第68話 地球人が変わった日
「いいじゃないの。草野球なんだから公式試合全面出場禁止のあの事件の影響もないわけだし。それに仕事に期待ねえ……人生期待……特に仕事に期待なんて持って生きない方が良いわよ。私も純粋にここでの生活は『娯楽』と『趣味の為のお金を稼ぐ手段』と割り切ってるから。この東和共和国の世界を見てごらんなさいよ。世界が望んだように進むなんて幻想なんじゃない?全部の技術を地球に合わせて進化させようなんて偉い人達は考えて無いわよ。地球じゃ当たり前の空飛ぶ車もこの遼州ではお目にかかれないし」
アメリアの言葉で誠は我に返った。確かに、誠自身地上を走る四輪車の運転自体にあまり自信が無いというレベルなのである。運動神経にそれなりの自信がある誠でさえそんな有様なのに身体能力で遼州人と大差が無いはずの地球人が空飛ぶ車の運転で事故を起こさないと考えること自体に無理がある。ただ、あの金で何でも片が付く世界である地球圏であれば、多少事故で死人が出ても誠が考えてもお金持ちしか買えそうにない空を飛ぶ車の運転者がお金で事故死させた相手を黙らせて解決させているのだろうと何となく想像していた。
そう言い切るアメリアの顔には、過去の色々な経験が積もっている。遼州の人々は地球人の持つ自分達には無い欲望と進歩の押し付けに敏感で、必要ない進化を拒む知恵を持っているのだと、誠は少しずつ理解し始めた。アメリアは自分も『ラスト・バタリオン』で地球人の遺伝子を継いでいると常々言っていた。誠のような遼州人であり、遼州人に囲まれて育った人間には少し理解できない考え方を持っていたとしても不思議なことは一つも無いと感じられた。
「確かに……将来は地球みたいに温暖化で大変なことがあるというのにガソリンエンジン車が走ってるなんて……地球の人達が知ったら卒倒するでしょうけど。でも、そんなの石油が沢山とれるし、人口も地球よりはるかに少ないんだから当然じゃないですか?それに地球は当時人口が爆発的に増えてましたから。遼州圏はこの400年間人口が減ることはあっても増えたことは無いですし。それに今の生活で何か困ることってあります?確かに便利になると楽が出来るっていう理屈は分かりますし、大学ではより高機能な自動車や家電やネット系の端末が簡単に作れるって教えられましたけど、今ある性能で僕たち遼州人は満足しているんで」
誠は理系脳だった。誠の合理は数字に根ざす。だが社会習慣や文化の合理性は、純粋な数理だけで測れないことが多い。アメリアはその点を心得ているというように誠の直球すぎる論理を子供の意見だというように優しいほほえみで受け止めていた。
彼の常識からしてみれば地球では実用化されている空飛ぶ車などSFの世界の話に聞こえていた。そもそも今ある地上を走る自動車ですら誠には手に負えない乗ると口から『重力に逆らえないエクトプラズム』を吐く誠である。そもそもそれが空を飛ぶ必要がどこにあるのか自体が今不便が無ければそれで良いじゃないかと考える遼州人の誠には理解不能な発想だった。
そもそも、彼自身が普通に四輪自動車の運転すらまともにできないのである。誠の運転感覚からすれば平面を把握することばかりでなく、立体的に空間を把握しなければ大事故を起こすことが間違いない空を飛ぶ車の制御など選ばれたエリートしかできないのはまったくもって当たり前の話なのである。
技術を二十世紀末から進めようとしない東和では、空飛ぶ車は確かに一部の軍や警察では利用されていた。しかし、誠がいた東和宇宙軍でも連絡用として配備はされていて、それはそんなエリートの特権だと思っていた。そもそも東和では車のモデルチェンジと言うものは単にデザインが市場に飽きられたから起きる現象であって、次の新型車の性能が上がったという話を誠は聞いたことが無かった。
「確かに誠ちゃんの発想は足ることを知る遼州人的で私としては理解できるわね。でも、地球ではより高機能であれば高いお金があればそちらの方が売れるのが当然なのよ。地球人は足ることを知らないから便利な生活にあこがれ続けているわけ。もっともそんなお金のある人はほとんどいないのが今の地球なんだけどね。そんな地球人の真似して技術を磨いてより効率的、より高性能な製品を作るのは馬鹿なことでしかないという誠ちゃんの言うことは一部の真理を孕んでいるわ。地球人みたいにそんな理想を追いかけるのも結構だけど、遼州流の足ることを知る生き方の方が気が楽よ。遼州圏の元地球人たちも遼州人に似てきたのか生活スタイルをこの400年間一向に変えようとしていないし。遼州人には地球人みたいに科学の進歩に自分達の生活を合わせると言う発想は存在しない。自分達の生活に不便がなければ今で十分というのが遼州人だもの。だから400年間一切経済規模が全く大きくなっていないし、物価も上がっていない。まあ、お給料も上がらないんだけどね」
アメリアはいつものアルカイックスマイルを浮かべながらそうつぶやいた。
誠はその瞬間まで、完全にアメリアの話に付き合わされているだけだと思っていた。
その咳払いは、まるで最初からこの話をするために空気を整えていたようにも聞こえた。
ユーモアから真面目へ。ここから語られる話は軽い雑談ではない、と誠は直感した。
誠の現実逃避へのぎりぎりの状態で奇妙な変化が起きた。
誠の視界の中でアメリアの表情から笑顔が消え、急に真剣な表情の人物に見えてきた。
そして、彼女の糸目が少し開かれ、紺色の瞳が見えた。
その瞳を見ていつもの冗談まじりのアメリアじゃない……と、誠は直感した。
細い目の奥にあるはずの瞳が、まるで別人のように深く濃い紺色に変わる。誠はその変化に心臓が一瞬跳ねるのを感じた。人は表情で事の重大さを測るものだ……アメリアの変化は、これから話す内容の重みを示していた。
『目の錯覚かな……』
その鉛のような大きく見える瞳を見つめて誠がそう思った次の瞬間、アメリアは語り始めた。
「まあ、ふざけるのはこれくらいにして……もう誠ちゃんもうちの隊員なんだから……この国が……隠している事実に少し近付く権利があると私は思うのよね。なぜ、元々進歩に無関心な遼州人はいいとして遼州圏の元地球人たちまでそんなに進歩に無関心になったか……それにはちゃんとした理由がある訳よ……彼らも進歩が自分達に何一ついいことをもたらさないと感じ始めている。遼州人が地球化したんじゃないの。地球人の方が、遼州に来て変わったのよ。その決定的な証拠となったのが20年前にゲルパルトと甲武が地球圏に負けた第二次遼州大戦。シュツルム・パンツァーや飛行戦車なんて言う画期的な兵器を作ったところで旧式兵器を大量生産されたらただの時間稼ぎしかできなかった。そんな事実を体験しちゃったら進歩なんてもう馬鹿馬鹿しくってやってられないことが身に染みるんでしょうね」
急にアメリアの纏っていた雰囲気が変わっていた。
そこには少し悲しげにほほ笑む美女の姿があった。
『部長』としての責任が、彼女の背中を押している。単なる冗談好きの先輩ではなく、歴史を語る者としての顔が出るのだ。
「私が知っていることを話すわね。一応、私も『部長』だから、いろいろ知ってるわけなの。内容が今の誠ちゃんには、理解できるかどうか分からないけど」
そう言うアメリアは先程までのお茶らけているときとは別の顔で話し始めた。
「すべては『悲しい出会い』から始まったの」
アメリアはそう言って遼州と地球の誠の知らない事実を語り始めた。
『悲しい出会い』
その言葉だけが、静かな運航部の部屋にしばらく残った。
それは歴史の耳を澄ませば聞こえる遠い雷鳴のような出来事。アメリアの声にはその雷鳴の余韻が乗っている。
「地球人の調査隊が持っていた『銃』と、『リャオ』を自称していた植民第二十四番星系第三惑星『遼州』の原住民が出会ったこと。その大地の下に『良質の金鉱脈』が埋まっていたことがすべての始まり……それこそ地球人がこれまで手にした量のすべての金を合わせた量の金を僅か1か月で採掘できるぐらいの良質の金鉱山が遼大陸には普通に存在する……その時、その事実を知った金を見た瞬間、人間って案外簡単に壊れるのよ。夢とか理想とか正義とか、全部その下に埋まるくらいにね。地球人の欲には果てが無い……それを独占すれば地球で大きな顔をしている政治と経済を完全掌握する『富裕層』や役人や軍人になれる『騎士階層』に自分達も仲間入りできる……彼等はそう考えたんでしょうけど……世の中そんなに甘くは無いわよ。辺境惑星の調査隊にそんなことをする権限を地球の支配階級の人達が与えると思う?持ち帰った金は全部『超富裕層』に法律やら税金やらの理由で取り上げておしまい。それで『超富裕層』はより豊かになり、自国の絶対的支配を強化できる。最初はいいことづくめだった」
誠は小学校の社会で習ったこの星の歴史の数少ない記憶を思い出した。
「でも目の前の『金』に目がくらんだ調査隊のメンバーにはそんなことは思いもつかなかった。『リャオ』の家にはその金鉱石で出来た皿や貯蔵用の甕がうんざりある。でも、『リャオ』はその価値に全く気付いていない。『リャオ』にとって金は柔らかくて加工の簡単な綺麗な色の石っころに過ぎなかった。これは好機だ……これを『リャオ』を皆殺しにして持ち帰れば自分も支配者階級の一人になれる。その噂は、調査隊だけでなく、地球では食べるのが精いっぱいだった移民希望者達の欲望にも火をつけた。宇宙艦隊を送り出せる国家は、『宇宙は無限のフロンティア』という宣伝文句で彼等を送り出した。だが実際には、それは希望ではなく、地球からの追い出しに近かった。そして彼等はそれを実行に移したわけよ」
アメリアは諦めたような調子でそう語った。だがその声には、怒りよりも、何度も同じ話を思い出してきた者だけが持つ乾いた疲れがあった。
地球人による『リャオ』への一方的『人間狩り』。
この事実は東和共和国の小学校の歴史の授業で最初に学ぶことで歴史に疎い誠でも知っている事実だった。
誠の知る『人間狩り』は、社会科の教科書の最初の数ページにある単語でしかなかった。
だがアメリアの口から語られると、それは急に、人間の欲望の匂いを持った現実になった。
誠は初めて、この人がただの冗談好きの変人ではなく、
この部隊の『歴史の語り手』なのだと思った。




