第75話 大宴会の始まりと悩むカウラ
「静粛に!では、隊長!ご発声を」
ランの『空気を読んだ』その声に、周りのものが嵯峨のテーブルを見る。
既に嵯峨は甲種焼酎のお湯割りにカボスの汁を垂らしたものを飲んでいるところだった。
「すまん。いつも言ってるけど、俺そう言うの苦手なんだわ。ラン頼むわ……お前さん『偉大』だし」
やる気がなさそうに、嵯峨はランに丸投げした。
「じゃあ失礼して」
ランが周りに普通の声で挨拶する。
その態度はいつも繰り返されていることのようで初めての誠にもあまりに自然に見えた。
「総員注目!」
ランが座椅子からかわいらしく立ち上がるのを見ると島田が大声で叫んだ。
土鍋を前にしてじゃれついていた『特殊な部隊』の隊員たちは、居住まいを正してランに向き直る。
「実働部隊隊員諸君!今回の作戦の終了を成功として迎える事ができたのは、貴君等の奮闘努力の賜物であると感じ入っている!決して安易とは言えない状況下にあって、常に最善を尽くした諸君等の働きは特筆に価するものである!私は諸君等の奮闘に敬意を、そして驚愕の念を禁じえない!」
ランはいつものガラの悪いお子様口調からは考えられない立派な上官らしくそう言い放った。
「いつもの事ながら上手いねえ。手慣れたもんだわ」
はきはきとした口調で隊員に訓示するランを、かなめは感心した調子で眺める。
「西園寺さん。普通これは隊長の台詞じゃないんですか?」
ニヤつきながらビールをあおるかなめに誠は小声でささやいた。
慣れた島田の段取りから見ても、この部隊の最高実力者がランであることは明らかで、こういった席でも仕切るのは彼女なんだと誠にもわかった。
「今回の作戦では『那珂』内部の制圧作戦時に三名の負傷者が出たのが残念であったが。三人ともひよこの力を使うほどでもない軽傷であったことは幸いであると言える。今後、予想されるさまざまな状況の変化に対応すべく諸君等は十分に……」
「長えな」
鍋の水菜を食べながらぼそりと嵯峨が呟くのを見て、ランは手早く挨拶を切り上げる決意をした。
「実力を発揮して部隊の発展に寄与する事を期待する!では杯を掲げろ!」
誠、かなめ、カウラ、アメリア、サラ、島田が杯を掲げる。
他のテーブルの面々もコップを掲げている。嵯峨もめんどくさそうにグラスを持ち上げる。
「乾杯!」
『乾杯!』
全員がどっと沸いて酒をあおる。
サラがテーブル全員のコップと乾杯をすると、さらに隣のテーブルに出かけていく。
島田はタバコを吸いながらその後に続いた。
「乾杯!」
サラは一人一人そばによっては乾杯をせがんだ。
「元気だねえ……」
一々乾杯して回るサラを見て鍋を見つめながら焼酎のちびちびやる嵯峨は彼女を感心したように見つめていた。
「隊長も!」
グラス酒を軽く上げる嵯峨にサラはグラスを差し出して乾杯した。
場は完全に宴会モード一色に染まった。
「大丈夫か?ってカウラ!何してるんだ!」
コップを空にした誠が、かなめの声に気づいて、その視線の先を見た。
カウラが一息でコップの中のビールを空けていた。
誠、かなめ、アメリアはじっとその様子を観察している。
「慣れないビールなんて飲んだらすぐ潰れると思っていたが……大丈夫みたいだな」
かなめはカウラの初めてとは思えない飲みっぷりに息をのみながらそうつぶやいた。
「舐めるな西園寺、別にどうと言う事はない。なるほど。これがビールか」
カウラには特に変化は見られなかった。ごく普通に座っている。
「こっち、酒足りねえぞー!」
「誰だ、クエの身を全部取ったやつは!」
そんな怒号があちこちで飛び交っていた。
「もうそろそろ煮えたんじゃないの?鍋、沸騰してきてるじゃない。火を小さくしなきゃ」
アメリアはそう言うと土鍋の中を箸でかき回してクエの身を捜した。
「お前は野菜を食え!」
かなめはそう言ってアメリアをにらみつけた。
「かなめちゃんが食えば良いじゃない」
アメリアは嫌味のつもりでかなめに向って冷ややかな目つきを向けた。
「クエを入れたのはアタシだ」
「釣ってきたのは『釣り部』じゃない!」
「うるせえ!バーカ!」
かなめとアメリアはいろいろ言い合いながらも、土鍋をつつきまわしていた。
「じゃあ水菜を足しますね」
とりあえず二人の対立を何とかしようと誠は皿に乗った水菜の残りを足そうとする。
「神前、気が利くじゃないか?それと豆腐も入れろ!」
「かなめちゃん、豆腐苦手じゃなかったの?」
「馬鹿言うな!鍋の豆腐は絶品なんだ!っておい!」
かなめはカウラを指差して叫んだ。
かなめが目を離したすきにかなめの自分用に注いでいたラム酒をカウラが一息で空にしていた。
エメラルドグリーンの髪の下。
白い肌がみるみる赤くなっていく。
そして彼女を中心としてしばらく奇妙な沈黙が流れた。
誠にはしばらく時が止まったように感じられた。
あたりを沈黙が占める。
「なるほど。これがラム酒というものなのか?」
そこにはろれつが回っていないカウラが出来上がった。
アルコール度数40度のラム酒をグラス一杯開けたカウラがふらふらし始める。
「神前!支えろ!」
かなめがふらふらとし始めたカウラを見てすぐに叫んだ。
誠はカウラの背中に手を当て支えた。
カウラは緩んだ顔をとろんとした緑の瞳で誠を見つめた。
「神前。貴様……気持ち良いのれ、ふらふらしちゃってますれす」
完全に出来上がっている。
頬を赤く染めて、ぐるぐると頭を動かすカウラを見て誠は確信していた。
「大丈夫ですか、カウラさん」
誠はカウラを支えると同時に周りを見回した。
かなめもアメリアも明らかに全責任は誠にあるとでもいうような冷めた目付きで誠を見つめていた。
「大丈夫れすよ!大丈夫!おい!そこの悪のサイボーグめ!これに何を入れたのだ!」
「それはアタシのグラスだ!テメエが勝手に飲んだんだろうが!」
自分の酒を飲まれたことを思い出してかなめはそうカウラを怒鳴りつけた。
「ダメよ、かなめちゃん。酔っ払いをいじめたら」
かなめは睨みつけ、アメリアはそれをなだめる。
初めての状況だと言うのに二人は完全に立ち位置を決めていた。
そして当然、誠は介抱役になった。
二人とも明らかにカウラの面倒を誠に押し付けて逃げようという雰囲気を漂わせていた。
「カウラさん!しっかりしてくださいよ!」
自分しかこの場をどうにかできる存在はいない。
そんな義務感が誠にそんな叫び声を上げさせていた。
「貴様!何を言うのら!ベルガー大尉と呼ぶのれす!」
そう言うとカウラは今度は急にしっかりとした足取りで立ち上がる。
「何!どうした……って!カウラ!なんでこうなった……って西園寺!オメーだろ!こいつに飲ませたの!ひよこ!ひよこはどこだ!」
騒ぎを聞きつけたランがやって来た。
そして呼ばれたひよこが空いた皿を手にランの後ろを急ぎ足で歩いてくる。
「姐御!アタシじゃねえよ!あの馬鹿が勝手に飲んだんです!それにひよこの力が必要なほどじゃないですよ!」
ランのまん丸の鋭い眼光は、まるでかなめを信じてないと言う色に染まっていた。
「こりゃーかなり出来上がってんな。まー確かにこれくらいならひよこの力が必要なほどじゃねーな。神前、介抱しろ!これも新入りの仕事だ」
ランはそう言うとそのまま軍医を探しに消えて行った。
騒ぎを聞きつけた嵯峨がお湯割りの焼酎の入ったグラスを手に近づいてきて誠達を眺めた。
「どんだけ飲んだんだ?ベルガーは」
呆れた調子で嵯峨がかなめにめんどくさそうに尋ねた。
「ラム酒をコップ一杯」
かなめも策士で叔父である嵯峨に聞かれたら正直に答えるしかなかった。
「アルコールに強いかと思ったが、さすがに40度のラム酒は無理だったか……」
嵯峨がグラスを手にしながらため息をついた。
「まあ同じ量でアメリアが潰れたこともあったしな。それにしても情けねえ話だな」
嵯峨はそう言うと手にしていた焼酎の入ったグラスをあおいだ。
こちらはまったく顔色が変わっていないのに誠は驚かされた。
これで自分が先輩達のおもちゃにされることは回避されたことだけが、誠にとっての『救い』だった。
「しょうがねえな……」
嵯峨はため息をつきながらも、倒れそうなカウラに目を向けた。
「隊長にお願いしたい事がありますれす!」
カウラはそう言うと急に背筋を伸ばし敬礼した。
かなめとアメリアはいかにも嫌そうな顔でカウラの動向を見る。
「何?聞きたくねえけど、仕方ねえから聞いてやるよ」
完全にどうでもいいという表情の嵯峨がそう尋ねた。
「わたくし!カウラ・ベルガー大尉は悩んでいるのであります!」
嵯峨の表情がさらにうんざりしたものに変わり、そのまま右手の端で鍋からクエの身を取り出して酒をあおった。
「悩んでるんだ……へー……」
薄情な嵯峨の言葉がカウラの言葉を翻訳する。
「何言い出すんだ!馬鹿!」
かなめが思わずカウラを止めようとするが、『駄目人間』とは言え人生の先輩の嵯峨はすばやくその機先を制する。
「そう。じゃあ隊長として聞かなければならねえな。続けていいよ」
話半分にシイタケをつまみに焼酎を飲みながら、嵯峨は話の先を促した。
「はいれす!わたひは!その!」
またカウラの足元がおぼつかなくなる。
仕方なく支える誠。
エメラルドグリーンの切れ長の目がとろんと誠を見つめている。
「何言いだすつもりだ?この酔っ払い!」
カウラから奪い取ったグラスにラム酒を注ぎながら、かなめはやけになって叫んだ。
しかし、誠から離れたカウラの瞳がじっと自分を見つめている、自分の胸を見つめている事に気づくと、かなめはわざとその視線から逃れるように天井を見てだまって酒を口に含む。
「このドSサイボーグが神前をたぶらかそうとしれるのれあります!」
かなめはカウラの突然の言葉に思わず酒を噴出す。
そんなかなめを見ながら、アメリアはカウラの言葉に同調して頷いた。
そして誠は自分がこれまでかなめにひたすら虐められてきたのはかなめが天性のサディストだからという事実を知った。
「たぶらかすだと!なんでアタシがそんな事しなきゃならねえんだ?まあ、こいつが勝手に、その、なんだ、あのだな、ええと……」
「たぶらかしてるわね……支配して調教しているわね……銃で」
いつの間にかこのテーブルにやってきていたライトブルーのショートカットのパーラ・ラビロフ中尉がそう言った。
「確かに俺達には命令口調ばかりの西園寺中尉が神前が相手となると口調が少し柔らかくなるからな……うらやましいというかなんと言うか」
パーラの発言を聞いて鍋を見回ってきていた島田がそう言った。
島田と一緒にやってきたサラも同意するように頷いている。
「テメエ等!なにふざけたこと抜かしてるんだ!無事に地面を踏めると思うなよ!この糞野郎!」
顔を真っ赤にして、かなめは激高して反論した。
「正人の言う通りよ」
「やっぱりさっきの発言、取り消せませんか?西園寺中尉」
あっさりとパーラの言葉を受け止めたサラと、かなめの殺気を野生の勘で察して逃げ腰の島田がそこにいた。
「しずかにするのら!外野はしずかにするのら!」
嵯峨の目の前で目の座ったカウラが叫んだ。
「そう言うわけだ。静かにしなさいね……」
一方的に絡まれている嵯峨は恨みがましい目で誠を見つめた。
「神前……お前、わらくしを好きれすか……?」
頬を真っ赤にして、カウラが潤んだ瞳で誠を見つめていた。
突然のカウラの言葉に誠は何も言えずにひたすら照れ笑いを浮かべていた。