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聖女の顔は何度まで  作者: かたつむり3号
第二章 時、満ちて。
6/25

02


 準備は整った。エミリを連れ、外に出る。外は日が傾いて夜を迎えつつあった。思ったよりも準備に時間をとられてしまった。

 殴り潰した影の処理に関して、放置するというエレオノールにエミリが反対したのである。


 思い入れもないし大切なものも置いていない部屋であるのだから、汚れたところで気にもならない。戻ってくる予定もない。1枚とはいえ結界を張りっぱなしにしておくのは魔力の無駄遣いである。


 言葉を尽くして説得された。

 どうにもエミリは、エレオノールが影だった連中の血肉で部屋を汚すことに抵抗がある、という状況自体が我慢ならないらしかった。

 言う通り、エミリが大切にしている品はすべて事前に祈りの間へ運び込んでいる。彼女の部屋にあるのはどれも、捨て置いて問題ないものばかりだ。それでも、エミリが過ごした部屋である以上、汚すことはできるだけ避けたいというのがエレオノールの意見である。偽装した関係ではあっても、共に過ごした時間に嘘はない。その思い出すら汚れるようで、気乗りしないのだ。

 すれ違う。

 でも、でも、だって。

 エレオノールがなかなか頷かないことに焦れ、遂にエミリは叫んだ。


『エレオノールさんの結界に覆われてるってことは、エレオノールさんに抱きしめられてることと同じですよ!?』


 同じではない。同じであるはずがない。……違うと言って。

 強烈な拒絶感で気が緩んだ。

 どういう経緯で結びついた思考が導き出した結論なのか不明だが、とにかくエミリは目的を達成した。エレオノールは結果として、結界を解いたのである。

 本心で言っているとは思いたくないが、ともかくそうこじつけられる可能性があると知ってなお、意地を張ることは無意味だ。ぷんすか怒るエミリの手を引いて部屋を出て、扉をしっかり閉じてから結界を解いた。

 ばしゃん、と扉越しに聞こえた水音に満足したエミリがようやくニコニコと笑みを浮かべるのを見ながら、エレオノールはがっくり肩を落とした。

 こうと決めたら貫き通す。尊い精神ではあるのだが、どうもエレオノールが絡むとエミリは頑固になる。


「……はぁ」


 吐息で気を散らし、気持ちを整える。礼拝堂の裏手へ回ると、伝令に走らせた数人を除くメンバーが揃って2人を待っていた。

 静かに待っている聖女たちと、ぎゅうぎゅうに体をくっつけてエレオノールの視界から逃げ出そうと縮こまる大司教たち。そして、沈みゆく太陽の代役でも演じているのか、鼻息荒く顔を真っ赤に染めている人物。

 手足を縛られた魔術師協会の会長ジョセフ・エイブラドが、憤怒に顔を染めていた。猿轡を噛まされ言葉は発せないものの、語らずともこちらに罵声を浴びせたいことは明白だ。

 その姿を見るだけで気が晴れてしまう己の単純さに、エレオノールは苦笑する。


「こんばんは、いい夜ですわね」


 わざとらしく慇懃無礼にカーテシーをとって見せる。双眸に宿る怒りが燃え上がる様は、見ていて気分がいい。


「またそんな不機嫌な顔をして、威嚇したって誰も怯えてはくれなくってよ」


 ままならない発声ながらも何かを訴えるジョセフを無視して、青褪めガクガクと震えている大司教たちのほうへ顎をしゃくる。彼らは自由の利かない体をばたつかせ抵抗するジョセフの体を押さえつけ、指定の場所へと引きずっていく。

 目的地はそう遠くない。礼拝堂の裏手から、少しばかり奥まった場所へ移動するだけだ。そこは建物の陰になって日中でも薄暗いが、太陽が沈んだ現在、そこには一縷の光も差し込まない。代わりに、いくつものランタンが並べられている。ミィとレイが先行し、光を灯して回る。

 徐々に明るくなり、周囲の状況を目視で確認できるようになってきた。すべてが明瞭になる前に、エレオノールは一歩踏み出してジョセフの顔を覗き込む。


「憐れなあなたへ、わたくしたちの自信作を御覧にいれましょう」


 いかが?

 エレオノールの言葉に合わせ、「じゃーん!」とエミリが大仰な仕草でジョセフの視線を引く。同時に、すべてのランタンに明かりが灯った。


「~~~~――っ!?」


 ジョセフの口からくぐもった、しかし明確に悲鳴だとわかる音が漏れた。見開かれた双眸はうっかりすると落ちてしまいそうだ。


 巨大な魔法陣。

 正円、複雑な文様、特殊な文字。純白の布に縫い刻まれたそれらを、彼はこの場の誰よりも見知っていた。


 魔術師協会が独占している召喚の魔法陣である。努力の結晶、研鑽の賜物。手放したくない理由も、共有したくない訳も、もちろん理解できる。けれど使用に関して、聖女の側に共感はない。

 協会の権力を誇示するためだけに独占されているその技術を、聖女たちはようやく盗み出した。エレオノールがとどめだった。

 幾度となく行使された拉致の現場を、歴代の大聖女たちは幾度も見てきた。陣の形を、構成を、覚えられるだけ覚えて記録した。門外不出。しかし目撃している人間は必ず存在する。新たな聖女を迎える場面、大聖女は同席するのが決まりだ。

 同じ責を負う女同士、支えになってあげなさい。

 異世界の乙女を篭絡するための甘言が、自らの首を絞めていると、誰も気づかなかった。魔術師協会が、所詮、聖女にこれだけの大魔法は行使できまい、と鼻高々にお披露目してきてくれたおかげで、魔力の流れも魔法の組み方も、ばっちり把握できた。自惚れ万々歳である。


 幸いなことに、今、教会に所属している聖女の質は歴代でも最高だった。国や魔術師協会への恨みやつらみをこれでもかと抱えた聖女が20人と、エレオノール。これ以上の戦力はなかった。

 それはもう大々的に、でかでかと縫ってやった。教会が調達できる最上級の布を贅沢に惜しみなくふんだんに、これでもかと使って。これまた最上級の糸を選んで、一針一針、渾身の魔力を込めて丁寧に。嬉々として技術を盗んでやった。

 歴代の聖女たちが残した記録を、擦り切れるほど読み込まれたそれらを、擦り切れてしまうまで読み尽くして。エレオノールの記憶を交え、いくつもの夜を費やして。そうして完成した陣には、この場に揃う聖女たち全員の魔力が縫いこまれている。そして歴代の聖女たち全員の想いが詰まっている。


「わたくしたちを侮り過ぎたのね、可哀想に。自慢の技術をまんまと盗まれてしまうなんて、おまぬけさん」


 エレオノールはここぞとばかりに嘲笑う。まるで苦労などなく、平然とやってのけたように装う。そうでなくとも愉快でならない。浮かぶ感情を胸の内に秘めなくてもいいのだと思うと、過剰な程にこぼれ落ちる。

 恨めしげに睨めつけてくる視線さえ、今日この時ばかりは心地いい。


「エレオノールさん、早く言っちゃってください。ネタ晴らしを焦らすなんて意地悪ですよ」


 興奮を抑えられないらしいエミリに袖を引かれ、堪らず、限界まで吊り上がった口角がさらに上向こうとして引き攣った。


「エレオノールさん! ああ、もう我慢できない!」


 影の目を気にせず好きなことを言える状況が久し振りなせいか、エミリは少しばかり情緒がおかしくなっているらしい。エレオノールを待てず、とっておきを披露すべく駆け出してしまった。

 ここ見て、ここ。エミリが指さした陣の一角へ視線を向けたジョセフが、訝しげに眉根を寄せた。


 見知った魔法陣にはない、余計な線の加わった文字列が並んでいる。それは聖女から魔術師協会へ贈る、とっておきのサプライズであった。


 異世界に住む清廉な魔力を持つ人間をこちらへ招く魔法陣。技術が進化しているといってもやはり消費魔力は膨大で、魔法の構成は複雑だ。そっくり真似て、ジョセフの鼻っ柱をへし折ってやろう。理由としてはそれが大部分を占めるけれど、単なる嫌がらせのためだけに金も時間も労力もかけたわけではない。


 発端は、エミリを招くきっかけとなった瘴気の異常発生である。国は調査をする気がそもそもないのだとわかってすぐのことだ。エミリが招かれ、これまでの少女たちと同様に泣きじゃくる彼女を見て、聖女たちは覚悟を決めた。嘆くばかりの日々は終わりだ。国がやらないのなら、自分たちでやる。

 

 結界の最も厚い場所、瘴気が満ちる国境へ。


 しかし数人でも聖女が長期間、教会を空ければ不審がられる。当時はまだ反逆の決行を決意したばかり。教会の掌握も済んでいない。水面下で動く必要があった。

 ひっそりと、迅速に移動する手段が、どうしても必要だったのである。そこでエレオノールが目をつけたのが、召喚の魔法陣だった。


「ここと、ここの糸を切って、こっちを繋ぐとあら不思議」


 呆然とするジョセフを尻目に、エミリはミィとレイと一緒になって陣の仕掛けを解き、どんどん話を進めていく。


「あっという間にどこでも扉のできあがり! いつでもどこでも好きな時にお出かけできちゃう!」


 きゃあ、と興奮気味な声がそこかしこで漏れる。

 やってやりました、と言わんばかりに胸を張るエミリの頭を撫で、続きはエレオノールが引き受けた。


「聖女の資格を持つ人間を移動させるための陣だもの。わたくしたちが移動の手段として応用するのは容易かったわ」


 世界を越える必要がないのだから余計に。


「それから、もう一つ」


 資質のある聖女が移動する。聖女の魔力を込めて製作されたこの魔法陣は、それだけに留まらず。

 世界を越える。最大の難所を無視できる分、招く対象を拡張した。


「わたくしたちが求める対象をこちらへ招くこともできる」


 見計らったように、上空で鴉が鳴いた。伝令のために飛ばした使い魔である。

 すっかり青褪めたジョセフへ、エレオノールは美しく微笑んだ。聖女が弱り切った人間へ向ける、聖なる慈悲の笑みであった。


「御覧にいれましょう」


 それが合図だった。聖女たちが一斉に、魔法陣へ向けて魔力を練る。――悪意ばかりを抱く聖女たちの清廉な魔力によって、客たちは正しく招かれた。

 

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