第12話 プリンとナースと詩のノート
「ごちそうさまでした!本当にありがとうございます」
倉庫の隅に置かれた班長の島田が認めた人間だけが使うことを許された応接セット。古びたソファとコーヒーテーブルに並べられた仕出し弁当の空き容器が、無造作に散らばる。確かに島田の言う通り、出された仕出し弁当は下手な外食をするよりもはるかにおいしい代物だった。
油と塗装の匂いが染みついた空間で、誠はゆっくりと息を吐いた。暑さがまだ体に纏わりついている……だが、不思議と落ち着く。外の喧騒が遠ざかり、ここだけ時間が少しだけゆっくり流れているように感じられた。
島田は整備班長だけが許された特権であるプリンを指でつつき、目を細める。艶のある表面をスプーンが滑り、柔らかく沈む。彼の表情は、普段の粗暴さを忘れさせるほど穏やかだ。プリン一つで満足する男の幸福が、そばで見ていて滑稽でもあり、温かくもある。
「結構旨いだろ?隣の工場が縮小してさ、まずい店は淘汰されたんだ。残った店は外れがない。安くて味が良い……そういうのを選んだんだ、わかるか?」
島田の声は低く、確信に満ちている。誠は小さくうなずき、汗ばんだ首筋に手をやる。缶コーヒーの冷たさがいまさら心地よい。
「それで……島田先輩に相談なんですけど……次は僕はどこに行けばいいんでしょうか?」
誠は箸箱をしまいながら尋ねる。今日一日で部隊の『顔』を回るのだと覚悟してきたが、どこまで案内してくれるのか……島田の答えが楽しみでもあり、不安でもある。
「次ねえ……管理部はやめとけ。あそこには俺が大嫌いな粘着質な変態がいる。初日で行っても期待外れだ。アイツの顔を毎日寮で見るたびに嫌な気分になってくる。そんな奴には会いたくないだろ?しかもそいつのその部下と言っても近くのパートのおばちゃんばっかりで初日に行ってもがっかりするだけだからあそこは行っても無駄。それにどうせ明日の朝にはうちの制服を取りに行くだろうからな……まあ、そん時にあそこのおばちゃん達とは仲良くしとくと良いことあるぞ。こまめに掃除をしてくれたりとか、破れた制服縫ってくれたりとか。うちは技術屋だから裁縫関係はまるっきりでな。運航部の変な髪の色が売りの女芸人は家事なんてろくにできねえし」
彼の言葉はぶっきらぼうだが、積み重ねられた経験にもとづく『勘』が滲む。誠はそれを聞き、内心で頷いた。大学時代、書類の添削で事務スタッフに叱られた記憶が蘇る。細かいことに気を配る人間たちの価値は、実務の場では計り知れない。
「管理部、ですか……経理とかの人とは確かにあまり相性が良くなさそうですね、僕。結構これから迷惑かけそうなんでしばらくたって落ち着いた時にあいさつに行くことにします」
大学時代にしていた塾講師のバイトでも事務の人から色々と必要書類の記入間違いが多いと小言を言われ続けていたことを思い出した誠は苦笑いを浮かべながら島田にそう言った。
「ああ、それならいいところがある。オメエも絶対気に入る素敵な場所だ」
島田は思いついたようにそう言って手を叩いた。
「どこですか?僕にはちょっと思いつかないんですけど」
いかにも嬉しそうな顔で自分のアイディアに酔っている島田に向けて誠はそう言った。
「医務室だ。でもまあうちであそこよりまともな神経の人間がいて良い場所はねえ。あそこは唯一、心が休まるオアシスだぞ……まあ、うちで一番地獄なのはオメエの勤務先の機動部隊の詰め所だから」
島田の言葉の前半は誠の興味を引いたがそれに付け加えられた言葉に誠は引きつった笑みを返すことしかできなかった。
「あそこはまさに男にとっては地獄以外の何物でもないな。オメエの目の前には年中平気で人に銃口を向けて来る西園寺さんがいるし、小隊長は愛想という物と一切無縁のカウラさんで息がつまってしょうがねえ。まあ、カウラさんには攻略法があるんだが……その話題はあまり振るなってクバルカの姐御に言われててね。だから言えねえんだ。そして地獄の訓練メニューをオメエに課して来る偉大なるちっちゃなクバルカ中佐殿ににらまれて一日過ごすなんて……俺には到底無理だ。ご愁傷さまとしか言えねえな」
同乗の視線を送ってくる島田に誠はただ愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「まあ、そんなところでストレスが溜まったら医務室に行く。あそこに行けばそんな地獄の苦しみも一遍に吹き飛ぶ!そんな素敵な場所だぞ……楽しみだろ?」
誠は、さっきまで肺の奥まで染み込んでいた油の匂いが、消毒液の匂いで上書きされていくのを感じた。島田の口元に微かな笑みが広がる。袖を通し、つなぎをきちんと直す仕草は、いかにも『班長』という風情だ。
ハンガーから本部棟に繋がる通路を進む島田の後姿はどことなく嬉しそうに見えた。誠はひとつ期待を膨らませながら、後に続く。
「医務室?お医者さんがいるんですか?まあ、シュツルム・パンツァーなどと言う危険な人型機動兵器を扱うんですから当然お医者さんくらい居ますよね……その島田先輩の様子だと女医さんでも居るんですか?しかも美人の」
誠はにやにや笑いながら歩き始めた島田の後ろをついて歩き始めた。
「うんにゃ、美人女医さんなんてどこかのAVに出てきそうな人は居ねえよ。隣の工場に『菱川重工病院』があるから、ここには医者は必要ねえんだ。ただ、銃の訓練とかで応急手当とかが必要な怪我に備えて看護師が一人常駐している……まあ、応急処置はその看護師の女の子がして、どうしても医者の処置が必要なら隣の工場に連れて行く……うちも医者なんて高給取りを暇させておくほどの予算はねえんだ。当然と言えば当然だな」
そこまで言うと島田は振り返り誠に顔を寄せてきた。
「なんです?島田先輩……」
近づいてくる島田の顔を見ながら誠は戸惑ったようにそう言った。
「そのナースが……結構かわいい」
「は?」
真剣な表情の島田に誠はどうツッコんでいいか分からずにいた。
「名前は『神前ひよこ』。階級は軍曹。ああ、考えてみればオメエと苗字が一緒だな……親戚かなにかか?」
ひよこの話になった途端、それまでの凶暴なヤンキーの面構えから爽やかなお兄さん風の顔になった島田は誠に向ってそう尋ねてきた。
「違うと思いますよ。僕の『神前』と言う苗字は母の苗字ですけど、母は一人っ子らしいんで母方の親戚がいるって話は聞いたことが無いですから」
誠は必死になって乱れた髪を整えようと手櫛を入れて格好を取り繕っている島田に向けてそう言った。
「ふうん。オメエのオヤジは婿養子か……まあいいや、人の家庭の事情に踏み込むのは俺のポリシーに反するからな。俺も聞いて欲しくねえし」
島田は誠の答えにどこか納得がいかないという表情を浮かべていた。
「でも、『神前』って苗字は珍しいよな。俺がこれまで出会って知ってるのはひよこくらいだぞ……普通『神』の字に『前』と来たら『カンザキ』って読むもんだろ?そう言う奴なら高校の時に居たいけ好かない教師がそんな苗字だった。何度殴ったか分かんねえくらい嫌な奴だった。その度に停学食らって大変だったなあ……」
倉庫からの出口で立ち止まった島田は昔を思い出すように遠い目をすると、くわえていたタバコを投げ捨てながらそう言った。
「停学ですか。やっぱり先輩はヤンキーなんですね。話は戻りますけどなんでも隣の大陸にあるあの『遼帝国』の帝室の関係者が国内で内乱が有ったりしてこの東和共和国に亡命すると『神前』って苗字を名乗るしきたりだって母からは聞いてますけど」
誠はあまり社会常識のない理系人間だったので母からの受け売りの知識をひけらかしてそう言った。
「『帝室』ねえ……ひよこは庶民的な雰囲気なんだけどね……オメエも『ザ・庶民』って顔だしな」
「それ絶対褒めてないですよね、それ」
少しカチンときた誠を無視するように背を向けた島田はそのまま本部棟の中に足を踏み入れた。
「じゃあ行くからな」
そう言って急ぐ島田の後に続いて誠は足を速めた。
本部棟の無駄に長い廊下を進み運航部に向かう廊下を左に曲がると、そこには小さな白い看板に明らかに女性の書いた筆文字で『医務室』と書かれているのが目に入ってきた。扉の取っ手に手をかける前、島田が低く誠に声をかける。
「ここだ」
島田はそう言うと気合いを入れるように咳払いをして扉を開いた。
「失礼しまーす」
誠は仕方なく自信ありげに部屋に入る島田に続いて医務室に入った。
「ひよこちゃん! いるー?」
「はーい!」
中から返ってくる明るい声に、誠は胸が少し弾むのを感じた。扉を開けると、内部は保健室を思わせる温度と色合い。白い壁、消毒液のさわやかな匂い、そして窓から入る柔らかな光。外の油と暑さから急に遠ざけられたようで、誠はほっとした。
カーテンの陰から飛び出してきたのは、ふわりとカーリーヘアーが揺れる小柄な女性だった。瞳がまんまるで、表情が目に映るたびに空気が少し明るくなる。制服の袖は少し大きく見え、その仕草の一つ一つが不器用だが明るく爽やかな印象を与えた。これまでの癖の強すぎる女性陣と比べると典型的な美少女の登場に誠の頬は思わず緩んだ。
「こいつが今度来たの……」
島田が嬉しそうに紹介する。誠はこの隊に来て見た目がまともな人間に初めて出会ってほっと一息ついた。
「誠さんですよね!聞いてますよ!アメリアさんが『今度ひよこちゃんと同じ苗字のかっこいい男の子が来るから歓迎してあげてね♪』って言われてますから!私も苗字が『神前』なんです!奇遇ですね!」
ひよこが誠に飛びつくように近づくと、誠は一瞬体がのけぞった。驚きと同時に、頬の奥が熱くなる。可愛らしさだけでは片付けられない、どこか危うい素直さが彼女の周りを包んでいる。
ひよこは正直、『かわいい』感じだった。年齢は幼く見えるが、看護師と言うことは短大か専門学校は出ているはずなので二十歳ぐらいと言う所だろうか。誠はなんとなくうれしくなって彼女のまん丸の瞳に恐る恐る目を向けた。照れている誠の顔をどんぐりのような丸い瞳が見つめてくる。思わず誠はこれまでの女性陣には感じたことのないときめきを感じながら頭を掻いた。
「神前ひよこさんですよね?」
誠はあまりにもこれまで出会った女性陣のどこか人を寄せ付けない雰囲気に食傷していたので、いかにも親しみやすそうなひよこに向ってそう語りかけた。
「はい!神前ひよこです。今年の春からこの実働部隊にお世話になってます!」
そう言って笑いかける幼く見える姿を見て誠は思わず頬を赤らめた。
「私、東和陸軍医療学校の看護学科卒でここが初めての配属先なんですよ。一応、正看護師の資格は持っていますです、包帯巻くのはちょっと……」
どこか頼りなげに見えるひよこの姿をただ誠はかわいい女性に会えたという幸福感だけで満足していた。
「いやあ!うちも若いのが多いから!前のおばちゃんが定年で辞めたからどんな人が来るかなーとかうちの馬鹿共が言ってたところにひよこちゃんみたいなかわいい子が来て!確かに包帯を巻くのはうちの兵隊の方が得意なのは事実だけど」
自信が無さそうにうつむくひよこを島田は必死になってフォローする。
「でも……私……新米だし……経験もあまり……」
その言葉に逆に自信を失っていくのがひよこの特性らしいと誠は理解した。
「関係ないから!経験とか無くていいから!」
いじけるひよこと焦る島田の掛け合いが繰り広げられる。
そのコンビに誠はただ何も言えずにたたずんでいた。
次の瞬間、誠は背後に視線を感じて振り返った。ドアの隙間から整備班の制帽の白いつばがいくつも覗いているのが見えた。
「島田先輩……あの人達……」
ひよこに愛想笑いを続けている島田に誠は思わず声をかけた。
「言っとくぞ神前。オメエが下手にひよこに手を出すと……血を見るぞ……ひよことオメエの部隊の不愛想な緑の髪の小隊長はコアなファンが多いからな!実際ひよこちゃんの手を握ったこの前来た馬鹿なパイロットには俺自ら死の鉄拳を繰り出してやった!そんくらいの覚悟は持て!」
「小隊長って……カウラさん?コアなファンって……」
島田は誠の耳にそうささやくと頭を掻きながら部屋の扉に向かった。
「じゃあ、ごゆっくり!オメエならひよこちゃんの手ぐらい握っても俺は許す!」
整備班の野郎共の敵意の視線を浴びながら、誠は明らかにひよこを意識している島田の背中を見送った。
『オメエ等!覗きは犯罪だぞ!つまらねえことしてるくらいならランニング!グラウンド十週!走れ!それと神前の野郎はこれまで来たひ弱なもやし共と違って俺が認めた男だ!下手な気起こしたらただじゃ済まねえからな!』
医務室の外で島田の叫びがこだました。
そんな島田と部下達の騒動が去るとひよこはようやく誠になじんだかのように微笑んだ。そして詩集のようなノートを差し出す彼女の手が震えているのを見て、誠は胸がきゅっとなる。
「私が書いた詩集なんです。読んでくれますか?」
誠は表紙をめくる。うさぎやたぬきの落書きめいた挿絵、拙いけれど一生懸命綴られた言葉。それは読み手に媚びない、彼女だけの世界だ。
『夏の風……少し暑い日々……』
繰り返されるフレーズは単純だが、読む者の胸のどこかに柔らかく触れる。
誠は正直、詩の意味をすぐには掴めずにいた。文系に縁のない理系頭は、言葉の揺らぎを即座に分析できない。しかし、その表紙の下にある不器用な真心は、言葉の正確さを越えて届くものがあると気付く。ひよこの瞳が期待に満ちているのを見て、誠は言葉を選ぶ。
『数式みたいに一つの答えに収束しない言葉。それでも、目の前の書き手の顔を思い浮かべると、不思議と意味を持ち始める。そんな言葉も世の中にあってもいい。いやきっと必要なんだろうな』
刺繍の表紙のかわいらしいイラストを見ながら誠はそんなことを考えていた。
「どうですか?正直な感想を聞きたいんですけど……」
それまでの小動物のような活発そうな態度が消えて、ひよこは誠の寄せられた眉が気になるようで心配そうにそう尋ねてきた。
「まだ一ページしか読んでないけど…その、素直でいいと思うよ。君のままの言葉だ」
ひよこの顔に、ぱっと光が差した。
「誠さん、これ私の詩集です。よかったら感想聞かせてくださいね」
ひよこが恥ずかしそうに差し出すノートを受け取り、誠は胸が高鳴るのを押さえつつ頷いた。言葉で返すのは苦手だ。だが、彼女の純朴さに応える形で、誠は素直な一言を紡いだ。
「ありがとう。ゆっくり読むよ。……たぶん、意味がわからなくても、伝わるものはある……と思う」
ひよこはそれだけで満たされたように笑い、誠の肩に小さく触れる。接触は短く、しかし確かな温度を持っていた。誠は一瞬、自分がこの場所にいていいのだろうかと考える。だが、島田の不器用な『舎弟宣言』と、ひよこの無邪気な笑顔が同時に心を柔らかくしている。
ただ、ここに長居をすると先ほどの島田の制裁を受けた整備班員達がどんな嫌がらせをしてくるか分からない。あまりに居心地がいい場所に長居することは許されないことはこれまでの長居することが拷問でしかない場所を訪問した経験で誠は学習していた。
「ごめんね……僕は他にも挨拶をしなきゃなんないところがあるから!」
爽やかお兄さんを演出しつつ、誠はそのまま医務室の扉に手をかけた。
「はい!誠さん!頑張ってくださいね!」
また明るくなったひよこの声を聴いて誠はひよこに見送られて医務室を後にした。その声は、これから始まる日々の小さな背骨になりそうだった。誠は少しだけ背筋を伸ばし、次の訪問先へと歩き出す。油の匂いと消毒の匂いが混ざり合う瞬間、彼の胸には……不器用だが確かな『居場所』の予感が広がっていた。




