03
ジョセフのくぐもった絶叫が、夜の静寂を引き裂いた。
蠢く闇があふれ出す。聖女たちの魔力に触れ浄化された瘴気が、ジリジリと焦げる音がする。それらは、世界の澱みが生んだ異形。それらは、神に反逆する異端。
リリアージュ聖王国の外、森に巣食う魔が今、内へと招かれ姿を見せた。
「ああ、旦那様!」
魔法陣の中央、真っ先に歩み出た客の姿を認めて。初めて、エレオノールの表情が溶けた。薔薇色に染まった頬、甘い声。全身全霊で愛をあふれされる姿は、恋をしている女の情熱的な姿だった。
苛烈な環境の中で出会った、唯一の救い。
魔法陣を完成させ、仕掛けを施し終え、近距離での実験も済んで。瘴気の調査へ出向く人選に、エレオノールは当然のように自分の名を挙げた。言い出しっぺは自分である。最も内在魔力が多いのは自分である。最も強力な結界を張れるのは自分である。国に事の次第が露呈した場合、真っ先に差し出す首は自分であるべきだ。逆らうことは許さなかった。異論に耳は貸さなかった。回復魔法を得意とするミィとレイを連れて、3人だけで出かけた。
瘴気の異常発生。その原因がわかればあるいは。これ以上、異世界からの犠牲者を増やさず済むかもしれない。悲劇を繰り返さずに済むかもしれない。
結界の外、魔が蠢く土地へ踏み込んだ。濃い瘴気を、自分たちを囲うように張った結界で祓いながら進んだ先に、彼らはいた。
魔族。
魔力を帯び、瘴気を吐き出す塊でしかなかったはずの魔が、自我を持ち理性を備え、新たな種族として生きていた。破壊と蹂躙。それだけに従順なはずの彼らが。長く、彼らの脅威として立ち塞がっていた結界、そこから漏れる神聖な魔力が少しずつゆっくりと時間をかけ、魔の瘴気を祓っていった。
結界を越えられず土地に停滞していただけの魔が、周囲の植物や動物と結びつき、その生命力を吸収したことで命が宿った。
にわかには信じられない話である。そんな事例、一度も確認されていない。リリアージュ聖王国の歴史の中で、これまで魔は魔でしかなかった。
「久し振りだね、エレオノール。少し痩せたかな?」
「今日のために少し無理をしましたから」
牡鹿の角を持った魔族だった。
獣と人間が混じり合った容姿は異質であり、目撃したジョセフや大司教たちの思考を凍りつかせるには十分であった。
二足歩行で、五指の手があり、しかし大粒の双眸は獣に近い。獣の部分を多く残した顔でありながら、細やかに表情を変化させる様は人のそれである。けれど彼が纏う魔力は人間のそれを超越していた。知能があり、言語を介したコミュニケーションが可能となっても、彼らはやはり人ではない。
異常なことだった。
異様な光景だった。
彼らは生きていて、彼らは生活していて、彼らはエレオノールたちと出会った。
人と魔族の邂逅は、リリアージュ聖王国の歴史を大きく変える。視線を交わし、言葉を交わし、そうしていつしか心を交えて。エレオノールは、彼らと手を組むと決めたのだ。
長く、果てのない聖女の檻。この国に生まれた、招かれた聖女を、死ぬまで繋いで離さない強欲な牢獄。エレオノールは、聖女たちは、国を滅ぼすと、そう決めた。