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穢れ祓い 其の三

 すると、ドシン、ドシンと地面が揺れ始めた。まるで巨象でも歩いているかのような足音と震動が私達に近づいて来た。


 私達の前に大きな人影が現れると同時に震動は止まる。


 恐る恐る人影に目を向けると、全身毛むくじゃらで頭に大きな角を生やした大男が佇んでいた。大きく裂けた口からは二本の鋭い牙が剥き出しになり、その瞳は漆黒の闇を思わせる。


 それは、一言で鬼と呼ばれる存在だと分かった。全身から禍々しいオーラが立ち昇っていた。


 鬼は顎に手を置くと、苛立ちを露わに沼野先輩に話しかけた。

 

「沼野錦よ、何故ここに女子(おなご)がおる!? ここは女人禁制の聖域なるぞ! 貴様は我々を愚弄するつもりか⁉」


 鬼の怒気塗れの咆哮が響き渡った。あまりの声量に私の身体がビリビリと震えるのが分かった。


 沼野先輩は見上げる様に鬼を睨みつけると、悠然と呟く。


「一角鬼よ、何を勘違いしている? ここに女はいないぞ?」


「なれば、そこにいるのは何者ぞ⁉」


 沼野先輩に一角鬼と呼ばれた鬼は、私を、正確には雷電丸を睨みつけながら叫んだ。またもや私の身体はビリビリと震えた。


「こいつは高天双葉という名のれっきとした漢だよ。それに、鬼門が女を通すとでも思っているのか?」沼野先輩はにやり、とほくそ笑む。


 沼野先輩の指摘に対し、一角鬼は言葉を詰まらせた。


「むぅ、確かにそうだが……しかし、美味そうな女の匂いが漂ってくるのは何故だ?」一角鬼は険相はそのままに、私を睨みつけながら涎を垂れ流した。


 すると、突然、雷電丸は破顔すると、嬉しそうな声を張り上げた。


「おお! 何処ぞで見かけた顔だと思っておったら、先輩ではありませぬか。なんともまあ、変わり果てたお姿になりましたな!」雷電丸はそう言うと、ガハハハハ! と腹を抱え爆笑し始めた。


 雷電丸に指を差されながら大爆笑された一角鬼は、こめかみをぴくぴくと痙攣させながら鋭い眼光を雷電丸に放った。


「貴様など知らぬわ! 妖頭であるオレを愚弄するとはいい度胸だ。覚悟は出来ているのだろうな?」


 一角鬼は苛立ちを殺気に変えると、全身から瘴気のような禍々しいオーラを漂わせた。


 私にも分かるわ。彼、相当怒っている。今にも襲い掛からん獰猛な唸り声を上げてこちらを威嚇していた。


『ちょっと止めなさいよ、雷電丸! 突然何を言い出すのよ⁉』


 私が慌てて雷電丸を止めに入るも、雷電丸の大爆笑はおさまるどころか更に勢いを増していった。お腹を抱えながら地面を転がり、涙を流しながら絶叫にも似た笑い声を響かせた。


『いい加減にして!? これ以上刺激したらここにいる全ての妖が怒って襲って来ちゃうわよ⁉』


「いんや、それはないよ、双葉。何故なら、儂等には協定が存在するからの」


 雷電丸はピタリと笑いを止めると、小声で私に囁いて来る。


『協定? それはなに?』


「国譲りの儀に参加する力士は土俵の外で争うことを禁じられておるんじゃ。もし協定を無視して場外乱闘でもしようものなら神罰が下るじゃろう」


『ああ、どうりで。だからこの一角鬼とかいう奴はさっきから怒りでプルプル震えるばっかりで襲って来ないのね』


 だからか。私はすぐに納得した。襲って来れないと分かっているから、雷電丸はあんなにも挑発めいた大爆笑をしていたのか。でも、仮にこの鬼が襲いかかって来たとしても、雷電丸なら張り手の一発で粉々にしてしまうだろう。どの道、何も心配することはなかったのだ。


 しかし、一つだけ気になる点がある。雷電丸は目の前にいる鬼を『先輩』と呼んでいた。それはどういう意味なんだろうか?


 私が雷電丸に問い掛けようとすると、沼野先輩が呆れたように嘆息しながら話しかけて来る。


「高天、その辺にしておけ。不必要に奴らを刺激するな。協定があるにせよ、それを無視して襲って来ないとも限らんからな」


 沼野先輩は周囲を見回しながら雷電丸に言う。見ると、観客席にいる妖達は殺気だった眼光をこちらに放ちながら、獰猛な唸り声を上げていた。もし協定が無ければ、間違いなく彼等は私達に襲いかかって来ただろう。


 どうやら先程の雷電丸の大爆笑が彼等の怒りを買ったようだ。まあ、当然の結果だろうと、私は嘆息する。


「ふむ、確かにそうじゃの。分かった、そろそろおっぱじめるとしようかの」雷電丸はそう言うと、両足を持ち上げて反動をつけながら一気に立ち上がった。


 一角鬼は雷電丸を睨みつけながら口元を歪ませた。その表情は鋭く引きつっていて、怒っているのか嗤っているのか、よく分からない様な表情を浮かべていた。


「女、覚悟をしておけよ。この場に来たことを後悔させてやろう」一角鬼は目を細めながら大量の涎を垂れ流す。


「かかか! 面白い。無駄じゃとは思うが、楽しみにしておるよ、先輩」


 その時、一角鬼は雷電丸を見ながら目をギョッと見開いた。その表情がわずかに動揺している様に見えた。


「お前、何処かで会ったことが……いや、気のせいだな」一角鬼は自分を納得させるようにそう呟くと、踵を返して歩いて行った。


 私達が一角鬼の背中を見送った後、沼野先輩が話しかけて来た。


「高天、今宵はお前にとって初場所だ。格付けもされていない以上、相手も幕内力士は出して来ないはずだ」


 あ、その辺は現在の大相撲と一緒なのね。ちょっと安心したわ。


 現在の大相撲では、力士達は場所ごとの勝敗によって格付けされる。


 ランクは一番下から序の口、序二段、三段目、幕下、幕内に分けられる。幕内とは十両以上の力士のことを指し、横綱までの幕内力士を総じて関取と呼ぶ。一方で幕下以下の力士は若者と呼ばれ、いきなり横綱などの関取と取り組むことは無いのだ。


 そうなると、今夜の取り組み相手は格下ということになる。雷電丸なら万が一にも敗北することはないだろう、と私は安堵の息を洩らした。


「えー!? 何じゃ、つまらん。せめて大関くらいとはやり合いたかったのに」


「冗談は止せ! オレでさえ格付けは小結(B級)なんだぞ? オレ達には大関(S級)の相手をするにはまだ早い」


「ちなみに、あやつの格付けはいかほどじゃ?」雷電丸はふん、と鼻で笑いながら一角鬼が立ち去った方向を親指で指差した。


「一角鬼の妖番付(ランク)は確か関脇(A級)だったはず。オレも一度やり合ったことがあるが、まるで歯が立たなかった」沼野先輩は両拳を握り締めると、忌々し気に呟いた。


「何じゃと!? あ、あやつが関脇(A級)とな!?」


 雷電丸はカッと両目を見開くと、驚いたように口を開いてワナワナと全身を震わせ始めた。


「な、なんということじゃ……それではあまりにも……」そう言って、雷電丸は口を片手で押さえながら呆然と呟いた。


「高天、どうした? 何をそんなに動揺している?」


 沼野先輩は突然震え出した雷電丸を見て、驚きに顔を強張らせた。


「お前、まさか……!?」沼野先輩はハッとすると、突然押し黙ってしまった。


 それから、沼野先輩は拳を口に当てながら考え込む様に瞳を閉じた。

 すると、ようやく考えがまとまったのか、両目を大きく見開くと、よし、と声を洩らした。


「高天、恐れることは恥じゃない。だから、今日は棄権しろ」そう言いながら、沼野先輩は雷電丸の肩に手を置いた。その表情が何故かいつになく優しさに満ち溢れているようだった。


「錦よ、何のことじゃ?」雷電丸は目を丸くさせると、不思議そうに首を傾げた。


「隠さなくてもいい。すっかり忘れていたが、お前も女だったってことだな。分かるよ。男のオレですら、初場所は怖くて足の震えが止まらなかったんだからな」


 沼野先輩は納得した様にうんうんと頷いて見せた。


「奴らを前にして怯えるのはむしろ正常な反応だ。お前も普通の人間だったんだなって、ちょっと安心したよ」そう言って、沼野先輩は口元に柔和な笑みを浮かべた。


 私は突然優しくなった沼野先輩を見て首を傾げる。

 はて、沼野先輩は何を言っているんだろうか? 私が、正確には雷電丸がだが、誰が怯えているって?


 確かに、先程、雷電丸は驚きに顔を強張らせて身体を震わせたが、それは……。


 その時、周囲から会場が震えるほどの歓声が上がった。


 見ると、既に誰かが土俵に佇んでいた。それを見て、妖達は発狂したような叫びを上げたのだ。

 

「ま、まさか、あり得ん!? 何故、お前が土俵に立っているんだ⁉」


 沼野先輩は驚愕に顔を強張らせながら呟いた。その声が微かに戦慄いていた。


 私達の視線の先に、大きな角を生やした大男が悠然と四股を踏んでいるのが見えた。四股を踏むたびに大地震でも起きたかのような激しい震動と衝撃音が響き渡る。


 土俵にいたのは一角鬼だった。奴は私達を見ると、にやりと不敵にほくそ笑んだ。


「一角鬼、どういうつもりだ⁉ 高天は今宵が初場所なんだぞ⁉」


「くく、格付けのことを申しておるのか? ならば問題はない。そ奴が腰に巻いているまわしを見よ。関取にのみ纏うことが許されている黒色のまわしではないか。故にオレが相手をしても協定違反にはならん」そう言って一角鬼は勝ち誇った笑みを浮かべた。


 その時、沼野先輩は絶句する。まるでこの世の終わりでも来たかのような絶望の色で顔を染め、祈る様に天を仰いでいた。


 私はその時、そう言えば黒色のまわしって、関取じゃないと身に纏うことが許されていなかったわよね、と思い出して、ぽんと手を打った。


 その時、私の脳裏に雷電丸と木場先生の会話が過った。


「儂は関取でもないのに、黒を纏っても良いのかの?」という雷電丸の問いかけに対し、


「君以外に誰が黒を纏えると言うのかね?」と、木場先生は悠然と答えていた。


 あー、それって雷電丸の格付けを関取と認めたってことよね? 私は瞬時に絶望的な状況を理解して戦慄する。


 沼野先輩は顔を蒼白させると、うなだれる様に呟いた。


「オレとしたことがうっかりしていた。黒色のまわしを身に纏うということは、自ら関取と宣言しているようなものじゃないか……」


 ぎゃあああ!? やっぱりそうですか⁉ つまり、雷電丸が黒色のまわしを身に纏っている以上、相手が誰であろうと、例えばあの一角鬼さんが相手でも文句は言えないってことよね!?


 沼野先輩も木場先生もうっかりってレベルじゃないですよ⁉


 もしかしたら、二人とも相当なドジっ子なのでは、と思わずにはいられなかった。

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