そばじまさんは病んでいる
傍島薫はJKである。
とはいっても、いわゆる清楚系ギャルJKだ。
休み時間は友達と、まじヤバいよね。で会話している現代的なギャル。
そして容姿は金髪ショートではなく黒髪ロング。メイクもバチバチではなくナチュラル系。肌も程よく焼けている小麦色ではなくゲレンデのように白い。
まあこの時代に金髪ショート、メイクはバチバチ、小麦色ギャルJKを見つける方が難易度は高い。
しかし、JK人生をエンジョイしてそうなその見た目とは裏腹にそばじまさんは病んでいる。
どうして、と聞かれても答えるのは難しい。
大きい出来事がきっかけだったような気もするし、日々の積み重ねの結果だったような気もする。
あるいはその両方か。
理由なんてどうでもいい。
この心の傷を癒すには、時間が良い薬であることは自分でもわかっていた。
しかし、心にガタが来ている状態で多くの人間と関わり、自分の状態を他人に隠して生きていくには少々難易度が高かった。
その結果、自傷行為に走った。
自分の体を傷つけ、痛みを実感して、生きてることを確認する。
または、私はどうしようもない人間なんだという罪の意識からくる自分への罰。
あるいはその両方か。
人間とは理解できない生き物である。
どうしてそうなってしまったの。という問いに正しく答えることができない。
それは病んだこともそうだし、自傷行為の経歴もそうだ。
でも、その日はなんだか調子が良かった。
相変わらず朝は起きられないし、学校へ行くための足取りは重たい。
しかし、お母さんが用意してくれた朝ごはんが好物の甘い卵焼きだったり、登校中に猫がよってきて触らせてくれたり、嫌いな先生が体調を崩して休みだったり、小さい幸せが積み重なった結果今日は少しだけ生きやすいと思った。
だから、油断していたのかもしれない。
先生の子守唄が響く歴史の授業をなんとか耐え、HRも終わり生徒が教室で、一人になった教室でそばじまさんは、ケースの裏がプリクラだらけのスマホを机に置き、んっと短く声を漏らしながら伸びをした。
「陽が出てるとあったかいなぁ」
4月半ばの春先。少し肌寒いが制服のシャツ一枚がちょうどいい季節。
窓から差し込んでくる夕暮れ前の陽の光がそばじまさんを温めて気持ちがいい。
これから帰るというのに、体がポカポカしてまた眠気が襲ってくる。
ふわっとあくびが漏れるので、逆らうことなく長めのあくびをする。
と、そこにクラスメイトの男の子が忘れ物を取りにやってきた。
あれは確か陽毬くん。いつも少人数の友達と行動している普通の男の子。
いわゆる一軍の男子ではなく、落ち着いているし勉強の成績も良いと先生が褒めていた。
表情は硬いが立ち振る舞いは温厚で、友達と笑う時は本当に楽しそうに笑う普通の男子高校生というのがそばじまさんの評価である。
陽毬くんがそばじまさんの横を通り過ぎた時、上に伸ばしていた両腕からストンと制服の裾が落ちる。
その両腕に現れたのは、一介の少女が抱えるには多すぎる量の痛たましい一本線。
まだ新しそうな赤黒いものもあれば、傷口は治ってはいるが傷跡として消えていない肌の色と似たものまで。
そして、陽毬くんと目があう。
みられてしまった。よりにもよって、同級生に。
そばじまさんの頭の中はそれに埋め尽くされる。
遅れてやってくるのは絶望と自分への嫌悪感。
絶対に学校の人に知られてはなるものかと多くの用意をして、少しでも見られる可能性がある場面は断絶し、完璧に立ち回っていたはずだった。
それがこんな小さな油断で全て水の泡になってしまった。
今日はなんだかいい日だな、と思った自分が馬鹿みたいだ。
いいことがあれば悪いことがある。それで人生の釣り合いが取れている。
まだ悪いことが起こっていない今日は、まとめて悪いことが起こっても不思議ではないのだ。
その時に備えるように気を張っておくべきだった。
「あー、えっと……」
陽毬くんが気まずそうにそっぽをむく。
そばじまさんが傷を見せてきた両親や病院の先生、学校の先生は、今の陽毬くんと同じような表情を浮かべた後に揃ってこういう。
無理しないでね、と。
そして続けてこういうのだ。
でもね、自分もこういう辛いことがあったけど乗り越えられたんだ。だからきっと大丈夫。と。
その言葉に悪意はなく、そばじまさんのことを思ってかけてくれた言葉だというのは自身も理解している。
しかしそばじまさんにはそばじまさんなりの考えがあるのだ。
無理をしなければ現状維持もできない。
あなたは辛いことがあっても乗り越えられたかもしれないが、それはあなただからだ。
そのきっと大丈夫はどこからくるものなのか。未確定なものを私に押し付けてこないでほしい。
それもプレッシャーになってしまう。
今までの経験から、ああ、今日も線が増えるなと覚悟した時、そっと陽毬くんが口をひらく。
「が、頑張ってるんだね……」
「……え?」
予期してなかった言葉に一瞬時が止まる。
驚いた表情のそばじまさんを横目に陽毬くんが続けて言う。
「その、さ。そんなに自分を傷つけてまで生きていこうとしているのは心からすごいと思うよ。頑張って生きているんだなって、思っただけ……。ごめんね、こんなこと言って」
そばじまさんの頭の中はまだ理解がついていない。
陽毬くんがかけた言葉も文章自体は入ってきているが、意味はまだ咀嚼している。
「あー、えっと。変な空気にしちゃったね……。僕で良かったら話くらいは聞けるから。じゃ、またあし――」
やっと言葉が飲み込めた時には、そばじまさんは声を押し殺して泣いていた。
そうだ、自分は頑張っているのだ。
こんなに自分を痛めつけても、毎日必死に生きている。
毎日消えたいと思っても、どれだけ死にたいと思っても、本当に消えたり死んだりなんてしない。
知らないうちに自分の中のなにかと戦って、生きている。
誰からも、自分すらも認められなかったこの気持ちを認めてくれる人もいる。
そう思って、さらに涙が溢れてくる。
「えっ! ごめん! 泣かせるつもりじゃ――」
「私ね、生きてるのが辛くて消えちゃいたいって思うの」
困惑している陽毬くんを放置して、そばじまさんは目に涙を溜めながら独白する。
「なんでかはわかんない。……本当はわかってるのかもしれないけど、知らないふりして生きてるのかも」
「……」
「毎日辛い、死にたいって思って、相談してもいつかは良くなるからって。おかしいよね。辛いのは今なのに、解決するのは時間らしいよ? じゃあ今死んだら解決できずに終わっちゃうじゃん」
重たい内容を軽く話すそばじまさんに気圧される陽毬くんは何も答えられない。その代わりにしっかり目を見てそばじまさんの話を聞く。
「相談しても無駄ってわかったから、自分一人で溜め込んで、嫌になって、傷増やして。でもその度ちょっと楽になるんだ。 腕とか切った達成感のおかげで自分の荷物が減る感じ?」
陽毬くんと目があう。何か言いたそうな表情をしているが、言葉を出せずにいる。迷っているのか、選んでいるのか。どちらにせよ、そばじまさんを気遣っていることが伝わってくる。いつもは嫌なはずなのに、その優しさが今は少しだけ心地がいい。
「今まではいつ死ねるのかなって思ってやってたんだ。でも私、生きるために頑張ってたんだ」
「そ、そうだね。僕はそう思う。それと、それはそばじまさんが生きてる証拠なんだなって思うよ」
「私が生きてる証拠……」
そばじまさんは考える。これがなかったらどうなっていたか。
いくつか考えた中で、この世からいなくなっていた可能性が一番高い。
荷物を抱えきれなくなって、荷物と一緒に転げ落ちていただろう。
「そ、そう考えたらそばじまさんって生きるのが上手だよね! 頑張って自分が死なない方法を見つけて実行して……そんなの誰かに教えてもらわないとできないことなのに、自分で見つけて行動してる。僕は本当にそう思うよ。大丈夫かな……? 変な意味に捉えられてないかな……?」
そばじまさんは生きるのが上手。そんなの考えたことなかった。
ずっと下手だと思ってた。溜め込んだ荷物のほどき方すら知らないで、抱え込んで、自分で捨てるように減らす。しかし実際は減らせていない。
焦った顔をしている陽毬くんを横目に、そばじまさんが一言。
「大丈夫。変な意味にはとらえてない。どうなんだろ。そうなのかな。そうだったら良いかも」
絞り出した。
言いたくても言えない複雑な感情の中から、なんとか選んだ感謝の言葉。
ありがとうと素直に言えなくて、自分はダメな人だと思いながらも励まされて、自分すらも知らなかったことを教えてくた人に対する最大の言葉選び。
「きっとそうだよ。大丈夫。」
帰ってきたのは肯定の言葉。手放しに未来を確定させる訳でなく、希望という悪意を投げつけてくる訳でも無い肯定。
その全てを包み込んで温めてくれる、ぽかぽかした日差しのような言葉は、他人を寄せ付けないように冷たく凍ったそばじまさんの心を少しずつ溶かそうとしていた。
そこから、長く続いた沈黙ののち陽毬くんが切り出した。
「ごめん、僕はそろそろ行かなくちゃ」
「じゃあ私も帰ろうかな。帰り道だけで良いから、ちょっとだけ話しながら帰ろ」
本心から話したいからこそ出た言葉。高校生同士でも、他の人に見られたら恥ずかしいなんてちっとも思考にない。
自分のために出した言葉。陽毬くんと話してるとなんだか自分が元気になれるから。いや、自分を嫌な気持ちにさせないから話したいだけかもしれない。
それでもよかった。やっと人間とは何かわかった気がした。
それから、30分ちょっとの時間だったけどいろいろ話した。
猫の話だったり、好きな食べ物の話だったり、学校で人気の先生の話だったり、苦手な先生や生徒の話だったり。
「あ、今朝の猫だ。可愛い」
そばじまさんと陽毬くんの前を、一匹の黒猫が通る。
「へぇ、あれが言ってた猫なんだ。僕も触れるかな」
そう言って陽毬くんは身をかがめて猫に近づいていく。
本当になんでもないことだ。
なんでもない話で盛り上がれる関係の名前をそばじまさんはまだ知らない。
いまはまだ、しゃべりやすい程度である。
その先にまっている関係が何という名前なのかそばじまさんはまだ知らない。
それでもそばじまさんは一歩一歩進んでいく。
初めて見えた光の道をたどっていく。
交差点で反対方向へ向かう陽毬くんは優しい笑顔で手を振っている。
そばじまさんの心は少しだけほどけたような気がした。
「じゃあ、また明日」
そばじまさんはどこからともなくその言葉がでた。
今は、今だけは病んでることが頭になく、温かく包まれた気持ちでいた。
起きられない朝がくる明日でも、嫌いな先生がいる明日でも、それでも明日が欲しいと思った。確実な一歩だった。
明るいけどまぶしくない、温かく包み込んでくれる太陽に導かれて……。
初作品な気がします。よろしくお願いします。




