3ー44 駆ける雷、禍つ神
【駆ける雷、禍つ神】です。雷じゃないです。
綾井遥香は森を駆けていた。
目的地は迷宮都市ディアーナ。
一旦ゼトロノームの城で姉さんと……じゃない、クラスの奴らと分かれて1人で走っている。
天気は良好。
体調も良好。
これで隣に姉さんがいれば楽しかったろうに。
姉さんは最近梶原と付き合い始めたらしい。
一体何をされたのかは知らないけど、私が気づいた時にはもう落ちた後っていうどうしようもない時で、そのままおめでとうとか言ったし。
妹なのに面目ない。
もしこうなることがあれば全力で駄々をこねて反対しようと考えていたのに、姉さんの幸せそうな笑顔を見ていると、そのことすら忘れて、いつのまにか2人を祝ってたし。
マジで何してんだよ私、後悔はしてないけど。
あの蕩けた顔を見た感じ、一緒に行こうとしても私じゃなくて梶原を選ぶ可能性さえあるってんだから油断できねえ。
妹は私なのに。
彼氏と妹でどっちが距離が近いのかって言われたら、今までなら妹って即答したのに。
仮に他の人の考えが違ったとしても、私は妹って言う。
それなのに今はどうだ。
同じ質問をされて同じ答えが出せるかというと無理な気がする。
この前、梶原とキスをしたって姉さんが私の部屋に駆け込んできたことがあったけど、私はそんな経験ない。
まあ流石にそれはアウトだと思ったから弁えたつもりだったんだけど。
姉のことが好きであるが故に、姉が僅かでも嫌がる可能性がある行動を、遥香は起こせなかった。
起こせるわけがない。
自分のせいで、あの日駆け込んできた時の満面の笑みが自分のせいで失われていたと考えると、罪悪感に押しつぶされて死んでしまっていただろう。
それでも尚。
それを理解して尚。
梶原は嫌いだ。
両思いとはいえ、大事な姉の彼氏に……いや、殆どもう家族の立ち位置に滑り込んだ梶原が。
「あぁ〜クソっ!!」
力任せに雷剣を振り回し、近寄ってきていた魔物を切り裂く。
八つ当たりだ。
全部八つ当たりだ。
いくら嫌いとはいえ、仲間のアイツを切りつけたりなんて出来るわけがない。
怒っていても私には理性はある。
やっていいことと悪いことの区別はつく。
でも、殺したいなどとは思ってないが、ぶん殴ってやりたいくらいにはイライラしていた。
だから気付かなかった。
理性が弱くなって注意力が散漫になり、その上魔力探知も怠っていたから。
「誰だっ!」
叫ぶと同時に魔力を照射。
レーダーのように広がった魔力が周囲を隈なく駆け回る。
だが、殺気はあれど、敵は見えなかった。
補助スキルの【連鎖魔力】の効果で私の魔力は周囲の生物に自動で魔力が飛ぶ。
だからスキルと組み合わせるとさらに敵の察知に使いやすくなるのだ。
それなのに、何かが映ったのは1秒にも満たないわずかな時間。
「出てこい。出ないと引き摺り出す」
そう警告してからスキル【魔力探知】の範囲をさらに広げる。
これは位置探知の力に加え、ある程度の敵の強さも測れる。
だから、もし自分より強かったら、今のうちにさっさと逃げようという算段だった。
木が風に揺れ、ザワザワと音を立てる。
「出てこい」
一瞬探知できた時に測った強さは同列。
大体幻獣種一歩手前くらいか。
これなら何とかなる。
そう思ってもう一度声をかけた。
……こっちから行くか?
それでも反応がないのにイラッとして別の案を考える。
探知範囲を最大まで広げて強引に行けば何とかなるはず。
他に人もいないんだから、いざとなったらアレを使えばいいし。
その結論に至り、遥香は腰を落としていつでも動ける体勢をとった。
しっかりと雷剣を構える遥香はもう一撃で決める気だった。
しかし、駆け出す前に木の影が一瞬ゆらめいた。
その木陰から姿を現したのは覇気のない青年だった。
「え?へ?……おっ、オマエ……」
一瞬の困惑。
1秒にも満たない時間、構えていた雷剣の切先を地面に向けたその一瞬。
既に勝敗は決していた。
「……なんだ、補助スキルか」
「…………………………は…………?」
全部間違いだった。
全部だ。
あの時の最適解は雷剣を握る手を緩めないことでは断じてない。
戦意を、集中を保つことでもない。
先制攻撃をすることでもない。
そう、逃げることだったのだ。
彼が戦意を持つ前に。
彼に出会った瞬間に。
ただただ逃げればよかったのだ。
後ろを振り向くことなく。
恥や外聞など知ったこっちゃない、と全部かなぐり捨てて逃げればよかったのだ。
勇者などという柵など吐き捨てて。
それでも逃げ切れるかなんて分からないが、それでもそれが唯一にして、最適解だった。
でも全て後の祭り。
もう初めの一言を何もできずに聞き終えた時点で、全てが終わっていた。
「……いつ……?」
握っていたはずの雷剣に黒いヒビが入り、砕け散った。
何をされたのか、遥香は何も分からなかった。
目で捉えることすらできなかった。
何できないまま、ただただ剣を壊された。
補助スキルだから再召喚はできる。
だが問題はそこではなくーー
「っ……!!」
突如、背中に激痛が走った。
そしてそれ以上の痛みが腹部を貫いた。
咄嗟に腹の前で腕を交差させたのに、その腕を貫いて衝撃が腹に達し、そこから魔力の衝撃波が全身の骨に叩きつけられる。
直後、再び背中に痛みを感じ、木の破片のような何かが視界で舞った。
攻撃されたことに気がついたのは、森の大木を十本近く、自分の体でへし折った後だった。
木々を飛び越えて私の真上まで瞬時に移動した敵が落下しつつも拳を構えて、地面と接触する瞬間にそのフルパワーを解き放つ。
「待っ……!!」
静止の声は届かず、音を置き去りにした怪物の一撃は遥香が死ぬ気で作ったイルテンクロムの壁100枚を貫く過分な一撃。
地面が抉れ、その爆風で倒木が空で舞い、土煙が地を這った。
攻撃なんて、できない。
これは試合でも戦いでもなく、ただの蹂躙だった。
私が一方的にやられるだけの殺戮ショー。
狩るのが彼で狩られるのが私。
ここはそんな狂った舞台だった。
腕を僅かにでも上げた瞬間、その腕に無数のパンチが飛んでくる。
速度なんて私の比じゃない。
もしかしたら梶原やロキエラでさえ超えるかもしれない。
そんな理不尽な超速度。
「最高統治者っ!!」
嫌いとは言いつつ、貰えるものは貰う。
以前アイツからもらったイルテンクロムとかいう銀色武装。
【創造】の補助スキルがあるからこそ持ち主でもないのに扱える武装陣を展開。
無数の刃を生み出して、どうにか少年との距離を開けられるように彼我の間にそれを割り込ませる。
ーーしかし、男は前に出なかった。
「お……わり?」
無様な姿だけど、死んでないことが誇らしいくらい嬉しい瞬間だった。
「……面白い」
その期待に応えるかのように、男が口を開く。
その言葉は緊張した遥香が姿勢を緩めるのに十分な言葉だった。
「だけど……そう言うの見てると反吐がでるんだよなあ」
だが、この場に希望など欠片もない。
男の目はギラギラとした光を宿し、その瞳は遥香の目をしっかりと捉えていた。
「なあ、家族は好きか?」
「……好き」
突拍子もない質問に遥香は正直に答えた。
『家族』という言葉に嘘はつけなかった。
「いいじゃねえの。俺は嫌いだけどな」
その言葉に、ゾクッと背中に寒気が走った。
「一目でわかった。お前は家族だか彼氏だか知らねえけど、未来に希望見てキラキラした目をしてる。そして俺はそう言うやつを見たら反吐がでる」
……殺る気だ。コイツに帰る気なんてこれっぽっちもねえ。
逃げる?
無理に決まってる。
絶対に追いつかれる。
だったら……
「【雷霆】っ!!」
先にお前を殺す!
お前を殺せば全部解決する!!
【雷霆】とは【雷剣】は超出力の広範囲攻撃。
【魔力連鎖】による攻撃必中の効果を外した今、超速移動を行う敵に傷をつけるにはこれしかない!
魔力消費はやべえけど、構うもんか!
高出力の電撃砲を全方位に発動。
莫大な魔力を引き換えに発動するこの技は、巨石すら焼き消すその破壊力に見合うだけの馬鹿げた量の魔力を奪っていった。
だが雷剣を扱う者として、そんなことは織り込み済み。
幸いなことに私には【魔力超速再生】の補助スキルがある。
その回復速度はあの梶原……どころかロキエラさんをも遥かに超える。
未だに低レベルな補助スキルであるにも関わらず、常人の数倍の凄まじい回復力を見せる。
だから、技を使わずとも魔力を喰っていく雷剣をまだ使えた。
そこまではいい。
そこまでは良かったのだ。
「そんな、はずはっ……!」
岩から泡が噴き出るほどの熱波と白い煙の奥から現れたのは、わずかに服を焦がしただけの男。
「弱い弱い。本気でやれよ、雑魚」
「舐めてんのかァ!!」
舐め腐ったようなその口調と声色にイライラする。
そして、怒るたびに動きが鈍り、単純になる。
そして、男に触れることさえできずに全身に傷だけが増えていく。
「おいおい死ぬぜ?ほらよ」
突然男は指を合わせるとパチンと鳴らす。
なんてことないただの指パッチン。
ーーのはずなのに。
「ただの魔力の指向性放出だ。指パッチンの小さな衝撃を増幅、そして方向を一点に定めることで爆発的な威力を生んだ」
その衝撃波は私を軽々叩き飛ばし、岩を砕いて大気を切り裂く。
鮮血が舞って、木々が倒れる。
動作ひとつひとつが兵器。
わずかな動作さえ凶器となりうる底知れぬ恐怖。
その畏れの感情が身体を締め付けた。
しかし、その恐怖は遥香の楔を砕いた。
「ーー解放ーー」
知らない。
この後のことなんて知ったこっちゃない。
それを見て、男はニヤリと口を吊り上げる。
「じゃあ俺も、【簡易結界】【アベリア】」
2人を囲むように結界が張られ、その境界に白い炎が立ち上がる。
「んじゃ、心を折る一言だ」
緊張で目を見開く遥香に小さく告げる。
小さな声。
しかし、決して聞き逃せない一言だった。
「神獣種、天下井愛斗。情けねえ部下の願いを叶えにここに来た」
「……え?」
生まれた思考の間隙。
その一瞬の出来事。
「か……ハッ……」
遥香はすでに倒れていた。
結界の壁で背中を強打し、動けないところに、振り上げられた確殺の拳がうねりをあげて心臓に迫る。
「ごめん……姉さん」
その刹那。
涙でぼやけた視界の中で、私は輝く星を見た。
「何やってんだよ、オマエ」
全身が凍りつくような冷たい声色と共に、一つの影が降ってきた。
さて神獣種VS幻獣種。まあ結果は分かりますが、2人が助かるとすればやっぱあの人しかいないですね。