第29話 飲んだら後輩
結局、島田の迫力に押されてビールを飲んだ誠を、島田は満足そうに見つめていた。
その笑みには、これまで会った誰にもなかった隙があった。
粗暴で、勝手で、だが妙に人間くさい。
誠はここで初めて、この部隊で『人』に会ったような気がした。
そもそもランは存在自体が誠の理解を超えた『人外魔法少女』としか呼べない存在だった。
機動部隊の詰め所で出会った直属の上司になる女性パイロット二人は明らかに誠はこの数日でここを出ていくと決めてかかっていてろくに話しかける気にさえならなかった。
嵯峨はまるで信用できなかったし、アメリアはそのぶっ飛んだ思考についていくことがほぼ不可能なことは会って数分で自覚した。
しかし、島田には粗暴さの奥に、妙な温かみがあった。
怖い。面倒くさい。だが、理解できないわけではない。
確かに誠はこれまでヤンキーには良い思い出が無かったが、茶髪に右耳にピアスを開けてバイクを愛でるという典型的なヤンキーでありながらどこか島田には人をひきつけてやまない何かがあるように誠には感じられた。
そんな島田が勧める酒を誠が断ることが出来なかった。そしてそれを飲み干す誠を島田も満足そうな笑顔で見つめていた。
「お前さんは真面目そうだから断るかと思えば素直に飲むとはねえ……それに飲みっぷりも良い。これまでのいけ好かない連中とは違うな。連中は俺の酒を一言で『今は勤務中なんで』と言って断った。俺は先輩だぞ?確かに俺もオメエと同じで大学を出たらあのランの姐御の勧めで幹部候補のパイロット候補生として東和陸軍に入った口だ。そのランの姐御にパイロット失格の烙印を押されて少尉への任官もできずに下士官待遇で技術屋やってるんだ。だから連中は俺を舐めてるんだ。その点オメエの目はそんな俺を見下すような色が見えねえ。純粋で真っすぐな目だ。俺みたいに社会の落ちこぼれとでもうまくやっていけるってことはそれだけ器がデカいということだな。ランの姐御の言う通り器の大きい奴は一目見てわかるって典型例だ。そんなオメエに俺の自慢のバイクを褒められて悪い気はしねえよ。オメエを気に入ったよ俺は。あのランの姐御の言う通りオメエはうちに向いてる。あの三人の階級だけで俺達を見下してる馬鹿女に一泡吹かせることもできるかもしれねえ」
島田の声は太く、汗ばんだ素手で握られたアルミ缶が『キュッ』と音を立てる。捻られた缶はみるみる潰れていき、金属の薄い皺が光を反射した。誠はその光景を、どこか現実味を失ったように眺める。自分があの変な髪のねーちゃん達の中でも一番デカいおばさんに気に入られたのに続きまた『変なの』に気に入られたらしい……そんな事実を、どう受け止めていいのか分からなかった。
だが暑さと油気に満ちたこの空間は、逃げ場を与えない。クーラーボックスの冷気と、バイクの鉄の匂い、男たちの笑い声、工具箱が金属音を立てるたびに誠の脳は情報を整理する。『この人は何者か』『言葉の裏にある意図は何か』などと考える余裕は今のこの奇妙な『特殊な部隊』の個性的なメンバーたちに当てられて思考停止している誠には無かった。考えるほどに喉が渇き、誠は残りのビールを一気に飲み干した。液体が胃に落ちると、わずかに肩の力が抜けるような気がした。
島田は缶を握りつぶすと、笑いながら別の缶を取り出す。そして再びクーラーボックスに手をツッコんで新しい缶を取り出した。
「今度俺が飲むのは缶チューハイ。好みで言えばレモン系が良いね。これとビールとちゃんぽんで飲む。ああ、いいねえ……まさに生きてるって感じがしてくるよ……そう思わねえか?なあ?」
いかにも仕事中の飲酒に慣れたように見えるその仕草は、威勢の良さと場馴れした余裕を同時に示す。誠は思う。ここが『整備班』という共同体であり、島田はその中心にどっしり座る島田の姿からして暴走族で言う『ヘッド』のような人物だと。いや、この慣れた島田の態度からして実際の島田は暴走族の『ヘッド』をしていたのだろう。
実際、誠がいた東和国防軍でもエリート集団として知られる東和宇宙軍にはそういうタイプはいなかったが、たまに交流イベントで出会った東和陸軍や東和海軍の兵士達は、多くが暴走族崩れで『今は軍人やってます』という感じの人物だったことを思い出した。
「缶ビール一本ぐらいなら僕も見逃しますけど……一応、今は勤務中ですよね?そんなに飲んで大丈夫なんですか?」
誠の問いに、島田は肩をすくめる。そこには心配するなと言うような誠に対する島田なりの思いやりのようなものが見えた。
「そんな事新米のお前が気にすることじゃねえな、それは。それに勤務中の飲酒なら隊長室で隊長の机にパックの甲種焼酎が置いてあったろ?隊長自ら勤務中に酒を飲んでるのに何でその部下の俺が酒を飲むのは駄目なんだ?教えてくれよ。それにあのランの姐御は酒が好きでね。あの人は教導が終わると基地までの帰りの機体の中で高そうな日本酒を一升空けるのがいつものことだったぞ。『これがアタシが東和陸軍に入る条件だ!誰にも文句は言わせねー!』とか言って最初の複座の練習機で後部座席に俺が乗ってるのに平気でデカい杯で酒を飲んでた。隊長と副隊長が勤務中に酒を平気で飲んでいる部隊の隊員の俺が勤務中に酒を飲むのはどこが悪いんだ?だから俺がいくら勤務中に酒を飲もうが機体の整備と消耗品の発注に間違いが無ければ何の問題にもならねえんだ。それは俺の仕事だからそれをやればうちでは何をやろうがお咎めなし。まあ、一人嫌な奴が居てな……ああ、アイツのことは思い出しただけでも気分が悪くなる。奴は規則にうるさいからオメエの飲酒を問題にするかもしれねえが、そん時は先輩の俺に勧められたと言えば司法局の連中は、いくらあの馬鹿がわめこうがまただと言ってみて見ぬふりだ。世の中そんなもんだって」
その開き直った理屈は、妙に説得力がある。島田は職場の温度を知り尽くしている。上が黙認すること、黙認の中で育つ連帯、そうした『空気』を利用して生きる術を心得ている。
誠はふと、自分が今いるこの場所が、外から想像するほど荒れてはいないのだと気づく。荒れているけれども、整備班なりの秩序がある。工具の置き場所、缶の並べ方、バイクの磨き方……細部に職人のこだわりが息づいているのだ。
そしてバイクを磨いていたらしい島田の作業シートの上に並んだワックスの瓶とウェスと何気なく置かれたモンキーレンチがここはまさに技術屋の技術屋による技術屋のための王国なのだと、誠は感じた。奥では、若い整備兵が黙々とエンジンのボルトを締め、別の男が油まみれの手で図面をめくっている。誰も島田に命令されなくても、勝手にそれぞれの持ち場で動いていた。
島田はクーラーボックスから瓶を取り出すと、誠に向かって投げた。受け取った瓶は白っぽい液体が透けて、ラベルには見慣れない文字。誠は一歩後ずさりして迷う。
「オメエも飲めよ……その面。飲み足りねえんだろ?遠慮すんな」
純粋に好意でそう言って来る島田に誠は困ったような笑みを浮かべることしかできなかった。
「嫌ですよ……僕はそれほど酒は強くないんで……」
誠のそんな一瞬の躊躇を見逃さずに、島田が笑う。
「おい、俺の好意を無にする気か?俺は先輩。オメエは後輩。先輩の言うことが絶対。これがうちのルール。文句あんのか?」
島田は、好意を好意の形では渡さない。
命令にして渡す。
相手がそれを飲めば、そこで初めて身内にする。
島田にとって、後輩とは守る対象である前に、まず自分の下に置く対象だった。
そういう種類の男だった。
そしてそれを手にした誠に島田は満足げな笑顔でこう付け加えた。
「いいか、神前。俺が飲めって言ったら飲め。覚えとけ。ここじゃ機体のことは俺が上だ。階級がどうこうじゃねえ。機械を知ってる奴が偉い。分かったか?」
そう言う島田の口調は鋭く、いかにもヤンキーらしい倫理観で島田が動いていることが誠にもよく分かった。
「これなんですか?こんな酒初めて見ますけど……本当に酒ですよね?変なものが入ってたりしないですよね?」
誠はとりあえずラベルに書いてあるアルファベットが何語か考えながら見つめていた。
コップを持っていないので口を付け、柑橘香のする強いアルコールが舌に跳ねた。刺激が鋭く、喉を通るたびに誠の頬が熱くなる。だが、それと同時に胸の中にどこか安堵の火種が灯るのを感じる。
「かなめの好きなやつだ。あのメカ姉ちゃんに見せるなよ。ラムの産地だの銘柄だの、延々うんちくが始まる。銃と酒と機体の扱いに関しては、本当に面倒くせえ女だ。あの女は自分勝手が服を着て銃を持って歩いているような奴だからうちの野郎共も迷惑ばっかかけられてるんだ。それに少しでも気に入らねえと脇に下げた銃を取り出して『射殺する!』とか怒鳴りつけて来るんだぜ?やってられるかよ。銃を振り回したり酒やたばこのうんちくを勉強することに頭を使うんならもっと機体を丁寧に扱ってくれってんだ」
島田の言葉は軽口に聞こえるが、細部は実に節がある。彼は仲間の性癖も、機体の癖も、整備班の『癖』も知り尽くしている。誠は瓶の口から鼻に抜ける香りを吸い込み、思わず顔をしかめたが、そのざらついた刺激が不思議と覚醒を促す。これはただの酒ではない……ここで生きていくための『契約書』のように感じられた。
「飲めよ。うまいから。これまで来た俺を不愉快にしただけだった馬鹿パイロットどもとは違うんだろ?飲めよ」
島田の言葉に勧められて、誠は一口飲んでみた。柑橘類の味のさわやかさと強いアルコールが誠の口の中に広がった。
「これ、一口飲みましたけど、結構アルコール度高いでしょ?」
強いアルコール臭が口の中に広がる。誠は困った顔を作ってチューハイを飲む島田に顔を向ける。
「高いんじゃない?俺は飲んだことねえからわかんねえや。あのメカ姉ちゃんは飲みに行くとそれの原酒を割らずに飲んでるぞ……しかも行くたびに高そうなラムを一本や二本平気な顔をして空けるんだ。いくらサイボーグの肝臓の機能が自慢だからってやりすぎだろうが」
島田は無責任にそう言うと、地面に飲みかけのチューハイを置いた。




