っててくれ」
駐屯地に戻ったからなのか、3人とも右手を頭につけて敬礼をする。
(現金なやっちゃな)
「ほんじゃ、行ってきます」
テントの入り口を押し広げて入っていった。
三木が中に入ると、椿の他参謀達が地図の上に石や木を置いて作戦を練っている最中の様だった。
「遅くなりまして申し訳ございません。三木中尉、ただいま戻りました」
三木が柄にもなくビシィと敬礼をすると、中にいる士官たちが一応に敬礼を返した。
(悪い感じィなさそうやな)
「モキタル人と接触し、撃ち捨てられた都エナホトを発見いたしました」
参謀数人が視線を上げると、そのうちの1人が素早く反応した。
「して、場所は?」
「ここから西北西、おおよそ5日ほど移動した場所にあります」
「こちらに来て地図上で場所を示しなさい」
椿は視線を上げずに指示すると、三木はおずおずと机に近づく。
「おおよその位置は、この辺り、300メートル四方ほどのレンガ造りの城壁があり、高さは3メートルほど、中の建物は崩壊している物が多いですが、城がありそちらは壊れてないであります」
指し示した場所を見て、ほぼみな興味を失ったが、1人だけ熱心に聞き入る者がいた。
石川参謀長である。
「写真を撮って来てあります」
「見せろ」
「しかし、まだ現像が……」
「衛兵! ただちに現像へ回してくれ」
三木の手元から写真器をひったくると衛兵に渡す。
「他に何か情報は?」
予想外の石川の催促に三木は怯みながらも言葉を続ける。
「モキタル人の伝説によると、東夏の城塞都市だったのだが、南唐の軍勢に包囲され水手を絶たれて降伏した所、皆殺しにされたと言っていたであります」
「……東夏ねぇ」
参謀の1人が呆れ口調で言うも石川は意に返さずに水の事を問いただす。
「水源を絶たれたと言っていたが、周囲に湖や川は無いのか?」
「モキタル人の話では、近くに水源があったと言っていたのですが、見当たらなかったであります」
「ちゃんと探したのか?」
「はい、四方の城壁に上って確認したであります」
「それとモキタル人はエナホトに近づかないと言っていたであります」
「何故だ」
「虐殺された者の幽霊が出るからと恐れていたであります」
「フフフ」
誰からともなく周囲から笑いが起こった。
「現地住民が近づかないのなら逆に好都合ではないか」
呆れた石川が小ばかにした口調で口を開くと周囲は静まり返った。
その時、衛兵が工兵を伴って、写真器と現像された写真を持って戻ってきた。
「ふうむ、これは君のだろう」
三木は写真器を受け取ると胸に押し抱いて石川の様子を見ていた。
「司令、見てください、まだ城壁に原型があります。これをコンクリートで固めれば十分使用に耐えるでしょう」
石川は写真を机に並べる。
「物資の集積所にするつもりですか?」
椿の問いに深くうなずき、周囲を見回す。
「水源が無いのは残念だが、井戸がある可能性もあるし調べてみたい」
「了解いたしました、すぐにでも偵察騎を飛ばし、航空写真を撮ってまいります」
言い終わるや否や、参謀の1人は走ってテントを飛び出した。
椿は改めて三木がその場で写真器とともに留まっていたことに気付いた。
「三木中尉、ご苦労様でした、下がってください」
その声を聞くと、三木は石化を解かれた村人のように心配そうな青白い顔に生気が戻った。
「失礼いたしました」
右手で敬礼をすると素早くテントを抜け出した。
「どうでした?」
外にいた3人は、ずいぶんと長い間待たされた上に写真の現像だの参謀だのが出入りしたので、役に立ったのか無駄足だったのか判断に困っていた。
「石川参謀長が気ぃなさってくれて調査するとのことや」
「おおっ」
「それはよかった」
「少しはお役に立てたのかな?」
自分たちの行った苦労に意味があるとやはり嬉しいもので、皆自然と顔が綻んだ。
「隊長、ありがとうございました」
「隊長と話していると、ついつい『であります』と言い忘れちゃいますので気を付けないと」
「ははは」
三木は乾いた笑いを発した。
数日後、みな原隊復帰となりそれぞれの隊に戻っていった。




