第22話 ツッコミと本当の才能
扉が閉まり、誠の足音が遠ざかると、隊長室はまた嵯峨の部屋に戻った。外側から入ってきた風が一瞬だけ埃を巻き上げ、黄ばんだ蛍光灯の下をゆっくりと舞う。誠の影はもう廊下の角を曲がっている。残されたのは、雑誌の山と甲種焼酎のアルコールの匂い、そして二人だけの時間だった。
誠が残していった緊張だけが、まだ薄く空気に残っていた。
嵯峨は椅子に沈み込むと、無造作にくわえていたタバコに火を点けた。火種が赤く瞬いて、古い紙の山に反射する。ランは乱雑に置かれた茶碗に手を伸ばして冷めたお茶を啜り、ぽんと胸の前で手を打つと、子供じみたくせに妙に老けた声で言った。
「やっぱ、アイツ大丈夫かね。俺が言った『才能』に全然食いつかなかった。あそこは普通、気にするところでしょ」
嵯峨は不満げに煙を吐いた。
「俺としてはさ、『うちに決定的に欠けてる才能はツッコミだ』って言った時の顔が見たかったんだよ。人生を潰された理由が、ボケ過多の部隊に足りないツッコミ補充だったと知った時の顔。絶対面白かったのに」
ランは冷めた茶を啜った。
「まあ、理由の二割くらいはそれだな」
ランもまた誠を『ツッコミ』として認定していることを公言した。とくにかなめの話が出たあたりで嵯峨が心底楽しそうに目を細めた。
「でもまあ、……さすがに『ツッコミ』要員としてこんなところまで引っ張り込まれて人生潰されたなんて言ったらいくらアイツでも怒るだろうな……まあ、俺も酔狂の極みと前居た軍では呼ばれた男だが、神前に本当の意味での『才能』がなけりゃああんなにアイツにこだわりは持たなかった。アイツはうちには必要だ……これからの戦いを考えるとアイツ無しには俺の策は通用しないくらいのことは分かってるんだ。俺が策士で勝つためには手段を選ばない男だってことは、ラン、お前さんが敵として対決した以上一番よく分かってるんじゃないかな?」
笑いあう二人の目が半分本気なのをもしこの場に誠が見たとしたら怒りでそのまま携帯端末でタクシーを呼んでそのまま近くの駅まで向かい、数日後に内容証明郵便で除隊申請書が届くのが確実な光景なのは間違いなかった。
「ただ、気になるのはそこじゃない」
嵯峨は煙を吐き、珍しく笑みを薄めた。
「アイツ、怒る方向はずれてるけど、怒り方が危ない。自分の怒りをどう扱えばいいか、まだ分かってない。折れるか、変な方向に固まるか。そこが読めない。俺も若い時はそうだった……当時と見た目が変わらないから誰も俺がそんな風になってるなんてことは知らないだろうけどね」
言葉の通り、どう見ても誠と大して変わらない年に見える嵯峨はそういうと緩んだ笑顔を急に引き締めたそれに変えた。
「で、冗談はそのくらいのところにしておいてだ。ラン、正直に言ってくれないかな?あいつ、どう思った?東和陸軍教導隊隊長……ああ、今でも本務はあっちにあるんだったな。これまで何百人となく新人パイロットの中でも普通の教官じゃ手に負えないような問題児を担当してきたお前さんは、散々ああいった頭でっかちで世間に目が行かない自分の置かれた立場を理解できない餓鬼をただ操縦技術を教えるだけじゃなくて世間というもんが見えてる一人前の人間にする仕事をしてた……いや、今でもしてるんだろ?だったら俺に見えないところが見えてるかもしれないね。どう?俺は完成された兵士しか扱ったことがないんだ。アイツみたいにこれからどう化けるか分からない人間をどう扱って良いか正直迷ってる。その点で、その道のプロとしてのお前さんに意見を聞きたいの」
嵯峨は煙を吐きながら肩をすくめた。目は眠そうだが、瞬きの合間に企みの光が走る。
「珍しくはねーよ」
ランはあっさり言った。
「若い候補生なんて大体そうだ。自分の怒りも、恐怖も、恥も、どこに置けばいいか分かってねえ。だから関係ないところに噛みつく。部屋の汚さにキレるだけ、まだかわいい方だ。要は親御さんの躾の問題だな。連中の頭の中では『夢のスーパーロボットパイロット』になれるという幼稚園児並みの発想しかねーから、自分がまず軍に入ったという自覚もねーし、そーなったら何をさせられるかなんて考えたこともねー。それ以前に元々人手不足のこの世の中で東和陸軍なんていうどこからも期待されていねー組織に入るには何らかの人格的問題があるのが普通だしな。それに比べたら人格面では完全に合格だ。ただ、パイロットとしての技術とそもそも乗り物に酔うという時点でかなり問題があるぞ。それにアイツの宇宙での訓練記録を見たが……アイツは重力圏を出たらただ吐いてただけじゃねーか。そんなのをどーにかできるかというと難しーところだな」
東和陸軍シュツルム・パンツァー・パイロット教導隊。その教官は10名を超えるが、この400年間戦争をしたことがない東和共和国にあって、ランのような百戦錬磨の実戦経験者などいるはずもない。
「問題は、あの怒りを操縦桿の上に持ち込むかどうかだ。持ち込むなら斬る。持ち込まねーなら育つ。アイツの資料と初対面でのアタシの印象はそんだけだ。それ以上のことはこれから試してみねーとなんとも言えねーよ。アタシは神さまじゃねーんだ」
ランの回答に嵯峨は満足げにうなずく。
「つまり、よくある若造ってことか……実際に仕事を与えて見ないと何が出来るか分からないってね」
嵯峨はそういうと静かにタバコをふかした。
「そうだ。よくある若造だ。ただし、よくある若造が全員、あの機体に乗れるわけじゃねー。だから隊長はアイツを呼んだんだろ?だったらそれで良いじゃねーか」
ランは苦笑いを浮かべながらそう言って嵯峨を見つめた。
当然、定員割れ寸前の東和陸軍教導隊で、ランは八年にわたり問題児ばかりを預けられてきた。
戦争を知らない東和で、実戦経験を持つ教官はほとんどいない。
だから普通の教官が匙を投げた候補生は、最後にはランの前に立たされた。
そのほとんどを、ランは一人前にして送り出している。
そのせいで、ランはいつの間にか『問題児を押しつける最後の窓口』のような扱いを受けていた。
そしてラン自身がパイロット失格と烙印を押したパイロット候補生もこの『特殊な部隊』の隊員として軍に残っているということから考えてもランの『パイロット教育とは人間教育である』というとても見た目の8歳幼女が言いそうにないモットーが言葉ばかりのものではないことを証明していた。
「人格面。その点ではアイツは合格点だ。でもまあ、書類とこの数時間車に一緒に乗っただけで判断できるもんじゃねーことはアタシもこれまでの問題児たちに嫌というほど思い知らされてる。ただ、アイツの目はまだ『自分の物差し』を持ってねえ目だ。そこはちょっと面倒だけど、伸びしろでもある。だが、実戦なんて関係ねー東和陸軍ならそれでも通用するが、逆にそこには落とし穴があるのもアタシは実戦で嫌というほど知ってる。そんな表には出てこない問題が出てきてアイツが手に負えねーような何か馬鹿をやったらそん時は考えねーとな……『泣いて馬謖を斬る』って言葉もあるくれーだ。アイツがアタシの思いもしないよーな馬鹿な思い込みで突っ走ったら斬ればいい。部屋にはアタシの愛刀『関の孫六』がある。久しぶりに使うのも悪かねー」
ランの問題児教育の最終手段はあの文豪三島由紀夫の首を落とした名刀『関の孫六』を抜いての延々と続く説教だった。問題行動でランを極限まで怒らせた問題児たちは切れ味鋭い日本刀の刃をちらつかせつつ人生を説くランの前にことごとく屈服し悔い改めるのが普通だった。
「あと、初対面の印象はかなり素直で……アタシみたいな問題児専門の教官が育てていい素材なのか分からねーってのが本音だな。それに素直なのは悪かねーが、それならなんでこれまでの訓練実績があんなにアタシも見ていて腹が立つほどひどいのか理解できねー。それにアタシと今話をしている誰かと違ってきれい好きなのは大したもんだとは思ったよ。確かにアイツの言う通りこの部屋はどーかしてる。まずアイツのことをどーこー言う前にどーにかしろよ、この部屋」
ランはそう言うと埃だらけのソファーに胡坐をかいた小さな脚先で床を軽く弾く。幼い顔立ちに浮かぶ笑みは無邪気だが、その目は獰猛だった。
「随分と高い評価じゃないのよ。確かに、お前さんの教習を受けるのは東和陸軍の希少なシュツルム・パンツァーパイロット候補の中でも最低最悪の部類の連中ばっかりだったらしいからね。うちにいるアイツを見れば分かるし、お前さんが教えたどんな教官も見放す問題児が今でもお前のことを慕って定期的に連絡を入れてくるくらいだからな」
いかにランが優れたシュツルム・パンツァーパイロットかをかつて敵として戦った経験のある嵯峨はよく理解していた。
「まあ、俺の評価も似たようなもの。人格面、体力面は問題なしで、技術面が極端に落ちる。そしてあの体質が……まあ、これは本当に『習うより慣れろ』としか言えないね。良いんじゃないの?今のところのアイツの評価はそんなもんで。でも、この部屋の掃除は勘弁して。この部屋は雑然としているようでいてその配置の一つ一つまで俺の考えがすべてつまってるんだから。そうしてくれると助かるんだわ」
相変わらず悠然とタバコをくゆらせながらそう言った。
「『助かる』もなにも、オメーのやることはいつもそうだ。人の人生を軽くひっくり返す。今回だってそうだ……それで満足か?それほどまでにして手に入れたい何かがアイツにあるって言うのか?本当にアイツは『使える』のか?そーじゃなきゃアイツは本当にツッコミ要員以外の何の役にも立たねーぞ」
ランはその見た目からは感じさせない誠に対する配慮のこもった口調で言った。




