第18話 月島屋の夜、居場所の匂い
「はい!到着!」
コインパーキングに車が止まるとアメリアがそう言ってシートベルトに手をかけた。
昼とは違う、夕方の柔らかい光が路地に差し込む。アスファルトの匂い、遠くから聞こえる商店街の呼び声、車内のごく小さな機械音……それらがアメリアの明るい『到着』の合図とともに外側へと放たれた。誠は後部座席で一度深呼吸をしてから腰を上げた。胸の中の小さな緊張が、ほんの少しだけ弛む。
「ここは?」
東和の都心から離れたベッドタウンならどこでも見かける鄙びた商店街が窓の外に広がっていた。
看板の文字の色あせ、引き戸の軋む音、八百屋の新聞紙を包む手つき……ほとんどの住人が『都民』と呼ばれる街のそこに根付いて生きる人たちが見せる風景は、過剰な装飾を帯びない分だけ人の生活が透けて見える。誠は無意識に窓の外の一枚一枚をスナップショットのように脳裏へ刻む。
都内の下町の生まれ育ちの誠にはこんな地方都市のありふれた光景はある意味新鮮でこうした素朴さに心地よさを感じていた。
「豊川の駅前商店街の外れだな。まあ、豊川の駅前には何でもあるから……確かに千要まで行けば何でも揃うけどね……確かにコアなグッズなら千要まで行かなきゃダメだけど」
アメリアのアニメやアダルトゲームへのこだわりを先ほど聞かされた誠は思わず苦笑いを浮かべた。
「……そこまでこだわるなら中途半端な品ぞろえしかない千要の店なんかじゃなくて本格的に都内まで行って仁保町の古本屋街まで行ってもっと本格的なレアグッズをこれと狙って買いに行った方がマシよ!」
彼女ならそう言うに違いないという回答を見事にするアメリアに誠は半分呆れていた。そんな誠の顔を見てアメリアは笑顔で誠を見つめてくる。
「それにしても誠ちゃんは良いわよね。実家から仁保町まで地下鉄で30分でしょ?エロゲ声優のイベントを良くやる夕楽町も乗り換え一回。それに対してこの豊川は……マニアには厳しい環境だわ」
東都の下町育ちで地下鉄で都内のどこでも行けるのが当たり前の環境に育ち、活気あふれた商店街を見慣れた誠の問いにアメリアは笑顔で答えた。ただ、誠は『もんじゃ焼き製造マシン』と呼ばれる乗り物酔い体質のせいで実は地下鉄も10分で降りないと吐く体質であることはアメリアの夢を壊すようで誠は口にできなかった。
アメリアの声は軽やかで、しかし情報が整理されていて正確だった。誠はその口ぶりに、彼女が外人風の見た目に反して東和風の場の流れを読むプロであることを改めて感じる。車外に立ち並ぶ看板の書体や店先の配置を、彼女は一瞥で把握している。
「まあ、アタシから言わせると豊川はまだまだ足りない事ばかりの街だな。飲み屋はみんなこの辺の『菱川重工』の下請け工場の社長目当てのスナックばかりでアタシみたいないい女が一人で雰囲気に浸れるような店が一軒もねえ。豊川から三駅東都よりの千要だと結構大きい駅でそう言う店はねえわけじゃねえけど……あそこは車で行くには混むかんなあ……駐車場も少ねえし。それにあそこの栄町の風俗街は一応うちの隊長をやってる叔父貴の縄張りだ。あんな恥知らずと鉢合わせしたら面倒だ。あの貧乏人、アタシの財布を当てにして『奢れ』とか言って来るに決まってるんだ」
かなめはそう言うと助手席から伸びをしながら駐車場に降り立つ。
かなめの伸びは彼女の身体性を示す。筋肉のラインが見えるラフな服装にも関わらず、その動作には無駄がない。誠はかなめの背中がさりげなく放つ信頼感に安堵する。
誠は後部座席で身を縮めて周りを見渡した。地方都市の繁華街の中の駐車場だった。
黒いタンクトップにダメージジーンズと言うスタイルのかなめは、周りを見回しながら伸びをした。
気温はまだ残暑の名残を帯びている。アーケードの下を通る風はあたたかく、角を曲がると線香のような匂いがふっと混ざった。誠の襟元からじんわりと汗が浸みていく。
「新入り。いつまでそこで丸まってるんだ?疲れるだろ?そんな格好を続けてたら」
誠は後部座席の奥で手足をひっこめて丸まりながら二人を眺めていた。そんな誠を見てかなめは憐れむようにそんな声をかけてきた。
後部座席の圧迫感は、誠が大柄であることと、ツードア車の性質が組み合わさって生まれたものだ。こうした些細な不便もまた、新しい場所に来た者の初期儀礼のように思える。
「西園寺……貴様の配慮の無さは致命的だな。この車はツードアだ。西園寺がシートを動かさなければ彼は降りられない。そんなことも気づかないのか?お姫様に生まれると本当に気が利かない人間に育つものだな。三つ子の魂百までという言葉を貴様を見ているとよく理解できる」
清楚なキャミソール姿のカウラが噛んで含めるようにかなめに言った。
カウラの声は冷静な機械の針のようだ。ひとことで場の均衡を戻す力がある。誠はカウラの眼差しに落ち着きを感じ、こわばっていた肩をゆるめた。
冷静で論理的なカウラの言葉に負けて渋々かなめは一度歩き出し始めた足を止めて自分の降りた助手席に戻ってきた。
「すいません……気を遣わせちゃって」
誠は照れながら頭を下げる。
その姿を見たかなめはめんどくさそうにシートを動かして誠の出るスペースを作ってやった。
日常の小さな気遣いがここでは友情の基礎だ。誠はそのささやかな厚意を胸に収める。
大柄な誠は体を大きくねじって車から降り立った。
カウラは作り物のような笑顔で自由になった手足を伸ばす誠の姿を見つめている。
一方、かなめはわざと誠から目を反らして誠の見たことの無いような銘柄のタバコに火をつけた。
吸う所作の粗さが、彼女の武骨さを際立たせる。誠はその横顔に秘められた何か弱さを見たが、それを口にすることはしなかった。
「じゃあ、行くか?」
くわえタバコでかなめはそう言って先頭を切って歩き出した。
かなめの先導は自然で、まるで地図のない路でも進むべき道筋を知っているかのようだ。誠はその後ろ姿を追う。
「はい!行きましょうね!かなめちゃん!誠ちゃんとあまり仲良くしないでね。私が仲良くして……その先は言わないで置いておくわ。でもうまくいけば結婚相談所に毎月払ってるお金が来月には要らなくなるかも!」
そう言いながらアメリアはかなめをその長身を生かして見下ろした。
「なんだ?オメエコイツを狙ってるのか?やめとけ、オメエは永遠に結婚相談所に定期的に上納金を収めるだけのムダ金使いとして一生を終えろ」
見上げるかなめの皮肉が誠をしげしげと見つめるアメリアにさく裂した。
二人はしばらく誠をしげしげと見つめた後、何かを納得したようにそのまま行き先は分かっているというように歩き出す。
三人の足音は交互にリズムを刻み、路地のありふれた雑音の中でひとつの群像を成す。誠はその調子に合わせてゆっくりと歩き出した。
「特別な歓迎会って……なんかうれしいですね!ありがとうございます!」
無表情に鍵を閉めるカウラにそう話しかける。
カウラの無表情は厳しいだけでなく、どこか守りたいと思わせる冷たさを含む。誠はそんな彼女の存在に安心感を抱きつつも、その硬さが時に遠いと感じる自分に気づく。
ムッとするようなアスファルトにこもった熱が夏季勤務服姿の誠を熱してそのまま汗が全身から流れ出るのを感じた。
「それが隊長の意向だ。私はそれに従うだけだ……貴様はこれまで来た信用置けないパイロットとは違う人種だと隊長は言った。西園寺に模擬戦で勝ってそれを示して見せた。そんな貴様を歓迎する……使える隊員を迎えた小隊長としては当たり前の話だ」
そうは言うものの、カウラの口元には笑顔がある。
その一瞬の緩みを誠は見逃さなかった。どんなに厳格な人でも、仲間の前では表情に変化が現れる。誠はそれが嬉しく思えた。
それを見て誠も笑顔を作ってみた。
笑顔は時に自分をも変える。誠はその場の空気を波紋のように広げていくのを感じる。
「何二人の世界に入ってるんだよ!これからみんなで楽しくやろうって言うのに!」
「そうよ!カウラちゃんずるい!」
ランがかなめ達三人を『明るい奴』と言ったことを思い出してそんなランが見てきたかなめ達の本当の顔を見ることができたことがうれしくなってきて誠は笑顔を浮かべた。確かにかなめもカウラも初対面の時の誠に対して作っていた壁のかけらもそこには残ってはいなかった。
ランの台詞がふいに蘇ると、仲間内にあるちょっとした格式や愛称が連想される。誠はその輪に入ることができるだろうかと、期待と不安を交互に感じる。
かなめは笑顔の誠と目が合うと少し照れたように目を逸らして夕焼けの空を見上げた。
空の色は日中の強さから夕刻の柔和さに変わる。赤く染まった雲が商店街の上をゆっくりと流れる。その光景は、東都と言う巨大都市の衛星都市の一日の終わりを象徴するようだった。
「それと……だ。まあこれから行く店は、うちの暇人達が入り浸ることになるたまり場みたいな場所だ。とりあえず顔つなぎぐらいしといた方が良いぜ。カウラ!まったくのろいなオメエは!」
急ぎ足で先頭をタバコの煙を吐き出しながら歩くかなめに対し、遠慮がちにかなめとアメリアの後ろを歩く誠のさらに後ろをカウラはゆっくりと歩いている。
誠はその中間で黙って立ち止まった。
「余計なお世話だ。言っておくと貴様のその短気なところ……いつか仇になるぞ?貴様は確かにうちでは数少ない実戦経験者だが……貴様の日常を見ていると貴様がそれなりに激しい実戦を経験して今生きているのは単なる偶然に過ぎないことを実感するな……小隊長として貴様の父母に戦死報告をする私の身にもなってくれ」
そう言うとカウラは見せ付けるように足を速めてかなめを追い抜いた。
「うるせー!アタシが生きてきたのはその先を読める才能とこのサイボーグの高い戦闘能力のおかげだ。生身のオメエの代わりに小隊長代理として戦死報告書を遺族に……ああ、オメエは両親が居ねえんだったな。アタシは戦死報告書の書式は知らねえからその方が楽が出来る。助かったわ」
かなめはそう言うと手を頭の後ろに組んで歩き始めた。
駐車場を出るとアーケードが続くひなびた繁華街がそこにあった。
誠は初めての町に目をやりながら一人で先を急ぐカウラとタバコをくわえながら渋々後に続くかなめの後を進んだ。
足元には古い商店の瓦の破片が一片転がり、猫が塀の影に潜んでいる。そうした小さな風景が積み重なって、街の記憶を作る。誠はその断片を拾うように視線を動かしていた。
「肉屋とおもちゃ屋の隣に煙が上がってるのが見えるだろ?あそこの店だって……またあの糞餓鬼が待ってやがる……なんだよ、カウンターの一つや二つ酔った勢いで壊したくらいであそこまでアタシを目の敵にする必要なんかねえだろうが」
二階建ての『月島屋』と看板の出ている小ぎれいな建物が誠の目に飛び込んできた。都内の派手なネットの評判の高い誠がとても敷居が跨げない値段の高級店とも誠が付き合いで大学時代やパイロット候補生に連れていかれた大手チェーン居酒屋とは違う、ちゃんと誰かの暮らしの匂いが残った店構えだった。
入り口の引き戸の上にぶら下がる提灯はわずかに煤けているが、文字はくっきりとしていた。外からは焼き鳥を焼く香ばしい匂いと、何か懐かしい醤油の香りが流れてくる。誠の胃が鳴った。
その前に、箒を持ったかなめに似たおかっぱの紺色の制服姿の女子中学生が一人でかなめをにらみ付けていた。
目と目がぶつかった瞬間、誠は互いに不思議な連帯を感じる。街は小さな関係でできている。かなめの顔は柔らかくなるが、そこにある緊張は消えない。
「おい、外道!いつになったらこの前、酔っ払ってぶち壊したカウンターの勘定済ませるつもりだ?『暴力馬鹿につける薬はねえ!』って『偉大なる中佐殿』が言ってたが全くその通りだな!」
少女からわざとらしく目をそらして空を見つめるかなめに向けて少女は怒鳴りつけるようにそう言い放った。夕方の赤い光が中学校の夏服の白いワイシャツ姿の少女を照らしている。
少女の言葉は軽いが芯は太い。店の常連たちと店の若い手伝いの間にある習慣のようなものだ。誠はその力関係を静かに見守る。
誠は少女と視線が合った。
少女はそれまでかなめに向けていた敵意で彩られた視線を切り替えて、歓迎モードで誠の顔を見つめる。
そしてカウラに目をやり、さらに店内を見つめ。ようやく納得が言ったように箒を立てかけて誠を見つめた。
「この人が『偉大なる中佐殿』が言っていた新しく入る隊員さんですか、アメリアの姐さん?」
少女は先ほどまでのかなめに対するのとは、うって変わった丁寧な調子でアメリアに話しかける。
店と部隊の関係は密接だ。若い女の子が敬礼めいた所作を見せるのは、地域の中での役割分担を自然に受け入れているからだ。誠はその様子にほのかな温かさを感じた。
「そうよ!彼が神前誠少尉候補生。小夏ちゃんも東和宇宙軍からうちに入るのが夢なんだったら後でいろいろと話を聞くといいんじゃない?」
その説明を聞くと、店の前にたどり着いた誠を憧れに満ちた瞳で眺めた後、小夏は敬礼をした。
眼差しの中の期待は純粋だ。誠はぎこちなく手を挙げて応え、内心で微かな責任を感じた。
「了解しました。神前少尉!あたしが家村小夏というけちな女でございやす。お見知りおきを!ささっ!どうぞ」
掃除のことをすっかり忘れて、無駄にテンションを上げた小夏に引き連れられて、四人は月島屋の暖簾をくぐった。
暖簾の向こう側は別世界だ。木のカウンター、薄暗い電球、時折聞こえる炭のはぜる音……それらが誠を包み込む。
外のムッとする熱波に当てられていた誠には、店内のエアコンの冷気がたまらないご馳走に感じられた。
「いらっしゃーい!あら、また新人さんの試験をしに来たの?」
入ってすぐわかる焼鳥屋のカウンターで和服姿の三十代半ばと言うどこか陰のある色気を感じる女性が誠達を笑顔で迎えた。
女将の所作には無駄がない。手の動き、箸の受け渡し、客の誘導……すべてが熟練のものだ。誠はそのたたずまいにただ圧倒されるばかりだった。
「女将さん、試験だなんて……」
かなめはそう言いながら女将さんに頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「試験みたいなもんじゃないの。結局、ここでの飲み会がきっかけであの新人の男の子たちはみんな辞めちゃったんでしょ?だったらそれは十分試験よ。それ以外の見方なんて私は知らないわよ」
その笑みの端に、一瞬だけ影が差したように誠には見えた。戦場の話をする隊員たちと似た影だった。
その視線の奥にある影のような過去を匂わせる表情に、アメリアは一瞬だけ眉を寄せた。かなめはそれを見逃さず、女将の指先がふと何かを探るように胸元へ触れる仕草を覚えた。細かな動作だったが、そこには長い過去が息づいているように思えた。
「まあ、遅かれ早かれあの五人はうちを出ていく運命だったでしょうからね……女将さん、私達は悪くないわよ」
そう答えるとアメリアは奥のカウンターに腰かけた。
「本当にそう?私が見てる感じじゃアメリアさんとかなめさんで新人君を虐め倒してるように見えたけど」
その誠の目を惹きつけるアメリアに向けた妖艶な笑みに誠はひきつけられている自分を感じていた。
「いやー何のことかしら?さ!誠ちゃんも遠慮せずに!」
明るい笑顔でアメリアを茶化す女将の瞳が誠に向いた。これまで見たことが無いような世の中の裏も表も知り尽くしたような大人の女性の好意のある視線に見つめられて誠は照れながら頭を下げた。
「よろしくお願いします」
素直に頭を下げる誠に向けて影のある女将はどこか含みのあるような笑みを浮かべてかえした。
「新人さん……お名前は?」
カウンターに座る誠達の正面に箸と突き出しを並べながら女将は誠に尋ねた。
「神前……誠です」
誠は少し女将の色気に当てられながら控えめにそう言った。
「『シンゼン』……ああ、『特殊な部隊』の人気者ナースのひよこちゃんと同じ苗字なのね。私は家村春子。そして西園寺さんと喧嘩をしてたのは私の娘の小夏。そしてここは私のお店。いつも実働部隊の方々にはお世話になってるわ。新さん……ああ、おたくの駄目隊長ね、あの人には昔お世話になったのよ」
こんな行きつけの店でも『駄目』で通るのは隊長である嵯峨が見た通りの『駄目人間』であることを理解すると同時に、このような美女に関心を持たせる嵯峨が何者なのか誠は気になって春子の言葉にサラに耳を傾けた。
「まあ、以前、新さんとは深い縁があってね……あの人は何処か放っておけない人だから。二年前、この豊川に『特殊な部隊』が設立された時、お店もこちらに移ったの」
誠は店を移してまであの『駄目人間』を追いかけてきた春子と嵯峨にどんな因縁があったのかは気になったが『詮索屋は嫌われる』と言う欄の言葉を思い出して口を閉ざしていた。
「それまでは吉原の風俗街のそっち系の女の子相手のお店だったんだけど……今は客層も変わってほぼ百パーセント『特殊な部隊』の人達のおかげで店は成り立ってるのよね。その点では新さんには感謝しなきゃね……まあ、前の店の女の子の間でも新さんは有名みたいだったけど……何で有名だったかは新人さんには刺激が強すぎるかもしれないわね」
妖艶な笑顔を浮かべる春子に目が行く誠をアメリアとかなめが両脇からどついた。
春子の言葉はさらりと出るが、その背景にある人生の厚みを匂わせる。かなめは微かに目を細めて、女将の肩や手の筋に過去の仕事の名残りを見いだす。言葉にしないが、察している……その空気が二人の間に流れた。そして二人の間に流れる不穏な雰囲気に嫉妬したかなめの一撃が誠のみぞおちを直撃した。
「ゲフ」
誠のうめき声を全く聞いていないカウラは店の奥に書かれたメニューを眺めている。
「どうせまずは焼鳥盛り合わせだろ?アタシはキープしてある奴出して!」
カウラの背後からかなめがそう言って冷やかした。
「アメリアさんと誠さんは飲み物は生中でいいかしら?カウラさんは烏龍茶ね」
「やっぱり春子さんは分かってらっしゃる!」
春子とアメリアの絶妙な息の合い方を見て、誠はもし部隊に残ればこの店に入り浸ることになるであろうことを予想してなんだかうれしい気分になった。
厨房で焼き鳥を串に刺す老人の手は細く、だが熟練のリズムを刻む。炭の火の赤が顔に映るたび、店内は温かい光で満たされる。誠はその景色が心底安らぐのを感じた。
「なんだかいい店ですね……僕、友達が少ないんであまり飲む機会とかないけどそんな気がします」
焼鳥の煙の漂う店内で春子と小夏が手分けして運んで来たグラスを受け取りながら誠はそう言って笑った。
「良い店よ、ここは……なんと言うか、落ち着くし」
アメリアは笑顔でそう言った。そして小夏が苦い顔をしてかなめの前に誠が初めて見るような酒瓶を置いた。
「なんですか?そのお酒」
誠は好奇心に駆られて尋ねる。
「ラムだよ。『レモンハート』。こいつに出会ったのは……あれはベルルカンの某失敗国家の傭兵が集まるようなダウンタウンの酒場だった……細かい街の名前とかは軍事機密だから教えられねえがな」
「長くなるんでしょ?かなめちゃんのそのうんちく……その後にラムの銘柄のオンパレード……私は全部復唱できるけどしましょうか?今。」
かなめがうんちくを傾けようとしたとき、アメリアが手をかざしてそれを抑えた。
かなめのうんちくは熱量が高い。誠はそれを聞くのも嫌いではない。だが今は祝宴の始まりだ。アメリアの制御は場を和らげる仕事をする。
しかたなくかなめはグラスにラムを注いで苦笑いを浮かべる。
『カンパーイ!』
四人は元気よくそう叫んだ。
一人はピンクのTシャツに『浪花節』と書いてある長身の紺色の長い髪の美女は、ジョッキのビールを一口飲んでテーブルに置いた。
そして、真剣な表情でウーロン茶を飲んでいる緑の髪のポニーテールの美女はそのグラスを手に周りの三人の様子を見守っている。周りの客が次々と勘定を済ませて帰っているのはこの中のボブカットの美女の脇にあるものがぶら下がっているからだった。
そのぶら下がっているもの……明らかに誰が見ても分かるような茶色いホルスターと黒く光る拳銃。誠には出て言った客の一人が近くの警察署に通報しないかどうかが心配になった。
「かなめさん。拳銃はちゃんとお客さんに見えないようにしてね」
春子はカウンターから出て、かなめの隣に立った。
「アタシ等は『武装警察』なんだ。銃ぐらい持ってて当たり前だし、許可は取ってあるぜ。ビビる腰抜けは勝手にビビらしとけ。それに減った売り上げも、今日はアタシがこれを一本空けるからちゃら。しかもアタシのキープしてあるボトルはちっこい姐御のツケでなく現金で払うわけ。それなら文句ないんじゃないですか?春子さん」
そう言って、焼き鳥屋に何故か置いてあるラムの高級銘柄として知られる『レモンハート』の注がれたグラスを傾けて一人ニヤリと笑った。
笑いの裏側にある緩い掟がこの店のやり方を成り立たせている。誠はそのさりげない秩序感に安心を覚える。
困惑する誠にアメリアが耳を貸すように合図した。
「かなめちゃんはね、ここを二十世紀末のヨハネスブルグやモガディシュと思い込みたいのよ。確かに、うちは法的に銃を持ち歩いてもいいことになってるけど、日常的に持ち歩いてるのはこの娘だけ……この治安の良い東和で銃なんて持ち歩くのはどうかと思うんだけど……」
そんなとんでもないかなめの思考回路を『浪花節』と白抜きされたピンクのTシャツを着たアメリアに言われて誠はただおびえる視線で武装しているかなめに目を向けた。
「全部聞こえてんぜ、アメリア。アタシは常在戦場が身上なの。安心しな。最近はやりの反同盟主義とか、新なんたら主義とかのセクト共はみんな手製の密造拳銃なんかで武装してるんだ。そいつを見つけてアタシに銃口を向けた瞬間には即射殺する。その為に銃を持ち歩いてるんだ」
そう言ってかなめはホルスターの中の銃を見せつけるように右手で軽く叩く。
春子はその仕草をあきれたように見つめながらも、内心は満足げだ。店の空気が引き締まり、客の顔が笑う。誠はその均衡に妙な居心地の良さを感じる。
「うちはいわゆる『殺人許可書』の出る部隊だから。射殺した後で、それが合理的であれば、職務を執行したという事でボーナスが出る。まあ、今のところそんなことを信じて日常的に銃を持ち歩いているのはこいつだけだが」
そう言ってカウラはお通しの青菜の味噌和えを噛みしめていた。
「『殺人許可書』……のある部隊なんですか?やっぱりうちは『特殊な部隊』なんですね」
誠は恐怖に震えながら三人の美女を見渡す。
それでも、目の前の焼き鳥の煙とビールの泡、仲間たちの喧騒が、現実の怖さを薄めてくれる。誠はその慰めを素直に受け入れることにした。
その時は三人とも悪い笑みを浮かべた。
「大丈夫よ。今のところはうちでトラブルなんてないもの。部隊が駐屯する前の三年前まではこの通りは夜は危ないことで知られてたらしいけど、かなめさんが時々武装して現れるおかげで、もめ事とかなくなったって聞いてるし……かなめさんの銃も撃たないんだったら町の人もモデルガンを持ち歩いてるのと大差ないくらいにしか思ってないわよ」
春子はあっけらかんとそう言った。
春子の声に含まれる軽い毒のようなものに、誠は背筋がぞくりとした。だが同時に、『この店は守られている』という実感もまた得る。春子という人物の存在が、その背後にある複雑な歴史をやんわりと覆い隠しているのだ。
誠は助けを求めるべき女将がこの非日常をあっさりと受け入れている事実を知り退路を断たれた気分で店内を見渡した。
さすがに粘っていた最後の客もレジで精算を済ませていた。
つまり、店内には四人の他にレジを操作していた中学生の制服を着た小夏と串焼きを焼いている老人だけになった。
店内の音が一瞬鎮まる。炭火のはぜる音、箸の触れる音がよく聞こえる。誠はその静かな瞬間を、これから続く賑わいへの前奏だと感じる。
そして、アメリアがごそごそ手にしていた小さなバッグから何かを取り出そうとしている。
「アメリアさん……銃ですか?」
誠はもうすでに人間不信になっていた。本来なら、銃をぶら下げた客がいる飲み屋からは全力で逃げ出すべきなのだろう、と地球科学を信じる頭の一角がしつこく囁いていた。
この三人の女は『殺人許可』によるボーナスが欲しくて銃で武装して襲ってくる敵を待っている。そんな妄想に誠は駆られていた。しかし、誠の予想に反してアメリアは静かに通話が可能なタブレット端末を取り出した。
「ちょっと連絡するからね」
そう言って携帯端末の画面を押すアメリア。誠はそれが何かの起爆スイッチに違いないと、逃げる用意だけしながらアメリアを見つめた。
「占拠完了……オーバー」
それだけ言うとまた微笑みながらアメリアはタブレットをバッグに戻す。
アメリアの声には遊びが混じるが、その一言で誠はこの歓迎会が『部隊の非公式な活動』であることを理解する。肩の力を抜いてもいいのだと、どこかで許可された気分になる。
「アンタ達。普通に予約するってことできないの!うちで一番飲んでるのはアンタ等三人なんだから予約ぐらい取らせてあげるわよ!」
小夏が叫んだ。誠は、三人が毎回こんなふうに店を占拠していることを察した。
「要するにお遊びなんですね……僕はおもちゃにされてるんですね……」
誠は自分がいいおもちゃにされているに違いないという事実に気づいた。
彼はその立場を当面甘んじて受け入れる。遼州人の「足るを知る」は、場に流されつつも自分を見失わない術でもある。
「見事にガラガラ……」
「アタシ達もいつもの!」
引き戸を開けて次々と男女の若者が流れ込んでくる。先程の会話から推測すると全員が『特殊な部隊』の隊員であることはこんなことが初めての誠でもわかる。
店内の空気は瞬時に温度を上げ、笑い声や声帯が飛び交う。誠はその渦の中心へと、ゆっくりと歩み寄る自分を感じた。
「つまりこれが、うち流の新入隊員歓迎会。びっくりしたでしょ?そう言えば、島田君とひよこちゃんは?」
アメリアは再びハメられて唖然としている誠の顔をつまみにビールをあおった。
「ああ、班長ならバイクのエンジンの吹きあがりが気に食わないから今日はキャンセルだそうです。それとひよこは定例の詩の発表会があるとかで……」
「ちっちゃい姐御の金でタダで酒が飲めるのにもったいないねえ……俺達も焼き鳥盛り合わせ!」
「生中も!」
あっという間に狭い店内は一杯になり、男女の隊員の叫び声が店内に響いた。
春子は手際よく注文をさばき、老人は黙々と串を返す。小夏は嬉々として皿を運び回る。誠はその中に溶けこみながら、初めてここに『居場所』ができたように感じていた。
「はいはーい!」
さっきまでのふくれっ面はどこへやら、小夏が店内を元気に走り回った。
騒がしくて、うるさくて、理不尽で……それでも誠には、この『特殊な部隊』の隊員達の喧噪が少しだけ心地よく感じられた。




