第75話 アイスのための出撃
「眠い……」
その日、誠は自分の機動部隊詰め所の机に座っていた。
絶え間なく続くランの拷問に近いランニングの強要。だが今日はなぜかそれが無かった。
さすがに疲労の溜まった誠を気遣っての、ランなりの指導方針なのだろう。
……少なくとも、誠はそう信じることにした。
こうして、管理部から『新人教育用に』と渡された整備班の備品発注明細を、既定の書式に書き換えるだけの単純作業を続けていると、誠の意識は、必然的に目の前の画面の数字からシュツルム・パンツァーパイロットとしての任務へと逸れていった。
数字の羅列を見ているうちに、誠の頭の中では別の『機械の数字』……自分の機体番号や性能諸元……が勝手に立ち上がってきた。
いずれやって来る、自分の専用の機体の『05式乙型』。これまで配属されてきた五人のパイロットではなく自分だけがその性能を生かすことができると聞かされているそのバリエーションの一つの特別チューンの『乙型』という響きの機体に胸を躍らせながらも、しごきで疲れた体がもたらす眠気に耐えながら大きくあくびをした。
まだ実戦どころか、実機での訓練さえ経験していないピカピカの誠の機体が思い浮かぶ。
運ばれてくるときは、おそらく東和宇宙軍のオリーブドラブの一般色のままだろう。
「いつかは僕も……」
誠の正面には二人の女性パイロットの席があった。小隊長のカウラは端末の画面を見つめてひたすらキーボードを操作しており、一方のかなめはサイボーグらしく首にジャックを刺してそこから延びるコードで端末の操作をしながら暇つぶしのようにホルスターから銃を出しては仕舞う動作を退屈そうな表情を浮かべて続けていた。
一人、グラウンドで誠がランニングをしている間は二人はこうして午後の合同トレーニングまでの時間を潰していたのだろう。誠の意識は目の前の表に数値を入力する作業よりも二人の明らかにやる気の無さそうな態度に行っていた。
そんな二人に視線を投げていた誠の視線が偶然銃をホルスターから抜いたばかりのかなめとぶつかった。そこには残酷そうな笑みを浮かべるかなめのたれ目がある。
「おい、神前。仕事中にあくびか。良い身分だな。……まったくだらしのない奴だぜ。あと二時間で昼飯だ。当然、オメエが注文係だからな。新入りだし階級もオメエが一番下。当然のことだな」
常に夏服のライトブルーの制服の上の革のホルスターをぶら下げる女、西園寺かなめが残酷にそう言った。
心配そうな顔を誠に向けていたカウラがかなめをにらんだ。
「……私は親子丼だ。あそこは元々親子丼の店として始めた店だ。看板メニューを頼むのは客として当然のマナーだ」
誠は一瞬、カウラだけは仕事をしていると信じていた。
だが画面の中央では、派手な演出とともに銀色の玉が踊っていた。
小隊長は、仕事をしていなかった。
ただ誰よりも真面目な顔で、職場放棄をしていた。
その隠すこともしない堂々としたカウラの完全な職場放棄に誠は言葉を失った。
つまり、カウラは勤務時間中、誰よりも真面目な顔でパチンコをしていたのである。
誠はこれはカウラはアメリアの言う通り救いようのない『依存症』なんだと確信した。
「へいへい、小隊長殿はいろいろご存じですねえ。でも、アタシにはそんなの関係ねえんだ。アタシは天丼。野菜抜きナスマシマシで。あそこは黙って注文するとアタシの嫌いな野菜を入れて来るんだ。野菜が体に良い?そんなビタミンなんてサプリで摂れば良いじゃねえか。地球の金持ち連中はみんなそうしてるって聞くぞ。アタシは野菜は嫌いなんだ。だのに連中は気が利かねえからちゃんと指定しないと勝手に入れて来るんだ……神前!備考に『野菜抜きナスマシマシ』ってしっかり書けよ!」
そう言うとかなめは目の前で何か言いたそうなカウラの口から自分に都合の悪い言葉が出ることを予想しているように不満げに机の上に足を乗っけた。
誠が見回す視線の先では、まず、ランが巨大な『機動部隊長』の机で難しそうな顔をして将棋盤を見つめているのが見えた。こちらが一日中将棋盤で詰将棋以外のことはしていないのは勤務初日から知っている事である。そもそもこの部屋の女子に仕事をするという考えがまるでないことだけは誠は最後まで仕事をしているものだと思っていたカウラがパチンコゲームをしていたという事実を知って理解できた。
せめて自分くらいは仕事らしい仕事をしよう……そういう思いが誠を奮い立たせて、痛む首筋をさすりながら椅子から起き上がらせた。
室内の空気は午前中のやるせなさが残り、薄い汗が額を流れる。壁に掛かったホワイトボードには当直表や整備予定が落書きのようにびっしりと書かれており、この『特殊な部隊』の本来の設立目的である戦闘とは別の『日常』がこの部屋の大半を占めていることを誠は無意識に受け止めていた。ランの将棋の駒の音だけが、だまされたような静けさを作る。
「注文は早くした方が良い、あそこは人気店だ……時間が遅れればそれだけ到着が遅くなる。今の時間ならまだ昼には間に合うな。急いだほうがいいぞ。西園寺に射殺される初の隊員になりたくなければな」
小隊長らしく気を使ったカウラがランに注文を尋ねるために立ち上がろうとして長いこと慣れない事務仕事をしていたためにバランスを崩してよろける誠を支える。
「おー、神前がこっちに来なくてもオメー等の話は聞いてんぞ!例の店だろ?あそこならアタシは『特うな丼特大』だ。あそこのうな丼はアタシとしては合格点だが何せ量が少ねーんだ。だから特大で」
ランはいつものように将棋盤を目の前に手にした角を盤上に打ち込む場所を探しながらそう言った。誠は端末に表示されたランの『特うな丼特大』の学生時代にやっていた引っ越しアルバイトの日給と同額と言う金額に目を疑った。
誠がカウラ、かなめ、ランの注文した丼物の値段に驚愕の表情を浮かべていると急にかなめは気分を変えようとでもいうように机に脚を持ち上げて手で顔を扇いだ。
一方の誠はいつもの整備班のハンガーで売っている250円の仕出し弁当で十分だと心に決めていた。
「それにしても暑いなあー……こういう時、『愛ある後輩』なら何かしようって思うんじゃないのかなあ……」
あからさまな不機嫌なかなめの誠への嫌がらせのような声に誠はうんざりしたような顔で机に脚を投げて銃のスライドを引いては戻す動作を続けているかなめをにらみつけた。
「西園寺!そんなことを言う物じゃない!神前もきっと本心では『先輩の力になりたい』と思っているはずだ!新人なら当然の心遣いだ!なぜそれが分からない!貴様の気の利かなさは絶望に値するぞ!」
誠の本心とは別方向で誠のフォローをするカウラは誠が『奴隷根性』に目覚めたと決めつけて話をしている。
誠はもうこの三人の女の誰もあてにしないことに決めて大きなため息をついた。
「良いんですよ、カウラさん。暑いんですね、皆さん。下の給湯室に行ってアイス取って来ます」
そう言うとカウラの心配そうな顔をこれ以上曇らせまいと、誠は立ち上がった。
タブレットの画面に映る注文確定の表示をするとそれをポケットに入れて、誠は詰め所の空気の温度を確かめるように扉を押し開ける。廊下に流れる冷気は期待よりも弱く、むせるように暑い。アイスの冷たさが、たったひとときでもここにある凶暴に過ぎる女達の緊張を解すのではないか……そう思っていた……ところにかなめの声が背中に突き刺さって来た。
「神前、そりゃ無理だ。どこかのチビが『今日は暑い』とか言って昨日全部食っちゃったからなー。給湯室の冷凍庫にはアイスはおろか氷一つ残ってねえだろうな。氷の方は今朝、パーラがアメリアに頼まれたから今日は運航部の女子全員でかき氷大会をやるとか言ってたから、今頃はパーラとサラが一生懸命かき氷機のハンドルを回してそれを見ながら悠然と部長特権でアメリアが変な味のかき氷を食べている頃だ」
かなめがあまりに残酷な一言を吐いた。
誠は力なく扉を閉じると奥で涼しい顔で将棋盤を見つめるランに恨みがましい視線を向けた。同時にカウラも『偉大なる中佐殿』ことクバルカ・ラン中佐をいつもの無表情な顔で見つめる。
「オメー等のモノはアタシのモノ。アタシのモノはアタシのモノ。アタシは機動部隊長、オメー等はその隊員。その上下の関係はちゃんとわきまえとけ!」
ランはそう言うと、将棋盤に角を打ち込み、また首をひねった。
かわいらしい『永遠の八歳女児』は完全に『機動部隊の主』として余裕の貫録を見せていた。
誠は理解した。ここで自分がこの『特殊な部隊』では『人権の無い使用人』であることを。
反論するべきだった。
そもそも自分は司法局実働部隊の隊員であって、女子士官三人の昼食係ではない。
だが、気づけば誠は注文画面を開いていた。
その手つきが妙に自然だったことに、誠は少しだけ傷ついた。
「分かりました!じゃあ僕が買い出しに行けば皆さんは納得するんですね!そう言うことで工場の生協までバイクで行ってアイスを買ってきますから!」
仕方なく誠はそう言って再び詰め所の扉を開いて三人の女子がどんなアイスを要求しているのかを聞くことにした。
彼は自分がなぜこんなに『雑用』を任されるのかを考えながら、ふと自分の母の顔を思い出す。道場の古い床の匂いや母の呼ぶ声が、遠い幻想のように胸を暖める。だがここで求められるのは、強さより小さな働きだ。アイスひとつで、先輩たちの機嫌が直るなら安いものだ、と誠は自分に言い聞かせる。
「よく分かってるじゃねえか、昼飯の注文は済ませたか?間違ってたら射殺するからな!」
廊下に出た誠にかなめはそう止めのような一言を投げてくる。そんなかなめにムキになりながら、誠は手にはタブレットを持って先ほどのサイトの注文履歴を再確認しようとした。先ほどはただ三人の先輩女子パイロットの手前、手の動くままに入力した画面を誠はまじまじと凝視する。
菱川重工豊川工場近くの『役員向けどんぶりもの専門店』のサイトの値段の欄、そこに表示された数字を見て誠は目を見張らせる。
『給料が良いんだな……上級士官ともなると……僕も士官候補生だから士官にさえなれば……』
恐らく今日も誠が食べることになるだろう整備班の男子隊員御用達の仕出し弁当の10倍の値段がそこには表示されていた。まだ士官候補生の誠は、苦笑いを浮かべながら画面を眺めた。
特にランの『特級松』の値段を見て誠は『偉い人』とは自分の生きている世界が違うことを理解した。
「あそこの生協は……あんまりいーのがねーんだよな。じゃあアタシはモナカ。小豆じゃなくてチョコだぞ」
『偉大なる中佐殿』こと、クバルカ・ラン中佐は顔を上げて、そう言った。
誠はランの言葉を聞きながら再びサイトの写真に目をやった。だが誠は目の前の現実と比較し、格差を意識する。ランの『特級松』は確かに格式があって、軍の世界にも食の格差があるのだと感じる。
「西園寺さんは何にしますか?」
その日常的にこのようなものを食べる生活は自分には手の届かないものだと誠は半分やけになって、かなめにきつい調子でそうたずねた。
「イチゴ味の奴。それなら何でもいい!そんぐらい気を使え!一々教えねえとそのくらいも察せねえのか?使えねえな!」
かなめは天井を見上げて、めんどくさそうにそう言った。誠はかなめの滅茶苦茶な発言に自分は超能力者じゃないんだと言いたいのを必死に我慢した。
詰め所の扉の前で立つ誠に歩み寄ってきたカウラは、彼女の財布から千円札の束を取り出して誠に渡した。
「じゃあ私はメロン味のにしてくれ。あそこは生協の組合員である工場の職員以外は現金払いだからな。金はこれで間に合うはずだ」
誠はカウラから千円札を三枚受け取ると静かにうつむいた。
受け取る手が、妙に丁寧だった。
そこがまた悔しかった。
さらに悔しいことに、誠はすでに三人の好みを覚え始めていた。
かなめは苺。ランはチョコモナカ。カウラはメロン。
覚えるべきことはもっと他にあるはずなのに、なぜかこういう情報だけが頭に残る。
それが、誠には一番情けなかった。
「はい!それじゃあ行ってきます!」
苦笑いを浮かべるカウラに見送られて、誠はそのまま詰め所を後にした。
心の中で、いつか自分も乙型に乗り、特級松を迷わず注文する側に回れる日が来ることを願ってやまなかった。
ただ、その前にまずはアイスを買って帰らなければならない。
それが今の神前誠に与えられた、最重要任務だった。
ただの買い出し。
その時の誠は、まだ本気でそう思っていた。




