第3話 死の予兆
ゆなはその日、方向案内人の木下巧に付き添われて職場に向かう途中だった。昨日も様々な患者を診た。そこまで重症な患者はいなかった。方向案内人とは、方向音痴の彼女をサポートしてくれる仕事のことである。インターネットで地図を見れば解決じゃないか、という声が聞こえてきそうだが、文字を読むことができない彼女にとって、それは至難の業だ。途中で彼女の足が止まった。
「どうしました?」と木下。
「この近くにある橋まで案内して欲しいの。」
「この近くの橋?ああ、剣代橋のことですか。でもどうして?」
「良いから、早く!」
木下は指示通り彼女を剣代橋まで案内した。剣代橋の高さは、地上から30mの場所にある。下は平らなコンクリートであり、障害物も何もない。その橋の上に向かって、女子高校生くらいだろうか。女の子が階段を上がっていく。
「あなた、止まって。」
ゆなが必死に叫ぶのを聞いて、木下は息を飲んだ。
「まさか?」、そう言うと彼は、ゆなに自分の荷物を授けると、彼女を追って階段を駆け上がっていった。地上に残されたゆなは不安そうな瞳で、彼らを見つめた。地上から20m以上離れた場所、下が平らなコンクリート。危機はすぐそこに迫っていた。女子高生に木下の足が追い付いたところで、彼女は、橋の柵を超え、外に飛び降りた。木下が身を乗り出して、彼女の手を掴んだ。彼は渾身の力で、彼女の身体を引きずり上げた。
「君は何者?どうしてこんなことを?」
彼の問いに、彼女はだんまりを決め込んだ。沈黙が長いこと続き、その間にゆながゆっくりと階段を上ってきた。ゆなは、木下に向かって言った。
「木下さん、ありがとう。その子のこと、あとは私に任せて。」
木下巧は、1人の人間の命を救うことができたことに安堵するとともに、1つの疑問を抱いた。
「一体、なぜ彼女は、田村ゆなは、あの橋で人が死のうとしていると分かったのだろうか。」